船底の訓練所
地下へ止まったエレベーターの扉が開くと、こもった土埃の匂いと耳をつんざく重低音が響いた。アイカがサヌールに何かがあるなら、船底かもしれないと推測していたが、見事に的中してしまったようだ。
「へー、本当にあったのねー。実際みると、異様というか、なんというか」
ヒトミがそんな所感を口にした。ミソラは彼女に拘束されている。初めてみたような感想をもらすヒトミに尋ねた。
「貴方、ここがどんなところか知らないの? 船員なのに」
「どんなところかは知っているけど、実際に来たのは初めてなの。まあまあひどいところよね」
それから中へ入り、ミソラは顔を顰めた。
天井は3メートル程度で、微かに照明がついているだけ。窓はなく、海の景色を堪能することはできない。前方を進んでいるアイカが、隣のユズリハに尋ねた。
「お前が居たのってここだろ。奴隷はお前の他に何人いるんだ?」
ユズリハは首を振った。ミソラも彼女の言葉を待つ。
「詳しくは知らないです。ただその奴隷の人たちは見かけましたと思います。そのときは、あの男の人に買われたときに通り過ぎただけです。わたしが目覚めた場所は部屋のような場所で、そこにムチを持った男が私を痛めつけて──」
「Oh! Yes! ソレは、ワタシノコトですか、ドレイちゃん」
恐怖に身をすくんでいたユズリハが、突然やってきた声に身を縮ませた。反射的に、その声が彼女に恐怖を植え付けた張本人であると証明していた。ゆったりとこちらへ巨漢の影が揺らめいていた。恰幅のいい警官服の男は、ユズリハとミソラたちに鼻息を荒くした。
「オイオイ、何処で見つけた、ジョウモノ女!」
どうやらバニー姿の大空ヒトミに言っているらしい。
「つい先程、契約に則って地下労働行きが確定しましたよ。ていうか、いかにも地下労働の万人って感じの男ね」
「バカにしてるのカ!」
男が懐のムチを地面に叩きつけた。重々しい衝撃が辺りに響く。男の太い体躯から放つ一打は、食らうだけで泣き叫ぶ痛みをもたらしそうだった。
「違うのよ、全然そんなんじゃないから。……じゃ、じゃあ、後はよろしくねえ」
そう言ってから、ミソラたちの拘束が解除された。バニーの集団はエレベーターの方へ戻り消えていった。それからムチを手にする男が自己紹介をした。
「オレは、ゾフ・キール。日本語はちょっとシャベレル」
三人は顔を見合わせて困り果てた。訛りが強くて、日本語にはとてもじゃないが聞こえない。
「ヘンジは!」
はい、と返事をする。それから船底の奥へと進んでいく。コンクリート造りの通路で、換気の問題が気になってしまう作りだ。もっとも通路のあちこちに空調システムがあり、匂いの加減が比較的薄いところもあった。
三人は会話もできず、奥へと案内されていく。すると、耳をつんざく轟音があたりに響いた。ミソラはその音を味わったことがあった。
「……銃声」
「国があるなら軍隊がある。アタシらはどうやらそこへ連れてかれたわけだ」
「……はい。ここで奴隷になっている皆さんが働かされていました」
通路が開けた先の光景が答えを出した。警察服をまとった男たちが、拳銃を土でできた壁に向かって発砲していた。とてもじゃないが耳栓が欲しくなる。それを見越してか、ゾフが懐から3つの袋を投げ渡してきた。
「買い手がつくまで、コイツらの相手シロ。命令は絶対。良いな」
はい、と返事する。ゾフは三人から去っていった。
ゾフが投げ捨てたものをミソラは拾い上げた。中身はスポンジ素材の耳栓のようだ。銃を扱っている警察官の側には女性が二人がかりでついている。ユズリハのように体に傷を植えけているものがほとんどだ。中には傷がなく、嬉々とした態度で男達にすり寄っている女もいた。
人によって奴隷が受けている仕打ちは様々だ。奴隷は女性しか見当たらず、連れ去られたときの服装をずっと来ているような格好をしていた。
「仕事って言っても、何処で何すればいいのよ」
「多分、もうすぐ手の空いた人が……ほらあそこ」
