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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅰ部】第二章 海洋の旅と新たな旅人(アイドル)
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うさぎの餌

 少女達を追ってみたもののなぜだか途中で別れてしまい、ヒトミはどちらに接触しようか迷った。


「バラバラになっちゃったわ。……うーん、これは関わるのはやめね」


 アイカと名乗った少女は扉奥の連れを見送ったあと、元の道へ戻っていった。その際の表情の切り替わりは、思わず驚いてしまうほどに冷たいものだった。これがアイカと呼ばれる少女の素なのだろう。


「イベントで仕事もらえないかしらね。──あら」


 アプリ内の求人票で、割の良いチップ報酬の仕事が見つかった。内容を頭から下まで読み込んだあと、ヒトミの顔が苦悶へと変わった。

 唸った後、女ディーラーは「生活のためだし」とあっけない指使いで応募した。


 報酬もいいが、なによりカジノ内に入れるのが一番の決め手となった。

 ディーラーから技術を盗み、また返り咲くために。

 ついでに人の欲望が顕になる世界で、いたいけな少女がどのような末路を辿るのか興味がつきなかった。













 誰かがこちらを監視していたが、エレベーターを上がり終えてからはその気配はなくなった。


 アイカは苛立ちを隠せないでいた。この期に及んでミソラがひとりでこの事態に立ち向かおうとする魂胆が見えてしまった。つまりアイカは蚊帳の外だ。さり気なく、ピザカッターとフォークという武器を調達しているが、いざというときにミソラの側にいないのであれば、宝の持ち腐れでしかない。


「ああくそ、本当に胸糞割ぃ。……あの女、何のつもりなんだよ」


 アイカはスマホの動画サイトを開いた。船内のwifiを使用するが、アプリダウンロードを促すポップアップは無視した。観たかったのは動画サイトだ。サヌール内部のサーバーにアクセスできないと聞いていたが、意外にも有名な動画サイトのアクセスと動画再生は可能らしい。プレイリスト『アイドル』の項目を開き、見知った顔が映ったサムネイルを眺める。


「MVとライブ……」


 ミソラが来たときから方向性が定まった。歌い、踊り、ステージで誰かに披露する。そんな単純なことで、人々に強く心が根付く。


 ミソラが初めてステージに立った動画を再生した。これは他者がアップした動画で、一視点からの映像だった。かつて彼女が作り、歌ったとされる曲を、最後まで見事にやりきってみせた。そこから止まっていた状況が動き出した。


 次の動画を再生する。アイカも参加した石川でのショッピングモールでのライブだ。ユキナが発作で倒れ、人々がガセに踊らされて逃げ惑う姿まで映っている。


「アタシ、こんなことできたんだな」


 足元を露出する衣装など、最初は反対だった。だが曲が流れ、自分のやることが明確になったときは違和感は溶けて消えていた。ただ夢中で歌を歌い上げ、振り付けをこなすことに意識が向いた。まさか、敵がいることを忘れる程に熱中していたとは、いまでも信じられないが。


「……アイツは元気だよな」


 最後に旅するアイドル自らが上げた動画は、しばらくのあいだ世界を騒がせた。


 ユキナが憎き敵を前にして、己の思いを込めたパフォーマンスを歌い上げた。MVの様式なので、ところどころ演出が入っている。特効薬の犠牲になった遺族を訪問し、少女が巨悪に立ち向かう覚悟を描いた。ドラマティックな演出に人々の心が動いた。映像の中には多数の悪事の証拠が多数潜んでおり、関係各所が立件に成功。いっとき、ユキナのMVは削除が続いたが、海外メディアがこぞって取り上げたことで沈静化が不可能な状況になってしまった。


 特効薬開発のために犠牲になった九人の犠牲者を悼む声、そして悪事を暴いた旅するアイドルは、良くも悪くも注目度を集めるようになった。ちなみに石川ショッピングモール玄関破壊事件は、MVの収益を全てあてがい修繕が完了したとのこと。その一件から、石川で起きた銃声騒ぎと合わせて、何らかの事件が起きていたという疑問が明らかにされてきた。


