第一カジノ客
「アイカさん、この場所の特殊な状況は把握しているわよね」
「なんとかな。けど、カジノはポーカーとブラックジャック程度しかやってことねえぞ」
「賭け事は私の担当。アイカさんは私の護衛に専念してくれたらいい」
二人は客室が並ぶエリアを抜け、サヌールのロビーへたどり着いた。そこで船内の案内と電子マネーをチップに両替できる。
海洋巡間都市サヌールの通貨はカジノのチップだ。チップ一枚で日本円にして100円程度。船内で販売されている食品やサービスを受けるには、このチップを対価に支払わなければならない。この国へ乗船するに当たって庶民が手の届かない入国額を支払い、さらには物価の高い交換を必要とされるサヌールの客層は、決まって裕福層を占めている。
日本人はこの船を『裕福船』と揶揄している。その裕福層の中でもほんの一握りの人間と、酔狂な性格のものがサヌールへ訪れることがあるらしい。
「日本人はいるのかしらね」
「いたら通訳でも頼むつもりか」
「いいえ。話を聞くだけ。ここは殆ど英語が占めているみたいだし、私達には必要ないでしょ?」
「話せるのか」
「日本語よりは達者じゃないけど」
「じゃあ話すのはアタシの役目だな」
「……汚い英語使わないでよ」
「ファック」
小突きそうな汚い英語にミソラは肩で笑う。ユキナの一件のときもそうだが、危機に対する緊張感は曖昧になっている。逆に言えば、危機を察知している証でもある。
軽快なアナウンスがやってきた。女性の声で英語、フランス語、日本語の順だった。
「当国は横浜を出発し、神戸港へ到着します。約三時間の到着を予定しています。以後、一時間の休憩を挟んだ後、日本の長崎港へと向かいます。韓国、マカオを経て、ヨーロッパへ──」
「……ねえ、アイカさん。私、多分どっかで冷静さ失うと思う。そのときは」
止めてほしいと彼女に言おうとしたが、アイカが割り込んで言った。
「そのまま行け。骨ぐらいは拾ってやる」
どうやら手助けをする気はないようだ。戦闘術も教える気がなく、乗船しても手助けをする気も起きない。ある種、自由にやってもいいと語っているようでもあるので、反論はできない。
通路を抜け、ガラス張りのドアが自動で開く。ロビーは高級ホテルの玄関という印象を持った。天井がそこを抜けるように広いわけではないが、アンティーク調のソファにホテルマンらしき従業員たちの振る舞いは、完全に高級ホテルのそれだった。
客層もドレスアップした年老いた人達が多い。日本人らしき影はどこにも見当たらず、大半が鼻筋の高い欧米客で溢れている。
ミソラは気圧されないように堂々とインフォメーションへと歩いていた。金髪の外国人が受付に立っていた。ミソラは彼女に英語で尋ねた。
「チップへ換金をお願いしたのですが」
「はい、では現金か電子マネーのご提示をお願いします。お客様、当国は初めてのご利用でしょうか?」
「はい。できれば、船内の案内マップみたいなあればもらいたいです」
「かしこまりました。では船内で使えるアプリを配信いたします。チップへの換金や船内の案内もこれで確認できます」
「そうなんですか。でも、たしかここってネット環境がないって聞いたんですけど」
「はい、外の通信は利用できませんが、船内独自のネットワークでアプリを持つ者同士の連絡は可能です。いま端末を表示されますと、ポップアップが表示されると思います」
受付嬢の言葉に従い、ミソラとアイカはスマホを取り出した。するとネットワーク接続のポップアップが表示された。ミソラはアイカに言った。
「私だけでいいよ。アイカさん遊ばないでしょ」
アイカはうなずくだけに留めた。ミソラの意図を理解している。受付が日本語を理解していないとも限らない。不要な情報を知らぬ人物に与えたくない。
