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フィルター  作者: 希理幽
5/6

全て

 階段を降りると、早乙女楓の母親と鉢合わせになる。

 彼女はその姿を見て動きを止める。

 強迫観念に顔をがひきつって、明らかに動揺しているのがみてとれた。

 そんな彼女の背中をそっと押して、 「

「心配いらないよ」

 僕は確信をもって伝える、が。

 俯きながら、首を横にして、早乙女楓は否定する。

「やっぱりダメみたいだね。問題を目の前にしたら、体が拒否反応を起こしてる」

 震えながら、立ち尽くしていると、


「もう行くの?」


 母親の一言に、耳を疑う彼女。

「えっ」

「ちょっと待ってなさい。渡すものがあるのがあるの」

 言って、母親は何かを探しに行く。

 咎める様子もなく、それどころか、送り出すような素振り。早乙女楓には何が起こっているか理解できていないだろう。

 母親の変貌に心ここにあらずの彼女。

「だからさ、心配いらない」

「どうゆうこと?」

 軽い夢心地気分の彼女に、戻ってきた母親が、通帳と四枚の写真を手渡す。

 怯えながらも受取り、


「これって……」


 写真を見て、驚く。


 それは、成長の記録だった。幼稚園の入園式に、小学校、中学校、高校の入学式、空白が多すぎた家族が喜びを確認できる数少ない写真。

一つは今にも泣きそうで、一つは笑っていて。でも、後の二つは………。


「覚えてる?ちっちゃい頃はほんと人見知りで、人が多いって、泣いちゃって、もう大変だったわ」

入園式の写真を指さして懐かしげに話す。

「この時は、そう、ランドセル。中々、気に入ったのが見つからなくて、デパートを十件はしごして、やっと、気に入ったのが、これ。本当に気に入っちゃって、入学式の前の日まで、ずっと一緒に寝てたんだから」

 ランドセルを見せびらかしながら、笑っている小学校の入学式の写真を見せて笑う写真を指さして温かく話す。


「どう――とよ――れ」

 声を震わせ、言葉を漏らす。だが、小さすぎて、よく聞き取れない」

 母親は気付かず続ける。

「それでこれは、………?」

 母親は写真を見て首をかしげる。

 あっ!

 それは、中学と高校の写真、写っている早乙女楓に笑顔がない。中学の写真はぎこちなさげだが嬉しそうで、でも、高校の写真は、一切の無表情、只、撮られているだけの、何も伝わらない写真、それでも伝わるものがあるとしたら、根底にある悲痛だろう。


「なんで………」

 写真と通帳を力の限り、床にたたきつける。音が浸透して、時が止まったような錯覚がした。

 涙に濡れた瞳で早乙女楓が母を睨みつける。

 うわっ……。

「なんで、私を止めようとした。やっと、……やっと救われたと思ったのに、暗闇と欲望しかなかった部屋から抜け出せたと思った。でも違った。支配に血のつながりが加わっただけだった、あんた達とまた一緒に歩きだせることをどれだけ待ちわびたと思う。それなのに、あんた達はあいつとなんら変わりない」

