陽、再び
松倉が放り込んだ燃料はキャブコンを動かすには十分なものだった。ミソラは情報のソースを探り始めた。海外のニュースが日本へ来ることはめったに無い。だが日本人関連のニュースは速報として扱われやすい。
「おい、この記事見つけてすぐに来たってのか。怪しすぎんだろ」
松倉は肩をすくめて気だるそうに話した。
「文句はうちのボスに言ってくれ。つーか、びっくりしてんのは俺の方だ。あの嬢さん、ドイツで後遺症の治療中だったんだろ。なんで行方不明になっちまうのかね」
どうやら松倉にとっても寝耳に水だったらしい。アイカが苛立ちを隠さずに松倉に尋ねた。
「そのボスっての誰だ」
「だからこれから合わせてやるって言ってんだろ。ったく、ピリピリしやがってよぉ」
松倉は内ポケットからタバコを吸おうとしたが、ユズリハが「車内禁煙です」とたしなめた。実のところそんな決まりはない。
「それにしても、お前らもしばらく見ないあいだにとんでもないことしでかしてたな。サヌールの人身売買、あれを暴いた上に日本政府との癒着も明るみにした。世間じゃ、お前らを称える声も実は少なくないんだぜ」
世間話でもしようか、と空気感で松倉がその話題に移った。それに反応したのはヒトミだった。
「あら。おじさまって、皆さんとお知り合いなの?」
「浅からぬ因縁ってやつだ。君は新参者のたしか、大空ヒトミさんだったね。そして君が水野ユズリハさん。二人が出ているMV見たよ。まさか歌って踊るアイドルにまでなっちまうなんてな。ここは懐が深いのかねえ」
「そうなの。私たちが来ても嫌な顔せず、来る者拒まず。旅は道連れ世は情けっていうのよねー」
「そうそう、一度いがみ合った敵同士でも、こうして同じ車に乗って道中を共にするもんだ。ま、一時だけどよろしく頼むよ。あ、そうだ、煙草の代わりに酒でも置いてねえか」
まるで自宅のようにくつろぎ始める松倉にアイカの憤りが最高潮を迎えようとしていた。ミソラは一触即発の空気をなだめるようにアイカを呼び出した。
「アイカさん、ちょっと手伝って欲しいのだけど」
「……はあ、なんだ、記事の翻訳か?」
「うん。ニュアンスがよくわからないから。ドイツ語、読めるでしょう」
やり場のない憤りを吐き出すように、アイカはミソラの隣へと座った。松倉とヒトミが勝手に盛り上がっている最中に、ミソラたちはドイツ圏の情報サイトやSNSを探っていった。ミソラがそれらしい記事を指差して、アイカが翻訳をする。大体がかすりもしない記事であったが、数時間前に見知った顔が写った記事を見つける。
「これ、ユキナさんの両親よ」
「みてえだな。……通報者はこの二人だ。先日、病室から消えているユキナに連絡したが、全くつかなくなった。で、警察に連絡して行方不明と判断」
「誘拐されたってことかしら」
「……さあな」
棘が刺さったようなアイカのつぶやきはミソラにも刺さった。ユキナの誘拐が実感として伴っていないのもそうだが、行方不明の背景には間違いなくミソラたちが関わっている。関わってしまったからこそ起きてしまったのだと。
「ねえねえ、ユズリハちゃんはこういう男に人は好み?」
「急になんですか。私に話を振らないでくださいよ」
「こらこらアイドルに男の好み聞いていいのかぁ。ま、俺は知ってみてえがな」
傍から馴染みだす松倉がアイドルたちを口説きにかかっている。するとラムが割り込んできた。
「気をつけてください。この人、妻子持ちなので」
「……ご家族がいらっしゃるんですか」
「いるっちゃいるが、なんだその訝しげな目は」
「いえ、ヒトミさんにちょっかいを掛けている様子から独身男性の振る舞いによく似ていたので」
そう言ってユズリハは松倉から距離を置いた。サヌールからの道中、ユズリハには申し訳ない気持ちがあった。ヒトミの強引な誘いで、旅するアイドルのMVに参加させてしまったのはいまでも間違いだったと思わずにはいられない。ミソラは
「ユズリハさん、宮城からまた遠ざかってしまって大変申し訳無いのだけど、東京についたら新幹線で仙台へ返せるから。それまでの間、辛抱させてしまうけどいいかしら」
「い、いえ。そこまで負担になるには……と思いましたけど、多分この車で移動するほうが費用かかるんですよね。でもそれじゃ、みなさんにお礼できませんから」
