ステージの夢
燃え尽きそうなステージに、再び喝采が鳴り響いている。この模様日はいつから始まり、定着してしまったのかと、先導ハルはなんとなく思った。
お色直しと新しい衣装を身にまとうのに、最低でも五分はかかる。その間、観客たちの熱が冷めないように自らが熱を生み出すのが、アンコールの意義なのかもしれない。
しかしながらハルは今も怒涛に聞こえてくる声に毒づいた。
「アンコール、バラバラよ。ドームだと合わせにくいのかな」
肩をすくめた傍ら、隣の席でお色直ししている金髪の少女が言った。
「次々に聞こえてくるもんね。一拍もないし、こっちが窮屈になる」
「こら〈スター〉。あの人達は心から私達を待ち望んでいる。どんなアンコールも受け入れてあげましょうよ」
むう、と反省の色を見せる〈スター〉だったが、ハルの別となりにいる少女へ話を変えた。
「〈エア〉、さっきから黙ったままだけど、もしかして緊張している?」
「別に緊張なんてしてない。その場面は最初に過ぎ去ったじゃない」
「相変わらずの謎メンタル。でも〈エア〉らしいね。わたしも見習おっと」
ハルをあいだに交わされる二人の応酬にこちらの緊張も解けていく。東京ドームという大きな舞台は、〈ハッピーハック〉という名を不動のものにした。幸運なことだ。〈ハッピーハック〉を始めてから2年余が過ぎたが、まだハルの思い描くステージには程遠いと実感がある。
お色直しを終えた三人はステージ横で向かい合う。ハッピーハックのリーダーである〈サニー〉が号令をかけていく。二人の顔をみて、不安の影はひとつもなかった。〈サニー〉は見るものを焦がすような眼差しを二人に向けて、言い放った。
「ここまで来るのに二年。私は長いように感じたわ。だって、ここが本当の始まりだって気づいたから」
アイドルという世界を知ってから、準備もなく飛び込んだ。胸を焦がすままの情動に従い、素敵な仲間と一緒にいろんなステージでパフォーマンスを見せつけてきた。
「東京ドームは満員御礼。本当にありがとう。でもね、私達が本当に幸せにするのはここに来ている人だけじゃない。今日来れなかった人、たまたまドームを通り過ぎていく外の人たち、私達の名前すら知らない誰かにも、絶対にこの歌を届けたい」
ハル……〈サニー〉は一呼吸置いて、拳を突き出した。
「なにもかもを幸せにする準備は出来てるか!」
「OK!」
「ええ」
誰も勝たず、誰も負けない、〈ハッピーハック〉の信念に基づいている。
「じゃあ行くよ。──Happy Hack」
「Ready──」
「Ready──」
GO!
三人の手が一斉に上がった。心機一転させ、それぞれステージへ歩みだす。
埋没するような光に飲み込まれた時、先導ハルはこの光景がすでに遠い過去であることを自覚した。
瞼の裏が眩しいものをみたように痛い。しかし視界に捉えていたのは真っ暗闇だけだった。ハルは不思議な倦怠感に包まれていた。
「……夢で見るなんて」
当時の興奮が体に刻み込まれている。今までで一番大きなステージで、ハルを含めた三人は感無量の時間を過ごした。あれ以来、自分の思い描く世界が実現できると固く信じた。
当時のハルは青かった。思いつく限りのことはしてきたつもりだったが、全てが誰かを幸せにできるわけではない。むしろ、誰かの幸せを奪っていることだってあった。そんな考えがない傲慢さが、「彼女」にあんな出来事をもたらしてしまった。
今でも考える。〈ハッピーハック〉は何が正解で、何を間違えてしまったのか。その答えは未だに見える兆しはなく、三年が経過してわかったことは人間はどうしようもなく弱い生き物だという真理だ。
重い溜息を付き、ハルは頭を抱える。目覚めが良くないのは、先程の夢のせいか、日々の疲れが蓄積したせいか。時計を見ようとして寝台の電子時計へ手をのばす。時計へ触れる前に、何かの感触がハルの指に触れた。
「ひゃっ……あれ、ハル起きてるの?」
驚いた声のあとに間接照明がついた。寝間着姿の同居人がハルを眠たげに見ていた。サラリと伸びた金色に輝くストレートヘアは、寝起き状態であっても顕在で、日本人離れした端正な顔立ちが寝起きの実感を薄れさせる。彼女はメイクを施さなくても十分に魅力的であった。
