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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅰ部】第二章 海洋の旅と新たな旅人(アイドル)
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選挙戦⑤


「茶番はおしまいだ、市村アイカ」

 オービスのそんな声が聞こえた。アイカはすぐにその場に伏せた。扉が開く音とともに、大人数の足音が中へ入ってきた。物が散らかり、怒号が響き渡る。真っ暗闇の中で、アイカは即座に動き始めた。まずはミソラのところへ駆けつける。彼女を保護して、脱出するしかない。

 カジノの照明を消し、自分が負けるとなって人質を取る作戦へととった。──または虐殺か。

 しかし銃声が響く気配はない。いまならミソラを救い出せる。そう思って、匍匐前進で移動してきたが、突如背中に強い圧迫感がやってきた。背中の中心を踏まれ、身動きができなくなる。感触からしてブーツだ。暗闇に目がなれ、振り向いてみた。アイカは納得の声を上げる。

「暗視ゴーグルとは用意周到だな」

 瞬間、アイカは首根っこを掴まれた。暴れようとするも、男が抱きかかえるほうが強く、完全に身動きができない状況に陥った。

 照明が戻った。時間からして非常電源で稼働した照明だろう。光量が少なかった。

 アイカは中央の対戦テーブルにまで戻されていたようだ。そのままテーブルの上に叩きつけられてしまう。受け身をまともに取れず、肺の空気が外へ吐き出す。

「……みんな、は」

 周囲を眺めた。最初に宙に浮いているドローンが全て床に落ちていた。それから立っているものが少数だけになっている。暗視ゴーグルを額にかける警察兵が、重火器を持ち床に向けて銃口を向けている。床にひざまずいているのは、カジノで観覧し、遊んでいたはず観客だった。全員、手を頭の後ろに組み、恐怖を浮かべている。

「安心しろ、殺しはしないさ。ただ少しばかり度が過ぎた客に、罰則は与える」

 オービスが言い聞かせるような口調でアイカに近づいていく。彼は勝負の際の複雑な表情は見せていない。彼もこの手段を取るつもりはなかったに違いない。この状況では自ら罪を白状し、重ねているだけだからだ。

「全世界の人間が、見てるぞ」

「いいや。今しがた、ここは文字通り絶海となった。合図によって、全ての電波が遮断された。一瞬あれば、君たちが飛ばしたドローンなど、落とすことは容易だった」

 ヒトミも人質に取られていた。だがユズリハの影が見当たらない。大方、どこかへ隠れたのだろう。彼女のことから意識を外し、アイカはオービスの対峙に集中する。

「ここは日本だぞ。いずれ宗主国の二カ国も軍事制裁を下すんじゃねえのか」

「残念ながらその事実知る人間はいない。私達は被害者として迎えられることになる。ここで『虐殺』が起き、客の大半が死亡。オービス・クルエルは悲劇の船長として世間が扱う。それが可能な要素がある。君だよ、市村アイカ。君が、ここの人間をすべて殺すのだ」

「──狂ってるだろ。人を殺す意味ぐらい考えたことがあるのか」

 瞬間、拳がアイカの腹を叩きつけてきた。胃の中のものが喉奥まで登りかかってきた。

「私は冷静だよ。この船が、私の生き甲斐だったのだから」

 オービスは呼吸を整え、穏やかで悲しげな表情で語り始めた

「先代船長からの誘いでここに訪れ、ある奴隷を譲り受けた。その奴隷は地盤沈下で故郷を失った難民だった。……彼女に身の回りの世話をさせた。懸命に働くいい子だった。妻や息子も気に入ってくれたよ」

 オービスは懐から銃を取り出した。金色に輝く、ワルサーだ。ルパン三世がよく用いている骨董品のシリンダーを開き弾丸を確かめていた。

「ある夏の熱い日のことだ。仕事から戻ってきた私は、家がやけに静かだったことが気になった。いつもならリビングの窓が開き、家族たちのはしゃぐ声が聞こえたものだ。だが玄関を開けた瞬間、腐った肉の匂いと酸化した鉄の匂いが充満していた。──リビングで、妻と息子が首を吊り、体の肉が剥ぎ取られた状態で見つかったよ。金目のものは全て根こそぎ奪い去られ、彼女の行方はいまもわからないまま」