 ユキナを苦しめた事件は解決したが、気になる点は多数存在した。恐らくミソラも同じようなことを思っていることだろう。

 それゆえ、アイカは信用を全てどこかへ置くことはしない。柔軟に対応し、自分の目的を達成する。それだけだった。

 ミソラが注文した宅配が届いた。フォアグラとキャビアのピッツァ、鰻とお茶のパスタだった。宅配が去った後、ピザカッターとフォークが添付されていることを確認する。


「……使いもんになるか、これ?」


 確かにピザを切るための道具と、パスタを絡める道具はあった。しかし二つともプラスチック製でとてもじゃないが長く使えそうな武器ではなかった。鉄製だと武器になる。まるでそのような危惧を覚えているようだった。


 ここは船の上で逃げ場などない。それ故、犯罪が起こったときに面倒が起きる。なるべく人が人を傷つける状況をなくしたい思惑には、関心するばかりだった。


「しゃあねえか──」


 プラスチック製のピザカッターとナイフを料理にあてがえば、一度か二度くらいで鋭さが無くなりそうだ。アイカは二つの食器をドレスのポケットにしまい込んだ。ちょうど小腹がすいていたので、素手で食べられそうなピザを半分に引きちぎった。残りの半分は、有り金がなくなって泣きべそで帰ってくるミソラにあげようと考えた。


 ピザを噛みちぎり、咀嚼し、喉に押し込んでから、アイカは飲み物を頼んでいなかったことを後悔した。半分だけ残したところで、アイカは備え付けの水道で水を飲もうとしたが、日本とは違い飲水として機能しているかどうか怪しかったのでやめた。仕方なく手を洗うだけで済ませ、アイカは自販機で飲料水を買いに外へ出た。


 ロビーで飲料水を買える場所を聞くと、上の階にショッピング施設があると教えてもらう。ただチップ購入が原則らしく、アイカは喉の渇きをどうにかやり過ごすことに決めた。


 部屋に戻ってもやることはない。お腹も満たしたところで、船内の散策に動いた。

 ショッピングモールやシアタールーム、テラスエリアには50メートルプールもあるらしい。ここが統合型カジノということを思い出す。裕福層の船ではあるが、どことなく庶民感を漂わせているのも、統合型のシステムの一部なのだろ。大半の人間はカジノに熱を浮かせている。ショッピングエリアにいるのは、カジノで儲けたチップで商品を購入する者が殆どだった。


 複数人、または単独でショップエリアの店員に英語で話かけている。

 その会話の内容にアイカは足を止める。


「兎が足を止める方法があるときいたが?」


「亀をお望みでしょうか?」


「ああ、とびきり高鳴るものがいいな」


「それでしたら今朝、粋のいい兎が捕まりました。4000チップでどうでしょう?」


「ほう、法外な値段だ。どこからの品だ」


 アイカは窓の外を眺めるふりをして、背後の会話に聞き入った。謎掛けめいた応酬に緊張感が走るのは、長年の経験から導き出した感だ。そして店員が柔らかな口調でこう言い放った。


「26J。船長自らが見出したものです」


「ほうほうこれはこれは、相当な上物ではないか。いい買い物をさせてもらおう」


 そう言って、電子決済を行った効果音がなる。


「ではキャロットをお渡しします。どうかごゆるりと」

「おう、助かるぜ」


 そのまま男は店を後にし、廊下を渡っていった。男の後ろ姿を眺め、情報を取り入れる。緑色の髪の毛を全体にあしらい、ツイストパーマをかけている。身長は170後半。中肉中背で、浮足立った足どりだ。男がエレベーター前で停まった瞬間に、店の方に視線を向ける。店の名前には英語で『ボガード』と書かれていた。