「つーかよ、ユズリハはあの女に連れてこられたんだろ。断って警察に保護してもらえばよかっただろう」
「それは、そうなのですが」
するとユズリハは気まずそうに視線をそらした後に嫌なものを吐き出すようにつぶやいた。
「警察には、いい思い出がないんです。ミソラさんたちに乗っていくほうが、こちらの都合にもかち合っているので。……こんな我儘な理由で乗ってしまってすみません」
無論、彼女もサヌールの一件の被害者とはいえ、旅するアイドルと関係を共にしないほうがいい人間だ。ミソラやアイカの事情にユズリハは関係ない。ユズリハとヒトミが乗せて欲しいと頼んできた時、ミソラは断るつもりだった。だがその意見が覆されてしまったのは、旅するアイドル自称プロデューサーが招き入れたからだ。
そのプロデューサーは車内後部の寝台で横になっている。カーテンが仕切りとして間にあり、松倉が気づくことはなかった。ふとミソラは、〈P〉が寝ているあいだも何かをしているのだと思い、カーテン越しに近づき小声で訊ねてみた。
「ユキナさんのニュース、調べてる?」
答えは思っていたより早かった。
『ああ。すでに欧州圏ではニュースになっている。ただし日本圏では彼女の報道の影はまるで見当たらない』
「それは調べたけど、この報せが嘘ってことは」
『偽装の様子は見当たらなかった。ディープフェイク、ガセ、そしてドイツの大使館の様子からして、ユキナくんが行方不明なのは本当だ』
現地に行ってきたような所感を〈P〉が言った。ここで初めて知ったことだが、合成音声のボリュームが落ちていた。松倉はヒトミと運転しているラムを巻き込んで世間話に花を咲かせている。
「誰が攫ったとかわかる?」
『分かれば苦労はしない。せめてドイツへ直接赴けば、警察が集める手がかり以上の情報を入手できたのだがね』
ミソラはそれを聞いてため息を付いてしまう。いま、ユキナのことを知るには彼に付いていくしかない。アドバンテージを失うのは、後ろ盾がない旅するアイドルにとっては致命的な敗北ともいえた。
中央自動車道を真っすぐ進み、東京の都心へと進む。ミソラは東京生まれ東京育ちで、かつては港区のマンションで姉と兄で三人で暮らしていた。海に面した場所にかつてお世話になったテレビ局やスタジオがあったのを覚えている。その日々もかけがえのない時間ではあったが、長野の邸宅で過ごした日々が一番記憶に残っている。
東京での日々で苛烈だったのはアイドルをやっていたときだ。様々なスタジオやロケ、テレビ局を巡っていたときが、東京の思い出といえるかもしれない。もっともアイドル時代は津々浦々と活動の範囲が広がっていくうちに、東京での活動は徐々に少なくなっていった。
メガロポリスの中に漂っていると、全身の神経が活発になってしまう。ここまでの人工物に長時間いると、なんだか疲れてしまうようになったことを、二ヶ月前の厚労省の潜入調査で感じていた。
「わあ、東京よ、東京! あれ、スカイツリーよね。近くでみるとこんなに大きいのね!」
ヒトミは窓の外に映る景色に夢中になっていた。船での暮らしが長かったからか、首都高の下を走るときや高層ビルを見て感嘆の声を上げていた。ユズリハも宮城出身という経緯から東京の景色を眺めると踏んでいたが、スマホから目を離さずにいた。案外、人によって興味の度合いは違うらしい。
ふと松倉がスマホナビの案内音声がなった。ビルの並ぶ通りは過ぎ去り、車は住宅街の狭い道を進んでいく。しばらく曲がりくねった道を行き、「500メートル先、目的地です」の案内を聞いてミソラは窓の外からそれらしき建物を探し始めた。
特徴的な形の建物だった。ミソラはその建物が何なのか、すぐに分かった。
「もしかして学校へ向かってるの?」
「そうだ。しかも俺はちょーっと入りにくい学校でな。詳しい話は学園長室で聞いてくれ」
彼の態度からは案内役以上の役割を与えられていないようだ。到着時刻は夜中の10時で、生徒らしき影は見当たらない。松倉の案内で正面玄関へ車を進め、玄関前の警備員が来訪の目的を訊ねてくる。「ゲストの案内だ、通してくれ」という一言で快く通してもらえた。駐車場へ車を駐めてから、全員で学園長室へ向かうように松倉が指示を送った。しかしラムは車の留守をする必要があると言い残ることとなった。