「……奴隷買わなきゃよかっただろう」

「ああそのとおりだ。だが過ちは取り戻せない。取り戻せない過ちを、どう取り返すというのだね」

 オービス・クルエルの復讐が、この船の頭首になることと関係しているとは思えない。だがヒトミがはっとして恐る恐るといった口調で尋ねた。

「──あなた、先代のメッセージを伝えてくることがあったわね。まさか」

 首を横に振って、彼は言った。

「彼は自死したよ。味わった憎しみを知ってほしくてね。彼の家族の肉を剥ぎ取り、絶叫を実際に聞かせた。あんな体験は、もうしたくないものだな。だが私は、満足だ。先代に泣きながらに『私が悪かった、許してくれ』を引き出せたからね」

 まるで憑き物が落ちたように、オービスはなおも語り続ける。

「この船は、生きるためなら何でもしていい奴隷の根性を叩き込む場所さ。秩序の重さを教える更生施設と言っていい。それを誰もしないから、俺がやろうとしているんだ」

 銃の微かな音が耳に響く。遠くから響くその音は、素人丸出しの持ち方だった。だがこの際、プロかどうかは関係ない。誰でも簡単に指を引けば、人を簡単に殺せるのが『銃』だからだ。

「やめろ──」

 走馬灯のように、死の光景が蘇ってくる。天まで昇る炎を幻視した。かつて最悪の海に沈めた己の罪が、アイカの脳裏によぎってくる。

「残念だが、最終的にこうする未来を見ていたのだ。──まず手始めに、憎き宗蓮寺グループの一人娘を見せしめにだ──」

 彼がマッサージチェアへと銃口が向いた。その数は二つ。

 耳をつんざく音が響いた。三発が片方へ、もう片方に同じく三発弾丸が、マッサージチェアを貫通していく。

 ミソラはあの場に寝転んでいた。頭を休めるため、睡眠することを勧めたのだ。

「おい、おい……おいっ!」

 やること為すこと、裏目に出てしまう。ショッピングモールからミソラとユキナを遠ざけようとしたときは、敵の魔の手に落ちてしまった。ミソラに戦いの心得を教えなかったのも、自分の知識が人を殺してしまう恐怖からだった。

 ミソラにはアイカのような人間にはなってほしくない。

 生まれてはじめて『アイドル』を知ったあの曇天の午後に、初めて知らない衝動が込み上がってきた。

 ただ一心不乱に歌を歌い、踊りを披露し、観客に何かを伝える。ミソラには戦いの才能は皆無だ。しかし、誰かの心を訴えかけることに関しての才能があるだけで、十分だったのだ。

