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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅰ部】第三章 偶像の再定義
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蜘蛛の足

 背後から追いすがってくる謎の蜘蛛足兵器。あれを兵器と呼ばずになんといえばいいのだろうか。

 ドローンの進化も著しい世の中で、あのような兵器が生まれるのは必然だった。未だに無人機が忌避される世で、ことあろうことか無人兵器を山奥の中で出くわしてしまった。

 振り返る余裕なんてなかった。断続的に銃声が聞こえて、耳元で破裂していく音におびえても、逃げる以外の選択肢はなかった。

 肺が握りつぶされる思いで山を登っていく。蜘蛛足の登っていくスピードが鈍くなった。アイカの直感的判断は合理的で、常に最適を更新していたが、予想もつかない展開はすぐ目の前にやってきた。

「……くそっ」

 駆け下りる、または頂上に近い傾斜を並行に進むかの選択に、もう一体の蜘蛛足を確認した。木の幹を四足で滑りながら登ってきている。アイカは傾斜を並行に進むことを余儀なくされた。

 ミソラはただ付いてくしか機能を果たせていない。反撃する手段も、逃亡のルートも忘却した今、ただ足を働かさる以外に何ができようか。

 そして走り続けたツケは、ミソラの肉体的限界を超えてやってきた。

「……ぁ」

 声にならない掠れた声で、ミソラは足の力が抜けていくのを感じた。斜面を進んでいたからか、流れに沿って転がり落ちてしまった。

 途中でアイカの叫びが耳に届いたが、転がっていくうちに認識が曖昧になっていった。背中の骨に響くような痛みで、転落は止まったと気づいた。しかし状況はより悪い方へと傾いてった。

 ジリジリと機械のうごめきが近づいていく。腕を匍匐前進の要領で、大きな木の幹へと移動していく。目尻に溜まっていくものに気付かず、必死に生存行動をとる。息を潜めようとしても、体が酸素を求めて呼吸を求めてしまう。両手で鼻と口を押さえつけて、声がもれないよう、また呼吸が途絶えないように体を丸く固めた。

「……っ」

 荒く叩いてくる心臓の痛みを歯を食いしばって抑える。目の痛みにまぶたを閉じてやり過ごす。頭に血が上るのを、全身の細胞が代替するように祈る。

 死にたくない。この数ヶ月で何度思ったことだろう。ここは安全な国、それが日本の治安だった。だが違う。危険は常に薄紙一枚と隣合わせで、人はそれに気付く環境にないだけなのだ。

 このまま何も為すことなく命を散らせたくない。中途半端なことで終わりたくない。胸の内で死にたくないとつぶやく。

 音が止まった。ミソラは顔を上げた。

「──ぁ」

 すぐ眼下に銃口を見つけた。蜘蛛足はミソラに狙いを定めた。死を予期して、数々の思い出が過ぎろうとしたそのとき、目の前がパチリと光った。

 ミソラの視界が真っ白に覆い尽くされ。耳元に数々の爆音が鼓膜を通して伝わってきた。再び意識を奪いかけようとしたが、いびつな声によって現実を思い出した。

『……災難だったな、ミソラくん』

 聞き覚えのある異音が穏やかさを伴った声音に変わったような気がした。ミソラを案じるような仮面の声を始めて好意的に捉えた。だが問題はなぜこの人がミソラの前に立ちふさがっているかだ。途中ではぐれたが、合流したというのだろうか。

「あ、あなた、いま、銃……」

『ああ、これか。君は知らなかったようだが、私の肉体は特別性でね。そこらの銃弾ではものともしない』

 〈P〉は銃弾を背後に浴びながら、そう言ったのを聞いた。確かに平気な態度をみせている。弾かれているのは本当なのだろう。しかし銃弾が体を傷つけることはなくても、その衝撃は常にやってきているのではないか。ミソラは震えきった声を〈P〉に放った。

「……死んじゃうわよ」

『君に心配されるようなことではない。安全は保証する。それまで息を整えることぐらいはして欲しい』

 それから〈P〉は後悔を零すように言った。

『我々はここへ来るには早すぎたのだ』 

 見事にミソラの思ったことを言い当てていた。宗蓮寺邸周辺の開発がこんな恐ろしい兵器を生み出しているとは思いもしなかった。情報を探るはずが、逆におびき寄せる材料でもあった。これはミソラの当然の心情を利用した罠だった。敵の闇は見渡す限り暗黒に包まれており、つかもうとすると闇の中から凶弾が放たれるものだった。

 銃弾が止んだ隙に〈P〉は背後に翻っていた。蜘蛛足に突撃しようとして、全身で飛び込んで機体を押さえつけた。蜘蛛足は〈P〉を載せた状態で移動しようとしていたが、動きが鈍く押しつぶされようとしていた。蜘蛛の頭が動いた瞬間、〈P〉は砲身を掴み、ぐっと力を込めた。