 抑圧されてた想いが、怒りになって浴びせられる。訳もわからず、娘に困惑している母親がいた。

 これ以上はまずい。

 彼女の手を取り、外に連れ出す。拒んでも無理やり。

「離して」

 手を振りほどこうとする早乙女楓、鬼気迫るものを感じる。言い足りないことが山ほどあるのだろう。

 母親は様子を茫然と見ているしかできてなかった。


「あぁ、僕は……」

 家を出た後も、しばらくちらついて、猛省する。

 軽率すぎた。

 安易に考えてたんだ。

 十分予測できたのに、使えばこうなることなんて。

 前を向いてても、自責に視界をが奪われる。

 すると。

 突然、ぐっと、体重を乗せて制止させる力が腕に荷かった。

 その反動で足が強制的に止まる。

「死ぬ気?」

 叱りつけるような声が後ろからする。振り向けば早乙女楓が、息を切らして、目を丸くさせていた。 何かに驚愕しているような顔だ。

「えっ?」

 聞き直すと、呆れ顔で前を指さす。その方向を見ると、信号だった。赤に変わった、車の通りの頻繁な、かなりの大通りの。

 冷や汗が流れおちる、気づかなかったでは済まない。僕は、考え事をしているうちに死ぬ所だった。それほど動揺していたのかと、自分の、要領の悪さが恥ずかしい。


「おかしいよね、明らかに」

 胸に手を添えて、生きていることを確かめている僕に、唐突に彼女が尋ねる。

 確信をついてくる、そんな口ぶりだ。

「なんのこと」

 一応とぼけてみるが。

「あいつ、おかしすぎる。突然変わった。君だって何か知ってる風な感じだったし、もしかして、原因は君なの?なにかあいつに吹き込んだりでもしたんじゃない」

 透き通るような瞳にはすべてを見透かされそうだ。

 そして、僕もそれに対する策は用意してきてはある。


 あさっての方向に黄昏た目線を向けて、フッ、と、鼻で笑い、ご名答だと言わんばかりに、追い詰められたが余裕を見せる怪盗みたいな口振りで、

「しょうがない、全部話すよ。……だけど、あまりに突拍子もない話だから、信じるのも信じないのも、君の自由」

 含みのある言い方に、彼女は、怪訝そうな顔をする。少し、芝居がかりすぎているようだ。

 切り替えるように、コホン、と、一回咳払いをして、話を続ける。

「そうだな、なんて言ったらいいか、的を得てるかは解からないけど、僕にはそんな風な力があるんだ」

「力?」

 食いついてきたのに安心した。すかさず、でもそれが悟られないように、落ち着き払って、

「そう、僕には力があるんだよ。でも、それは特別なものじゃなくて、足が速いとか、頭がいいとか、 少しだけ、人よりも優れているってだけなんだけど」

 前振りする。

 ここまでは、大体本当だ。嘘ではない。でも、ここからは、事実を話すといろいろと都合が悪い。

なので、

「で、その僕の力ってゆうのは………」

 最後まで悩んだ結果、

「力ってゆうのは?」

 追及するように早乙女楓が顔を近づけてきたけど、

「人の人に対しての優先順位を換えること……ってところかな」

 嘘をついた。それもできるんだけど、彼女の場合は当てはまらない、半端ではいけないと判断したんだ。

「意味が分かんない」

 彼女が困惑するような言い回しを選んだんだから、当たり前だ。はぐらかせば、本質にたどりつけないと思ったから、……とゆうのは建前で、偽装を行った罪悪感が、わざと曖昧にすることで薄れるという、あざとい考えがそうさせた。

「まあ、そうだよね。――えっと、例えばさ、道を歩いていて、桜が咲き誇っていたとしたら当然、目がいくでしょ」

「うん、まぁ…」

「でも、その木の下にある小石なんて、見向きもしないよね」

 彼女は、腑に落ちない様子だけど、頷く。

「それは人も同じで、意識していない相手になんて興味がないんだよ。もっといえば、眼中に入らない。きっと、存在なんてないに等しい、僕はそれを自在に換えられるんだ」

「意識を反らせるってこと?」

「う~ん、かな、平たく言えばね。だからさ、君のお母さんにもそれをしたんだ。優先順位を換えた。一番だった君の順位を下げたんだよ」

 早乙女楓はにやけている、これっぽっちも信じちゃいないんだろう。

「へ~、そんなことを。じゃあさ、私にもやってみてよ。その、優先順位を変えるってこと」

 まぁ、そうなるだろうね。でも、彼女にとっちゃ、イタイ子の絵空事に付き合っている程度の会話なんだろうが、僕にすると、それは、あまりにも重いことで、

「そうだ、私のこと好きなら、君を私の一番にしてみればいいじゃない。っていうか、なんで、今までしなかったの、ストーカじみたことするより、そっちの方が簡単で手っ取り早い――」

「お願いだから」

 彼女の話を聞き続けることができなくて遮る。

「お願いだから、そんなこと言わないでほしい。ストーカーとか、別に言われてもしょうがないと思ってる。でも、人の心を換えるなんて、ましてや、好きな人に対して、そんなこと、使いたくて使ったわけじゃない」