「そちらのお客様はよろしいのですか?」
「彼女は友人の連れ子で。あとでその人と合流させるつもりです。確か、長崎港だったかな?」
「なるほど。では、ごゆるりと船の旅をお楽しみください」
受付が丁寧に礼をしたあと、ミソラたちは「どうも」と言ってその場を離れた。ロビーの手近なソファに座り、旧世代のスマホを眺める。船内のネットワークの案内を許可すると、「サヌールへようこそ」というポップアップが出現し、自動的にサヌールのサイトへ飛んだ。
「今どきアプリかあ」
「あん? 誰もがアプリを簡単に作れる時代だぜ。その手のことは詳しくねえが、アタシもいくつか作ったことある」
「ふうん。それはすごい」
「お前も一つぐらいはあるだろ。いまじゃ学校の授業で作らされるんだろ?」
「よく知ってるわね。日本は世界に比べてだいぶ遅かったけど、やっと追いついたっていうか」
むしろ時代を追いかけている教育システムとなっている。今はだいぶ改善したようだが、世界の教育水準は十年ごとに高まるばかりだ。いまは日本の大学に価値がないとされ、韓国やアメリカの大学に行くのが勝ち組、とまで囁かれている。もっとも、ミソラは大学に興味はなかった。
「……アプリ、作らされてる感覚がやだったなあ。好きな人は勝手に学んでやってるっていうのに」
「そういやさ、これ聞いてなかったな」
なに、とアイカの言葉に生返事して、アプリ内の情報を一通り眺める。受付の言ったとおりに、地図とチップ換金の項目を見つけた。早速換金しようとした矢先、アイカの言葉に引き戻された。
「お前、学校行ってないのか?」
タップする手が止まる。止まったわけは、こんな場所で不可解なことを口にしたからだ。ミソラは怪訝な目をアイカに向けた。
「授業は受けてました。これで満足?」
「詮索とかじゃなくてよ、この場所が国なら教育とかどうなってんのか気になるだろ」
「……たしかに」
ここが国家なら、アイカの疑問も当然のように湧く。しかしここは特殊なケースだ。まず船内はカジノで成り立っている。軍備も、政治も、カジノ運営が軌道に乗っているからこそ整うわけだ。しかし国家の運営に、究極的に教育は必要ないだろう。元首は外部から招き入れた人間を使えばいい。厳密に「サヌール人」はいないはずだ。
「ここは十八歳未満の侵入を禁じている。学校なんてないでしょう」
ミソラは十九歳で、アイカは十六歳だ。だが〈P〉が一時的に、アイカを十八歳に戸籍を改ざんしている。もちろん、ずっとというわけには行かない。この場所に潜入するための措置でしかない。
「地図の画像をそちらに送っておいたわ」
彼女はスマホに届いた地図を眺めて、感嘆の声を漏らした。
「船底が地下扱いで二階あるのかよ。なんか怪しい。軍事施設が揃っていそうだな」
「立ち入り禁止区域をみるだけでそこまでわかる?」
「船底にはエンジンルームがあるんだよ。ここが国だってんなら、治安維持のための施設が必要だろ? 銃を持つなら、騒音のひでえ船底が可能性としちゃ高い」
「そこにつながるエレベーターとかあればいいけど、スタッフルームからではないと入れないわね。……姉さんはそこにいそうだけども、どう思う?」
「普通にどこかの部屋で軟禁されてる場合もあるだろ。あとは備品を貯蓄する倉庫とかな」
さすがに姉が表に出て遊び歩いてるとは考えにくい。気がかりのなのが姉がいつ乗船したのかだ。日本へ訪れるのは四ヶ月に一度だと聞く。ハワイから出発し、宮城、横浜、神戸、長崎というルートをたどり、韓国やシンガポールという航路だ。宮城に到着したのが、いまから六時間前のこと。娯楽のため、ゆったりと進んでいるようだが、横浜から神戸に至っては寄り道することなく、三時間程度で到着してしまう。