「ノアこそ、明日から学校なんじゃないの。遅刻して単位もらえなくなっても知らないわよ」
母親のような言葉にノアはご立腹のようだ。頬をふくらませる姿も愉快だった。だがすぐにもとに戻り寂しそうに視線をそらした。
「どうしたの」
「ううん。なんか、いい夢なのかな。それをみてたの」
「なおさら夢の中に戻ればいいのに」
ノアは首を振って今度は懐かしげに語った。
「──傷ついた魂は、やがて輝く星となる──星は空に戻さないと」
デジャヴュを感じた。彼女が「いい夢」と表現するからには、きっと同じ夢を見たに違いない。となると、いま眠らせるのは酷だろう。〈ハッピーハック〉の思い出はそれぞれ自分のものだからだ。
「はあ、仕方ない。明日……じゃなくてもう今日か。早めの朝食でもとる?」
「うん、お願い」
ノアが微笑む。眠たげな目がまばゆい星を描き出した。
ハルはすぐにダイニングへ向かい、簡単な朝食準備を行おうと寝室を出る。その前に、ノアのつぶやきが耳に届いた。
「──〈エア〉は、いまなにしてるんだろうね」
「さあね。でも、きっと会えるわよ。地球は丸いんだから」
ハルはある予感を抱いて、ノアにそう言った。正確には会える、ではなく会いに行くだ。
予想が当たれば、明日は嵐になる。星と太陽と空気が再び交わるのに、そう時間はかからない。
同時刻。
ミソラは光の方へ進んだ先で現実の世界へ舞い戻る。目覚めて最初に思ったことは、「どうして、この夢を」というものだった。定期的に苛む悪夢でないのは心底安堵したが、かといっていい夢かと言われると複雑であった。
「〈スター〉……ノアに会ったから?」
夢で見るまで思い出すことのなかった光景だった。そこにはかつてアイドルをやっていた「ミソラ」がいて、共にパフォーマンスをする仲間がいた。三人で観客を虜にしていき、その果てが夢の中の景色だった。もっとも、ステージ上ではなくその幕間が再生されたのは、どういうわけだろう。
ミソラはベッドから見渡せる景色を眺めた。各所から寝息が上がっている。キャブコンの設備的に二つあるベッドでは五人も眠ることはできない。仕方なく二人がソファに横たわり、運転席でラムが眠っている。ちなみに仮面をかぶったものは外で眠れるといい、キャブコンのドア付近で就寝をとっている。
いつのまにか、この車内も人が増えた。ここまでの大所帯になるとは当初考えもしなかった。
ユキナが居た頃は、まだスペースに余裕があった。ユズリハはヒトミの連れ添いで一時的に乗せているだけだが、ヒトミは長く滞在する腹づもりでいそうだ。旅するアイドルの活動がどうなるのかはわからないが、決して楽な道ではないはずだ。未だに邸宅が襲われた原因が分からずじまいだ。
「いつになったら、これは終わるのかしら」
ハッピーハックを経て、旅するアイドルと、10代の大半はアイドルをしている気がする。旅するアイドルは〈P〉が唐突に言い出したことだ。もしショッピングモールで歌い、踊ることがなかったら、旅するアイドルというものは誕生しなかった可能性もある。
アイドルであるからこそ、ミソラは一団での役割を遂行できている部分がある。しかしそうでないなら?
ごく普通の手段として、暴力を振りかざし、不正を働き、工作を施す。いまの旅するアイドルもそのような手段を取ってきた。仕方なく、大切なものを取り戻すために。
焦る気持ちが現在の旅するアイドルの進路を定めた。翌朝から一行は長野県の山間に進む。
そこのはミソラが住んでいた邸宅があり、急ピッチに開発が進められた場所でもある。
これ以上起きているのは、明日に響くと思い、今日の夢のことは頭の隅に無理やり起き、とりあえず時刻を確認した。
深夜2時を回った辺りだ。ふと、あることが頭によぎった。
「そういえばユキナさんから……。ふふ、リハビリに励んでいたのよね」
忘れないうちにミソラはメッセージアプリを開き、ユキナに対してメッセージを送った。この旅路の先には、ユキナとの合流が待っている。そのときに、もう一度真剣に話し合いたかった。
ミソラは毛布をかぶって、目を閉じた。眠るのは案外早く、夢の続きや別の夢を見ることはなかった。
──ユキナへと送ったメッセージの返信はが一生やってこないことを、いまはまだ知らない。