 アイカがアイドルというものにいっときでも心が揺れ動いた。そんなごく当たり前の感情を与えてくれた人間が命を散らすなんて、あってはならないのだ──。

「……ぁ、あぁ……」

 人殺しに人は守れない。鉄火場のど真ん中で、銃を放つことだけで生きてきたアイカでは、手を伸ばしても指の隙間からこぼれ落ちてしまうだけだった。

 アイカは膝をついてしまう。武器もなく、勝てないと踏んだこの場で、何が出来るというのだろうか──。

「……おかしい」

 ふとオービスがつぶやいた。そのつぶやきに、アイカは正気を取り戻す。彼の言葉通り、おかしかった。

 マッサージチェアから鈍い音は一切しなかった。機械とチェアの素材が破裂しかしていない。血しぶきはなく、あそこがもぬけの殻だと示している。

「おい、様子を確認してこい」

『別にそんな事しなくても──私はここにいるわよ』

 声の方角はカジノ内ではなく、カジノの上部から聞こえた。スピーカーから聞こえてくる声は紛れもなく宗蓮寺ミソラのものだった。

『あ、ああ、そちらの様子は監視カメラで確認済み。一瞬電源切れて驚いたけど、この監視カメラ施設はインフラの次に大事な施設みたいね。厳重な警備がされてあったわ』

 余裕綽々な声、それはミソラが心底愉快にほほ笑みを浮かべているときのものだった。オービスが驚いた声でいった。

「ここにいなかったのか……」

『すっかりゲームに夢中なっていたようね。けど、貴方は私達が何者かを忘れていた。その時点で私達の勝ちみたいなものよ』

「勝ちだと。こっちには人質がいるんだぞ」

 ミソラは大したことないような語りを披露した。

『なんでころさないの?』

 彼女の挑発めいた声に、オービスがくぐもった声を上げた。そして煽り立てるようなミソラの言葉が続いた。

『結局は、国家として自分の立場を守りたいだけの人よ、貴方は。連れて行った奴隷によって家族を殺されたのって、貴方の責任じゃない。奴隷を買ったことと、その奴隷を家族の方々に信頼を押し付けてしまったこと、残念だけど貴方が殺したようなもの。──むしろ、いなくなって満足しているんじゃないかしら。だってそのほうが好き勝手に生きることが出来るもの』

 まるで悪役のセリフだ。アイカはそんなことを思った。誰に対しても思ったことを言う。彼女は、誰かに嫌われても笑み一つを絶やさずにいるのだろう。

『宗蓮寺グループの会長、宗蓮寺麗奈の実の妹として。また国際テロリストの娘、市村アイカとして見なければ、私達を簡単に葬ることができたしょうね。私とアイカさんを分断して、完全無力化させたところは泣きそうなほど辛かったもの』

 けど、と彼女は続けて言った。

『歩いていればなにかが変わると、教えてくれた仲間がいたのよ。オービス・クルエル、覚えておきなさい。私達は行きたいところへ行って、手にしたいものを手に入れる。大切なものは、どんな手段を持ってしても取り返す。それが「旅するアイドル」らしいわよ?』

 私達、とミソラは愛しく呼ぶ。仲間や友達とは違う。私達は『私』と『私』が揃えばいいだけのことなのだろう。ミソラらしい区別方法だ。そんな『私達』を見誤った敵は、さぞ戸惑うことだろう。

『じゃあ、いまからPV撮影再開するわね。曲はこれから作るから。じゃあ、皆さんよろしくね。よーい──』

 瞬間、スピーカーから階段のようなメロディが流れた。じゃーん、と戦慄が響いた後、

『Action』

 と一言つぶやく。

 瞬間、扉の奥から新たな警察兵が現れた。彼らは泥に塗れ、雄叫び上げながら、人質にとっていたオービス側の警察兵たちへ乗りかかり、無力化させていった。

 オービスがうろたえている隙にアイカは身を捩って、拘束していた警察兵の首元に太ももを巻きつけた。それで首を圧迫する。マッチョでも首元を鍛えている人間は少なく、振り払おうと暴れだした。アイカは全体重を乗せて警察兵を背後から倒した。後頭部と背中を打ち付け、男は気絶した。命に別状ないことを祈りたい。

 カジノ内は壮絶な様相を示していた。オービスはもちろん、ヒトミも困惑顔だ。

「アイツ、何つー行動力だよ。おかげで助かったけどな」

 腹の具合を確かめる。痛みは残っているが、動いていればアドレナリンが分泌して痛みを感じなくなるだろう。その前にある男を打ち倒す必要がある。

 相手は屈強な体躯をしている。その手の手合は真正面からでは勝てない。向こうは拳銃を持っているが、弾丸は撃ち尽くしているはずだ。

 アイカは手近な椅子を持ち、足を先端にしてオービスに突っ込んだ。彼はこちらの攻撃に気付いて、椅子の梁を掴んだ。彼はそのまま雄叫びを上げながら椅子を振り回した。力を込めすぎたせいか、アイカの体が宙に浮き、手近にあったスロット台へと激突した。背中に鋭い痛みが走ったが、意識をぐっと保ち床に転がる。オービスが迫ってきていた。

