軍資金
ミソラの宣言から一時間が経過した。ミソラは自室へ戻ったが、安寧の時間は訪れない。選挙は無事に認められたが、道半ばで命を落とす可能性も捨てきれない。
現在、ドローンが監視に付いている。ミソラの生存を確認できる唯一の物体だ。
「あー、貴方達に本当に届いているのかわからないわね。コメント、どうやらここじゃ見えないみたいだし。SNSもトレンドやホットワードは出ているけど、それ以外はわからない」
「#旅するアイドル」に十数万もの投稿や反応があるらしい。喜ぶべきか、そうでないのか。
「実はカジノで大負けしちゃったのよねえ。しかもババ抜き。カジノで選挙するなんて前代未聞だけど、まあ酔狂なこの国らしいわ」
〈P〉が飛ばしたであろうドローンたちは、雨の中でも稼働中だ。何台かはサヌールの兵が撃ち落としてしまったようだ。残りのドローンはミソラの持つスマホである程度のコントロールが出来るように改造されていた。
ミソラはそれらを読み込み、〈P〉とラムから、メモアプリにかかれていた出来事を思い出す。
「……ありがとう、西村さん」
彼にスマホを託してよかったと、心から思う。信頼して渡したわけではなかったが、いまは信頼に当たる人物になった。彼は現在、旅するアイドルの手伝いをしているらしい。また、彼から選別金として、彼が持っていたチップをミソラのものへ加算していた。彼は100万相当のチップを保有していた。
勝負の勝利条件はシンプルだ。ゲームに勝ち、先に100億相当のチップを手にしたものの勝利。今回はミソラ以外にも候補者がおり、オービスとミソラの一騎打ちという形にはならないようだ。
ある程度ゲームの種目は絞られる。ルーレットか、トランプを使ったゲームだ。ジャックナイフではそこそこの利益を得ていたが、カジノの真髄は一回のゲームではなく、大局でどれだけ稼げるかだ。この場合、最初からおおく掛け金を持っている者が、圧倒的に優位に働く。試行回数が多ければ、勝利の確率も多くなる寸法だ。そのためには、明らかにチップが不足している。
「あと数時間で1000万稼ぎたいのだけど」
相手はその十倍以上を持ってくるはずだ。ゲーム開始時における手持ちチップの上限は一億チップまでと決まっていた。日本円換算でおおよそ百億以上の価値となる。
「いや、他の参加者に協力するとか……けど、間違いなく敵よね、この二人は」
オービス・クルエル、宗蓮寺ミソラとは別に、プレイヤーが二人参加していた。一人は大空ヒトミ。彼女はオービスの忠実な部下なので当然参戦してくると思っていた。最後の参戦者は以外な人物だった。
「ユズリハさんがどうして?」
選挙へ参加できる人間は、発起人の元に立候補した人間に、カジノ内の人間が投票を下す。言うなれば、候補を決めるのは民主主義的で、頭首を決めるのは個人同士の競争というのが、海洋巡間都市サヌールが他国と一線をなしているところだろう。その気になれば、アメリカの大統領が立候補することだって出来る。
ユズリハは4位に食い込んでいた。オービスが最多得票、次にミソラなのは当然として、ヒトミとユズリハはどうやってカジノ内の認知を得たのだろうか。そもそも立候補した理由を聞いてみたい。
だが彼女たちの居場所は、国家機密で保護されている。ミソラだけは自室に戻ると言ってしまったのが失敗だった。
こうして待機している間も、この部屋に敵が襲いかかってくることもあり得る。もっとも、向こうもリスキーな行為だ。サヌールの恐怖を世界中に広める結果になりかねない。だというのに、突如インターホンがなりだした。ミソラはベッドの下に隠れ潜んでから、英語でどちら様ですか、と尋ねた。
「あの、明星ノアなんですけど、ミソラさんの部屋で間違いないでしょうか?」
まさかの往来に、ミソラは顎があんぐりと開いた。ミソラは言った。
「中には入れないわよ」
「登録者以外は入れないのですよね。構いません。あるものを、部屋の前においておきました。よかったら、使ってください」
声がしなくなってから、ミソラは扉の前に耳を当てた。ノアの声が録音である可能性は高い。だが言葉遣いははっきりしており、怯えた様子もなかった。なにより、記憶から成長した声に安心感をおぼえた。
明星ノア──〈スター〉が一番後輩だったからか、よくミソラになついていた。
小柄な少女だったが、いまはミソラの身長を越していて驚いた。〈ハッピーハック〉で活動していたときは精神はまだ未熟で人見知りが激しかった。しかしステージに立つと、幼い少女の面影が消える。それはいまも健在だった。
そんな彼女からのプレゼントを確かめた。スマホが二台、置かれていた。
手に取ると画面が光り、メッセージが表示されていた。
『多分、宗蓮寺グループ本部からのものだと思います。中身は差し上げます。ノアのマネージャーより』
『お役に立てると嬉しいです。あと、個人マネーも少し入れました。また一緒にステージ立ちたいです。 ノアより』
疑念を抱きながら扉を締め、ロックの掛かっていないスマホを取り出す。すると、ホーム画面には基本的なアプリを除き、サヌールのアプリしかなかった。恐らく二人が示しているのは、このアプリの中にあるものだろう。ミソラはアプリの中身の正体を宛をつけていた。
「……誰のお膳立てよ」
負の感情が湧き上がってしまうのも当然だ。ミソラが保有している150万の十倍、1500万が中に入っていた。このスマホをチップとして認めてくれるだろうか。カジノに際してのセキュリティーは万全なので、このままでは使い物にならないだろう。
ミソラはロビーへ向かった。受付がミソラを見て一瞬表情を変えた。穏やかな笑みには、戸惑いの色が浮かんでいた。ミソラは先んじて声をかけた。
