自由と不自由
ヒトミからゲーム開始まで自由にしてていい許可をもらい、ユズリハはシアタールームの端で端末を開いていた。書いているのは報告書だ。船内に潜入してから、奴隷へ売り出す手続きを踏み、船底の実態を観察した。看守にムチで打たれることも想定済みだ。もっともユズリハは最悪の状況を想定していたので、事なきを得たのは僥倖とも言える。
「旅するアイドルは、どうする?」
彼女たちは再び、世間を巻き込んだことをしようとしている。世の状況は下船してみないとわからないが、大衆たちは原ユキナのときのような熱狂を待ちわびているに違いない。
「……止めるべきか。それとも」
懐に仕込んだ銃に触る。ユズリハならミソラを人気のないところへ誘い込み、殺害することも出来るだろう。殺害でなくても、カジノへ行かないようにもできる。そちらのほうが現実味がある。
「現場の判断優先だけど。……どうしても私情が入ってしまう」
情は職務に必要のないものだ。ユズリハが国家を守る立場にあるからには、第一優先事項は、国家に損失を受けないように時には工作を施す必要がある。任意の聴取を得るため、ターゲットにわざとぶつかり損害を受けたと主張する転び公妨をを始め、盗聴、盗撮は当たり前。中には悪事の証拠をでっちあげることだってある。
全ては国家の安全のためだ。個より全、全のためなら悪をなす。だが悪と定めるものはなく、全ては善としてみなされるのが公安の職務だ。
ユズリハは悩んでいた。この国の悪行は目に余る。日本ではおよそありえない人身売買を行っていた。だが悪事が暴かれてしまうと、日本がサヌールの宗主国である以上、責任追及は免れない。各国からの批難から端を発するのは、日本の市場が大荒れするに違いない。
「別に国家までは崩壊しないと思うけど。……旅するアイドルを、政府がどう思うのか」
政治とは汚い手を使ってまで国家を運営するものが必ずいる。日本の安寧は、そうやって成り立っているのは、国民でも容易に想像できる。だが旅するアイドルは、それを暴露していく。そうすることで救われたはずの存在を、旅するアイドルは殺そうとしているのだ。
「危険思想極まりない。……ここで確実に滅ぼしたほうが」
そうしてシアタールームで思案に更けているうちに、ふと視界に影が入ってきた。緑髪色の髪を短くした眼鏡の男だった。ユズリハはその男に暴力を受けたが、いまは別の顔をみせていた。ユズリハに対する敬意だ。
「隣いいですか、先輩」
「不用心よ。医師に見つかったらどうする」
「はは、あまり笑わせるようなこと言わないでくださいね。……それより、本部からです」
緑髪の後輩は隣りに座った。薄明かりの中で差し出してきたメモ用紙を受け取り、光に透けて読んだ。
「……普通の警察の仕事だな」
「ですね。僕は絶対安静なので、基本的にベッドの中ですけど、先輩はもっと働く必要がありますね」
「嫌味か。普段こき使ってると思っているなら、勘違いするなよ」
「まさか、先輩の愛のムチは結構好きですよ、僕は」
ため息をつきそうになるのを抑えつつ、ユズリハは紙のメモに書かれた内容を読み込んだ。
指令は二つ。明星ノアの命を最優先。サヌールは放置して構わないとのことだ。これが政府の判断に基づいたものなら、ユズリハが抱いていた懸念は捨て去ってもいい。
紙を懐にしまったあと隣をみると、人を魅了するような笑みを浮かべる後輩の姿があった。まっすぐとこちらを見据えている。こういう手合に普通の女性は落ちるんだろうなあ、と思いながら、ユズリハは後輩へ身を乗り出した。
後輩の驚く顔をみて、右腕を彼の脇腹にどついた。
シアターに甲高い悲鳴があがり、ユズリハはその足で席を離れた。
「死ななかっただけ運が良いいんだから、早く寝なさい」
「はい。……あんときは、ほんと、不覚取られてしまいましたから」
ふてくされるような口調を最後に聞き、ユズリハはシアターを出た。後輩もスペシャリストだ。後輩はユズリハが来る前からサヌールに潜入しており、宗蓮寺麗奈の捜索にあたっていた。しかし成果は芳しくなかった。宗蓮寺麗奈がいつどこで船内に潜みこんだのか、全く分からなかったからだ。ユズリハも独自の調査を経て、その結論に至った。
二人は旅するアイドルの監視任務と、サヌールの闇に潜入して、同時操作を行うことにした。ユズリハは船底で麗奈が囚われていると睨み、あえて奴隷の身に置いたが、彼女の影を捉えることすらできなかった。
仕方なく後輩に回収してもらい、本部への報告をしようとしたときに、市村アイカは突如現れた。
「……事情を知らなければ、ただ虐待を受けている女性にしか見えなかったわけか」
アイカが通り魔的な反抗に及んだとは考えにくい。暴虐の嵐からユズリハを救い出した。当事者であるからこそわかる。例え出自が国際テロリストの血筋があろうとも、彼女がそれを受け継いでいるとは考えにくい。そんな同情的な心情を、ユズリハは頭を振り払った。
「けど、あんな躊躇なく武器を人に向ける。……そんな危険分子は」
足が止まる。疲労の疲れが、頭部が重く感じる。たった一日で、自分の足元がぐらつく感覚を何度体感しただろう。
市村アイカに助けられ、宗蓮寺ミソラに励まされ、再び看守のもとへ連れて行かれようとしたときもアイカは全身で抗おうとした。あれが演技だとはとても思えない。人を傷つける能力はあるが、決して暴虐に塗れた行いではなかった。
今までもターゲットに同情しかけたことがある。だが存在そのものが政府にとって都合の悪い存在だった。ユズリハが関わってきた公安の敵は全て、不慮の事故で亡くなっている。
理不尽がまかり通る世の中、上が敷いた道をひたすらに歩むことを国民は敷いられている。
楽な道が人間の最終的に至るべき境地だ。だから、旅するアイドルは、国と国民のためにいなくなるべきなのだ──。
買い物から戻ってきたユズリハは、荷物をそのまま手渡してベッドへ倒れ込んでしまった。すると上から影が覆いかぶさってきた。見上げるとヒトミがいた。
「あら、顔色悪いわね。マッサージしてあげましょうか?」
「結構です。少し緊張しちゃって」
「ま、気楽にやりなさいよ。たかがゲームなんだから」
ヒトミは手持ちの資金と、つい先程集めた資金を合わせた額を眺めて、あらゆるゲームの想定を繰り返しているようだ。ヒトミがゲームの参加を決めた理由をあらかじめ聞いているが、ユズリハはそのことを思い出し、引っかかっていたことを尋ねた。
「あの、つかぬことをお聞きしますが、貴方の目的を達成できるなら、宗蓮寺ミソラさんに勝たせるという手もアリなのでは?」
「私はそうしたいところなんだけどぉ、できないのよねえ。私があの子に負けるのは、契約違反だから」
「……契約ですか?」
船長と、そのような取り決めをしたのだろう。ユズリハは化粧台の前でメイクを整えているヒトミを眺めた。
遠い誰かを思い馳せるような、初めてみる表情を浮かべている。それがなんだか、可愛く思えた。
堅物な自分とは大違いな容姿だ。子供の頃から地味に堅実に暮らしてきた弊害か、かわいいや美しいものというものに懐疑的だった。大空ヒトミは国籍がないという。それなのに、名のとおりに自由奔放さを感じるのは、なぜだろう。




