恐怖の出どころ
旅するアイドル一行は、関西の空港でユキナを見送ってから、宛のない旅を続けていた。〈P〉は私用でキャンピングカーを離れている。ユキナという潤滑剤のいなくなったいま、淀んだ空気を一箇所に集めて煮詰めたような状態が続いていた。
食事はバラバラ、行動も好き勝手。ミソラとアイカの楽しい会話など何一つない。唯一の大人であるラムは張り詰めた空気を和らげようと世間話を振っているが、二人はそっけなく答えるばかりで発展性がなかった。
そもそも二人の目的はそれぞれ違っている。ミソラは家族を亡き者にしたものを特定することであり、旅するアイドルは潜伏するには格好の場所だから滞在しているに過ぎない。
アイカは元仲間たちを追って遠い国からやってきたようだが、詳しい話は聞けずじまいだ。だからといって、共有する情報は必要はない。状況が動けば目的に近づく。〈P〉からの情報が彼女たちを動かす唯一の要素になっている。
キャンピングカーは基本的に山間や田舎道を進む。国道や県道は避けて走しり、車中泊可能な場所で一夜を過ごす。主にキャンプ場や道の駅、RV施設が多い。自然が多く、人工的な影が少ないのは、ミソラにとって心落ち着くことだった。
六月に入っても、ミソラはスマホやタブレットで世間の動向を探るばかりだった。三年も長野の邸宅に引き篭もり、ネットの情報からもシャットアウトしていたミソラは、ここ最近の世の状況を全く知らなかった。
ざっと人や物の動きをたどってみたが、人類が宇宙へ進出したわけでも、新たなエネルギーが見つかっているわけではなく、以前の世界のままだった。
それでも変わらない世界の中で、人は変わっていることをミソラは実感した。検索窓でそのワードを打ち込む。
”ハッピーハック/解散”
”ハッピーハック/現在”
”ハッピーハック/事件”
”検索結果0件”
「……こんなこと、ありえるの……?
思わずつぶやいてしまう。個人、メディアのどの項目にも、あの事件のことは乗っていなった。いくらなんでもありえない。適当な単語を打ち込むだけでも、検索結果が出るはずだ。
あるイベントを最後に〈ハッピーハック〉は崩壊した。その『事件』は大々的に報道されている筈だ。自惚れではない、確かに〈ハッピーハック〉は日本どころか世界にまで名を轟かせていたアイドルだ。なのに、ネットの海から情報がゼロになることがあるだろうか。まるでその情報を閲覧することを禁じているかのようだった。
こんな芸当ができるのは、海外発祥のSNSにも強い影響力を持つ『宗蓮寺グループ』以外にありえない。現に、宗蓮寺グループの行いに対して疑問を挙げる声は検索に引っかかっていた。報道の自由、表現の自由という名目のもと、糾弾の声は今もなお続いているらしい。なお、ハッピーハック関連の情報がシャットアウトされているだけで、他は通常通りの結果を出てきた。
その証拠に、〈ハッピーハック〉の元メンバーはネット上に消えていない。あの二人は今も活動を続けているようだ。
明星ノアは今もアイドル活動を続けている。解散後は、ソロでの活動を開始し、日本で有数のアイドルとして活躍しているようだ。ミソラはもユキナから伝え聞いていた。
「ノアは、ソロ。そして──」
そしてもうひとり。彼女のことを思い出すと、複雑な思いが込み上がってくる。平静に努めて情報を得た。
〈ハッピーハック〉の創設者にしてプロデューサーであり、センターでありリーダーの顔写真には、たおやかに微笑み手をふる彼女の『上っ面』が覗いていた。
「……ハルは、なんだかすごいことになってるわね。あの子らしいといえばあの子らしいけれど」
先導ハルは、解散後に芸能事務所を立ち上げ、そこの社長を務めているらしい。ちなみに明星ノアも同じ芸能事務所に所属しており、かつての残照はいまなお続いている。
二人の経歴に〈ハッピーハック〉の文字はのっていなかった。今も目まぐるしい活躍を果たしているが、昔の経歴を無視して語れるものではないはずだ。〈ハッピーハック〉から、今の二人が出来上がっているのは間違いないのだから。
だからこそ、〈エア〉の存在意義はそこにないと指を刺されているように思えた。当たり前だが、〈ハッピーハック〉の〈エア〉という存在は情報になっていなかった。
「──〈エア〉は完全に死んだみたいね」
「機嫌がいいな。面白い動画でも見つけたのか」
ふいにアイカが怪訝な目でこちらを見てきた。二週間近くも無関心を決めてきたのに、どういう風の吹き回しだろう。ミソラは婉曲な言い回しを意識して応えた。
「そんなところよ。変わってほしかったことと、変わらないでほしかったものが、見事に逆になって笑ってしまった、みたいな」