 怒りから、やましさから、言ってるわけじゃなくて、悲しかった。彼女の口から出た言葉が、こんなことを言っていても、使ってしまっている自分が、だから付け加える。

「君のお母さんには、本当にいけないことをしたと思ってる。君を助けたいってゆう、押しつけがましい自己満足なんかのせいで、だからさ、君が選んで。ここまで連れてきて何言ってんだって思うかもしれないけど、家に帰るのも、このままどこかへ行くのも、強制じゃないから、でも、これだけは信じてほしい、僕は君に不幸になってほしくない、だからこそ、逃げるのなら、最善を尽くす、僕なりに、無理矢理関わらせてもらうよ、それが、力を使った、償いでもあるから」

 できるかぎり伝えた。後は彼女が決めること、僕はそれに従うだけだ。

 じっと、僕を見つめる早乙女楓。

 そして、うん、と、何かを決めたように頷くと。

 何も言わずに歩き始めた。それは、来た道ではない。

「えっ、いや、ちょっと」

 不意を突かれて、呼び止める。

 こちらを振り返り、

「行くなら早く行こうよ。無理やり関わるんでしょ、東雲時雨君」

 早乙女楓は選んだ。

 突き抜けるような声で答える彼女は、颯爽と心を奪われた時の彼女で、いつもの彼女だ。

 いつも、素顔だったことが証明された。僕は少しだけ心が晴れる。


 夕暮れの坂道は、茜色に染まって、空と同化する。まるで、天にまで続いているようだ。大事そうに、でも力強く、歩み始めている背中が気高くて、距離を空けて、眺めていたくなった。

景色一体になっていくように、徐々に遠ざかる姿。

 気がきくじゃないか。


 早乙女楓は空を飛んでいる。


 だけど、その光景は疎外感をどこかに忍ばせていて、入り込めない、直観的に思った

 僕は行けない。

ずっと、見てきた、恋い焦がれていた、遠いけど、届かないけど、いいんだよ、それで、だって、彼女は笑ってる。


途中、今までコツコツ貯めていた貯金を下ろす。

僕も餞別にとポケットから財布を取り出そうとするが、早乙女楓はきっぱりと断った。

彼女は、一人で歩きだすことに決めたんだ。


 ―――今、家路を急ぐ人波は、群れで泳ぐ魚のように、結集して、一人一人の存在なんてちっぽけだ。でも、きっと、向かっていく先は違うけど、行きつく先にある価値はどれもが尊く貴重で唯一無二の何か。………遠い目で、他人事と見つめて、座っている。


 彼女を運ぶ電車はまだ来ない。


「なんでわかったの?」

 早乙女楓が脈絡もなく尋ねる。

 意図が読めず「えっ」と聞き返す。

「私に何かあったと思って家に来たんでしょ?」

 あ~、そのことか。

「なんとなく、としか言えない。事情は知らないし、でも、君が学校を辞めるって聞いて、考えるより先に体が動いてた。決心したのは、君のお母さんの様子を見てかな」

「あ~、あいつ、人騙すの下手だしね」

 淋しげに笑う。

「まあ、それも、君をずっと見てきたから、気持ち悪いだろうけど」

 自虐的に漏らすが、意外な言葉が返ってくる。

「そんなことない、想われることが、私だって嫌いなわけじゃない、だけど、自分のことしか考えてないから、ごめん、酷いこと言った。それに、真剣な君を嘲笑った。言い訳にしか聞こえないけど、君だけじゃなくて、私に想いを寄せてくれた人には、そうするように決めてるんだ。だって、特別を作りたくないんだよ。裏切られるのが怖いとかもあるけど、巻き込んだら、いけないと思ったから」

