力を持つ者の手綱
船底のアイカたちは依然と与えられた職務に従事していた。ユズリハは再び船内の人間が買っていったようで、そのことだけが気がかりだった。
「……おい、おまえなんかやったか?」
「なにが?」
坊主頭の警察兵はあたりを眺めて戸惑いがちに言った。
「奴隷たちだよ。なんか、威勢があんだよな。で、気まぐれに殴ってくるやつがいるけど、そうなっても憮然とした態度を取り始めやがった。さっきの飯の時間になにかしたかって、俺は聞いてるんだよ」
この男も気に入らない人間を殴る性質を持つ。だがアイカは言葉を選ばず、ありのままを口にした。
「別に、男達はそんなに練度がないから気にするなって。傭兵は殺人は出来るけど、一国の軍人には絶対に勝てない。ぐらいは言ったなあ」
男は意味を理解するまで数秒の時間を要した。それから鋭い蹴りがアイカのみぞおちに放たれた。だがアイカは寸前で背後へ飛び衝撃を受け流した。倒れるときは盛大に演出してみせることで、攻撃を食らったように映ったことだろう。
「てめえ、なめるのも大概にしろよぉ……」
「……事実を言ったまで。ここにいるのは軍じゃない。傭兵もどき。軍の動きはもっと迅速。寄せ集めが敵うような相手じゃない」
アイカは一度それを思い知った。一人ひとりがスペシャリスト、かつ優秀な指揮官が背後にいるとなれば、無駄のない攻撃が襲いかかってくる。しかも数も膨大だ。千や二千程度では、数万の大軍に勝てるはずもない。テロリストは一般市民には強いが、軍隊にはめっぽう弱いのだ。
「俺らはな、軍なんか相手にしねえんだよっ。ガキが知ったような口を利くんじゃねえ」
男が再び蹴りを放とうとした。踏み潰すようにやってきた攻撃をアイカは待っていた。
直撃の瞬間に身を翻すとともに、地面を叩いた男の足を全身で掴み取った。人間は下から掴まれたとき、押し返すことができないようになっている。特に全身のバランスを司る体幹は、足元が地についてこそ強靭な力を発揮する。だが足が一瞬でも浮けばバランスは崩れ、下からの力によって持っていかれてしまう。男はバランスを崩し、背中から倒れた。
誰もがアイカたちへ注目を注いでいた。屈強な男が小柄の少女によって立場をひっくり返したのだから。もちろん、尻餅をついた男がこのままでいるはずがない。アイカはそれを見越して、床に落ちていたアサルトライフルを手にした。
この場の全員、アイカの行動に仰天する。それを止めようと、別方角から銃口を向けてきた。
「銃を捨てろっ」
「お前のような小娘が扱っていいおもちゃじゃないんだぞ!」
アイカは手に馴染んだ鉄の感触に微笑んだ。それが人を殺すのに最も適した最悪の武器だと知っている。
「おもちゃなんて、一回も思ったことねえよ」
日本語でつぶやいた言葉は、誰にも届くことがない。自嘲気味にアイカは笑っていた。それからアサルトライフルのセーフティーを外した。無駄のない動きと素早く標的を定める姿勢は、プロに匹敵するほどの練度だ。アイカは引き金を絞った。鼓膜を破裂させる爆音が耳元で響いた。耳栓をしても、耳鳴りがひどい。
アイカはフルオートで、土壁の的に全弾当てていた。その腕は、この場の警察兵より優れている、そう思わせるほどのどよめきが辺りに広がっていた。アイカは銃を捨て、冷え切った目を警察兵たちへ向けた。
「アタシ、アンタらより人を殺してきたんだ。それだけが自慢」
作り出されたものではない。銃を持てば、自然とその顔になってしまう。嗜虐的な笑みを浮かべて銃を放つ人間が世界にはいるらしい。笑みが緊張感を殺し、獲物への集中を阻害するものと知っていれば、とてもじゃないが真似できるものではない。生き物を殺す手と指は、常に覚悟を保つ必要があるのだ。
「銃を持つなら、相手を少しは想像しろ。遊びで銃をぶっぱなすな。これを持つことに憧れを捨てろ。これは、簡単に人殺せるんだよ」
アイカは尻餅をついた男へ一瞥を送る。彼は恐怖の眼差しでアイカを見ていた。他のものも同様だ。男達が武器を下げる。手に持っているものの重みを実感したかのようだった。緊張感を破ったのは、ある警察兵だった。
「君は見たところ日本人のようだ。だがあそこは誰もが銃を持つような国ではない。ましてや君のような少女が、一体何処で銃の扱いを覚えたというのだね」
刈り上げた男だ。確かミソラと一緒に居た警察兵へと記憶している。アイカはその男に言った。
「ろくでもない親父と顔も知らねえ母親の間に生まれた場所が、銃を使うのが当たり前だった環境なだけだ」
「中東か南米あたりか。……その辺りで悪逆を広めた日本人が居たな」
「ああ、そいつがアタシの父親。もう死んじまったけどな」
日本の名字で『市村』という言葉は、偏見の深いところまで浸透している。現に名字を改名する動きも、日本では出ているらしい。アイカの父親は、それぐらいのことを行った。
「で、正体を知って、あんたらはアタシを殺すか?」
容易に可能なことだろう。だが彼らは一切、銃を手にしようとはしなかった。
「主の命があれば執行しよう。だがいまはその立場にない。大人しく職務に従事てくれるとありがたいのだが」
「いいぜ。──次、ここの奴隷が悲鳴でも上げたら、その限りじゃねえがな」
「──君の言葉に従おう。我々に、武器の恐ろしさを知らしめた礼だ」
刈り上げの男は、船底の警察兵に叫び散らした。
──武器を慎重に扱え。女に当たり散らすな。
アイカはそれを確認したあと、マガジンラックを手にして尻もちを付いたままの男に差し出した。
「ほら、続きやるんじゃねえのか」
「……おまえ、正気かよ。奴隷解放の義とかやんねえのか?」
「そんな事したらお前らが銃ぶっ放すだろうが」
たとえ装備を整えたとしても、船内の警察兵を相手に立ち回れるとは思えない。
「どうせ誰かがアタシらを買うんだろ? それまで待ってりゃいいだけだ」
ミソラや〈P〉たちが動いているはずだ。何もできないまま終わることはありえない。何故だか分からないが、二人のうちどちらかが派手に事態を動かす。
「なあ、お願いがあるんだが」
男が立ち上がり、うやうやしい態度を取り始めた。君の悪さを感じたが、彼は小声でこう言った。
「銃の使い方レクチャーしてくれよ」
「……お前、なんで銃を持ってんだ」
「会いたい奴がいるんだ。──俺は売られてきた。俺だけじゃない。この場にいる全員がそうだ」
アイカは周囲を眺めた。奴隷の証なら、共通の物を身に付けているはずだ。それが首元のチョーカーだと気付いたとき、この船の実態を理解した。
「前職は傭兵くずれだろ、アンタ。拳銃は扱えるが、アサルトライフルレベルは扱うことができなかったってところか」
「ああ。だから教えてくれよ。……俺が金を集めて、故郷に帰れるようにさ」
そのために多数の人間を傷つけることを厭わないらしい。そういった人間には決まってこう返している。
「無理。アタシに教える才能はない」
いつだって教わってばかりだった。生活も、人殺しも、そしてアイドルだって──。
「変なこと教えてもしょうがねえしな」
アイカは日本語で自分で言い聞かせるようにつぶやいた。船底の環境が少し変わったところで、また一日業務に励むのでった。




