選挙戦④
不正を正すための時間は、いつのまにか尋問の時間へと変わっていた。
「一万ドルでアタシを買う人間がいるなんてなあ。この船の連中は、随分と酔狂なやつだな」
アイカが言った。誰かがアイカを購入したらしいが、一体誰が買ったというのだろう。ミソラはアイカに尋ねた。
「で、あんたの主はどこにいるのよ」
「ここにいるだろ」
アイカが指差したのは自分自身だった。言っている意味がよくわからなかった。
「カジノの客なんだから、自分の金使っていいわけだろ? お前がスマホにアプリ入れるなって言われたけどよぉ、今使わないでいつ使うんだって話だ。で、お前がそう促したんだろ?」
「はあ? 何の話よ」
「受付が言ってたぞ。私達が奴隷を買うように、ミソラが言ったって」
「言った覚えはないんだけど⁉」
正確には促しはした。そういうやり方もできるのではないかと。半信半疑だったが、どうやらできたようだ。
「それで。貴方が一万ドルも持っていた理由はあるのかしら。私達、基本的に生活切り詰めているじゃない」
「おいおい、今何人の視聴者がこれ見ていると思ってんだよ。世界中の人間が、お前に金出してる酔狂な奴らだっているんだぞ」
酔狂。そうアイカが言ったとき、頭の中に電流が走った。投げ銭と呼ばれる配信システムである程度の金額を稼げたのだろう。
「〈P〉がアタシの電子マネーに金を送った。それを、船の連中が回収して買った。だからアタシが買ったようなものだろう?」
「……ただでさえ頭が痛いのに、さらに痛くなったわ」
「それでお前の脳はおかしくなったんだ。……もう休め。お前に賭け事の才能はない」
「貴方にもないでしょう」
ミソラは必死に机の端にしがみついた。しかし体が浮いたときには、テーブルから遠ざかっていった。アイカがお姫様抱っこで抱きかかえたからだ。
「お前、飯食ってねえだろ。だから負けたんだ。アタシのほうが少しマシだ。──選手交代」
アイカが運んだ場所はソファとテーブルの並ぶレストフロアだ。高級マッサージチェアへと座らせ、スマホをかざす。するとマッサージチェアが稼働し、ミソラの全身をほぐしていった。
「いたれりつくせりなのはいいのだけど、次か次ぐらいのゲームで決着つくわよ」
「お前は頭を休めて腹ごしらえだ。食いもの食って、少し寝て──あとはアタシの心を保たせてくれよ」
ミソラは全身がぐったりしていくのを感じながら、アイカに言った。
「賭け事、得意だったりする」
「親父仕込みだからな。お前より、才能はあると思うぜ」
まどろみが一足先に襲ってくる。アイカが離れてから数分後、鼻孔とくすぐる食事が届いた。ピザとパスタだった。
アイカはかつて父とその仲間たちと、賭け事をしたことがある。戦闘のちょっとした合間に、いずれ世界中にカジノができると語っており、実際にそのとおりになった。
いざ武器を失い、体の一部を失ったらカジノで食っていけ、というのが父の教えで、そのためにありとあらゆるゲームの戦い方を身に着けさせられた。
その中でアイカが最も得意とするゲームがテキサスホールデムポーカーだった。カジノは心理戦が肝だ。それ故に、たかが資金が多い素人の相手など、赤子をひねるように容易なことだった。
「オールイン」
ビックブラインドが高いのは、どのプレイヤーでも優位に働く。一世一代の勝負で躊躇は必要ない。テーブルには三人のプレイヤーしかいなかった。ディーラーも交代され、他のテーブルでポーカーを行っていた者と変わった。標準的なカード捌きと無駄のない動きは、一流のディーラーの証だ。ゲームから退出させられ、ユズリハとアイカの背後に立ち観戦しているヒトミが気がかりでしょうがなかった。
「負けたくせに笑ってやがる。不正がバレた途端、ユズリハにチップ明け渡しやがったな」
「え、そうなのですか」
「明らかにそうだろ。……おい、なんとか言ったらどうなんだ」
「大正解よ。貴方、暴力しか取り柄ないと思ってたけど、意外と頭切れるのね」
「ないのは一般常識だけだ」
ショーダウンでアイカはKのスリーカードで勝利し、オールインした分の7000ドルを手にした。ひらめきが冴え渡っている。状況を読む嗅覚は、戦いだけの専売特許ではない。
「あらお上手。パパに習ったの?」
「まあな。負けると殴られるからな」
