第12話 ただ悲しそうに微笑をしていた
「広池、そんなに自分を責めたらアカンって」
俺は無表情で泣き出した広池を助手席に押し込み、すぐに運転席へと向かった。そして急いでエンジンを掛けて彼女に慰めの言葉を掛けたのだ。
「だって広池、産むわけにはいかへんし、こんなんどうしようも無かったやん。相手が……、相手が社会人で、結婚の約束もしてた……とかなら別やけど」
自分で言いながら、そんな話で広池が身ごもったのならば、俺は祝福しただろうかと自分を振り返った。たぶんショックは受けただろうけれど、『おめでとう』とは言ったはずだ。
それに今から考えれば、そんな話だったらこの状況よりどんなに良かったかと、自分のことでもないのに悔やんでしまう。
「野田くん……やったら、『産もうか』って言ってた? ううん、産むかどうかとか、相談とかしてれたかな」
相変わらず広池は無表情で、車の前方を見つめたままだ。横目で見ても目は潤んでいるし、またすぐにでも涙がこぼれてもおかしくはなかった。
「俺が、その、父親やったら?」
「……うん」
広池は軽く頷く。
「俺は、そうやな……」
言葉を選びながら自分を振り返ってみる。いまは大学三年の夏、子供が産まれるとしたら来年の春。働き始めるまであと一年で、『産もうか』と言うだろうか。その間、子育ては実家の両親に頼む。いや、それ以前に広池は大学を休学するか、辞めるか……。
もし大学に入って今の彼女と付き合う前に広池と付き合い始めていたら、そしてこのタイミングで広池を妊娠させてしまっていたら――、自分ならどうする?
「そうやな……。相談はしたやろな。話し合いによっては、『産もうか』って言ったかもしれん。まあ、わからへんけど」
自分の出したあやふやな結論に、俺は一瞬自分で自分が嫌になった。そんなの、自分自身が当事者じゃなければなんとでも言える、と。
「そっか。さっきのお腹の子……、野田くんの子やったら良かったのにな。野田くんの子やったら、ちゃんと産んでもらえたかも……」
「広池……」
俺はそれしか言えなかった。そんな俺の目の前で、広池の頬を涙が伝っていく。
「私、野田くんのこと好きやったんやと思う。野田くんに彼女ができたって聞いたとき、ちょっとショックやったもん。先に言うとけば良かったかな、って。そしたら、こんな思いをせんでよかったんかなって。もしかしたら今日は、母子手帳とか貰ってたんかな、……って」
広池の言っていたことは細切れで、多少意味の繋がっていないところもあって、さらには俺には衝撃的すぎて、しばらくの間、俺は固まってしまった。
「広池、あんな、広池はいま手術受けた直後やから混乱してるんや。ショックも受けてると思う。そやから、今日はゆっくり休まなアカン。しばらくしたら、段々落ち着いてくるから。とにかく、車で家まで送っていくから」
俺はそれだけを言うと、クラッチを踏んでギヤを入れた。どう考えても完璧に動揺していたのだろう、サイドブレーキを掛けたまま発進しようとして一回エンストをしてしまった。
△
広池の住んでいるアパートは、ここから車で三十分くらいのところだった。その道中で広池は今日のことを含めて、ポツリポツリと話をした。
最初の頃に一緒に帰省してくれて嬉しかった、とか、近くの大学に決まった時に一緒に遊べるかなと思った、とか、野田くんに相談して良かった、とか――、広池は少しずつ感情を取り戻しながら俺に話をした。
「野田くん、今日のこと、彼女に話したん?」
それはそろそろ広池の住んでいるアパートに着くという時だった。広池がそんな質問をしてきたのだ。
「いや、まだ話してない」
俺は正直に返事をする。
「じゃあ、隠すん? それとも話す?」
「たぶん……、話す。と、思う」
俺はもうこの話を終わらせたかった。いや、広池を早く部屋まで送って、一人になりたかった。とにかくこの妙なプレッシャーから逃れたかった。
広池のことは心配だったけれど、今日の広池は変だ。いつもの広池とは違って感情があまりにも生々しすぎる。そう、すべてが生々しいのだ、理性的な彼女の側面が完全に剥がれている。
「そうやんな。野田くんやったら、彼女に話すって言うと思ってた。私はそれに『止めて』なんて言われへん」
「言うの、止めて欲しい、んか? 広池は……」
この信号を曲がればあとは道なり、といった交差点で車が赤信号に引っかかった。俺は恐る恐る助手席の広池を見る。
「わからへん……。でも、止めて欲しいなんて、私、野田くんに言われへん……」
広池は無表情でもなく、泣いてもいなかった。ただ悲しそうに微笑をしていた。