コンビネイト
「おお、お嬢ちゃん、筋が良いじゃねえか」
「セオリー通りやってるだけですよ。たまに大きく賭けて、たまに小さく賭ける。カジノって、それぐらい勝っていたほうが楽しいかもしれません」
暗に身の丈に合わない賭けは苦手なだけというものある。一万円程度で負けても、大した損失ではない。庶民は換金チップで賭け事を考えるらしい。一回のゲームで2500円など、割りに合わない。そのお金で家族とレストランに行く方が豊かだと思った。
「お客様、とても冷静な目をお持ちの様子。先程、チップを跳ね上げたのはきまぐれですか」
「ええ。あんまりお金を手放すのに躊躇ないの。ディーラーさんが少しでも儲けてくれれば嬉しいかぎりよ」
ミソラはウインクでディーラーに応えた。ミソラにとっては意味のない行為。しかしその他の人間にとっては含みがあるのではと思わせることが出来る。徒労に終わることもあるが。
賭けたチップは最初の5000円相当。日本の最低時給の約五時間分が、一分足らずでブラックジャックに費やされる。カジノが好景気を生むわけだ。もちろん、ディーラーは頭の中で金勘定をしてゲームに臨んでいる。プレイヤーの心理をすくい取り、少しでもお金を落としてくれるように。
今度は10が二枚の好カード。対して、ディーラーは2と3というバーストしやすい組み合わせになった。17でカードの引きを止める関係で、ミソラの行動は単純にステイ一択──と誰もが考えているが、それではただの勝利の道にほかならない。ミソラの目的は別にあるのだ。
「スプリット」
両指で分けるような仕草を行う。これには西村が反発の声を上げた。
「それはリスクが大きすぎないか? バーストを待つほうが勝率は高いだろう」
「でもジャックナイフを引き当てる確率のほうが高いもの。ちょうど二枚のどちらかにAが加われば、御の字。まあ、
勝てなきゃ二倍の損ですが、それも勝負の醍醐味」
5000円相当のチップをすでに賭けたチップの隣に置く。ミソラは背もたれによりかかりながら、周囲を眺めて言った。
「勝負師としての力を見せてもらわなければ、ここへ来た意味がありませんもの」
目の前のディーラーは眼中にない。ミソラの口調にはそんな響きが込められていた。
老年のディーラーは余裕の笑みをにじませていたが、反面カード捌きが激しくなり、カードがあっという間に配られていく。果たして、彼のそんな行為もブラフかどうか、確かめてみよう。
カードはAと6。この場合、7と17の両方として扱うことが出来るソフトハンドと呼ばれる手札になる。ディーラーはQが一枚の裏側表示。ここはヒットしてもいい場面だろう。相手がバーストする確率のほうが高いが、次のカードを引き当てる確率を知っておくほうが得策だ。指を叩くと、ディーラが6の上にカードを重ねた。3のカードで20となった。安堵の場面だが、ミソラはステイの場面ではないと直感で感づいた。
「ヒット」
背後の西村が「君、正気かい?」と野次を飛ばす。ディーラーは宣言通りの仕事を行うだけだ。カードは10がやってきて、見事にバースト。この時点で勝敗が付いた。あとはディーラーのカードを提示して、結果を見せるだけ。Qの下に重なっていたのはAカード、つまりディーラーはブラックジャックを決めていた。
「うーん、どうしても負けてしまうときがあるわね。そのときは、どうすればいいのかしら?」
「いやいや、戦っているときには負けることもあるさ。チャンスを一つ一つこぼさないように戦うことが肝要なのであってね」
必ず負ける場面が来るのが、カジノのゲームの特徴なのだろう。ブラックジャックはゲーム開始前にチップをかける。その場面が来るまで、少額でチャンスを待つ。それまで資金が持つ人が強い。ブラックジャックで大稼ぎするルートを思いついたが、偶然を味方に付けている場合がある。次に来たのが、10が二枚の合計20の値。対して向こうは3と裏側一枚提示。ここでミソラは大稼ぎの方法を実践してみた。
「スプリット」
と宣言し、両指を分けるハンドサインをする。相手に負けるためではなく、自分が勝ちにいくために必要だからだ。
賭けたチップは20枚と少額にした。二つに別れた10の数字とチップに、ミソラは続けて宣言した。
「ダブルダウン」
片方の10に最初に賭けた倍のチップを置いた。ディーラーがカードを横向きにして重ねる。6の数字で、あまりいいとは言えない数だった。そしてもう一方の方にもヒットができる。そこでもミソラはダブルダウンで賭けていった。合計で8000円分の掛け金だ。
ディーラーが息を潜むのがわかる。彼はミソラの狙いを分かっているのだろう。カードシューからやってきたのは、望んだ通りのカードだった。
「ブラックジャック……。狙っていたのか」
「やってみたかったんです。安定を捨て去って、リスクを取っていく方法。まあ、成功しない確率のほうが高かったですけどね」
ブラックジャックになると配当が3倍、ダブルダウンをしていたので2倍。合わせて5倍の配当をミソラは得た。ただしスプリットしたぶんのチップは奪われてしまい、配当は少なめになる。それでも利益を得た。ミソラはゲーム終了の旨をディーラーに伝えた。
「楽しかったです、他のゲームもこの調子で勝っていこうと思います」
「そうですか、ご検討をお祈りします」
「はい。ああそうでした。ディーラーさんがこのカジノ内で優秀だと思う方っています?」
「皆さん一様に世界中から集った非凡な方々です。私なんかが評していいことではありません」
「ふうん、じゃあ貴方を一番すごい人だって考えておく。私を楽しませた人が凡才なわけがないもの」
