準備
8月のお盆休み真っ盛りになり、日本は帰省ラッシュが続いているらしい。交通機関が麻痺するのは当然ながら、道路混雑も例年より増えている。一日に得られる情報を処理していっても、確実な明日は約束できない。だからこそ今日と昨日の連続が大事なっていくのだろう。
『私がいまできることはあるか、ユミくん』
「計算ぐらいできるだろ。別に体はボロボロでも、頭が壊れたわけじゃねえんだ。これを作ったやつに感謝しろよ」
『感謝する』
〈P〉はユミの手によって治療を受けていた。いびつな機械音が響く。3Dプリンターで新しい容れ物ができあがっていく。その傍らでモニターにあるものが届いた。開くと設計図が出てきた。
『これを最優先でお願いする』
ユミから疑念の声が漏れた。
「おい、なんだこれ。おもちゃはさすがに専門外だぞ」
『これに関しては協力者を呼んでいる。君と協力者で八月中に完成させて欲しい』
「協力者? そいつ大丈夫なんだろうな。あんま面倒なこと起こす奴じゃねえよな」
『すでに私との対面を済ませているものさ。彼らの技術力が必要になってくる。協調性皆無な君には酷なことだが、仕事だと思って働いてもらうぞ』
するとユミは「……わかったよ」と了承した。〈P〉の酷薄は物言いは、ユミに職人としての心を燃やす燃料となったようだ。設計図を印刷したあとに、ユミが紙を見比べながら訊ねてきた。
「これ、五つ作るのか? ……ってことは」
『ああ』
五つあってこそ、真価を発揮する。そのように〈P〉が設計したらしい。
『これが完成してこそ、旅するアイドルが完成する』
仮眠のつもりが熟睡してしまい、熟睡から疲労困憊に寄る発熱に至ってしまった。ミソラとアイカの部屋にかけつけたノアは、ミソラが眠る側で看病をしていた。
「ミソラ、大丈夫?」
辛うじて声は聞こえる。頭の中に異物が入り込んだような気持ち悪さはあるが、一日休めば治る程度の風邪だ。アイカとスミカが作った卵粥を胃の中に押し込み、風邪薬を飲んだ。
「うん、ぼうっとするけどへいき。ほら、風邪移っちゃうから離れたほうがいいわ」
「ウイルスとかじゃないなら平気だよ。きっと疲れが出ちゃったんだよ。授業中とか、ずっとスマホ弄ってたでしょ。そうしてたのって、ユキナさんを見つけるためだよね」
日本ではユキナの情報が解禁されている。明日からは忙しくなりそうだ。いちいち、ユキナのことについて尋ね回る光景がありありと浮かんでいる。
「……みんながどうしてここへ来たのか、わたしは聞かない。けど手伝えることがあるなら言って。役に立つかわからないけど」
何処か既視感の残る言葉だった。ユキナが最初の方にミソラに言ったものと同じだった。ミソラもかつて同じ言葉を続けた。
「じゃあ、私が困っていたら、助けてくれる?」
「あたりまえじゃん。ミソラの、〈エア〉の頼みなら何でも聞く。絶対に」
手を握ってくるノアは、ユキナが浮かべたものから遠い表情だった。いまにも泣きそうで、縋り付く様であった。
「明日また、看病に行くから。それじゃ、おやすみ」
「ええ」
ノアが遠ざかっていき、部屋の照明を消してから出ていった。不思議と寂しくはなかった。明日も来るという言葉が、冷たい心にぬるま湯が染みてくるようだった。この学園へ来てから、相当弱りきっていたことを実感した。
アイカは風邪が映らないようにスミカの部屋で寝泊まりするらしい。彼女の嫌そうな顔を思い出すが、アイカには常に万全の状態で居てもらわないと困る事情があった。もしものとき、敵を退ける力があるのはアイカだけだ。
真っ暗闇の中、考え事をやめることができない。〈P〉の傷やユキナの行方ばかりが、脳内に侵食してくるからだ。
「ユキナさん……どこにいるの……」
ユキナは特異な運命をたどっているが、基本的にはどこにでもいる普通の少女という印象だ。あの事件がなければ、ユキナとミソラは出会うことはなかった。
会うはずのない人が、意外な因果で出会った。
「……会いたい」
サヌールでARを使った会話が最後なんて絶対に嫌だ。彼女には知らずうちに励ましてもらった。落ち込んでしまう心を、彼女の姿と言葉で埋め尽くそうとする。しかし思い出そうとするほど悲しくなっていって、脳内に熱が灯ってしまうようだった。
気持ちが切なくなってくる。彼女の姿を一目だけでもいい。どうか荒ぶる胸の衝動を抑えて欲しい。
ノアが消えてから意識と無意識の境界線上を言ったり来たりしていたからか、幻聴らしき声が聞こえてくるようになった。
「……やっぱりちゃんと寝てなかったのね……。まあいいや、ちょっと指をかしてもらうわよ」
「人の眠気に漬け込むとは、悪行が重なりましたね……」
体の一部が無理やり動いて冷たいものに触れた。しばらくして間隔が離れていき、聞いたことのある声がミソラに言い放つ。
「勝手に風邪なんか引いて、そんなに『──』をしたくなかったの?」
なにかで心臓を射抜いた気分になったのは、その言葉が的を得たものだったからだ。だが肝心な部分が抜け落ちていて、言葉が聞き取れなかった。
「牙のない獣なんて、全く怖くないもの」
そうして二人はその場から去っていった。
「誰……」
全身の感覚が暖かいお湯の中にとけ込むように落ちていった。




