森入り前
早起きの自信はあったが、夜中目覚めたこともあってみんなより出遅れて目覚めた。
"旅するアイドル"が滞在してるのは長野県内の名もなき川辺だった。 車内の居住スペースには誰もおらず、外から喧騒が聞こえた。一方がまくしたて、もう一方が渋々返事をしているらしい。ベッドを整え、口を濯いで私服に着替えた後、車から出た。すると「あら」とからかいのある口調がとんできた。
「お寝坊さんがようやくお目覚めよ。あなたがいつも口にしている料理をしてみたのだけど、どう?」
赤みがかった髪を後ろで一纏めにした女性、大空ヒトミがミソラに言った。外に出ているものは、寝間着から各自の私服に着替えていた。
キャブコン側部からサイドオーニングを展開し、天幕の下にレジャー用のテーブルと椅子が置かれていた。すでに料理が並んでおり、香ばしい匂いが腹の虫を刺激してきた。そんななかで、ミソラが毎朝欠かさず食べるオートミールのお粥が小鍋いっぱいにできあがっていた。
「別に作らなくてもよかったのに」
「私いちおう新人の立場だし、先輩に媚を売っておこうかなあって。ユズリハちゃんも手伝ったのよね」
子供を褒めるような口調が隣の女性に向いた。彼女はむっとしてソーセージを無言でかぶりついた。
「ユズリハちゃん、ここに来てから無視ばっかり。他のみんなとは楽しくお話しているのに、ずるいっ」
先程の姦しいのはこの二人からなのはわかっていたが、想像以上にくだらない問答だった。ユズリハは咀嚼を終えた後、ヒトミに言った。
「あなたと話していると、倫理観が壊れると思っているだけです」
「至って普通でしょ。ちょっと国籍がなくて、少しだけ特殊な仕事はしていただけじゃない」
「ちょっとどころじゃないことをサラッと言ってしまうから、あなたと話したくないのです。あと、船で私を買ったことも付け加えてください」
深い青の髪、後ろ髪が広がっているのは素からの性質らしい。淡泊な表情でヒトミと応酬を交わしている水野ユズリハは、丁寧な口調で厳しいことを口にした。
「皆さんには返しきれない恩があります。ですが、規律を守らず、あまつさえ人道に反したことをする方をお連れするのは納得しかねます」
「それ、私達に対しての言葉?」
ミソラがユズリハの前に着席する。別に攻め立てるつもりはないのだが、ユズリハは何やら慌てて弁解した。
「い、いえ。そういうわけじゃないのですが」
「うわあ、見ちゃった日本人の無意識差別主義。ほんっと昔から変わらないわね、それ」
「残念ですが、どんな事情があれ、奴隷を買った人間は軽蔑です。無意識ではなく、意識して差別します」
「ううぅぅ、これ好感度マイナス値に落ちてるわよ。ていうか、助けてあげた恩を忘れないでほしいわ」
「それとこれとは話が別です」
ユズリハはそれ以降の問答は受け付けないと、食パンを食べ進めていく。ヒトミは肩を落とし、スプーンでオートミール粥を口に含んだ。その瞬間、嫌なものを口にした顔になった。
「やっぱり美味しさってカロリーと食感なのね。これはなんだか、ぐちゃぐちゃーって感じ。正直まずい」
「慣れれば美味しいものよ。なんなら、白米に牛乳かけてもいける自信があるわよ」
「え、それはちょっと……」
ヒトミとユズリハが変人でも見るような目でミソラを射抜く。白米に牛乳は冗談でいったつもりなのだが、どうやらオートミール粥の影響からか本気で受け取ってしまったらしい。ミソラはおいしいのに、と内心でつぶやきながらお椀に注がれたものを食べた。確かに味は牛乳の甘みしかないが、余計なものが入っていないぶん、体にいい実感はある。それだけで美味しさは天上のものだった。
ヒトミは粥をミソラの方へ差し出し、主菜と副菜に手を付けた。目玉焼きと近隣の直売所で手に入れた新鮮野菜のサラダだ。地元の農家で手に入る食材で調理するのは、この旅ならではの楽しみだった。ヒトミとユズリハもこの点では喜んでいるようだ。
ミソラは二人に訊ねた。
「ラムさんたちはもう食べ終わったの?」
「はい。ラムさんは〈P〉さんと打ち合わせで、アイカさんは準備があるからと言って、後でいただくようです」
「準備……そう。午後からだもんね、作戦は」
「作戦って言えるようなものなの? あなたの故郷に戻るだけじゃないの」
「それはそうなんだけど……」
ヒトミの当然の疑問に口を開くか迷う。二人に何者かの襲撃で邸宅が燃やされたことを告げるべきか。ヒトミとユズリハの突然のメンバー入りは、未だに納得がいっていない部分がある。とはいっても、サヌールでの一件をテーマにMVに参加してもらったので、実質旅するアイドルに一員だと認められてしまっているだろう。
こうなったのは全て〈P〉のせいである。当然、ミソラは二人の加入を断固拒否のつもりだった。彼女たちを招き入れる理由がなかったからだ。
ミソラは周辺の山々を眺めた。
「ここまで大自然が広がると、何かが起こったら誰も知られないのが怖いわ」
「まあ、犯罪するならうってつけの場所よね。駐在所はあるでしょうけど、警官の一人や二人くらい、犯罪者にとっては大した脅威にはなりえないもの」
ヒトミの意見にうなずく。都会と比べて、田舎の治安維持は地元の警官と地域の自治体が共同体となっていることが多い。ミソラが済んでいた長野県でも、数キロ離れた住民たちが訪れることが多かった。姉たちは独自のセキュリティーがあるといい、必要以上の接触はしてこなかったが、田舎には田舎の大変さがある。