『──ッ』

 蜘蛛足からきしみ上がる音は、無理やり鉄を捻じ曲げようとするような耳にしたくないものだった。〈P〉の余力はミソラが想像していたより凄い。砲身の先から半分が上を向いた。〈P〉は足へと対象を変え、一本ずつ無理やり引きちぎっていった。結果、蜘蛛足は移動手段と武器を失った。

 ほっと息をする瞬間のことだ。オレンジと赤が混じった何かが〈P〉と蜘蛛足を覆った。黒い物体が後ろへ飛ぶと同時に、空気を包み込む爆音がやってきた。

 反射的に腕で顔を覆った。それは正解だった。もしそのまま目を開けていたなら、爆風で目が大やけどしていた。肌の表面を焼き尽くさんとする熱気がミソラを覆い、焦げ付いた匂いに本能的にこの場を去れと警告を発していた。

 幸い、足は回復していたようで、そのまま腕と足で這っていく。熱気が静まった頃に、ミソラは爆発の原因を確認した。

 そこは〈P〉と蜘蛛足が格闘していた場所だ。つまりどちらかが爆発したのだ。煙が吹き上がっているそこには、蜘蛛足の残骸が散らばっている。幸い木々に火が移ることはなかった。しかし爆発に巻き込まれたもうひとりがいない。

「〈P〉……」

 慌てて周囲を眺めた。すると斜面の方に黒いなにかが転がっているのを確認した。間違いなく〈P〉の特徴と合致していた。

「〈P〉!」

 数十メートル下まで駆け出す。爆発に巻き込まれたのだ。ただでは済まないはず。たどり着いた時、ミソラは驚きでいっぱいになった。

 〈P〉は四肢が破裂することなく五体満足で倒れていた。普通、アレ程の衝撃に巻き込まれてただで済む人間はいない。銃弾を物ともしないからだらしいが、だからといっても限度があるだろう。現に〈P〉は倒れたまま動かなかった。

 体をゆすろうとして鎧に触れた瞬間、凄まじい熱に手を離した。ミソラは頼りの者がなくなって不安に押しつぶされていた。

「起きて、起きてよぉ……」

 涙ぐんだ声で呼びかける。すると〈P〉の体が僅かに動いたような気がした。

「起きて……じゃないと、わたし」

『……フフ。しおらしい君を見るとは思わなかったな』

 〈P〉が皮肉を含んだ口調で言う。ミソラはほっとしたあと、一気に思いの丈を吐き出した。

「あんなんで無事なんてどうかしているわよ! もう、もう」

 鋼鉄の肉体、顔を隠す仮面。そのどれもが、今回の出来事を想定していたというなら、とんだ策士である。だが〈P〉 が立ち上がろうとしたが、すぐに力を失ったように地面に伏してしまう。

『どうやら、機能に損傷がみられるようだ。ミソラくん、すまないが私を背負って下山するしかないようだ』

「……体、動かないの?」

『先程の爆発はさすがに想定外だった。証拠隠滅に残した機能だろう。せめて残骸だけでも持って帰りたかったが──』

 そのときだった。離れたところから、先ほどと同種の爆発が聞こえた。ミソラはなぜ、と思うと、〈P〉が無念そうにつぶやく。

『巻き込まれていないと良いのだが』

 誰のことを言っているのか明らかだった。アイカだ。もしアイカも蜘蛛足と奮戦し、勝利していたのなら、自爆機能は発動するはず。つまりアイカがそれに巻き込まれている可能性が浮上するということだ。

 助けに行くか、ミソラに過ぎった選択肢は明快だった。しかし〈P〉がそれを制した。

『下山が優先だ。確認に行って敵に見つかったらどうする』

 正論だった。あえて怪我だけを追わせて仲間をおびき寄せてから一気に殺害するという方法もあると、昔の映画でそんな描写があった。罠は幾重にも張り巡らされているのが、宗蓮寺邸周辺の周到さにほかならない。ミソラは〈P〉の言うことに意を感じ、鋼の肉体をなんとか背負って下山を開始させた。


 敵の追手はあれで終了なのか。〈P〉の重さに押しつぶされながらも、周囲の警戒を怠らない。とはいっても、聴覚のみの索敵しかできない。爆音が続いたあとには、何も変わらない自然の音だけがいつまでも残っていた。

 自分たちがどこへ進んでいるのかも分からず、ただ真っ直ぐに、ときに右や左にと移動しながら、山を出ることを願う。道路があるのなら、そこで助けが呼べるはずだ。

 〈P〉を運んでいるさなか、ミソラは生き残ることだけに神経を注いでいた。偵察の際に出くわした数々の疑問など、今は考える余裕はない。アイカの生存だけが気がかりだったが、そこは願うだけしかできなかった。

