勝負は選べる
背後のバニーがほのめかしてきた「船長」なる存在。尋ねたいことは山程あるが、いまはミリオネアチャンスを優先させた。
「わかったわ、勝負を受ける」
「それはなにより。ヒトミ、挽回のチャンスよ。相手をして上げなさい」
「やった♪ ヒトミ、頑張っちゃいまーす」
背後の威圧感が消え、彼女はミソラの対面に座った。彼女が小型の銃らしきものを背中に押し当てたバニーなのだろう。赤みがかった茶髪で、顔たちが色香のある大人っぽさをにじませている。体つきも出るところはでて、引き締めているところは引き締めている。世界標準で好まれている体型だった。
日本語と英語療法を話していたが、日本人かどうかは判別がつかない。そんな彼女がバニー姿でいるのだから、情欲をそそられる人が居てもおかしくない。現に舞台上に立ったバニーに熱い声援を送るものが多数いた。
ミソラは興味深そうにカードを切っているバニーに目を向けた。
「バニーさん、フルネームは?」
「大空ヒトミ。多分、日本人よ」
「多分ってなによ、生まれも育ちも分からないということ? 貴方みたいな人、世界じゃ珍しくないの?」
「国政が崩壊した難民とかそうなんじゃない」
「ふーん、世界も色々ね」
トランプが配り終え、手札に揃ったカードを捨てていく。残った枚数はお互い合わせて奇数になっているはずだ。ミソラの手札にはジョーカーがあり、カードの数は少ない。ヒトミは手札が多いものの、札を引けば確実にあがりに近づいていく。不利な立場からババ抜きが始まった。
「『私達』がここに入ってきたことを突き止めたようね」
「旅するアイドルのこと? なんだか結構有名みたいよ、あなた達。船内でもちょっとした話題だもの」
「だからここまでの歓迎を受けたのでしょう」
「それはこちらが上に伺いたいところだけどね。貴方は一応、『宗蓮寺』の名を冠している。宗蓮寺グループがここの設立に関与している事実から、『闇』にだって関わっているんじゃないの」
「……さあ、私は引きこもっていた世間知らずですから」
互いの手札が減っていく。ここまで流れ試合だ。ゲームの性質上、観客たちは手札の様子を観察できない。なので会場の空気は冷めきっていた。
「そういえば、アイカさんの隣りにいる女性は?」
「報告によれば、アイカさんが彼女を人質にとったって。その際に、一人の犠牲者が出ているわ」
瞬間、心臓を鷲掴みされた気分に陥った。ミソラは藍色の髪の女性を観察しなかったことを悔やんだ。
「そう、アイカさんが」
空虚な思いが胸を通り過ぎた。だがヒトミの次の言葉がその感覚を突き放した。
「ふふふ、なんでもあの子、衆目の中でわざわざ名前を名乗ったそうなの。イチムラって。みんな怖がっていたようだから、世界で一番人を殺したイチムラさんの名前でも出したのでしょうね」
「……アイカさんが?」
「そう、どうしてわざわざその名前を出したのかしら。これがお仲間さんへのメッセージだったら厄介じゃない? だから呼び立てられたってわけ。多分」
それで敵は打って出たのか。ミソラを捕縛し、アイカへのアドバンテージを握ろうと画策した。『市村』姓を名乗ったのなら、それだけで周囲は強い警戒を抱くだろう。近くの商品が爆発しガラス破片が顔面を切り裂かれる。また突如、ヘリが頭上に落っこちることだってある。そこまでの恐怖を周囲に与えてまで、アイカは何をしようとしているのだろうか。
「うーん、さっぱり。あの子、何を考えているのかわからないから、名乗った意味なんてなかったりしてね」
「淡泊ね。原ユキナのときと大違いな気がするんだけど」
「勘違いしないでもらえるかしら」
残りの手札は二枚。ヒトミは一枚だ。勝負のときは迫っていた。駆け引きのために感情を動かさないように努めていたが、ヒトミの言葉に否定しておきたい思いだった。
「アイカさんも、ユキナさんも、私の仲間だなんて思わないこと。……一刻も早く、あそこから抜けたいのよ、こっちは。でないと、本当に大事なものはいつまで経っても手元にやってこないじゃない」
そう同じ釜の飯を食って、同じ車に乗り旅をしているが、決して仲間だなんて思ってない。仲間はいざというときに足手まといになる。いまのアイカはミソラの迷惑を被っている。再会が叶ったら、言いつけを守らなかった文句を付けたいくらいだ。
「残りの二つの札。これで私とアイカさんの運命が決まるなら──」
ミソラは手札を提示した。そこには二つのカード、スペードの4とジョーカーがある。ミソラが提示したのは、ヒトミに自分の運命を握らせるという方策だった。
「どのみち、勝ったところで私に不利益がやってくるのは明白。なら誰が選んだって一緒よ」
さあ、と視線でミソラはヒトミに促す。周囲の動揺はクレイジーという一言で集約できる。わざわざ敗北を選んだのだから当然だ。ヒトミはジョーカーのないカードを引き、上がればいいだけだ。しかしヒトミの反応は動揺するわけでもなく、ただ呆然と手札を二枚を眺めていた。不可解な様子にミソラは警戒を高めた。ヒトミの顔をよく見ると、耳元に小さな機械がくっついている。骨伝導式のイヤホンだろう。耳の裏に隠せる代物だが、一部分が耳の表に引っかかっているので一目瞭然だ。
「……あーあ、どうしても似通っちゃうのね。血の繋がりが羨ましいわ」