「……みかじめ」


 何かしらの都合を通すために金銭を渡してやり通す。船に関してだと、違法侵入した船を止めるために港に支払うもの、となる。だがショッピングでみかじめとは変だ。そもそも金品を払い、商品を購入しているのだから。店のラインナップは食品やグッズなど船内にしては普通すぎる。それ故に怪しいと感じた。


「4000チップ……400万ぐらいってとこか」


 男は直接店員に注文していた。それぐらいの金額で取引されるものは一体なにか。


「──もしかすると」


 緑髪の男がエレベーター内へ入る。アイカは扉がしまった後にエレベーター前で立ち止まった。表示を確認した。男が入ったエレベーターは最下層で到着した。


 確か最下層は関係者以外の立ち入りが禁止だと聞いた。だが変だと思った。エレベーター表示での最下層はカジノのはずだ。追ってみて何かつかめるだろうか。隣のエレベーターで追ってみようと考えたとき、隣のエレベーターがすぐに上昇したのを確認した。そのエレベーターは客室のある一階下に止まった。


「……こっちからのほうが良さそうだ」


 隣のエレベーターには男の痕跡が残っている。降りた先が客室の並ぶエリアなら、男も底にいる可能性が高い。何より、最下層からすぐに上がったのが違和感として残っている。


 もっとも論理ではなく、感覚で察しているだけだ。暗号めいたやり取り、400万という法外な値段。男が乗ったエレベーターに乗り込んで、アイカはすぐに顔をしかめた。


「……血の匂い」


 乾いた血の匂いだった。それとともに、香水の匂いも充満している。さらに埃っぽい空気も微かに感じた。

 匂いだけで今まで持っている情報とで照らし合わせ、アイカは下唇を噛んだ。懐に仕込んだナイフを手に取る。脳内が熱く充満し、スイッチに手をかける状態へと変わった。


 客室フロアは二階層にわたって作られている。一般向けと、高級ホテルさながらのVIP部屋とで別れていた。VIP部屋は予約制で、数に限りがある。エレベーターが止まった階が、VIP部屋だったことを考えると、自ずと何を買ったのか推察できる。人に見せられない、曰く付きの品だ。


 エレベーターが開いた。アイカは素早く身を躍らせ、匂いを嗅いだ。香水の匂いと強い血が一層強烈になった。そして視線の先、緑髪の男の姿を確認できた。男は何かを引きずりながら、英語で怒鳴りかけた。


「おいおいっ、日本人は謙虚にしろよっ。英語も話せない弱者だから、まんまと捕まっちまったんだろうがよぉっ!」


 男が腕を思いきよく引っ張ると、甲高い悲鳴が轟いた。アイカは引きずられているものがなんなのか、目で確かめた。

 女だった。藍色の髪を男が手綱を握るような乱暴さを引張り、彼女が身に着けている衣服から赤黒いものがにじみ出ていた。


「ごめん、ごめんなさい……」


 女は日本語を喋った。か細い声が悲痛に歪み、謝罪の言葉を並び立てていく。だが男は日本語がわからないのか、女の悲鳴に怒号で答えた。


「こんな廊下で長居されちゃこまんだよぉ。ほら、さっさと部屋で楽しませ──」


 男の長ったらしい言葉を聞き終える前に、アイカは一気に駆け出した。足に問題はない。短距離なら全力でねじ伏せることが出来る。

 男が突然の物音に顔を上げた瞬間、その鼻面にアイカの飛び蹴りが直撃した。緑髪の男は受け身を取ることなく、真後ろへ倒れていき、床に激突した。しばらく脳震盪で立ち上がれないだろう。


 床に投げ出された女性が怯えた目でアイカを見ている。顔や頬に細い線が浮き上がっている。ムチや張り手の痕だった。女がどこから連れ出され、この場所へ向かったのかは明白だ。緑髪の男はボガードという店で女を購入し、地下施設で受け取った。エレベーターの動きが早かったのはそのせいだろう。そのままVIPルームでお楽しみ、という寸法だった。


