フリダシ
「まもなく、二番線に列車が参ります。危ないですから―――」
アナウンスが響く。
「あっ、来た。私そろそろ行きますね」
「そうですか」
「すみませんでした。話し相手してもらっちゃって」
「気になさらずに、僕も楽しかったんです。本当に」
「楓~」
早乙女楓の母親が息を切らしながら、やってくる。
目を白黒させて、「お母さん」と言う。早乙女楓。
僕たちの前に着くと呼吸を整え。
「これ、忘れ物」
差し出したのはさっきと同じ四枚の写真と通帳だった。
「もう、良かったのに、わざわざ届けてくれなくても」
照れながら、でも嬉しそうに受け取る。彼女の様変わりした態度に母親は一瞬驚いた顔をしたが、受け入れるように、そして、包み込むように微笑んで「もう、あんたって子は」と抱きしめた。
「ちょっと、やめてよ、恥ずかしい」
そんな彼女の照れ隠しが微笑ましくて。母と子の完璧な姿を見ると、自分を殺したくなる。
「それじゃあ、行ってきます」
旅立ちに胸躍らせる彼女の姿を最後まで見届けたいけど僕はここにいては何かと都合も良くないし、 なにより、切ないし気まずい、立ち去ることにする。
と、
「あの~」
早乙女楓が呼び止める。
「はい」
僕は、犬みたいに振り向く。
「お名前聞いてませんでしたよね」
まぁ、名前くらいならいいよね。
「東雲です。東雲時雨です」
「私は早乙女楓です」
屈託なく笑う彼女は紛れもなく本物で罪悪感を薄れさせた。
何かを閃いたように、「東雲さん」と呼ぶ。
「はいっ」っと訳も分からず返事をする。
「中々、変わった名前ですね。時代劇風な漫画とか時代劇風な小説とか時代劇風な笑いあり涙ありのスペクタクルなRPGとかに出てきそうな、なんか、そこはかとなく悲壮な名前だと思います」
「………でしょ」
懐かしいと言うには短すぎて、嬉しいと言うには切なすぎるその言葉に対してどんな顔をすれば彼女に怪しまれずに済むだろう。
自然になってしまう涙が出そうな顔を無理矢理笑顔にしてみせる。
「それじゃあ、また会えるといいですね」
そう言って笑顔で軽くお辞儀をすると、電車に乗り込んだ。
プシューと、ドアが閉まる音がして、電車がゆっくりと動き出す、僕は遠のいていく彼女を振り返らずに、歩いていく。
決心しても足取りが重くて、惜しむ気持ちもあるし、臆病になってもいるんだ。
だけど、早乙女楓の涙と同様にその笑顔は僕の活力になる。
さぁ、残るは一人だ。
三度目、僕は一度目と似た状況にある。
肌寒い夜風とどこかの馬鹿犬の遠吠えの中で隠れながら待っている。
来た。
疲労と共に家路を急ぐ男。用があるのは多分彼だ。
― ――「早乙女さんですか?」
「はい、――?」
これで、歯車の交換が終わる。
「それでは」
言って、有無も言わせず頭を掴んで
「変われ」
念じた。
――本当なら、知ってる奴全員にやってやりたいけど、それは不可能だしあまり意味のないことだと思う。
学校で流れている噂もやがては新鮮さをなくして、言い続けられてるような忍耐強い奴はいないだろう。それに、彼女は立ち寄らないだろう。理由がない。縛り付けてるものも探しているものも、そこにはないからだ。それでも、やっぱり家族は必要だと思う。
だって、帰って来れる場所だけ残しておけば、羽を休めるのには十分じゃないか。
―――逃げるように早乙女家を後にして、もう誰もいない寂しく外灯が照らす公園のベンチで、感情の収集もつかず途方もなく腰を掛ける。
降りかかるような夜空は労っているのか、償わせようとしているのか、僕の心情としては後者としてしか捉えられない。
くだらないことだと思う人も利用価値があると思う人もいるかもしれないけど、僕には過ぎた力で一生背負っていく枷。
悩むことに疲れて、背を凭れる。
「自己完結中ですか?」
聞き覚えのある声。僕ははっとして闇を見る。
一歩ずつ露わになる正体は確かにあいつだった。
出会いは何年も前で一回きり、でも僕は忘れるはずがない。
「お久しぶりです。――ところで……」
近づきながら語りかけてくる。
「あなたは誰ですか?」