ピントの外れた問いかけ
学園長室は思い出話を咲かせてから一転して、冬が到来したように萎んでいく。桜川は目をつぶり思案に更けていた。
「いま先導ハルは、宗蓮寺グループの特別顧問に就いています。その立場からこの学園を利用しているのでしょうか。……それも私達の唐突の来訪を許すほどに」
ミソラの問いに桜川は言った。
「さっき、麗奈さんの話しをしたわね。彼女が私が受け持つ最後の生徒だったと」
「はい、聞きました」
「私はこの学園に長く勤めているけど、あの二人ほど鮮烈な生徒はいなかった。その一人が麗奈さん。そしてもうひとりはハルさんよ」
桜川が紡ぐ話を真摯に聞いた。
「とはいっても、ハルさんと関わるようになったのは、あの事件……〈ハッピーハック〉の解散後よ。随分と落ち込んでしまったようでね、そのまま一年留年するほどだったから。まあ、オンライン授業をきっかけに徐々に学園生活を送るようになったのだけど。……あら、もしかして〈ハッピーハック〉知らなかった?」
「いえ、よく知ってます。ハルさんはリーダーで、同じ学校に通われているノアさんも同じメンバーですよね」
「ええ。ハルさんは芸能活動を辞めてしまったけど、ノアさんの活動を支えているの。単位取得のために、特別授業の段取りをしてね。あの子もハルさんの推薦で入学したのよ。とはいっても、きちんと入学試験を受けているから不正入学ってわけじゃないのよ」
彼女の言い分から、その類の話が持ち上がったのだと推察できる。ミソラは〈ハッピーハック〉のメンバーが同じ学校に通っていたことに、少なからず因縁めいたものを感じてしまった。
「それで、ハルさんはこの学校を卒業してからどんな活動を?」
「ああ、それよね。話がずれちゃったわ。ハルさんはその後、アメリカの大学へ進学したわ。しかもそこで飛び級で卒業しちゃったの。それから帰国したのが今年の二月。うちとも縁の深い宗蓮寺グループに就職……というより就任したのは、今年の五月辺りだわ」
ハルが宗蓮寺グループ特別顧問という役職についた経緯はわからずじまいだが、ミソラの邸宅襲撃事件と関連していることは間違いなさそうだ。襲撃にあったのが五月の半ば、そしてハルが就いたのも同じ時期だ。
「私も詳しく知らないけれど、ハルさんはノアさんを始めとするアイドルグループのプロデューサー的な仕事を、以前から行っていてね。その特別顧問に就任してからも、ずっと行っているんじゃないかしら」
「……プロデューサーですか」
たしかにおかしくない話だ。むしろ業界を徹底的に知ったからこそふさわしい役職に思えた。
「じゃあ、私達をこの場所で匿えと言ったのは、どの立場からでしょうか」
「うーん、プロデューサーでも特別顧問って感じでもなかったわ。「旅するアイドル」をしばらく匿って欲しいって言ってきたのは、あなた達がやってくきた日だもの」
「つまり、唐突に依頼してきた」
「そんなところよ。やけに焦った感じで、友達の窮地を助けようとしているようにしかみえなかった」
「……友達を、助けに」
ミソラはそんな彼女の姿を知らない。情には熱いが、常に前向きで妥協を許さないのが、〈サニー〉というアイドルだった。ミソラの作ってきた曲を幾度もダメ出しし、何度も衝突を繰り返したことだってある。
「本当に、それだけが理由なの……?」
先導ハルはかつて〈ハッピーハック〉のリーダー、〈サニー〉として世界に名を轟かせた。目に映る圧倒的なパフォーマンスで観客を魅了し、言動や態度のひとつひとつに心の奥を目覚めさせるような情動を植え付けていく。やがて大きな熱を生み出し、いままでのアイドル像を打ち壊し、新時代を築くパフォーマーとして注目を受けていた。
解散後、〈サニー〉が落ち込んでいたのは意外に思いながらも、おかしなことではない。では彼女はどう立ち直り、今に至っているのだろうか。
話を続けようとしたところ、インターホンが部屋中に響いた。
「あらいけない。そろそろ課外授業の段取りを進めないとね」
「……お話ありがとうございました。また伺ってもよろしいですか」
「ええ。今度は『旅するアイドル』のみなさんと一緒にお茶を楽しみましょう」
ミソラは一礼をしてから、学園長室から出ていった。
〈サニー〉こと、先導ハルは、ミソラたちを善意で匿っているのだろうか。
それとも、フィクサーと同じように底知れない目的を胸のうちに飼いならしているのだろうか。
