ありのままに、わがままに
「……お姉さん、生きていたんですね」
ミソラはサヌールへ乗り込んだ経緯を話した。それが敵の餌だと分かっていても、乗らない手はなかった。だがすでにこの船からいなくなっており、徒労に終わっている。
「ここが、常軌を逸しているのはわかる。けど、それ以上の感慨が抱けないの。ユキナさんみたいに、誰かの思惑に振り回されて傷ついている人がたくさんいた。けど、その人達を前に、私は怖気づいてしまった。……あんなに、いるだなんて」
ことは女の奴隷だけの問題ではない。もしかしたら、警察兵さえ奴隷である可能性が出てきたのだ。一体、人間の尊厳がこの船でどれだけ踏みにじられてきたのだろう。
「私、何がしたいのかがわからないの。姉さんを取り戻すためなら、生命だって惜しくないと思ってる。でもそれは、特別だからできるだけ。……本当は、何もできないの」
果たしてユキナに言った言葉が全てではない。奴隷たちは可愛そうだと思う。助け出したいとも願っている。ただ、限りなく優先順位が低い。
「ユキナさん、がっかりして。貴方を助けることになったのも、私の都合によるものよ。旅するアイドルは使える。姉と兄、そして生活を奪った敵に対して、良好なアプローチが出来ると思ったから、利用しているだけ。本当なら、何もせずにいたかった」
「……けど、できなかった。そうですよね」
ミソラは頷いた。邸宅の炎に飲み込まれて、ミソラは死ぬはずだった。生き残ったのは、〈P〉の思惑によるものだ。依然として〈P〉の目的は明かされていないが、旅するアイドルの活動を精力的に支援しているのはメリットだと感じているからだ。
「本当、どうしてこうなったんだろう。誰も彼も、平穏に生きようとしないし、ズルするし、人のものは盗むし、傷つけることを平然とするし」
世の不条理に逆らうには不条理のルールに乗っかるしかない。自身の価値を高め、競争に打ち勝つことだ。
「私、競争に全然向いてなかったのよ。誰かから求められるには、どうしても力が必要だった。姉さんや兄さんと同じものは手に入らないし、私が見いだせる価値なんて──」
「アイドルは違うんですか?」
ユキナが遮るように言う。ミソラは首を振って否定した。
「あれは、表現の方法の一つよ。私には曲作りの才能があるって言って、無理やり引っ張ってきた人が居たの。実は私からやろうとだなんて、していなかったのよ」
一度も、自分からアクションを起こしたことはない。状況に流されるまま、言われるままにやっていただけだ。楽しさと辛さは釣り合わない。最終的に辛さが勝ってしまう時点で、アイドルは意味のない行為だと思い知らされた。
「私、そこらの動物と変わらないわね。頭では分かっていても、実際は口先だけ。周囲の反応と環境に流されっぱなしな人間。それが、宗蓮寺ミソラの正体で──」
ハッピーハックの〈エア〉なのだ。その言葉を胸の中で呟いた。
エアとは空気の意だ。名付けた者は「星と太陽ときて空気が必要じゃないっ」と言っていたが、空気は目に見えず、存在も認知されない。ただ当たり前のようにそこにあるものだ。場の空気を読む。ミソラはその言葉が嫌いだった。空気に流されないよう、自分なりに抵抗を施したはずだ。
作曲も、アイドルも、引き篭もり生活も、世の空気から逃げた産物だというのに。
「……ごめんなさい。私ばかり愚痴というか、吐き出してばかりで。全部が全部、本当のことを言っているわけじゃないの。本当に言いたいことは、多分言えてない」
「はい、話していて何となく気付きました。ミソラさんは、本心を出そうとしていないって」
きっと今までの旅路から察していたのだろう。ユキナにさえ、ミソラは「どうでもよく」思っている。彼女が長年の呪縛から解き放たれたことは喜ばしいと思っている。願わくば、良い人生を歩んでいけばいいと。けど、それだけだ。
いいや、ユキナには一刻も早く、ミソラと離れたほうがいい。
「──私の、ファンだったんでしょう?」
「……うん。太陽や星より、空気が好き。いまも変わらない」
「……私の最期を見たのよね」