老年ディーラーは「作用でございますか」と言って穏やかな笑みで応えた。ミソラの直感と願望もあるのだが、この老年ディーラーとは、別のゲームでも遊んでみたいと思えた。
端末をリーダーから外すと、チップが一斉に消えた。アプリでチップが増えていることを確認して、ミソラは西村に言った。
「ちょっとだけですけど、お金増えました。これで少しでも減ったら泣いちゃってたかもしれません」
「いやいや、初めてにしては上出来だよ。この調子で、君にカジノの奥深さを味わってもらいたいものだ」
二人はブラックジャックのテーブルを離れていった。次に、スロットやポーカーを軽く楽しみ、最後にルーレットへ向かった。
「ル、ルーレットをするのかい。……こんな事は言いたくないけど、ディーラーはルーレット番と球のコントロールが上手い。下手すれば、むしり取られる可能性もある。
「そうなのですか。……でもちょっと遊ぶ分には楽しそうですけど」
「や、やめておいたほうが。ほら、またブラックジャックのコツは掴んでいただろう? 別のテーブルでまた戦ってみればいい。今度は二人でディーラーに挑めば、勝率は高いよ」
「……まあ、そんなに言うなら」
西村の反応で、このカジノの収入源が見えてきた。ブラックジャックの台数が多いが、ルーレットは3テーブルしか置かれていない。しかし、人々が熱狂しているのはブラックジャックを差し置いて、ルーレット盤だ。モニターにも、ルーレットの様子ばかり映している。
ミソラが目指すのは、ルーレットだ。それまでに手持ちの資金を二倍以上に増やしておくべきだ。
「西村さん、今の手持ちいくらありますか?」
「わ、私かい? い、いやいくらと言われても……」
「ルーレットで負けたんですよね。それも高レートの台で、ド派手に」
ミソラの言葉に西村の表情が歪んだ。それから慌てふためいた様子を見せ始めた。
年端も行かない娘に境遇を見破られたことと、目の前の少女がただごとではない人間だという二つの意味での警戒だ。逆に後ろめたさもあるだろう。
「いくらまで勝ちたいのかは分かりませんけど、勝つなら戦略を立てましょう。……一人では絶対に勝てないはずです。大儲けできない代わりに中儲けくらいは出来ると思います」
ミソラは周囲を眺めながら、大きな声で西村に提案を促す。日本語が伝わらないからか、誰も異様な目を見せることはない。
「突然、何を言い出す。疑り深いのは感心するが、疑う相手を間違えないでほしい。それとも、じゅうぶんに欲しい物を交換するだけのチップが集まったのかね。それならここで中断しよう。君に危害を加えるつもりはない」
「ではいますぐポケットに忍ばせている手を上げてください。右手の方です」
ミソラは見透かしたような目を、西村のジャケットへ定めた。なにか確信があったわけではない。ミソラの告発に最初に反応したのが、彼の右手だった。
「サヌールのカジノ法、知っていますか? 不正な方法で参加者のチップの増量、または消失が認められた場合、カジノを即刻退去。他にも厳しい処罰が下るらしいようで」
西村は目を見開いた。ミソラはスマホを取り出してチップ額を表示させた。そのまま画面を上向きにし、天井へと掲げた。
「不正行為の発見にはちょうどいいカジノですよね、ここ。告発だけでは証拠不十分。だからこうして、いついかなるときでも証拠となる場面を撮影しているわけでしてね」
ミソラの行為に周囲の人間からの注目が集まる。西村から余裕が崩れ去る。こんな小娘に何もかを見透かされ、その上に主導権を握られてしまったからには、よほどの人生経験を積んだものでなければ、切り返しは不可能だろう。
「……何を要求する。俺の金か、それとも会社か。残念だが、どちらも君の力にはなれないだろう」
彼の境遇や端金に興味はない。ミソラは相手の心に踏み込む。
「西村さん、お金欲しいのでしょう。なら、私の端金より、もっとも多くむしり取る相手がいるんじゃないの?」
彼の魂胆を見破っていると、ミソラは強気の姿勢で続いた。彼がなぜ、他人のチップを非合法に奪ってまで必要としているのかは知らないし、どうでもいい。そもそもカジノの客は、ゲームを楽しむということよりも、自分のチップを以下に増やすか思考が割かれている。単純な競争は、相手を御するに十分な状況だ。
「実は私も、大量のチップを必要としているの。百万なんて端金じゃないわ。浴槽をいっぱいにできるほどのチップがほしいのよ」
西村は驚いてみせた。彼の頭の中では一枚のチップが浴槽を埋めていく様子と、その概算を計算しているに違いない。もっとも、ミソラは具体的にいくら欲しいという展望はない。大事なのは、このカジノの上客になることだ。そうなれば、自ずとカジノの主催からコンタクトがあるだろう。そこからが、ようやくスタートとなる。
「私はこの船でやらないといけないことがあるの。チップ……お金はそのための手段であって目的じゃない。」
「……なるほどな。この船に乗るだけの逸材であったというわけか」
これで彼はミソラに傾倒するようになったことだろ。ただし報奨付きの期限だが。
「カジノの鼻をへし折ってあげましょう。私達が欲しいものは、お金では簡単に変えないものですから」
彼は肩をすくめて、右手を差し出した。
「改めて、よろしく頼む。改めて私は西村壮太郎というものだ。宇宙開発機構レンジメントの社長をしている」
「私はミソラです」
本名を名乗るのはご法度だ。ここが宗蓮寺グループ由来の場所である限り、変な想像を抱かせたくない。ミソラはシワだらけの手を強く握った。離してから、男に尋ねる。
「まずは軍資金を集めましょう。100万相当のチップがあれば、ルーレットで戦えますよね」
「ああもちろんだとも」