ヒトミからふんわりとした笑いを浮かべたのに対し、ミソラは俄然と不可解さに陥ってしまう。ヒトミはカードを選んだ。スペードの4ではなく、ジョーカーの方を。ミソラは眉をハの字にし、ジョーカーが向こうに渡る様子を見届けた。
「いい顔ね。さすがにバカにバカを返されるなんて頭になかったんだ?」
「貴方を阿呆と呼びたい気分よ」
「褒め言葉どうも。それじゃ、はい」
ヒトミは手札のスペードの4をミソラに差し出した。ここまで驚かされるのは初めてだ。企みを知る前に、目の前のバニーの性質が理解できない。ただの享楽主義なら、事なき終えるのだが、恐らくそうではないはずだ。
「実は私が勝ってくれたほうがそっちの都合にいい、とか」
「ええ、《《私》》の都合にちょうどいい」
「私が勝ったら、何だっけ?」
「アイカさんが開放される。……なにかは言わないけど」
ミソラは納得した。言葉とは厄介なものだ。響き次第で意味が変わるではないか。例えば肉体という枷から開放……だった場合は、そのまま殺されてしまうという意に成り代わる。負けた場合はミソラが囚われの身になるのは間違いないだろう。
〈P〉は宣言している。これはPV撮影だ。従来の旅するアイドルとして活動するなら選ぶものは一つだけ。ミソラの手がヒトミの抱えているもう一つのカードへ手が伸びた。それがジョーカーであるのは明白だ。可愛らしい悪魔が背丈以上もあるフォークを握り、トランプを見つめている世界へ悪戯めいた笑いを浮かべる。他人が仕組んだ悪戯ほど面白くないものはない。好みの問題が出て、正直にものを見ることができない。だが受けた側が、一層面白くすることはできるはずだ。
もしこの船がカジノを起点にした何らかの悪事の拠点であるなら、旅するアイドルの活動にもってこいの状況ではないだろうか。
ミソラが選んだのはジョーカーだった。最悪のカードであるはずのこれには、「切り札」という意味も含まれている。最悪には『最悪』を持ってして立ち向かおう。
ジョーカを横向きにして、中央上部の縁を両手でつまんだ。辺りに紙を引き裂く音が響いた。様子見と鳴ったジョーカーは、悪魔は、切り札は、最低の形で地に落ちた。
ゲームで自ら敗北を選んだミソラに待っていたのは、カジノエリアからの退出だった。カジノの備品に細工、または故意の損失をした場合は、罰金または退出を余儀なくされるらしい。証拠はカジノにいた全員が証人だ。異様な幕を終えたゲームを最後に、ミソラはヒトミの手によってカジノを後にした。
ヒトミと数人のバニーの案内で、見知らぬ通路やエレベーターを進んでいく。どうやら一般開放しているものとは違ったエリアのようだ。若干、掃除の手抜きが散見される。従業員用の通路は、外と比べると雑然としていた。
しばらく付き添った挙げ句、たどり着いた場所は外の景色が一望できるショップ・シアターエリアだ。客室から二階あがったところにあると記憶にある。
人が集まっていた。客達がこちらを見て表情を険しくしたのを確認し、この先に待つものを理解した。
「皆さん少し離れてください。たった今から狂犬ちゃんに交渉をする次第で」
ヒトミがそう言うと、客達は横へ分けていった。その間をミソラたちが通ると、警官服の男達とその近くで佇んでいる二人の女性がいた。
「またせたね。この子達は地下に連れて行くことになったわ。ああそれと、そこの日本人のラピッドは、返品を確認できました。後ほど彼女も丁重に戻しておくように」
ヒトミがこの場の誰よりも立場が上であるかのように振る舞っている。男たちの反応で明らかだった。
警官も遠ざかり、床に座り込む見知らぬ女性と、その首に明らかに弱そうなピザカッターを持ったアイカがこちらを見た。アイカは鋭い目つきでミソラとヒトミを睨んでいた。
「……なんでこっちにいんだ。つーか誰だこの兎女は」
「騒ぎを起こしたのに、随分な態度ねアイカさん」
「もしもしミソラさん。貴方が強気に出ていい場面ではないと思うのだけど」
「……えっと、この人たちはアイカさんのお知り合いですか?」
ミソラは見知らぬ女性に目を向けた。彼女の状態は目に見えて痛ましく、腹の底から煮えくり返る思いになった。先程、ヒトミから告げた事実から勘案するに、アイカは藍色髪の女性を助けだしたのだろう。一人犠牲者が出たらしいが、正当さは認めてあげてもいいと思った。
「アイカさんごめんなさい。私、貴方たちの行動を無駄にしてしまうかも」
「……察するに、お前が負けたんだな」
「しかもこの人、自ら勝てる盤面で敢えて負けたのよ。せっかくアイカちゃんが知恵を振り絞って状況を好転させたのに、これじゃ台無しね」
ヒトミがとことん嫌味をぶつけてくる。ミソラは彼女に敗北した立場なのだが、なぜだが執拗にミソラの行為を誇張してアイカに話す。もっとも負けた事実に変わりはないので反論はできない。アイカはピザカッターを懐にしまい、ミソラに視線で訴えてきた。言葉を間違えたらピザカッターが飛んできそうだ。
一息ついて、ミソラは言った。
「次の撮影場所向かうわよ」
「……カメラねえじゃん」
「後で作ればいいのよ。どうせみんなで一緒に入るんだし、ね、ヒトミさん」
「なんで私まで入ることになっているのよ。せっかく手にした手土産で非正規雇用から脱出よ」
ヒトミが顎を使って警察に指示を送った。それだけで彼らは腰ポケットから手錠を取り出した。腕を無理やり引っ張られ、両腕を拘束される。ミソラとアイカ、そしてユズリハは、バニー立ちの連れ添いで地下施設という場所へ連れて行かれた。