「都会に人が集中するのは当然だと思いますよ。犯罪を犯す理由を考えれば、大本をたどれば莫大な利益があげられるからです。私が誘拐されたのは彼らにとっての利益を損なう可能性があったからだと思います」
「当たり前だけど、一人だけで完結する犯罪ってないのよねー。必ず誰かに迷惑をかけて生きている。あなた達だって、実は人に迷惑をかけて生きているのよ」
返す言葉もない、ミソラは肩をすくめそうになるところ、別の方角から声がやってきた。
「不法入国者が偉そうに。つーか、アンタ日本人だろ。なんて国籍ねんだよ」
後ろを振り向くとアイカがいた。くすんだ金髪にボブショートの癖っ毛に、可愛らしい顔たちであるはずなのに、むすりとした表情でまるきり別様相を表している。アイカが笑みを見せるのは、ステージに立ったときの自己紹介のときぐらいだ。
「それをいうなら、私はあなたの方に興味があるわ。たしか”ザルヴァート”って海外を拠点にしていたでしょう。あなただって不法入国者じゃなくて?」
「言っとくが、アタシは元々日本国籍だ。日本で生まれてすぐにあっちにいったらしいが、変わったことはないはずだ。まあ証明されろっていわれても困るけどな」
戻ってきたアイカはミソラの隣に座りそう言った。ヒトミはふぅんと不敵な視線を送り、場に異様な緊張感をもたらした。ミソラは溜息をつきそうになるところを、代わりに言葉を放つことで制した。
「国籍云々はもういいわ。それは後回し。アイカさん、どれくらいの準備をしてきたの?」
「いままでの襲撃を鑑みて、余裕に対処できる程度には。人数も少ねえし、今回は〈P〉がいる。お姫様一人守れるくらいには十分だ」
「普通に護衛と言いなさいよ。私はただの案内役。もっともそれすら役に立てるかどうか」
「ああ、なんかいろんな物が建ち始めたんだっけか。こんな電気も通ってなさそうな場所にか?」
「さすがに電波は通ってるわよ」
「やっぱ恵まれてんな日本は。むこうじゃインフラすら通ってない地域なんてザラだったんでな」
アイカはごく普通に言いのけてみせる。やはりというべきか、アイカとミソラたちとでは価値観が大きく違う。アイカが普段過ごしていた場所は、組織の隠れ蓑であったのか、または別の思惑で暮らしていたのかは想像にも及ばない。この年代で、インフラすら通っていない事実は大きなギャップであるのは間違いない。
「アタシだって何もかもに対応できねえぞ。殺気のねえ攻撃なんてわけのわかんねヤツはお手上げ。それはアンタに任せるよ」
「あてにされても困るけどね。ほら、まだご飯食べてないんじゃない。余り物が嫌だったらなにか作るけど」
「いい。食えりゃいい」
そう言って、ヒトミが途中で文字通り匙を投げた小鍋を手にしたあと、ジョッキのビールを仰ぐように中身を飲み干していった。口の端から牛乳が溢れる。粥は柔らかく、咀嚼の必要はないとはいえ、少しは粘り気はあると思った。アイカはオートミール粥を飲み干し、「ごちそうさん」と言って、キャブコンの流しへと向かった。ヒトミが戦慄の表情で言った。
「よくあんなの食べられるわね、あの子。マムシとかカエル、食べられそうよ」
ヒトミさん、と隣のユズリハがたしなめている。ミソラは内心愉快な気分でいた。そのまま席を離れ、アイカの手伝いへをしようとするくらいには。
「手伝うわよ。準備で疲れてるでしょ」
「……気味悪いな。今までなかったろ」
「だからよ。気味の悪さは、ほんの気まぐれとでも思ってなさい」
流しで皿を洗うついでに、ミソラは二人だけに通じる話を始める。
「ユキナさん、あれからリハビリ頑張ってるのかしら」
「一昨日くらいにそう言ってたな。早くて2週間で帰国か」
「会えるの楽しみ?」
「どうだろうな」
はっきりとは言わないアイカでも、口調に微かな穏やかさが滲み出している。彼女の中では原ユキナという存在は張り詰めていた糸をほぐすものなのだろう。だからこそ、ミソラは遠慮なく意見が言えた。
「本当に、ここへ合流させていいと思う?」
「……いいんじゃねえか。アイツがそう願ってるなら」
「あの子の願いと、私達を取り巻くものは、全く違うでしょう」
アイドルにはごく普通に活動しているなら、「外敵」は存在し得ない。競合相手はいるが、その業界を壊すことはしない。だが旅するアイドルは違う。敵は存在し、「アイドル」と名乗ったからにはその世界に入ったことを余儀なくされる。アイドル業界は正直溜まったものではないはずだ。
ユキナと交わした約束は、サヌールの一件を経て考えを変えるようになった。
彼女にはあるべき日常がある。人体実験の副作用を乗り越えたいま、わざわざ非日常の世界に飛び込まなくてもいいのではないかと。
「いつ終わるのかしらね。私達の旅は」
「さあな。だが」
アイカが一瞬言葉を切って、力強い意志を示す。
「取り戻すまでやるんだろ」
「──ええ。もちろん」
片付けを終え戻ると、〈P〉とラムが戻ってきた。緑色のジャージとジーンズというバラバラな出で立ちのラムに、相変わらず年がら年中同じものを着ていそうな風体の〈P〉は、旅するアイドルの面々にこう言い放つ。
『では、早速向かおうとしよう。ある意味では私達の始まりの場所でもある』
気を引き締めて欲しい、と〈P〉が言った相手は、ミソラとアイカの二人だ。
一行はキャブコンで長野県の深い山の中へ進んでいった。




