それぞれの道筋
東京から学校からの課題が終わる程度の時間をかけて明星ノアは到着した。港には大型ビルが船に浮いているような建物が横付けされている。見上げるようにして群衆が声を張り上げている。それらには、接触しないようにフードをかぶるように強制されてしまう。
「変な人達。なんでああいう人まで相手しないといけないんだろう」
それが仕事だと理解している。だが仕事だからといって、客が傲慢な態度を取るのは違うはずだ。どんなことにも、良識を持った謙虚さは身に付けてほしいものだ。
「ああ憂鬱。仕事って本当に楽しくない」
ただ楽しくないまま仕事をして賃金が得られるのだ。お金があれば限りある中で好きなものが買える。その報酬を頭の中に入れて、ノアは船の中へと入る。
「あ、あのぉ……」
ノアとマネージャーは見知らぬ男に話しかけられた。船内に日本人は殆ど居ないと聞く。彼が日本語で話しているからといって、日本人とは断定できない。彼は背後のマネージャーに向けて言った。
「もしかしてアイカちゃんの保護者の方……ではないですよね。差し支えなければなのですが、乗船の際に男性の方はいましたか?」
ノアはマネージャーをみる。彼女は首を振って否定した。代わりに応えたのはノアだ。
「乗船してきたの、多分私達だけですよ。他に客らしい人はいませんでしたし」
そう言った瞬間、男が驚きの声を上げた。そんな馬鹿な、と聞き間違いを疑う声音だった。
「あ、すみません。お先にどうぞ」
老紳士が道を開けていく。ノアたちは構わず進むが、背後から慌ただしく階段を降りていく老紳士が気がかりだった。もっとも通路の奥へ進んで、どうでもよくなった。ここはカジノが運営されていると聞いているが、未成年者はそもそも船に立ち入ることができないらしい。ステージは出港して一時間後に、劇場フロアのステージで披露するらしい。しかも曲目は、数年も歌い踊っていない、あの曲だった。
「……もう、仕事やめたくなってきたかも」
無茶無謀はプロデューサーの特権だ。ただし度が過ぎると毒になる。たとえトップアイドルであろうと。
船が出発し、雨が控室の窓を叩いた。そのとき、黒い海鳥が横切ったような気がした。
神戸第三埠頭は微かに梅雨らしい曇り空が広がっており、そこから雄大な客船が汽笛を鳴らして出向しようとしていた。
キャンピングカーの生活広間には、軽作業で作ったものが三十台も並んでいる。あとは彼女たちの連絡への通信が届くことを祈るだけだが、神戸から発進された船からの信号はキャッチできなかった。
「……連絡、来ませんでしたね」
『となれば、囚われの身になっているか、あるいは──』
ラムが縁起でもないことを、とつげようとしたときだった。
「第三埠頭、第三埠頭……」
ドレスアップした男がスマホを手に彷徨いているのを見つけた。男のさまよう視線が何かを探しているようだった。目を凝らし、彼の手に持っているものが見覚えのあることに驚く。
「〈P〉、あの人って」
〈P〉の仮面がラムの指し示した方角へ向く。数秒後、彼は首を縦に振った。
『彼に持っているスマホは、宗蓮寺ミソラに渡したものと同じだな。──あれはミソラくんのものだ』
「なんで彼があれを持っているのですか?」
『神戸港に近づく際に、ちょっとした仕込みをした。まさか、悪い状況へ陥っているとはね』
「悪い状況?」
『ミソラくんたちのスマホを手に、第三者が接近してくる状況がさ。……ただし、一人できているからには、事情がありそうだ。彼をこの中へ連れてきてくれ』
ラムは頷いて、スマホを持っている老紳士に接触した。
「あの、そのスマホ、ミソラさんのですよね?」
男は驚いてスマホの画面を見せてきた。そのメッセージが〈P〉が仕込んだものだった。
「船内の状況を教えてもらえませんか。どうぞこちらへ」
西村にソファへ座らせ、話を聞き出すことにした。ちなみに〈P〉は助手席で腕を組んでいる。
「あの、この機械と人形は一体なんでしょう?」
「気にしないでください。それより、ミソラさんとアイカさんは無事なのでしょうか?」