 軍隊式の格闘術だった。姿勢を低く、本来ならば手にナイフを持っている。代わりにワルサーの銃口を持ち手にハンマーとして使用するようだ。巨大な体躯が振りかぶってきた。アイカは前方へ転がり交わすが、オービスが果敢に追いかけてくる。

 一撃が重い相手には、一度も攻撃を食らってはならない。周囲の人をたよるのが定石だが、あいにくと手が空いていないらしい。チップやトランプを投げつけるが、目くらましにもならない。

 ルーレットの球を投げつけたところで、彼が冷静でないことに気づく。アイカだけに視線が向いているのはいい傾向だ。

 時間がない。いまなら真正面からぶつかって、一撃を加えることが出来るかもしれない。アイカはオービスの方向へ頷いてから、真っ直ぐに突っ込んだ。

 狙うは男の急所一点。痛みに喘ぎ、どんな状況下に置いても通ずる箇所だ。身を低くし、前蹴りを放とうとしたところで、オービスの体躯が上に飛んだ。

「しまっ──」

 側頭部にハンマーの重みが鋭く刺さる。脳天を貫く激痛に喘ぎ、アイカは床に鼻面を打ち付けた。

「はぁ、よくも、この船をやってくれたなぁ」

 荒い吐息が当たる。髪を捕まれ、そのまま引きずろうとする勢いがあった。

「だが、これまでだ。ここの奴らには死んでもらう。時間はかかるが、弱い奴らが支配される仕組みを作って、俺が管理してやる。俺の言うことを、絶対になるような世界へ──」

 ふいにオービスの後頭部が何者かの衝撃で横へ吹き飛んだ。無論、銃弾にさらされたわけではない。ヒトミが椅子を振りかぶって、オービスを殴りかかってきたのだ。

 アイカは上体を起こそうとしたが、先にオービスが動くほうが早かった。血走った視線がヒトミへ向く。彼女は身をすくませて一歩後ずさる。どんな表情を浮かべるのかを迷うくらいに、彼女は困惑の最中にあった。

 再び撃鉄の打撃が繰り出されるとき、別の影が飛び出てきた。彼女は一体、どこへ行っていたのだろうか。ユズリハが物陰から飛び出て、ヒトミを抱きしめるようにかばった。肩に直撃したが、その際に何かをこぼした。

 拳銃だった。ユズリハの懐からこぼれ落ちたものだ。何故彼女が持っている。その疑問を抱く前に、アイカは唯一にして必殺の手にすがるしかなかった。銃を右手で掴む。手の繊維に馴染むように体が変化している。スライドを弾く。弾丸の数はどうでもいい。二発程度あれば、十分に狙える。

 オービスがスライドロックの音を聞き、アイカへ振り向いた。拳銃を手にした少女を前に、彼は真っ直ぐ向かってきた。

「──じゃあな」

 脇を締めて、銃口を天井に向ける。

 引き金を絞る。

 天井に閃光が瞬き、三点射撃がそれを貫いた。軋むような音のあと、天井に設置されたシャンデリアが落下してきた。ちょうど真下を通りかかったオービスは上を仰ぎ、あたまをかばい飲み込まれていった。ガラスの破裂音が響き、残骸が散らばる。アイカは破片が目に入らないよう腕で顔を覆った。

 静寂。周囲の静けさは、拳銃の音が響くより明瞭だった。眼下のシャンデリアをみて、凍てついた心が支配する。シャンデリアの重さはどれぐらいあるのだろうかと考えて、カジノ内のシャンデリアの中では比較的大きいものではなかった。

「うぅ……うぁ……」

 オービスのうめき声がして、アイカはほっと息をなでおろす。あのまま銃殺することも可能だったが、咄嗟にそうしない選択をした。直感的に、この決着は望んでいなかった。おそらくだが、彼を打ち倒す方法は暴力ではなく──。

「あら、随分と派手にやったわね」

 扉から堂々と歩調で歩いてくる。まだゲームの勝敗はついてない。

「アイカさん、チップまだ残ってる?」

 宗蓮寺ミソラは中央のテーブルに着いて微笑んだ。



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