「怖いパパね。でも羨ましいわ」
ヒトミのつぶやきを無視して、ゲームは進行していく。ユズリハは勝負に出ると頃で少額で賭けていく。オービスも同様だ。しかしアイカはだけはほぼすべてのゲームでオールインで勝負した。今の所、一度も敗北したことがない。
「運が悪いようだな船長」
「巡り巡るものは、常にそうやって形成されていく。最後に見逃さずつかめるのかが、戦いの必勝法さ」
「必勝法なんてねえよ」
アイカはオービスのコールに際してはレイズでチップを上乗せしていく。
「死ぬか生きるかの瀬戸際に、方法なんて当てになるか? 馬鹿か。必死こいて頭と体を働かせたやつが生き残る確立が初めて生まれんだよ」
ショーダウンでアイカの勝ちが確定する。オービスがジリ貧になっていく理由は一つ、ルールが特殊すぎるからだ。
「金持ちが負ける条件はいつも明確だ。……使わずに溜め込むだけのやつは、その勝ちを見逃すんだよ」
アイカがオールレイズするとき、必然的にユズリハもオールレイズする必要が出てくる。彼女が勝負に挑むときは、アイカはフォールドする。逆にアイカが勝負に出るときはアイカはフォールドする。
オービスは1セットのうちに勝負に出る数が減ってきた。ビックブラインドの跳ね上がりは、常に互いの資金を圧迫しようとする。しかし条件が成立した場合に限り、切迫した資金が生きるときがある。
アイカはその目を養っている。常に選択を意識し、あらゆる障害に立ち向かってきたからだ。
15セット目。オービスの軍資金が気づけば半分にまで減り、アイカは40000ドルを手持ちとして残り、ユズリハも30000ドルチップを手にしていた。意外なのはユズリハの行動だった。彼女は規定した以外の動きをしていなかった。いい手札のときに最低金額でかけ、そうでないときはあっさりと降りる。普通のゲームではマイナスの行動だが、アイカが常にリスクを負って勝負することで、オービスは戦うか逃げるかの選択しか立てなくなっていた。
つまりブラフでの勝負が大事な局面でできなくなっているのだ。オービスは、自分にできる武器がなまくらになっていくのを気付かずに、手持ちの資金があると思いこんでいる。
「──これはおどろいたよ、市村アイカ。これは私の実力不足かな」
「実力のせいにするな。完全に判断ミスだ。……お前は、イカサマを見破ったときに、そのイカサマを利用していれば勝てたんじゃねえのか。だが、そちらにリスクがあると考えたお前は、ディーラーと女を排除することを選んだ」
アイカの言葉に、ユズリハがなるほどと唸った。
「二人が手を組んでいたから追い込まれていたけど、逆に追い込むこともできたんだ。知らないふりをして、勝負に出ていれば、もしかしたら」
「そうだ。一度でもオールインしたことないだろ? その必要がないからとかほざいやてやがるが、相手が勝利を確信したときにこそオールインしたら、すげえ顔になっただろうな」
「師匠、目玉焼きにみたいな目になるんじゃないかしら」
「例えがよく分かりませんよ、ヒトミさん。……ともあれ、これで私が出来ることは一つですね」
ユズリハのスモールブラインドでアイカは初っ端からレイズで金額を跳ね上げていく。ユズリハがリレイズで重ねる。オービスは手札を見たが、フォールドと言い捨てていった。
ユズリハとアイカはチップを提示し、レイズのみで全額に近いチップが重なっていった。
ショーダウンで勝利したのはアイカだった。この時点で、ユズリハの30000ドル近いチップが全て、アイカに渡った。
「私の敗北ですね。随分と計画から離れてしまいましたが、ヒトミさんならこう望むのかなって、思いまして」
「ふふ、上出来よユズリハちゃん。貴方を買ってよかったわ」
複雑そうに笑うユズリハに、アイカは眉をひそめて尋ねた。
「おまえ、この女に買われたのかよ……え、じゃあなにか、まじでそういう関係なのか?」
「──御恩はありますけど、下船したら関係は終了です。当たり前ですが」
ユズリハの返答に悲鳴を上げるヒトミだった。彼女は必死になって、ユズリハに船で暮らそうと説得を開始した。どうやら、奴隷の情が湧くタイプの買い手だったようだ。不幸せなことにならないだろうと、思っていた矢先のことだった。
カジノから光が消えた。