「このスマホ内のアプリにあるチップ、私のスマホに移行させることって可能ですか?」
「えっと、はい。そのスマホは、お客様のものでしょうか」
「いいえ、他人のです。これから選挙で戦うのにチップが必要ですから……。あ、もしかして他人に譲渡することは不可能だったり」
「いいえ、可能ですが譲渡する側の許可証明が必要です。……差し支えなければ、その端末の持ち主を教えていただきますか」
ミソラは明星ノアの名前を上げた。マネージャーの名前は知らなかったので無視した。
受付は耳元のインカムに手を当て、明星ノアさまに、と一声発した。数秒後に受付の声音が変わり、丁寧な口調で言葉を発し始めた。
「お忙しい中失礼します。明星ノアさまの客室で間違いないでしょうか。……はい、そのまま喋っていただければ大丈夫です。用件といたしましては、さきほど宗蓮寺ミソラさまが、そちらの端末のチップを譲渡したいという申し出があったので、確認させていたしだいです。……はい、譲渡には本人からの許可が必要で。部屋内の端末に署名を用意しておきましたので、譲渡の許可をいただきましたら、各種必要事項を必読のうえ、サインをお願いできますか? はい、大丈夫ですよ。同じようにサインしていただければ構いません。では、これで失礼しますね」
耳元を一回軽く叩くことで、受付は目の前のミソラに再度向き合う。事務的な会話をするのかと思っていたが、彼女の表情は複雑なものになっていた。
「……この船ができてから、私はここで生活をともにしてきました。船の実態を知っていながら、ずっと」
受付は奴隷船のことを知っていたらしい。建国当時から勤務し、毎日客と顔を合わせることが多い彼女には、自然とそういった情報が集まってきたのだろう。
「いつから、ここはあんな感じに?」
「……様子がまるきり変わったのは、先代が退いてからです。最初は船長が集めてきた難民の受け入れ先を探すために、世界中の国を回っていたことから端を発しています。そのときは先代船長の善意で動いていましたが、オービス様が船長になってから、奴隷船としての機能が動き始めました。……結果、難民までならず、各国から人を攫うようにまで」
受付は悲しげに続けた。
「先代は、そんなことのために難民を受け入れたわけじゃないんです。確かに、数はほんの少しで、彼が選別していた側面も否めません。実際、女性ばかりでしたから」
女性ばかりが奴隷だったのはそれが理由らしい。だが受付は先代語りを続けていく。
「でもいつか他の国で働いて、故郷の人間を救えることを前提に旅をさせていたんです。幸いここには資産家の方もいます。双方を引き合わせて、新たな労働を作り出す。それが先代の考えたシステムです。──これを悪用しだしたのがいまの船長なんです。難民を奴隷として売りさばき、各国の裏社会の人間や資産家に降ろす。もう、それがサヌールの存在意義になってしまいましたけど」
「奴隷だけじゃないみたいですけど」
「え?」
「一部の警察兵もそうですよね。傭兵として売り出しているみたいですよ」
「そんな……」
現在のサヌールが一部の客や各国に売り出す市場だとしたら、先代の試みは船内で行われる職のマッチングのようなものだろう。資産家なら、コネクションを使って戸籍を作ることも可能だ。雇用主は資産家という数々の会社にコネクションを持つ人間だ。働き手は容易に見つかり、また新たな事業の従業員にも出来る。
受付は先代船長のことを懇意していたようだ。ふとある考えがよぎった。
「あの、もしかして貴方も?」
「──はい。きっと、私のような難民や行き場の失った人たちが、ここに集まって、いまも仕事をしています。なにせ、私達には国籍がありませんから、船を降りることができないんです」
つまり彼女たちはある意味、この場所に囚われているわけだ。国籍を手にするとき、それは資産家の奴隷に成り下がってしまうことを意味する。故に受付のような立場にある従業員は、船での生活を安寧だと思いこんでしまう。
「船が沈めばいっかんの終わりね」
「それでも、私達はここで一生を遂げるつもりです」
「じゃあ、私は敵?」
受付は首を横に振った。ミソラのスマホとノアたちのスマホが返ってきた。チップの移譲は終了したらしい。受付は言った。
「この船が、ずっとこのままでいるくらいなら、終わることを望みます。私達は、戦うことから逃げてきました。その罰がこれなら、仕方がないことです」
はあ、とミソラはため息を付いた。
「勝手に期待されても困るわ。船のことなんか正直どうでもいいし、奴隷だってそう」
やってきたその場所が、たまたま奴隷市場であるだけだ。
「ですが、先程の放送ではここを暴くって」
「それはついでよ。じゃないと、満足度は下がらないでしょう? みんな、噂とかで聞いていたはずよ。それなのに、誰も声を上げようとしなかった。だから私が代わりにやってあげたのよ」
スマホを受け取り、ミソラは身を翻した。
「私は姉さんを傷つけたオービスは絶対に許しておけない。ここを終わらせるのはそれだけの理由よ」
受付は罪悪感をいっぱいにしてうつむいた。その姿にミソラは呆れ返る。辛気臭いままで終わらせるのは、こちらも気分が悪い。ミソラは去り際にこういいのこした。
「今からでも遅くないでしょう。先代のやりたかったこと、どうして貴方達ができないって思うの?」
「……ぁ」
表情が開いた。何かに気付いたような顔をみてから、ミソラは今度こそロビーから消えていった。
準備の時間は頭の中で終えた。あとはゲームの攻略に頭を使うだけだ。