船底の仕事を知っているユズリハが視線を向けた先には、警察服姿の二人の男がこちらへ手招きしていた。顔が青白くて府県そうだが、肉体は鍛え上げられていた。ミソラたちは彼らに駆け寄った。警官二人は英語で言った。
「仕事をすぐ覚えろ。でないと殴る。わかったか」
無駄のない言葉で、行動にも無駄を必要としないこと分かった。ユズリハはアイカの方へつき、ミソラはもう一方の男の射撃訓練に付き合うことになった。
仕事は単純作業だ。男が拳銃、またはアサルトライフルを撃ち終えたあとにマガジンを差し出す。また使い終わった銃を手ぬぐいで拭う。それだけだった。
どうやら船内で拳銃の練習をするには、綺羅びやかな空間から隔絶した空間でないといけないらしい。男達はミソラたちに目もくれず、ひたすらに銃を撃ち続けた。男達は女達に目もくれない。彼らが行っているのは訓練なのだろう。
約三十分の射撃訓練の後、男は指差しで他のところへ行くと示した。それに付いていく。ミソラたちがやってきた通路とは別に、左右にも通路ができている。通路は狭く、男は身を少し屈めないと天井に頭をぶつけるみたいだ。ふと男が英語で言った。
「君は日本人か」
「え、はい」
「歳は」
「二十歳です。本当はカジノの客だったんですけど、ゲームに負けてました」
「そうか。ここでは何が起こってもおかしくない。一応、国家の安全を守る場所だからな。それにしても、英語を話せるのだな君は」
「まあ、最近の人は話せないと何かと言われるのが日本という国ですので」
「自分の国のことをあまり悪く言わないほうがいい。特にサヌールでそのような発言は、看守のムチが飛ぶぞ」
「気をつけます」
悪く言ったつもりはないが、人によっては国辱と受け取る人もいるらしい。そしてこの男は、国の侮辱発言に厳罰を与えないタイプらしい。
黒髪を坊主頭に刈り上げている欧州の顔たちをした男は、ミソラを連れて歩いていった。
生真面目な態度を見せているが、いつ本性を剥き出しにするかわからない。実際にユズリハは体に傷を追っている。彼が女に暴力を振るわないと何故いい切れるのだろう。
別の広場では、男達が上半身裸でリュックを背負い、広場の周囲を駆け回っていた。女性たちも姿もあった。男達が手を差し出すと手に持っていたボトルやタオルを差し出している。男が水分補給や汗拭きを済ませると、走りながらそれを捨て去り、女達が回収した。マラソンで見かける場面みたいだった。
ミソラが付いた男も例にもれず訓練を始めた。生真面目で無駄がない。約一時間、休み無しで走っていた。海上なのに走る機会があるのだろうかと思った。
海洋巡間都市サヌールも国の体制をとっているが、純粋なサヌール人が実在するとは思えない。なにせ、できてまだ十年も経過していないのだ。また船内で子供ができた場合は、サヌール人になるのか。ここにそんな法律があるのかどうか疑わしい。
ミソラは見知らぬ男の訓練に付き合った。もうすぐで、神戸港に到着するはずだが、状況は暗闇ばかりだけだった。
船底で訓練していく警察を眺める。手練とそうでないものに分かれているが、同じトレーニング量をこなそうとしている。使用されている武器は、旧世代の型落ち品だ。アイカが応対している男は、銃の扱いに慣れていないようだった。そのせいか、頻繁にアイカへ失敗を発散させてきた。
「くそっ、くそっ、うまくあたんねえぞ。これじゃ、リーダーにどやされんだよっ!」
マガジンラックを引き、再び的へと狙い絞る。アイカは彼がうまくアサルトライフルを扱えない理由を見破っていた。引き金を引く際、全身が力んでいる。銃声に驚いている証拠だった。恐らく彼は、銃を扱ってまだ日が浅いのだろう。他の者が耳栓で訓練しているのに対し、男はヘッドホンを身に着けてまで行っていた。肉体は鍛え上げられているが、現代に置いて格闘戦だけではやっていけない実情がみえてくる。
そんな男でも、アイカ一人で太刀打ちできる相手ではなかった。警官の服装はともかく、迷彩服姿の男たちはプロに近し戦闘力を保有しているとみた。そんな相手に、数や奇策でどうにかなるものではない。せいぜい、人を一人守るの精一杯だ。
