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高校でクラスメイトだった彼女が妊娠したらしいから産婦人科について行った話、もちろんヤった相手は俺じゃない  作者: 櫛名田慎吾
② 先輩からもらったコンドームのせいで彼女と後味の悪いことになったけれど、やっぱりさっさと一人で使っておけば良かったと思った話。
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第17話  ’92 センパイ、聞いて

◇  ◇  ◇


「なあセンパイ、これの続きまだ出てないん?」


 小夜ちゃんは、『ぼくの地球を守って』の第十四巻をパタンと閉じて僕に渡したあと、テーブルに置いてあったヨーグルト飲料、つまり森永ピクニックのいちごヨーグルト味をストローで飲み干した。


 ズズズ、と空気がストローに入る音がしたかと思うと、小夜ちゃんはちょっとだけ恥ずかしそうな顔をして、空いたパックをテーブルに戻す。


 それを見た僕は、『ホンマにこの子、ピクニックのいちごヨーグルト好きやからなあ』と、最初のデートみたいなものに行った時のことを思い出したのだった。


 結局あの時に言っていた小夜ちゃんの話に、ウソとか、僕に合わせたような方便はなかった。いちごヨーグルト味のピクニックも好きだったし、美樹本晴彦の画集とかも買っていたことがあった。さすがにもう大魔界村で大笑いすることはないけれど、あれからしばらくは「甲冑」とか「アーサー」と言うだけで、小夜ちゃんは吹き出していた。


 つまり好きだと言っていたものは本当に好きだったし、僕に調子を合わせて笑っていたわけでもなくて、小夜ちゃんにしてみれば本当に面白かったのだろう。そんな彼女のことを僕はいつの間にか好きになっていたのだけれど、考えてみればあの最初のデートみたいなものの時に、もう小夜ちゃんに惹かれていたのだと、このとき僕はボンヤリと考えていた。


「なあセンパイ! これの続き、まだ出てへんの?」


 ハッと気がつけば、小夜ちゃんが僕の方をのぞき込んで『ぼくの地球を守って』の単行本を指さしていた。


「え? ええ、ああ。うん、まだやな」


 僕がしどろもどろにそう言うと、「そうなんや……」と小夜ちゃんは残念そうに言ったあと、ポツリと呟いた。


「センパイは……、前世があると思う?」


 それが『ぼくの地球を守って』のストーリーに沿った話だと、すぐに僕は分かった。なにしろあの頃は、前世だの、守護霊だのが流行っていたのだ。


「前世? そうやなあ、あったら面白いやろなあ。でも俺、大した才能も無いし、前世があったとしても普通の農民やったと思うわ。でも小夜ちゃんは絵が上手いから、なんかそっちの方の偉人やった可能性もあると思わへん?」


「よう言うわセンパイ。私、絵やイラストで生きていくような、そんなこと考えてへんもん。私より上手い人なんて、世の中には数えきれへんほどおるもん。そやから、そんなふうに進路考えてへんから」


 小夜ちゃんはそう言って、膝を抱えて小さく丸くなった。すると、キュロットスカートから出ている白くて細い足が妙に色っぽく見えて、僕は思わず目を逸らしてしまう。


「そうなんや。小夜ちゃん、そっちの方に行くんかな、って思ってた」


 僕は手に持っていた『ぼくの地球を守って』の単行本をポンポンと叩いて、本棚に戻していく。その言葉に反応したのか、小夜ちゃんは抱えた膝から手を離して、少し逡巡した表情で僕の方を見上げた。


「センパイ、聞いて。私、この前の模試で、センパイの学校を書いてみたんや、志望校で」


「え、ホンマに? 基礎解析とか、代数・幾何とか、受けたん? 数Ⅰだけやなくて」


 僕が疑問に思ったのは、小夜ちゃんがいるクラスはカリキュラム的に基礎解析も代数・幾何も受ける生徒がまれだったからだ。


「うん、受けた。一応去年数Ⅱは取ってたし、今年は基礎解と代幾を取ってる」


「で、どうやったん。模試受けたら」


 恐る恐る僕が聞くと、小夜ちゃんは再び膝を抱えて丸くなる。またもやキュロットスカートから綺麗なおみ足が覗いたけれど、今度の僕には模試の結果の方が気になった。


「……ボロボロやった。数学が、特にベクトル……」


「まあ、数Ⅱよりも範囲が広いしなあ」


「D判定……」


 そう言ってから、膝を抱えたまま小夜ちゃんが僕に顔を向けた、ちょっと拗ねたような目をして。


「え?」


「D判定で返ってきた」


 その話を聞いて、僕は『意外にやるやん』と思ってしまう。


「でもDやったんや。やるやん、数学ボロボロやったんやろ。いうことは英語とか文系科目が結構できてたんやろ?」


「うん。でもD判定」


「いや、それでこの時期にDやったら全然いけるって。数学頑張ったら」


 僕はできるだけ元気づけるように励ましたのだけれど、小夜ちゃんは「そうかなあ」と呟いてため息をついたのだ。


「はあ……、なんでセンパイの学校、入試に基礎解とか代幾とかあるん?」


 やっぱり拗ねた目で、小夜ちゃんは僕を責めるように言う。 


「いや、そんなこと言われても、それ決めるんは俺と違うし」


「そんなん分かってるけど! ホンマに数学難しいなあ、と思って。ようセンパイこんなんスラスラ解いてたなあ、と思って」


「スラスラって、俺も数学はスラスラ解いてないで。英語でカバーした方やから」


「ホンマにぃ……?」


 ジトッとした目で小夜ちゃんが僕を見る。


「そんなジトッとした目をせんでもホンマやって。でも、そっか。小夜ちゃんがコッチに来るんやったら、原画展とか、イラスト展とか連れて行ってあげられるかなあ」


 僕はこの時まで、小夜ちゃんが自分と同じ大学を目指そうとしているなんて知らなかった。ただなんとなく、小夜ちゃんが高校を卒業したらどうするのだろう、とは漠然と考えてはいたけれど。


「えっセンパイ、ホンマに!?」


 今度の「ホンマに」は、さっきと違って小夜ちゃんの声が明るくなっていた。


「うん、それにウチの漫研とか入ったら、イラストも描けるし」


「え、漫研とかあるん? センパイも入ってるん?」


「いや……、俺、読む専門やから。さすがに大学の漫研に読む専門で入るんは、ちょっとなあ……」


「そうなん? やっぱりウチの文芸部がおかしいんかなあ」


「そうやな、ウチの文芸部、かなりおかしかったと思うで。平気で部外者がウロウロしてたし」


 と、そこから小夜ちゃんとの話は僕たちが抜けた後の文芸部の話題に変わり、そこからまた予想通りに部長に収まった村澤さんの話へと移っていったのだった。


 振り返ってみればこの時、僕は自分の財布の中にコンドームがあることをすっかり忘れていたのだった。あんなものさえ入っていなければ、と数時間後の僕は失意の底に沈んだのだけれど、この時のバカな僕にはそんな未来を知るよしもなかったのだった。


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