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高校でクラスメイトだった彼女が妊娠したらしいから産婦人科について行った話、もちろんヤった相手は俺じゃない  作者: 櫛名田慎吾
③ 先輩の彼女を好きになったってどうしようもないんだ、って思ってた。
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第03話 ヘアブラシ

 車内に残っていたヘアブラシは小さめのモノで、それほど高価なヘアブラシには見えなかった。


 持ち手はプラスチック。色は薄いベージュ。そして柔らかめのピンの部分には……涼子さんの髪が数本残っていた。


 涼子さんは黒髪だけど、真っ黒ではない。ほんの少しだけ茶色ががっている。この髪は染めてる訳と違うんやで、と以前僕は涼子さんから聞いていた。さらにいえば子供の頃はもっと茶色がかっていた、とも。


 涼子さんの髪は腰の手前まであるようなロングヘアで、ブラシに残っていたのはその切れたものなのだろうか、何度か絡まっている様子だった。涼子さんがこの車に最後に乗ったのは、おそらく三月の終わりか、それ以前。つまりはもうそれは二ヶ月近く前のことだと思った。


「涼子さん、どうしてるだろう」


 僕は普段彼女の前では、宮本さんと呼んでいた。『涼子さん』と呼ぶなんてできなかった。だから、涼子さんが乗っていたこの車で「涼子さん」と口にするのは、なんだか気恥ずかしい思いがした。


 僕が涼子さんに最後に会ったのは、久保井先輩の引っ越しの時。三月の一番末だった。先輩の部屋の荷物を引っ越し屋さんのトラックに押し込んで、それから久保井先輩と僕、そして涼子さんの三人で昼食を一緒にしたのだ、ガランとしてしまった先輩の部屋で。


「あっ、そうか、あの日が最後やったんや」


 自分で振り返って、自分で思い出した。引っ越しのあとに僕はこの車に久保井先輩と涼子さんを乗せて、涼子さんのアパートに向かったのだった。今日はもうここには泊まれないから、涼子の部屋に泊まるんだ、と久保井さんに言われて二人を送ったのだった。


『和田君も一緒に泊まる?』


 いたずらっぽい顔をした涼子さんに、その時僕はそう言われた。


――あのとき僕は何て答えたんだろう。


 思い出してみても、思い出せない。多分曖昧に笑って、『冗談はやめてくださいよ』とか何とか言ったんだと思う。覚えていないということは、そういうことだ。


 翌日久保井さんは涼子さんのアパートから一回実家に帰ったはずだ。福岡にある先輩の実家に一回帰って、そこから東京の本社に集められて、そして研修施設に入ると言っていたから、間違いはない。


「涼子さん、どうしてるだろう」


 その小さめのヘアブラシをダッシュボード下の物入れに入れて、僕は本日二度目の台詞を口にする。


「返したほうが、ええんかな」


 閉じられた物入れを眺めながら、僕はそんな独り言を呟いたのだった。


 △


 涼子さんの住んでいるアパートは、ここから車で二十分くらいのところにある。もちろん今でもそこに住んでいるはずだし、学校にだって行っているはずだ。


 僕より一つ歳上の涼子さんは、今年四年生だから就職活動で会社回りをしている。という訳ではなくて、涼子さんは教員採用試験を受けて先生になろうとしていた。


 涼子さんは小学校の先生になりたくて、教職課程を履修している学生だったのだ。


 教員の採用スケジュールがどんなものかなんて、僕はサッパリ知らない。けれど去年のいつだったか、涼子さんは教育実習で郷里の四国に何週間か帰っていた。


『教育実習って、大変だったでしょ?』


 僕はその時に涼子さんに聞いたものだ。


『僕が小学校の時にも教育実習の先生来てましたけど、泣いた先生もいたんですよねえ。騒がしくて誰も話を聞かないって。でもよく考えたら、大学三年ですもんね。あの時の僕らから見たら大人に見えても、二十歳そこそこやったんですよねえ』


 その言葉を聞いて、涼子さんは苦笑いを浮かべた。『それ、あるある』と言いながら。


『それな和田君、私も最初は緊張したんやで。相手は小学生やけどな、五年生の女の子なんかもう大人顔負けの意地悪したりするんやで! 反撃できへん教育実習の先生やと思うたら! そやけど私が受け持ったクラスは普通で良かったわ。でもな、ホンマに教育実習で泣かされるんは子供からよりも――』


 ホンモノの先生からだ。と、涼子さんは言った。


『大変ですね、小学校の先生も』


 そんなため息交じりの僕の言葉に、『まあ、でも私、子供好きやし』と涼子さんは笑ったものだ。


 僕はそんなことを思い出しながら、電話でもしてみようかな、と一瞬だけ考えた。


 涼子さんのアパートの電話番号を僕は知っていた。だから話をしようと思えばいつでもできた。ただ電話をして……、電話をして何を話せばいいのだろうか。


 教員採用試験の準備はどうです、とか僕が聞いてどうなるのか。『それがな、聞いて和田君!』なんて涼子さんが僕に愚痴をこぼすようなことがあるだろうか。愚痴ならまだいい、涼子さんの口から『もう採用試験アカンわ……』みたいなことを言われたら、僕には何も言うべき言葉が見つからない。精々、『宮本さんなら大丈夫ですって』と通り一遍の励まししか出来ないような気がした。


――だから。


 だから僕はヘアブラシを車に置いたまま、涼子さんに電話を掛けることもなく、ましてやヘアブラシを返すこともなく、日々の生活に戻っていったのだった。心にちょっとしたとげが刺さったままで。


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