第05話 雨の日
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銀行、特に都市銀行なんて大変な職場だと僕も話には聞いていた。
入行半年で一割が辞め、三年で三割が辞め、十年経ったら同期が半分しか残っていない。ホントかどうかなんて知らないけれど、そういうものらしいと久保井さんも言っていた。
そんな職業に突撃していく久保井さんを僕は、凄いなあ、と思いながら見ていたし、ああいうバイタリティーのある人が残って行くのだろうとも思っていた。
だから五月末に電話をしたときに『噂には聞いてたけど、ホンマにすぐに辞めたヤツもおったんや』と愚痴をこぼす久保井さんを、僕は意外に感じたものだった。話をしていても覇気がないというか、疲れていそうな感じもして、『また東京の方に行きますよ』と言って僕は短めの電話を切ったのだ。
「電話、してみようかなあ……」
涼子さんと深夜の電話をしてから数日後、僕は自室のベッドの上でそんなことを考えていた。日曜日の今日、野球は雨で早々に中止になったのでアルバイトは無く、雨だけにどこにも行く用事も思いつかない。
全国的に雨模様らしいから東京だって雨だろう。久保井さんがどこかに出かけている可能性も低い。電話を掛けたら高確率で部屋にいるはずだと思った。
「よし」
と、僕は誰に聞かせるでもないかけ声を出して、壁の電話から受話器を浮かせた。久保井さんの新しい電話番号は電話機の上の壁に貼ってあった。
「えっと、03……」
掛け慣れない市外局番をプッシュしながら、僕はふと気がついた。――久保井さんに電話をして、いったい僕はなにを話すのか、と。
最後の二桁を押すだけだったところで指が止まり、ついには受話器からツー、ツーという回線が切れた音が鳴り出した。
電話をして、久保井さんとなにを話すのか?
それは久保井さんが大学にいたときには、考えもつかないことだった。先輩がアパートにいるかどうかを確認してみようとか、たったそれだけのことで電話を掛けたりもした。いまも僕の電話機のワンプッシュボタンには、久保井さんの古い電話番号が登録されたままだ。さすがに明け方に電話をすることはなかったけれど、夜中の十二時くらいまでなら何のためらいもなく僕はこのボタンを押していた。
『ああ先輩、今から牛丼でも食べに行きません? 僕、運転しますよ』
夜中に腹が減った時など、そういって久保井さんに掛けたことなんて何度でもある。でもいまの僕は、久保井先輩に電話をして何を話すのだろう。
――宮本さんが、寂しがってましたよ。
――宮本さんと、喋ってないんですか?
――宮本さんの愚痴を、僕が聞かされました。
――涼子さんを……、僕が
握りしめていた受話器から、ついにはツー、ツーという音すら聞こえなくなった。
涼子さんを、僕が? 自分が思い浮かんだことなのに、自分の心臓がドクリと鳴った。
『そんなこと言うてくれる男の子、和田君だけやわ』
何日か前に聞いた涼子さんの声が僕の耳に蘇る。
そんなのお世辞だ、冗談だ、一つ下の僕をからかっているだけだ。と、僕は無言でかぶりを振った。
そのついでにガチャンと音を立てて受話器を戻す。べつに誰に怒っている訳でもなく、不快な電話を受けた訳でもなく、ただ単に久保井さんに電話をしようとしてやめただけなのに、僕は乱暴に受話器を戻した。
「クソッ、もうええわ」
なにがもういいのか、なにがクソなのか、自分でも訳が分からないまま僕はベッドに突っ伏した。そのまま頭だけを動かしてチラリと時計を見る。時間はもうすぐ午後の二時。シトシト降りだった外の雨は、いまやザーザー降りに変わっていた。
もういい。電話もしないし、久保井さんのことを考えるのもやめる。今日は雨だ、それも本降りだ、だからどこにも出かけずにテレビでも見て寝る!
多少投げやりな気持ちになって僕は寝返りをうった。と、その時。
ルルルルル……、ルルルルル……、と聞き慣れた電子音が突然鳴りだした。
――まさか久保井先輩!?
僕はドキリとしてベッドから跳ね起きた。見つめるその先で、電話は相変わらずルルルルル……、ルルルルル……、と鳴っている。
「こんなん久保井さんの訳ないやろ、アホやな……」
わざと僕は大きめの声で独り言をいって、受話器に手を掛けた。たぶん、同級生からのしょーもない電話だと思って。
「もしもし、和田です」
昼間から麻雀のお誘いかもな、でもいいか、何もしないよりは麻雀でもしてた方が気が晴れるし。
そんなことを思いながら僕は電話に出た。――すると。
『あっ……、和田君、ごめんな、ホンマにごめん』
電話口から聞こえてきた声は、間違いなく涼子さんの声だった。