 だがそれにしては緑髪が連れていた女が異様だ。なぜ日本人なのだ。

 女をどうするか考える。まず部屋で保護するのは不可能だ。規定以外の人間を部屋に入れてはならない決まりだ。破った場合、警備員が飛んできて女を連れ出すのだろう。次は何をされるのか、分かったものではない。


「……お前、名前は?」


 そう聞いた彼女の瞳が一層とうるみだした。アイカを安全な人間だと認識したのか──いいや違う。アイカはその場でしゃがんだ。真上を鋭い腕が通っていった。脳震盪で気絶したと思っていた男が起き上がり、腕を鞭のように振るってきた。だがダメージは受けていたようで、男の苦痛に歪む声が届いてきた。これなら制圧可能だ。


 アイカは男の脇腹に向けて、右手のナイフを突き立てた。男の悲鳴が辺りに轟いた。腕に血が滲み出し、温かい感触を懐かしく思う。感傷に浸りながら、アイカは英語で男に言った。


「この女は何だ?」


「ひっ、ひぃいい」


 言葉のまま、彼が頬尻に涙をためている。アイカは手に持っていたナイフをえぐるように回転させた。男の絶叫が再びやってきた。


「話せ」


 人に要求するとき、余計な修飾はいらない。男は首を縦に振って、口を開こうとした。だがそれは叶わなかった。


「おい、何をしているんだっ!」


 背後で叫び声が聞こえた。振り返ると、別の部屋から出てきたようで、髭を加えた老年の男が目を丸くしてこちらの様子を眺めていた。とっさに、緑髪の男から情報を聞き出すことより、逃亡を優先することにした。

 男から離れたアイカは、うずくまったままの藍色の髪の女性の手を取る。


「逃げるぞ」


「あ、で、でも……」


「ああもう──」


 じれったい。アイカは女の体をお姫様抱っこのように持ち上げ、その場から駆け出した。中年の男が立ちふさがろうとしたが、駆ける勢いをそのままに、抱えていた女の足を振り回した。髭男の肩に命中し、たたらを踏んだ。アイカはエレベーターのボタンを押す。


「あ、あの、その……」

「黙ってろ」


 エレベーターが開き、即座に中へ入り、ボタンを適当に押す。エレベーターは下に降りていたようだ。


 この船の本当の姿が、さっそくあきらかになった。

 人身売買、その単語が出てきたとき、アイカの脳裏によぎるのはミソラの安否だった。


 まずミソラをカジノから連れ出し、安全なところで潜ませる。神戸港に到着したら、即座に下船する。


「どこいっても、こんなんばっかだな……」


 アイカは女を床におろして、手近な壁を拳で叩いた。

 自由と尊厳を平気で奪う人間がこの世には多すぎる。悪人同士で潰し合っていればいいものの、無関係の一般人まで飛び火するのが、世の常になりつつある。

 これは罪か、罰なのか。

 その問いかけに、ある女は言った。


『仕方ないわよ。そういうとき、未来の姿を思い描くことにしているの』


 あとに続く言葉を、アイカが復唱した。


「未来を引き寄せるのが、人間に出来る最大の幸福だ──ならこんな未来を引き寄せんじゃねえよ、シャオ」


 込み上がってくる衝動をなんとか抑える。一息ついて、アイカは呆然とこちらを眺める女に言った。


「名前は?」

「……へ?」

「いえよ。じゃねえと不便だろうが」


 女ははっとして、媚びへつらう態度で名乗った。


「み、水野ユズリハですっ。あの、あなたは一体……」


 アイカは名乗ることを躊躇した。市村アイカとした場合、ある極悪人を想起させてはならない。なので下の名前だけで答えた。


「あたしはアイカ……ちょっと、アイドルやってるんだ」


 ついでに職業も口にしたが、ユズリハには冗談しか取ってもらえなかったようだ。


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