「……うん」
「どう、思った?」
「頭が、おかしくなりそうだった」
「そっか」
慰めてもらいたいのか、離れてほしいのかわからなくなってくる。けど、彼女は別れ際に言った。みんなでアイドルをしたいと。
「今ね、PV撮影しているのよ」
「うん、やっぱりそういう方針になるんだね」
「けど、今回は作れない」
揺れる心で導き出した結論を口にした。
「いまは、それどころじゃないから──」
「違うんじゃないですか?」
ユキナが初めて反論を口にした。彼女はミソラの真正面に立った。
「ミソラさんが『いま、そこにいる』ときでは役に立ってないのは分かりました。けど、そんなの当たり前じゃないですか。ミソラさんは戦闘のプロでもなければ、賭け事がうまいわけじゃないんですから」
彼女の言葉は今までより明快だった。ミソラはそうではないと、反論をしたかったが、ユキナの言葉が続く。
「アイカちゃんが、ミソラさんに戦闘訓練をしなかった理由、私なら分かります。貴方は、アイドルなんですよ。戦いに参加したら、歌うための喉や踊るための肉体、そしてみんなに見せるその顔が傷つきます」
だからアイカは戦闘訓練の手ほどきをしなかった。こればかりはありえないと意を唱えた。
「才能のあるなしなんて関係ない! 誰かを助けるためには、力が必要なの! せめて、あの子が戦闘に際しての心得を教えてくれたら……」
そこまで考えて、ミソラの言葉は勢いを失った。アイカからの手ほどきを受けたからといって、この状況が変わっていただろうか。
最初の試練はバニー姿の大空ヒトミに拳銃を突きつけられたときだ。もし拳銃を奪い取るすべを持ったとしても、べつのバニーが同じことをしアイカとユズリハが人質になっていることを教えるだろう。拳銃の扱い方を教えてもらったとしても、実践で的確な射撃ができるわけではない。指南本を読むだけでは上達しないように、銃も実際扱ってみないと勝手がわからない代物のはずだ。
その後の地下施設やオービスと一対一で対峙したときもそうだ。彼らの体躯に、ミソラの付け焼き刃な技術で打ち倒せるか。答えや分かりきっていた。向き合ったその瞬間に勝てないと察したはずだ。
「……じゃあ、私は何をしていたらいいのよ」
いま、この瞬間で、何もできない自分に価値などあるのだろうか。アイカやユズリハを助けだすことすらままならないというのに、宗蓮寺ミソラに状況を打開するだけの力が備わっているとは思えない。
「アイカちゃんは、強い子です。〈P〉さんやラムさんも独自に動いています。みんな自分勝手だから、ミソラさんが何もしなくても大丈夫です。だからミソラさんは、堂々といてください」
ユキナの両手がミソラの物に添えられた。触れた感触はまるでない。だがユキナに支えてもらっている実感だけが伝わってきた。
「みんなが揃ったとき、ミソラさんが泣いてたらみんな困りますよ。だってミソラさんは旅するアイドルのセンターでリーダーなんですから。いつものミソラさんだったらいいなあって、私は思います」
「それって、わがままであれやこれやとまくし立てる人のことを言うのだけど」
「いいんじゃないですか。あの人達、世間一般とはかけ離れてますから、気にしやしませんよ」
「……ふふっ、それもそうね」
そう言えばと思う。彼らはミソラのわがままに半分は受け入れ、半分は受け流していた。例えば食事なんかは、クリーンな食品を求めていたのだがミソラの方から根負けして、同じものを食べるようになった。さすがにジャンクフードやカップ麺などは断っているが。
入浴もそうだ。彼女、特にアイカが風呂に入れと口酸っぱくいい、ラムに介助してもらいながら体を清潔に保ってきた、と信じたい。
車内にピアノを導入したいと言えば予算の都合で断られ、新しい服を購入するときは予算3000円以内で購入しろと頼まれる。こうして数えてみると、半分以上は受け入れられていない。状況的に仕方がないが、そろそろ髪の毛を整えたい良くも出てきている。
そんな不自由が揃っている旅は、不思議と嫌ではなかった。邸宅の暮らしの次ぐらいに、悪くないと思っている。それはなぜか。