船内の案内を鵜呑みにしていいのかも気になる。神戸港から長崎港までの間で、日本からのアーティストがやってきて、何かしらのパフォーマンスを行うと書いてあった。
「……パフォーマンスですって。誰が乗ってくるかは書いてないわね」
「んなのどうでもいいだろ。それともあれか、アイドルとして気になるとかか?」
「まさか。アイドルなんてついででしょ。……姉さんがいるのに、そんな呑気なこと思っていられないわ」
死んだ姉が生きているかもしれない。そんな状況の期待を『敵』が見越して、ミソラとアイカを闇に葬ろうとする。十分に考えられることだ。
そうやって沈黙を保っているうちに、二人に声をかけるものがいた。
「そこのお嬢さんたち、何か困りごとかい?」
二人は声の方を向いて相手を見た。日本語を話している。その驚きを一瞬だけ覚えたが、すぐに警戒の色をにじませた。
「いえ、これからカジノへと赴こうと考えてたんです。だけどこの子が賭け事が苦手で……」
アイカの眉が逆ハの字になるものの、ミソラの穏やかな態度に合わせて、普段とは違う口調をしてみせた。
「だ、だってぇ、お小遣い減っちゃうんだもん。パパが乗ってくるまでお金なくなったら、イベント楽しめないし……」
普段のぶっきらぼうな口調から、あざといほどの少女の声を演じる。ステージに立った際の自己紹介のまんまな口調と発声だ。ついでに泣きそうな表情になっているのがいい演技だと思った。
ミソラたちに話しかけてきた男は、年齢が五十代なかばで黒のスーツ姿をきっちり着込んでいる。しかしミソラはひと目で、彼がこの場にふさわしくないと心のなかで断じていた。
ランクが高めのビジネススーツにワイシャツを身にまとい、ネクタイだけが上等なものであった。反面、一番気を使う必要のある足元が光沢のないローファーという時点で、彼が誰かのコネを使って来ていることは明白だ。そしてロビーで悩んでいる少女に近づいてきた時点である程度の目的は察せる。
「いやはや、君たちみたいな若い子が乗るのはあまり見かけないから、ついおじさんも話しかけてしまったよ。あ、これ日本では内緒でね。大人が少女に声をかけるのは事案扱いされるからね」
余計な気遣いをみせる程度のしれた人間だと、ミソラは思った。そんな前置きを入れてご丁寧に自らのランクを下げている。一流の人は言葉と態度で警戒心を解かせる雰囲気を醸し出すものだ。ミソラは余裕をみせながら、男に尋ねた。
「おじさまは、サヌールにはよく来られるのですか?」
「まさか、滅多に来ることないよ。けど、ラスベガスやマカオのカジノで遊んで以来、賭け事の世界にハマってしまってね。ここの上納金は痛かったが、せめてカジノの雰囲気だけを味わおうと思ってね」
「まあ、ではカジノのゲームとかも精通されていらっしゃる……?」
「下手物好きだが、そうだな勝率上げるコツは知ってるさ」
瞬間、男の瞳が爛々と輝いた。それを見越して、ミソラは相手の言葉を先取りした。
「あのっ、大変厚かましいお願いなのですが、私達にカジノの手ほどきをお願いできないでしょうかっ」
相手の息を吸い込んだときに放たれた言葉は、冷静さを著しく欠く。中年の男は息が詰まったような反応をしてみせた。ミソラは相手の思考を狭めるため、都合のいい言葉を並び立てた。
「実は船内でしか購入できない美術品を、この子のお父様に贈りたいのです。金額はそう大したものではないのですが、出来る限りお金を使いたくないのがこの子の心情です。ですが、カジノで勝てば資金を減らさずに済みます。もし私達がかった暁には、取り分の二割を差し上げます。……これはお仕事と取ってもらっても構いません。もちろん、意思は貴方様に委ねます」
相手の瞳の奥を覗き込んで、向こうの戸惑いをコントロールする。
「む、むぅ、たしかに私はカジノに明るいが。しかし君、いいのかね。こんな初対面の人間に委ねようだなんて──」