西村は首を振って、事のあらすじを説明した。
船のロビーで困っているところを西村が親切で声をかけ、アイカの望むものを手にしようとカジノで稼ぐことになり、ミリオネアチャンスというイベントで自ら敗北し、そのまま行方がわからなくなったと。スマホはミリオネアチャンスの際に手渡されたらしい。
「それからは、アイカって女の子の父親が神戸から来るってんで待ってたんだ。けど、客は二人の女性しかいなかったんだ。変だと思って、ミソラさんのスマホの表示に従ってみたんだ」
ラムは話を聞いてから、警戒を解くには材料が足りないと思っていた。まずなぜ少女と接触したのかを尋ねた。西村はバツが悪そうにうつむいた。
「──チップを奪えると思ったからです」
彼の暴露をラムは真摯に聞いた。会社の経営を立て直すため、カジノでの一攫千金を狙っていったことや、ミソラたちの勝利したチップを根こそぎ奪う手段を手にしていたことまで、西村は語った。もちろん、全てを信じたわけではない。油断させようと、真実と虚言を交えたことを話していることだってある。
「それで、何故この場所へ?」
「まずはこのスマホを直接返したかったのがある。ここには彼女が稼いだ五十万相当のチップが残っているはずだ」
「……貴方の言通りなら、すでに中のチップを抜き取った後かと思うのですが、いかがでしょう」
「それは──」
『いいや。ミソラくんのチップは奪われていない。私が保証しよう』
急にやってきた声に、西村が肩をすくめた。助手席から〈P〉がこちらを覗き、西村を見つめている。無論、仮面を付けたそれがしゃべる人間だと思っていない西村は驚きを隠せていなかった。
「き、君、人だったのか」
「〈P〉、本当のことなのね」
彼は、ああ、と肯定した。それから床下に広がる作成物へ視線を向けたあと、不敵に笑うような声をあげた。
『どうやら彼女たちは船内で囚われの様子。神戸から、長崎まで、混沌が始まるぞ』
彼は車を降りたあと、生活スペースのドアを開いた。それから西村に対し、〈P〉がこう言った。
『君は、彼女たちと出会って、何を感じた?』
〈P〉の質問はラムの胸の中に言語化できなかったモヤモヤを言い当てていた。西村は善人とは言い難い精神を持っているが、完全な悪人ではない。むしろ悩んでいるからこそ、チップを根こそぎ奪うことをせず、第三埠頭までやってきた。いわば、可能性があるという意味での『愚者』だ。
西村は答えを窮していた。必死に唸って考えている。その様子に相手を騙そうとする意思は感じなかった。やがて西村は、緩慢としながらも口に出していった。
「私は、この年になっても娘がいない。もし早めに結婚して、娘が居たのだとしたら、彼女たちぐらいの歳なんだと思っていた。そんな彼女たちから金を巻き上げようというのだから、人間として失格だ。けど、彼女……ミソラさんと行動しているうちに、なんというのか……そう、『芯』を感じたんだ。相手の裏をかこうとして、周りの目や常識を振り回し、自分の世界に引き入れる、とでもいうか。……うん、やはり、俺にスマホを渡したときのことが忘れられない。全てを覚悟したあの顔は、普通に生きてきた人間がするような目ではなかった。それが、本当に、胸に引っかかったのかもな」
老紳士はラムたちの手前で丁寧な言葉づかいを崩さなかった。だがミソラの話をするうちに、一人称や口調が崩れた。それが彼の素なのだろう。
「何を感じたかとは、難しい。何かを感じる前に、私は船を降りてしまったから」
『ならば、その正体を確かめてみたらどうだ』
〈P〉は床の物体を手にとった。四つのプロペラが付いた飛行可能な物体を、延々を作らされた思い出が蘇る。組立自体は簡単だったが、中身の機能を全て確かめるのが億劫だった。その分、実用性はある。アクション用のカメラを搭載したドローンに〈P〉は手をかざした。
『君の経験の中には技術がある。彼女たちと直接会って、その正体を確かめてみるといい。長崎までの運賃、私達の手伝いで請け負うがいかがか?』