殻にこもることで守っていたのは、もしかしたら、他人だったのかもしれない。

 初めて触れられた彼女の本心は優しさだった。

「ねぇ、君にいったい何があったの?我が子を縛るなんて、正常な親がやる行為だとは思えない」

 迷ったけど、聞かずにはいられなくて、話してくれなどしないだろうと、諦めの気持ちしかなかったけど、躊躇いながらも、「つまらない話だよ」と、打ち明けてくれた。


「私ね、ずっと、監禁されてたんだ。小学校入ってから五年間、犯人と―――」

 一度目に聞いた時は薄っぺらい、どうにでもなるような、僕の中で容易に処理できる感情しか湧いてこなかったけど、二度目は、いくら、もがいたところで、本人から確証も得ているのだから、どうすることもできない。それが、心臓を鷲掴みにして、痛い。

 彼女は、わざと冗談じみて話す。

 何も知らないままに、連れ去られたこと。

 一人暮らしの変態との共同生活。

 半日以上は、押入れの中、狭くカビ臭い、暗闇。

 制限された時間の中で見られた光に憧れ続けたこと。


 成長につれて、知らしめられる現実の、なによりも屈辱だったのは、加害者を父親だと誤認してしまったことだという。「お父さん」その言葉を聞いた時の恍惚に浮かべた笑いを思い出すと、気が狂い、殺意さえも容易に芽生えてしまうと、苦笑混じりに、全部どうでもいいんだけどと、吐き捨てた。


 そんな振る舞いはどれもが虚像だ。理不尽に苛酷な道の中で手に入れた、早乙女楓の抵抗と自尊心を保つための矛盾。

 どこから流れてきたのかもわからないあの噂話は、確かに真実で、でも、体験した彼女の言葉はとても、生々しく、耐えきれそうにない。

「支配欲で鍵かけられた押入れは、鳥籠みたいだったんだよ、だってそうでしょ、私は悪いことしてない、だから、牢屋なんて思いたくなかった。いつか、どこまでも続いてく青空に飛ぶ立つ日を願っている、鳥なんだって」

 涙が流れたのは、泣き崩れたのは、今この時だけど、彼女が口にした言霊は一つ一つが過去に対する怨嗟の雫。

「でもね、自由になれたんだ。失ったものは多すぎたけど、心も体も解放されて、飛んで行けるって思った。それに、嬉しかったな、何より。お父さんとお母さんに会えたこと、本当に嬉しかった。くしゃくしゃな顔で私を抱きしめて、それが、温かくて、夢みたいだった」

 僅かな、でも確かに体温がある思い出は儚くて、一瞬、綻んだ顔は幻影みたいに消え去り、

「それなのに、あいつら」

 歯を強く噛みしめ、握りしめていた両手は震えていて、遺憾、悲憤、屈辱、多種を含んだ心に手段なく苛立ちを氾濫させていた。表情は悲痛以外のなにものでもない。

「最初は良かった。なんでも、久々とか初めてで、素晴らしかった。それを、体験させてくれる家族にも心から感謝した。なのに、だんだん、重たくなってきた。見慣れてきた訳でも、飽きた訳でもなくて、二人が抑圧してきた。それが、不安から来てる事だって解っていたけど、信じられる?最初は十件程度だった着信が、中学に上がって部活を始めてからは五十件、卒業する頃には百件超えてた。過敏とかってゆうレベルじゃない。小学生みたいに送り向い、終わるまで何時間でも待ってて、十分で行って帰ってこれるコンビニに、三十分ぐらい遅れて帰った時にはクラス全員に連絡が行ってた。遊びに行くのも、何重にもチェックが入って、何にも出来なくなって、部屋で過ごす時間が長くなっていった。着る服だって、室内用と外出用の服にきっちり分けられて、家の中では着せ替え人形、外じゃ苦学生、目立たないようにだって、意味分かんないようね。それでね、そんな私をすごく満足そうに見てるんだよ、あいつら。結局、場所が移動されただけだったんだよね。束縛される場所が」

 両親の気持ちもわからなくない、当り前だ。五年間監禁されていた愛娘が、見届けることのできなかった成長をして帰ってきた、聞けば、解決当初、彼女は精神を病んでいて、心労は募るばかりだったんだろう。見届けていきたいとゆう願望が、惨めな欲求に変わり果てていて、苦しくて、とった行動は、大切なものを雁字搦めにすること、誰にも奪われないように、どこかへ消えていかないように、でも、本当に苦しかったのは、紛れもなく早乙女楓だったんだ。戻れた場所は、同じように、制限された世界、形は違えど、そこは、狭い狭い鳥籠の中。