男が銃を打ち放した。人種様々な兵隊たち。髪型も坊主が刈り上げのどちらかだ。個性を廃した徹底した軍規律がこの場所にはある。
ふと悲鳴が聞こえてきた。見ると、藍色の髪を引っ張る男の姿がだった。
「鈍くさいなあ。仕事がおせえんだよ」
「す、すみません」
床にマガジンをこぼしているのはユズリハだった。それを急いで拾い集めているが、男のいらだちは隠せなかったようで、その腹に蹴りを入れてきた。ユズリハは痛みにうめき蹲った。
「がはっ……ごめんなさい、ごめんなさい」
「あーあ、またハズレの女かよ。いいや、後で仕置部屋で憂さ晴らしすれば」
その言葉にユズリハは身を固くしていた。彼女は英語を話せる。男の言葉の意味を知っているのは、実際にその部屋で傷を受けた経験があるからだろう。
「おい、何よそ見してるんだ?」
声の方へ振り向いた瞬間、硬い感触が頬を殴打した。アイカは勢いよく倒れ込んだ。
「次はねえぞ。ほら、さっさとマガジンよこせ」
銃声が響く部屋では否応なく声が大きくなる。殴られた衝撃で、今まで聞いていた音が鈍るのを感じた。耳元に近い箇所を殴打されたようだ。アイカは憮然とした態度でマガジンを手渡した。すると男が感嘆の声を上げた。
「度胸あるなお前。大抵の女は金切り声をあげて泣くんだがな」
アイカはそれに応じなかった。英語がわからないというポーズを取ったのだ。男は舌打ちしてマガジンを受け取ってから、「what is name」と何度も口にしだした。これなら理解できると思ったのだろう。アイカは無視を諦めて名乗ることにした。
「アイカ・イチムラ」
「……イチムラ?」
男が首を傾げた。
「テロリストのイチムラと同じ名前だな。ああ、そうか、射撃がうまくいかねえのは、悪魔が付いてるからか」
何故か勝手な論理を付けた男は、サッカーボールを蹴るかのようにアイカの腹部を殴りつけた。寸前のところで鳩尾をずらしたが、脇腹に鋭い痛みが走った。そのまま蹲り、嗚咽を漏らす。男はそれで満足したのか、再び射撃練習へと入った。
屈辱的な状況だった。ミソラがゲームに敗北したせいで謂れのない暴力を食らっているのだ。地下にミソラの姉がいるという情報を掴んだのなら、一人で向かうこともできたはずだ。それなのに、アイカたちの所在を知って巻き込んできた。あのミソラのことだ。奇策を考えてのことだとは理解しているが、如何せん話をする状況でもなくなっている。
「……どうしたもんか」
隙をみて脱出するか。囚われの女性たちを開放する手段を見つけ出し、一刻も早く船から脱出するのが先決だ。いまは耐えて状況の好転を待つべきだ。だが船底の展開は、アイカの想像以上に早く進むのだと思い知る。
「こい、看守がお前を呼んでいる」
そんな声が聞こえて視線だけを向ける。ユズリハに対しての者だった。
「ま、まさかまた……⁉」
「そういうことだ。看守長はいたくお前を気に入ったみたいだな。ほら、こい」
銃撃の手伝いから看守との頃へ連れて行かれるらしい。あのムチを手にしている看守が、ユズリハに行う仕打ちを行った張本人だろう。緑髪の男に連れ出される前に、彼女は傷を受けていた。
それを理解したとき、アイカは悠長な選択を放棄した。アイカは男のもとから離れ、ユズリハの元へ駆け出した。先程のエレベーターまで一直線へ向かえば脱出できる。
「来ないでっ、アイカさん!」
ユズリハが誰より先にアイカに対して叫んでいた。彼女は寂しげな目で言った。
「助けてくれてありがとう。貴方のこと、忘れないから」
「待っ──」
待てと言って飛び出そうとした瞬間、後頭部に強い振動が加わった。脳震盪を起こし、アイカは土の上に倒れた。目が霞んでいく。
また助けられなかった。
あのときと同じように彼女は笑って、大丈夫だよと根拠ない言葉を口にした。
この手は血に染まっている。だが力はここにある。力があれば、望むことを叶えることができるのではなかったのか。
「……シャオ……」
アイカはこみ上げてくる感情を零す前に意識を失った。