夕方になって、ミソラたちは食堂で話し合いを始めた。テーブルの上にはラムが買ってきたお菓子たちがあったが、ミソラとアイカはそれには手を付けず、話だけに専念した。
「学園長と話してみたけど、先導ハルが私達をここへ匿ってほしいと連絡したのが、松倉と同じく当日の朝だって。けど長野での一件を予期していたところから、完全に味方とは限らない」
それがミソラが導き出した結論だった。続けてこう言った。
「先導ハルは長野の一件とは実質無関係だけど、あの場所が危ういことだけは分かっていた。あの子から直接話しをしてみたいけど、あの立場じゃ接触するにも天上の人って感じ」
ノアや他のアイドルたちのプロデューサー業を行っているなら、かつてのように慌ただしい日々があの身に降り掛かっているのだろう。
「だからノアに直接連絡をとってもらう。〈P〉が帰ってくるまでは、ここに待機するのがベターなきがする。単純に燃料節約できるし」
「私も賛成です。〈P〉は私も知らない場所で治療中です。合流するからには、むやみに動かないほうがいいと思います」
「……おい、ユキナのこと忘れてんのか」
アイカが冷たい声を発した。ミソラは真正面からアイカの意見に同調した。
「忘れてなんかいないわ。……私だって、今からここを飛び出して、ドイツに向かいたいくらい」
動くだけなら簡単だ。だが見つけるためには準備が必要だ。
「けど、私達が正道でドイツに迎えると思う? まず渡航許可が降りるとは思えない。不法入国の手段もない。敵がわざわざドイツへ追手を差し向けることを、私達は全く想定しなかったもの」
悔しい事実であり、心が切り裂くほどの無念だ。ミソラたちにできることは、長野の一見に出くわした時点で、ほぼなくなっている。
「できることは、少しでも情報を集めて、一気に動くだけの準備をすること。……焦ったって、どうにもならないのは分かってるでしょう」
きつい言い方になってしまったが、アイカも頭の中では納得しているようでそれ以上の追求はなかった。
「それで、アイカさんはどうだったの?」
するとアイカは首を振って答えるだけだった。
「学園のセキュリティを調べてた。やけに監視カメラが多いが、まあ、この学校ぐらいになると別におかしくねえよな」
有名私立校になると、万全のセキュリティを要しているはずだ。ミソラは頷き、アイカは続きを口にした。
「怪しい施設みたいなもんも探したけどな、あっても関係者意外立ち入り禁止区域みてえな、顔セキュリティと指紋の二つで開くようなヤツしか調べる価値がねえよ、この学校は」
「じゃあ、そこを調べてみる?」
「残念だが、教師の更衣室みてえだな。なんであんなセキュリティあんのかしらねえが、他に教師が使うような更衣室はなかったしな」
つまり学校自体に怪しい機構はないと踏んでいい。アイカが上げた違和感は、日本の学校では幅広く取り入られている要素だ。少しでも怪しい人物がやってきたら、セキュリティ会社が動くのだろう。一週間以上滞在しているのに、動きがないということは、ミソラたちの存在は認知しているということでいいのだろうか。
次にユズリハとヒトミに話を聞いてみることにした。しかしどうにも二人の様子がおかしい。ユズリハは言い淀むような態度を見せ、反面ヒトミは頬杖をついて指先を弄っているだけだった。
「二人はなにか気づいたことはあるかしら?」
「あるわよ。変なところ」
「んだよ、もったいぶらずにいいやがれ」
するとヒトミの頬が引き締まり、鋭い眼光を二人に向けた。
「変なところは二つ。ミソラちゃんとアイカちゃん、あなた達よ」
突然の指摘に、ミソラたちは理解がおいつかなかった。逡巡しているうちに、ヒトミがその場で立ち上がった。
「その様子じゃ、全く気付いていないんだ。別にいいけどさ」
普段の適当な感じをみせずに吐き捨てた後、彼女はその場を去った。ユズリハはヒトミとミソラたちを見比べた後に、「ヒトミさんの様子を見てきますね……」と恐縮そうに追った。
ボタンを掛け違うといった問題ではなく、問題そのものが分からなかった。あの様子はまるで、憤りを感じている。だがいったい、何に?
「私達、なにがおかしかったの」
「……元からおかしいってならいいんだが」
問題の本質はあり方の問題ではない気がする。どちらかというと、ミソラたちのいまの状態にフォーカスを当てているように聞こえた。




