そこにあるものは
望んだ物から、望んでなどいない物まで、愛情を建前にして、擬似的でままごとじみた部屋が広がっていた。
ぬいぐるみ、机、本棚、時計、家具の類はどれも年齢に合わない幼さが鼻につく。
対等するものがあるなら、ハムスターの家、金魚の水槽、後は………鳥籠。
頭をかいて、目線を少し落とす。
「これはないだろ」
ベッドには早乙女楓がこちらを向いて横たわっていた。いや、繋がれていた。無機質と同一に、空間の一部分にして、生死さえ乱雑に置き去りにしながら。
空洞な眼に訴えかける感情なんて微塵も感じさせない。只、自分の目線にあった一点を見つめている。
だから、駆け寄る。発狂などしていないが、狂気であることが理解できたから。
近寄れば、微かに聞こえた。
「、なんにも、変われてない。どうしたら、私は……、放たれる?真っ暗だよ。しかも、延々過ぎて疲れた。選択できないなら諦めるしかないのかな………」
その声は朦朧で、淡々と桎梏を実感しながら、無表情の、その瞳から涙が零れた。
彼女の姿は無残だ。
繊弱な彼女を見ていて、不謹慎でも、再確認できた。
眺め続けててよかったと、想い続けててよかったと、それだからこそ懸念を生みだせた。それだからこそ、今僕はここにいる。
そして、吹っ切れた。
「まだ早いかな」
語りかけるように、気づかせるように囁いてみた。
微かに意識を取り戻し、早乙女楓が問うた。
「早い?」
「そう、まだだよ。絶望するのはそんなに急ぐことじゃない。もうちょっとだけ、頑張ってみよう。今度は僕にも手伝わさせて。」
伝える言葉に、はっ、と、目を見開く。
そして、僕を見つける。
「東雲君?」
届いたことに喜悦して、
「うん」
破顔してしまう。
「なんで、ここに」
一つ一つ、状況を確認するみたいに問う。
「心配だったから、それに自覚してないのかもしれないけど、暗示してたみたいだよ、早乙女さん、だからさ、出ようよ、望んだ自由に」
驚いた顔をしたが、すぐに、落胆に変わり。
仰向けになり天井を見つめ、途方に暮れるように言った。
「たぶん、君は何もわかってないよ」
「うん」
「浅はか過ぎて、ムカつく」
「うん」
「私が経験した生活は、他人がどうこうしていいほど安直じゃない」
「うん」
受け取るみたいに頷くしかできない。だって、何を言ったって、気休めに留まらず、侮辱になってしまうから。
「私はもう駄目だよ、終わってる。色んなものが引きちぎられたみたいなんだ。だからさ、帰ってくれていいよ………、もう会うことはない、一生、この部屋で飼われていくことにするよ」
耐えるように唇を噛みしめ、声を押し殺して泣く。素顔を覆い続けていた仮面が砕けかけるように。
だから、僕のとる行動は決まっている。終結したと勘違いをしている彼女に始まりを告げるために。
無言のまま、強引に彼女をうつ伏せにする。
「なにを」
急なそれに面をくらった顔をする早乙女楓。
聞き入れず、両手と両足を束縛した紐を解く。
あまりの結ばれていた力の弱さに呆れた。
「こんなもんで、繋ぎ止めていたなんて」
滑稽さに苦笑し、彼女を脱却の妨げが、紐に編みこまれた執着心だけだったことを知った。
「やめ、やめてよ」
抵抗を見せる早乙女楓を何食わぬ顔で解放し、
「じゃあ行こう」
手を差し伸べた。
「……」
それを拒む早乙女楓。
「困った、なら、僕も実力行使でいくしか手立てがない」
自己完結するみたいに言って、彼女に予め了承してもらう。
―――「ひっ、きもっ、やめろ、触るな」
世間一般に言うお姫様だっこには程遠い、新鮮な鰹みたいに彼女を抱きかかえる、ぎこちなくも、一生懸命に、もちろん初めてだし、自分だって恥ずかしいけど、仕方ないよ、このくらいしなくちゃ、動きだしてくれそうにないから、とはいえ、きもっ、だなんて、一つ教訓になった。これには相当の意思の疎通を要する。
「わかったよ、わかったから放して」
目一杯抵抗して、僕の顔を手で引き離しながら妥協する。
「自分で歩くから」
「そうしてもらえるとありがたいです」
心底そう思った。
かったるそうに首を回し、大きく息を吐いて、憐れと言わんばかりの目で僕を見ながら、
「そうだよね、実際に見せ付けないとわからないようだから、いいよ、付き合ってあげるよ、茶番に」
やれやれ、と、いったところか。
「じゃあ、支度するから、あっち向いてて」
あっち向いてて?
………!
おい、彼女は寝間着じゃねーか。
マジかよ、貴重だろ。
なんで、気づかなかった。気を取られ過ぎてた俺の馬鹿。
もっと脳裏に焼き付けておけばと思いながら、言われたとおりに壁を前にして、念のため、疑われないように、目をつぶる。
……結構拷問だ。
布の擦すれ合う音とか、動作によって生じる足音とか、何から何まで妄想の餌になる。
軽い興奮状態にある心臓。僕は以外と創造力が豊かすぎるらしい。
しょうがないから世界平和について考えてみました。
人も動物も昆虫も植物も、みんな平等じゃないといけないのに、なぜ争い、なぜ侵すのだろう。命に重さなんてないんだ。対象によって区別するなんて、おかしい。あ~、今でも、消えていく命が確かにある。環境問題とか戦争とか、体験してないし、実感してないけど、醜いってことはわかる。なら、どうすれば?低能でちっぽけな僕だけど、なにができる?そうだ、ゴミの分別から始めよう、百円でも募金してみようか、小さな自己犠牲で世界に微弱な貢献を―――
「終わったよ、じゃあ行こうか」
早乙女楓が支度を終えて、肩を叩く。
自分の立場を確認して、
「うん」
はつらつと返事する。
頑張りましたよ。俺。
―――「そういえば…」
部屋を出かかったが、何かを思い出したように振り向き、
「どうして中に入れたの?」
…
「秘密」
ごまかすように笑ってみた。