「私が案外、私のままでいてくれたからだったのね」
アイドルのように人々を楽しませるために演じる必要がない。人間、正直で過ごせる瞬間のほうが限りなく少ない。ないものをねだり始めるときりが無いのと同じように、この世のあらゆる物には上限がない。同じ練習量でも、出来る人とできない人が存在する。ミソラができることは、本当に少ないが、誰かを安心させるだけの力はある。
単純な真理だった。ミソラは戦いの才能はない。だが、偉そうに待つ才能はある。
「あー、そんなことだったら、勝負なんてしないほうが良かったじゃない」
「……いいえ、多分違います。ミソラさんが勝負に出たから、動いた人もいたんですよ」
そう言って、ユキナはポケットからスマホを取り出した。メールだったようで、送り主は〈P〉と書いてある。文章を読んだ。
「ミソラくんとコンタクトを取ったら、西村という男の気まぐれに感謝しろ……西村さん? なんで彼の名前が……」
「詳しくは書かれていませんけど、その人がミソラさんからなにか感じ取ったんじゃないんですか。じゃないと、〈P〉さんたちと接触できませんし」
「……50万奪って船を降りたかと思った」
「待ってください、そんな人だったんですか?」
ユキナがいぶかしげに言う。正確にはそんな人かもしれないだ。恐らく50万はスマホ内に残ったままだろう。気まぐれ、と言ったが、彼の心境の変化に関わっている理由には全く見当がつかない。
それより、ミソラは大切なことに気付いてしまった。
「ねえ、それで〈P〉と連絡できるのね」
「はい。ここWIFI通ってますし。……あ、そっか。だから私と連絡を取らせたんですねっ」
二人同時に慌て始めた。話している場合ではなかった。〈P〉たちと連絡を取り、報連相を行うべきだった。だが話している時間が存外長かったせいか、ユキナはスマホを見て眉を秘めた。
「まずいです。充電10%切ってます。さっきまでフル充電だったのに」
「そういえば、スマホを介して私はここにいるのよね。まずいわね。私の言葉、そのまま伝えて」
はい、とユキナがミソラの言うままに入力を始めた。一分で書き終え、送信。その後、一分もしないうちに返信がきた。ミソラはメールの内容を眺め、多少なりの驚きを得た。同じくユキナも驚いていた。追伸部分には、こう書かれていた。
「ユキナさん、貴方が言ったこと間違いないわね。私は存在すること自体が仕事のようなものって」
「はい、いい顔してますよミソラさん。……あ、そろそろ時間みたいです」
彼女の寂しげな顔がぼやけ始める。遠い異国の地での再会はここでおしまいのようだ。〈P〉からもらった情報は有益なものだ。すでに頭の中では次なる展開を繰り広げていた。まずは船長を待つ。それから、旅するアイドルのPV撮影がスタートするのだ。
「ユキナさん、ありがとう。一人きりなのがどうやら怖かったみたい」
「それは、よかったです。ミソラさんには、数え切れないほどの恩があります。……それと、約束を忘れてないですよね」
「もちろんよ。──私達は、いつでも待ってるから」
空港で交わした言葉は、今も胸の中に息づいている。
ユキナが微笑むのを最後に、周囲の空間が一瞬でもとに戻るのであった。
「さてと」
落ち込む時間は終了だ。ここからが反撃のときだ。
船長室に依然と変化はない。物に触れてしまえば警報がなり、今度こそ顔を殴られてしまう。それだけは決してしてはならない。宗蓮寺ミソラに残されている武器は、存在そのものなのだから。
「〈P〉次第、って言いたいけど、アイカさんが動くほうが願ったり叶ったり」
窓の外に張り付いていたドローンはいなくなっていた。役目を終えたドローンは、べつの仕事に駆り出されていることだろう。
「あとは」
シャワー室をの方へ目をやる。まずは見出しなみを整える必要がある。否応なく、あの痛みを呼び起こしてしまうが、今回はただ泣き叫ぶだけではない。自分のトラウマさえ、利用しきってみせる。
ミソラは覚悟を元に、シャワー室へ向かった。
船長室内に絶叫が響き渡った。