一行は色合いが暗くなった校舎の中へ入った。生徒たちが入る正面玄関ではなく、教師やその他関係者の入り口からだったが、そこから一歩踏み入っただけで学校の位がよくわかった。隅々まで清掃が行き渡っており、電球が照らすフローリングが輝いて見える。無駄な飾り気がなく、無機質でありながらも学び舎としての本懐を示しているようにも感じた。
近くに職員室があったようで、一人の教師がこちらをみて首を傾げていた。しかし校門前で受け取った入場許可証を首からぶら下げているからか、不審人物とはみなされなかった。夜中までの仕事で思考を放棄している可能性も否めない。
近くのエレベーターで4階へ上がる。少し廊下を進んだ先に、他の教室とは一線をなす木製の扉へたどり着いた。
「んじゃ、ここからはお前らだけで入っていけ」
そう言って松倉が扉をノックした。はい、と女性の声のあとに松倉がドアノブをひねり、ミソラたちを促す。ミソラから順に入っていき、二つの人影をみかける。一人は学園長らしき妙齢の女性で、立派なデスクに座って、柔和な笑みを携えていた。
「おう、連れてきたぜ」
妙齢の女性がもうひとりの女性に続くように言った。
「本当に時間通りだったわね。お疲れのところ、ようこそいらっしゃいました」
「──貴女は」
微かなつぶやきに対し、アイカが反応した。
「どうした。知り合いか」
ミソラは頷いて、妙齢の女性を伺わしげにみやる。彼女について話せることは少ないからだ。
「私がオンラインで授業を受けていたときときの教師があの人だった。……てことは、ここは花園学園なんですね」
「ええそうです。直接会うのは初めてですね、宗蓮寺ミソラさん」
花園学園は姉の母校であり、ミソラが籍を置いている高等学校であった。三年前に学校へ通えなくなったミソラは、姉からオンライン授業というものを紹介され、約三年の学びはそこで行った。教師は学園長室にいた女性、名前は桜川菜々子だった。
「本当に、元気そうでなりよりです。急に連絡が取れなかったときは、麗奈さんの行方もわからないのも相まって心配でした」
「……ご心配をおかけしました。まさか先生が学園長なんて本当に驚きました」
「教壇に立つ機会を失うのは、教師としては致命的です。こういう形式だと、途中でやめてしまわれないかと思ったのですが、ミソラさんはとても真面目な生徒でしたね」
「いえ、とんでもない」と恐縮した態度を一貫しつつ、ミソラはその席に座っていないことが気がかりだった。学園長室が座るデスクに目がいってしまうのは、もうひとり誰かがいたからに他ならない。ふいにアイカが疑念を口にした。
「松倉のボスってのは、学園長じゃねえよな。そこで椅子で優雅に佇んでんのが、アタシたちを呼び寄せた黒幕ってことか」
くすり、と笑う学園長室の椅子。あそこにいるのが松倉のボスであり、つまりは茶蔵清武と松倉幸喜を引き合わせた元凶と呼ぶべき存在なのだろう。警戒を持って、敵の言葉が放つのを待つ。やってきたのは、虚を突いた一声だった。
「このわたしを黒幕と呼ぶのは構いませんが、それ、真に裏から糸を引く人が喜ぶだけなので、普通に名前で読んでいただけると嬉しいです」
「──ぇ」
ミソラはその聞き覚えのある声で警戒心が吹き飛んだ。椅子が回転し姿を表した。メガネのレンズが真横に移り、そこから覗かせる力強い眼差しが全身を貫いていった。相変わらず、という感想を浮かび上がらせるが、どうしてもなぜ彼女がここにいるのか不可解で仕方がなかった
。
彼女が立ち上がり全身像が顕になった。落ち着き払った大人の女性という出で立ちで、隙のない佇まいを見せていた。アイカとヒトミが警戒を見せているが、ユズリハだけは見覚えがある人を見たような反応をみmせた。
「あなたもしかして、〈ハッピーハック〉の──」
「……〈サニー〉」
ミソラがかつての名を口にした。本名も知っている。だがあえてその名で呼んだ。
かつての縁が、思わぬ形で結びついたが、ミソラはどこまでも失意の彼方に落ちていた。目の前にいる彼女が、ミソラたち旅するアイドルの敵なのだと思い知ってしまったからだ。
「もうアイドルは引退した。これから普通に呼んでほしいかな──ミソラ」