 それからふと水の流れる音が耳に届いてきた。ここからそう遠くない。ミソラは逸る気持ちを抑えながら、一歩ずつ音の方へ歩いていった。

「……川だ」

『その、ようだな』

 目の前に幅の狭く、流れの早い河川があった。しかし下は崖になっており、渡ることができない。ミソラひとりなら向こう岸までたどり着ける。だが重荷を背負った状態では流されてしまうに違いない。

「迂回するしかないわね」

 そう思い川を平行に進もうと試みようとしたところで、それは聞こえた。

「……嘘でしょ」

 駆動音が死を予期させる。思わず斜面の方へ視線を向けると、3体目の蜘蛛足がこちらへと滑空してきていた。銃口が迷いなくこちらに定めている。

 どうしよう、と怯えていると、〈P〉が言った。

『飛び降りるぞ』

「へっ、でもそれじゃあ」

『どちらが生存の確率が高いか、我々はその瀬戸際にいる。……迷っている場合ではないぞ』

 諭すような言い方に、ミソラは覚悟を決めるしかなかった。足を踏み出し、崖から飛び降りる。真っ直ぐ落下していく先で、水の表面へと着水した。

 上流の流れに逆らおうとしたが、衣服に侵入してくる水がもがく抵抗を奪っていった。〈P〉を背負ったままだったのか、その重さでミソラは沈んでいき、顔まで水が入り込むのだった。

 水が鼻の奥に入り込んだのを気に、呼吸ができなくなっていく。息継ぎができない。なんとか水を飲み込まないように口をぎゅっと締めていく。しかし意図せず、鼻から肺の空気が吐き出されていく。なんとか水面上に顔を出して空気を取り入れようとするも、それはほんの一瞬に過ぎず、水が口の中へと入り込んでしまう。

 一瞬、飛び降りた崖がみえた。蜘蛛足は水の中にまでは入らなかったようだ。だからといって安心できる状況ではない。いま、溺死の可能性がでてきた。

『……私を離せ』

 そんな声が聞こえたがミソラは無視を決め込む。背中のものを捨て去る気はない。理由は単純に、これからの旅に必要な人間だからだ。自分勝手な理由で捨て去る気はない。それに、ミソラはただ無謀に飛び込んだわけではない。

 待っている。あの子が、自分たちを助けてくれると、勝手に期待している。なぜかそんな気がした。

 〈P〉が予測したことを、ミソラは信じることにした。蜘蛛足の特性を彼女が理解し、生き延びてこちらへ手を差し伸べることを。いいや、これは期待と言ったほうが適切だ。

 目を閉じ、流れに身を任せた。呼吸が徐々に奪われていき、意識も遠ざかっていく。──だからこそ、彼女は無駄な力を使わずにミソラたちを運ぶことに成功した。

 顔面に無数の粒が激突するのを機に、喉奥で溜まっていた水を吐いた。何度も咳き込み、えずき、胃の中のものさえ嘔吐しているのではとミソラは感じた。

 太陽の光をいっぱいに浴びているのがわかる。視界は依然とおぼろげだが、近くで息を整えている何かがいることは分かった。

「……はぁ、はぁ。むちゃするな、ったくよ」

 ミソラは首だけを動かして彼女を見た。アイカはこちらに気づいたあと、背中をさすってきた。

「ま、ああでしないと死んでたかもな。3体目、近くにいたときはビックリしたぜ」

 ミソラは吐き気が収まるまで、アイカとその隣で倒れている〈P〉を眺めていた。

『相当数、配備されているはずだ。アイカくんは、あのような兵器に詳しいかね』

「ドローン兵器ならまだしも、あんな形の兵器は初めて会ったぜ。つーか、普通に考えて効率が悪りぃだろ、あんなの。しかも自爆機能まで搭載していやがる。まじで意味わかんねえ」

 アイカが頭をかきむしっている。あの兵器と出くわしたときの顔を覚えている。アイカもそのような経緯で動揺していたようだ。

 吐き終えたミソラは、二人の会話に混ざることにした。

「……ねえ、私生きてるよね?」

 ミソラの声にアイカが振り向く。彼女は心配そうな眼差しを向けて、落ち着いた声で言う。

「なんとか間に合っただけだろ。ったく、あんな川を泳がせやがって」

「でも助けられるのね。すごいわね、アイカさんは」

「そういう訓練されてんだよ、アタシは。ま、こんな流れの早いとこじゃ、正直自身はなかったが。……立てるか?」

 体に力を込めてみる。腕や足は順調に動くようだ。両足で立ち上がろうとしたが、すぐに体勢を崩してしまう。アイカが支えになったが、両足で立ち上がることができなかった。今日の一件で気力体力が0に近しい状態となったようだ。仕方なく、砂利の上に腰を下ろす。

『ここでは電波が通っているようでね。そろそろ車が到着するはずだ。……詳しい話はそこでするとしよう』

 それから三人は言葉をかわすことなく呆然とするしかなかった。

 今の日本に、あのような兵器が量産されている。その事実が何より恐ろしい。



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