顔の意識
緩やかな斜面を長い時間かけて登っていく。山が迷子になりやすいのは目印となるものが殆どなく、方向感覚を狂わせるからだ。いまは端末のアプリで方角ぐらいはわかる。ミソラたちは北西方面を目指して、整備のない獣道を進んでいた。
潜入してから三十分経った時、アイカがある心配事を口にした。
「なあ、こんな山奥で電波通じるのかよ」
これには文化の差を感じずにはいられなかった。これには〈P〉が補足した。
『現在の日本では日本中いたる所で電波が通っている。この山奥の中でも例外ではない』
「すげえなそれ。どこからでも通信ができるのか」
「それが普通ではないことを、今はじめて知ったわ」
アイカが以前暮らしていた場所はどんなところなのだろう。彼女の褐色肌を鑑みるに、熱帯自然が多いのだろう。世界が開拓されつくしたとはいえ、人が隠れ潜む場所には開拓の余地が残っている。彼女が元テロリスト一味に親しかったのならなおさらだ。
『もっともそれに伴って電波の遮断技術も向上している。サヌールにはそれに近しい技術がすでに提供されていただろう』
「確かに。あそこは独自の電波が通ってて、内部のネットワークにしかアクセスできなかったわ。まあ、後で貴方がこじ開けたのだけどね。あれどうやったのよ」
『企業秘密としておこう』
「出会ったときから企業秘密で覆われているじゃない」
〈P〉を初めて見たときの衝撃は数ヶ月もすれば慣れていく。もっとも正体の考察については、未だに推測の域を出ない。男か女か、そもそも人か否か。分かっていることはネットワークに精通していることと、戦闘力が高いことか。
「仮面を覆っている理由はあるの? 例えば、顔が爛れているとか」
『その程度なら喜んで顔を出すさ』
〈P〉が蔦を手でどけながら続ける。
『君たちは自分の顔についてどれだけの自意識があると思う』
「何よ突然。……まあ、人によりけりじゃないの。芸能人なら一層気を使うだろうし、そうでなくてもいい顔の方が得するじゃない」
顔がいいことは、身の上の証明になる。別に美形でなくても、清潔感を出すことが重要で、ビジネスや人間関係の世界では特に判断基準にされやすい要素だ。それゆえに、アイドル時代は顔や体型、所作の一連を磨く必要があった。これくらいの苦労は当然だ。
そこでアイカが横から口を挟んできた。
「得なんてするかよ。遊びならともかく、普通に暮らしてる分なら必要ねえだろそれ」
ミソラはそれに同意をする。
「残念だけど、人が顔を晒している時点で、評価されちゃうものなのよ。気にしなくなるには、人と全く関わらないようにするしかないわ」
全く手入れをしていなかったわけではないが、邸宅住まいのときは必要最低限のケアで済ませていた。食事や軽い運動を取り入れていたおかげで、肌の出来物はなく過ごせている。もっとも実際に鏡で確認したわけではない。実際に肌で触って感じたことだ。
「アイカさん、結構顔立ち良いと思うの。お世辞でもなんでもなくね」
「……そうなのか。別にアタシも顔に頓着はねえな」
『その割には君は愛らしいサービスをしているように思えるのだが』
「るっせえ」
アイカは歩調を速めて話を打ち切った。山道を進む最中に無駄話をしてしまうのは、異様な緊張感か仲が深まった証だ。アイカとはサヌールの一件からそこそこ話すようにはなった。アイドルのレッスンも積極的になったのは、旅するアイドルの活動に意義を感じたからかもしれない。本来はこうした地道に情報を見つけていくことであって、アイドル活動はあくまでついでだ。敵が権力者、それに類する相手には、個人の力は無意味だ。世界中に配信できる時代、言語の垣根を超えた方法として、MVは最適だった、それだけだ。
ゆえにいつ分解してもおかしくない。この旅で姉と兄を見つけ出し、安寧の土地へ移り住んだら、ミソラは平然とこの場所を去る。未練なんて最初から持ち合わせていない。
休憩を適宜挟んでいく。10分歩いて、一息つくを繰り返す。最後に姉たちと山登りした時の記憶を思い出し、感傷が過ぎってしまう。あの時の桜はまだ残っているだろうか。あの場所だけが、開発から逃れていると良い。