「少しでもリスクを減らすための方策です。ちょっと小汚いやり方かも知れませんけど、最終的にはトータルで勝てばいいんです。正攻法だとか、邪道なんか気にしてなんていられませんよ」
男が戸惑いがちに視線をそらす。このタイミングだとミソラは止めの一言を放った。
「言葉が通じる相手だったらよかったんですけど、私達の英語力は正直そんなでもないんです。同じ日本語を使える人なら、信用できます」
どんな状況下にあろうと、絶対の法則がある。それは年端のいかない幼気な少女の言葉は、男の冷静さを奪うことだ。普通に考えて、カジノに参加する少女など厄介な存在だ。バックグラウンドに権力者の影がちらつくはずだからだ。ミソラに話しかけた男も、ある程度は想定していたのだろうが、自分の状況の解決のために手段を取った。
男は恐らくカジノで大敗をおかしてしまった。それゆえ、ロビーで待ち伏せ、コントロールできそうな人に恩を売っておこうという魂胆なのだろう。例えば、カジノで勝利できる方法を教える代わりに、取り分をよこせというものだ。
恐らく、後に金額を巻き上げる手段を持っていると見るべきだ。それ故に、ミソラはアイカのスマホにアプリをダウンロードすることを禁じた。
カジノに勝ち進めていけば、きっとこの船の闇の部分と接触できる。
ミソラと男──彼は西村壮太郎と名乗った──、そして傍観者のアイカが連れ添ってロビーから一階下りた先のカジノへ歩みを進めた。
エレベーターを降り、大扉の前に立つ。カジノ周辺はきらびやかな装飾がほどこされている。客室通路の薄暗さは、カジノの華やかさを演出する装置として機能しているのだと分かった。
アプリ内の入館許可コードをかざして入る様式のようだ。しかしアプリをダウンロードしていないものは入ることが許されないようだ。
「あれ、アプリない人は入れない感じですか?」
「もちろんだよ。船内の全てのサービスはアプリから殆どおこなえる。チップの換金はもちろん、客室で料理を運んだり、シアタールーム席の予約もだ。もちろん、君はダウンロードしているだろう?」
「私はしたんですけど、この子はちょっと違くて……。知らないものを怖がる癖があって」
「まあ船内のWiFiのセキュリティが気になるのは当然か。しかし傍で眺めるにしてもアプリでの入館認証が必須だよ」
「あ、大丈夫です。この子には部屋で待機させるように言いますから。あ、さっきアプリでサービスを受けられるなら、今のうちに行いますね」
そう言いながら、内心では焦りでいっぱいだった。ミソラはすぐさまメモアプリを起動し、アイカにサービスをみせる体で思いの丈を叫んだ。
『これどうする?』
アイカが指差ししながらフリック入力で返事する。
『アタシもダウンロードすればいい』
『それじゃ困るのよ』
『じゃあ、船内探索する』
『危ない、だめ』
『合流地点はロビーか部屋でいいだろ。で、サービスは?』
『ピザかパスタがいいじゃない?』
『カッターorフォーク?』
『物騒』
「むぅ、君たち迷うのはいいが、後にしてくれないかね」
西村壮太郎の苛立ちが対話の状況を許さない。ミソラは最後に『アプリはDLしない。騒ぎを起こさない。いいね?』と文面を最後に、船内アプリに切り替えた。ピザとパスタを二つ注文し、西村に振り返って申し訳無さそうに言った。
「すみません。では、参りましょう」
アプリをリーダーにかざすと、ロックの解除音が響いた。
「アイカさん、勝ってきたらパーティーしましょう。西村さんと一緒に凱旋です」
「うんっ! 楽しみにしているねっ」
アイカが一瞬で愛らしい撫で声で返答した。ミソラと西村は開いた扉の奥へと入っていった。
そこには多数の欲望が渦巻き、酩酊するほどの刺激が詰まった、いかにもカジノといった空間が広がっていた。