「だからね、決めたんだ。逃げようって、今度こそ、取り戻そうって、自分の居場所を、高校に入ってからは、なんとか親を説得して、送り向いをやめさせて、でも流石に、バイトまでは許してもらえなかった。門限は四時半」

 その時間は、学校が終わって、彼女の家に着くのが何とか間に合う時間だった。まるで、計算されているようだ。

「とにかく、お金が必要だったんだ。一文無しで飛び出すなんて、小学生の家出と大差ないじゃない、……それで」

顔が曇る。僕は色んなことが理解できた。

「それで、することにした……、複数人じゃないけど、何回も、ばれないように、時には窓から抜け出したり、友達を騙して、口裏合わせに使ったこともあった」

 彼女は、自分を商品にして、そんなことをしてでも、望んだのだった。

「幻滅したよね。蔑んでくれて構わない。最初は、不安とか、恐怖とか、そんなのが、付いて回ったけど、すごいんだ、いつの間にか、喪失感で、麻痺してくるんだよ、楽なんだけど、時々、現実が襲ってきて、それは主に学校で、違いを見せつけられてる気がした、醜いんだって、目的に固執してる自分がどうしようもなく醜くてたまらなくなっていった、たぶん、繋ぎ止めてくれてたのも又、その目的にとってつけた使命感みたいなものだったんだと思う」

 僕は何を見てきたのだろうか、きっと、皆と変わらずに表面だけしか見ていなかったのかな、でも、気休めじゃなくてこれだけは言える。

―――「そんなことあるわけない」

 もう一度、今度は声を大きくして伝える。

「醜いなんて、そんなことあるわけないよ」

 彼女には無理をしてるように映ったようだ。安心させるように笑う。

「でもね、駄目だった。三日前に母親にばれて、父親が聞いて、怒り狂った。大声で喚き散らして、悪魔みたいな顔しながら泣いてた。それでもね、殴ったりして、矯正させようとはしなかった。………あいつらが、私にしたのは、縛り付けること」


 僕に出来ることなんて、いくら考えたって、一つくらいしかないのだ。だからといって、正解だなんて微塵も思えない、でも、彼女が望むなら、迷うことは無意味だ。

 

「変えたい?」


「えっ?」

「…変えたい?…その過去」

「何言ってるの?」

「僕なら、君の過去を変えられる」

 言葉に睨み返す早乙女楓。

「馬鹿にしないで、冗談にしても怒るよ」

 憐れみや蔑みに反抗するように声を荒げる。どこまでも気丈だからこそ、僕はもう一度だけ投げかける。

「信じる信じないじゃなくて、変えたいか変えたくないか聞いてるんだよ。…どうなの?君は過去を平穏にしたい?」

 下を向いて、「ふざけるな」とこぼし、両手を、ぎゅっと握った。早乙女楓のそれが悔しさからなのだと理解できたが、何処からくるものかは解からない。過去から?両親から?それとも僕から?出所の解らない感情が空気になって空間と混じり合い、僕は只、返事を待つしかなかった。


「当り前だよ」

 漏らす。

「当り前だよそんなの。全部全部。なかったことになったらいい。あいつのゴミ溜めみたいな部屋も、触られると死にたくなるぬるぬるに汗ばんだ手も、吐き気がする腐った卵みたいな息の臭いも、――それに、それに………」

 声を詰まらせる。

 肩が震えている。

 それでも、早乙女楓は、


「私のせいで変わっちゃった、パパもママも」

 天を仰いで泣いた。わーんわーんと幼い子供みたいに。必死に、必死に伝えるみたいに。

愛おしかった。時が流れていても彼女は、純粋で無垢な少女だったんだと思う。

「そっか」

 だとしたら、僕にも躊躇いなどなくて、でも、出来ることなら戻してあげたかったな、などと高望みをしながら彼女の頭に撫でるように手を添える。

 これじゃあ、子供あやしてるみたいだな。


「変われ」

 念じた。


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