アイカは首を傾げながら鼻を鳴らす。どうでもいい反応には、決まってこう返すのがアイカのコミュニケーションのようだ。つまりミソラの返答は彼女にとってあまり価値を感じなかったのだろう。なんだか悔しいので、今まで尋ねずじまいだったことを聞いてみた。
「アイカさんは、戦い慣れているように思えるのだけど、それって日本で手に入れたもの?」
「……そんな国じゃねえだろ。自衛隊に入っても手に入らねえよ」
アイカの戦闘を見るのは二回ほど。自由な身のこなしで相手を翻弄し、銃弾の嵐から一発だけの被弾で済ませている。素人のミソラでも芸術を見るかのような感慨があった。
「アタシを育てたやつと、アタシを育てた国が、アタシを育てた。それだけのことだよ」
投げやりな口調には、己の境遇を心の底から割り切っているように聞こえた。つまり、自分が普通の少女とは違うことは認識している。その上で、ミソラは尋ねるべきだと考えた。
「人を殺したことが?」
アイカはまっすぐミソラを見据えた。
「あるときは食事のように、あるときは排泄のように、そしてあるときは眠るようにだ」
「……何かの格言みたい」
「アタシの父がよく言ってたんだよ。名前ぐらい聞いたことあんだろ?」
「市村創平、かつて世界を恐怖に陥れたテロリストよね。いまの世の中で、彼を知らない人はいないでしょう」
ああ、とアイカは感情のない声を出す。自分の父に対する情を探っているような語り口でアイカがこう語った。
「どの国も殺人はあるみたいだけどな、殺されるヤツはあっさり殺されることを許容したんだ。死にたくないなら、銃の一つでも持って抵抗をしてほしいもんだぜ。……だからアイツは付け上がったんだ」
ミソラは彼女の放った最後の言葉が言い訳めいたものに聞こえてしまった。浮かび上がった反論をそのまま口にする。
「やられる前に抵抗してみせろ、って言いたいの?」
「まあな。けどこの国じゃ無理だな。危機管理が甘すぎる。あの男が日本を狙わなかったのは、《《いつでもやれたから》》だと思うぜ。もっとも、自分の国に興味も湧いてねえようだったがな」
「……改めて思うけど、貴方は本当にテロリストの娘なのね」
「怖いか?」
「今更でしょ。けど、お風呂より怖くはないかな」
その返答が気に入らないのかアイカは鋭い目でミソラを射抜いた。冗談でいったつもりはなく、心の底からそう思っている。彼女を年下だと侮っているわけではない。背景は依然と不明瞭なままなのは不安だった。
日本は平和ではないが、豊かな国であることに違いはない。また表立って銃弾が飛び交う状況には陥っていない。実態は謎の武装勢力が潜伏しており、武器を手にしているのが今の日本の現状だ。上手く殺意を隠せる国、それが日本という国なのではないだろうか。
道端を歩く人間が、ある日突然凶行に走ることだってある。人が抱えているものが根深いほどに、アイカの置いた環境とは別種の殺意が日本には蔓延しているはずだ。
「ねえ、アイカさん。いまから貴方を殺してみせようか?」
市村アイカが本当に、あの状況に対応できるのかどうか試したくなった。
「はあ?」という戸惑いの声を耳にしながら、ミソラは洗面台へと向かい蛇口をひねり水を入れた。そのままベッドに横たわるアイカへ近づいていった。彼女が怪訝な目を向けた瞬間、ミソラはコップの中身をぶちまけた。
頭から顔にかけて雫が滴っている。アイカは濡れた顔のままミソラに敵意を放った。
「……火種でもみつけたか?」
たった今作った、なんて冗談を口知る余裕はなかった。肌を突き刺す激情には、ああ、これが殺意かと納得した。そんな身の危険を感じながらも、ミソラははっきり意見した。
「これが普通の水で良かったわね。……中身が鉄をも溶かすものだったら、顔を溶けたわよ」
アイカが顔を歪めた。それとこれと関係がないという反論をにじませている。ミソラは先程の行動についての見解を言った。
「私の顔を見たでしょ? 気の緩んだ状況で、あれを浴びたの。だから、貴方のことを怖いとは思えない……思うわけにはいかない」
変化には恐怖がつきまとう。恐怖とは自分の身に起きたこと以外のものは存在し得ない。
痛みは耐えられない。それが最も幸福にあったのなら、なおさらその差に絶望する。アイカが怒りから困惑の眼差しへと変わっていく。アイカは視線をそらした。
「お前の顔、それで、なのか」
ミソラは一瞬息を潜める。だがすぐに落ち着きを取り戻した。
「ご想像におまかせするわ」
そう言ってソファに戻り、再びタブレットとのにらめっこに戻る。キャンピングカーは依然と知らない道を走行する。見飽きるほどの自然は、ミソラに深い安心感をもたらした。
それが突如として破られたのは、川沿いキャンプ場に宿泊場所を定めたときだった。




