私は主役じゃない
新しいキャンピングカーに乗り換えてから一週間、ミソラとユキナは曲作りに奔走し、〈P〉とラムは二人で独自の行動を取り始めた。
世間的に、ミソラたちは悪人だと思われている。ショッピングモールの事件は見事なまでにミソラたちを『悪』として描いている。
玄関をキャンピングカーで破壊したことばかり取沙汰されて、銃撃戦が起こった事実は一切報道がなかった。権力が盾になっているからだろう。
ユキナの体調も調子がいい。歌も踊りも、一週間で成長を遂げていた。
ユキナは伝えたい思いがあるらしい。その思いを歌の形にした。MVの目玉はユキナの歌だ。根を詰めて完成させ、レコーディングをどうしようかと悩んだが、ユキナが「本番で歌いたい」と言い、その意見に尊重した。
茶蔵が体調不良で一週間の休暇をとっていることを知った。どうやって不正アクセスしたのか問い詰めたいところだが、大方〈P〉の能力だと分かっていたので、誰も口出しはしなかった。
アイカの足は万全とは言えないが、歩くことはできるようになった。走るのに違和感を持っているようだが、「アイツラと出くわしても平気だ」と豪語するくらいには気力は万全だった。正直、肉体の治りが早すぎると思わなくもないが、アイカも特別な事情を抱える身だからこそ、なにかしらの要因があるのかもしれない。
ミソラは一応、油断はしないように忠告はしてみた。
「そうなりそうだったら、いつでもぶん殴れ。アタシはプロフェッショナルだけど、スペシャリストじゃねえんだ」
その違いはなんとなくわかるような気がした。プロフェッショナルは外的要因、スペシャリストは内的要因に起因する。つまり努力して得たものか、元々才能を持っていたかの違いだ。アイカが身に付けたものは前者だ。
「世の中には、アタシより全然すごいやつがいる。……そんなヤツが、存外戦いに向いてなかったりすんだけど」
珍しく感傷的な面影を見せる。
「歌も踊りの才能がないひとが、曲だけは作れちゃうような人のことね。よく知ってるわ」
アイカは早足でミソラから遠ざかっていった。彼女とはMV撮影と称した『作戦』で息を合わせる必要がある。
今回の主役を誤認させる。それがMV撮影の真意だからだ。
東京霞が関。日本の中枢と言っていいこの場所へ赴く未成年者はまずいない。学校行事ぐらいか。
厚労省には毎日オフィススーツに身を包んだ公務員が詰めかけている。今も昔、そしてこれからも、この様子が変わることはないのだと感じる。
「まさに日本って感じの光景ね」
「子猫みたいに背中丸めて、こいつら年老いてんのか?」
「あながち間違っていない」
定年が伸び、七十代現役も珍しくもない。心配になりそうな顔つきがほとんど散見されるが、今にも若々しい人が少ないのはありがたいかもしれない。
ミソラとアイカは通信制高校の生徒という触れ込みで、職場見学に来ていた。〈P〉とラムが、厚労省に潜入できそうな媒体を探していたところ、地方の通信制高校が職場見学を実地しようとしていた。だが参加者が一人もおらず、途方に暮れていたところに、〈P〉がメールで二人の娘を参加させてほしいと嘆願したようだ。
向こうも切実だったのか、教師が一人とミソラとアイカが参加することになった。念の為、ミソラは髪型をおさげにし、メガネを掛けて変装を施した。アイカは金髪をポニーテールに束ね、派手なアクセサリーを身に着けた。地味っ子とヤンキーの完成だ。
「君たち、くれぐれも穏便に済ませておくれよ。その、この功績があれば、次回は参加者増えそうだからさ」
男性の頼りな下げな中年教師が言った。東京駅で直接落ち合った際は、ラムが保護者を務めた。「ウチの娘たちは、世間知らずですが、どうかよろしくおねがいします」と、拙い演技ながらも若々しい奥方の出現に教師がたじたじになっていたので、どうにか怪しまれずにすんだ。
案内人の女性の方とともに、省内を進んだ。日本の医療や労働を総括する重大な機関で、多数の従業員たちがデスクで仕事をしている。案内人の方は、厚労省の職場見学係として配属されているらしい。顔たちは整っているが、通常業務ができない人間なのかもと決めつけた。
案内人からの質問があるかといわれ、ミソラが手を上げた。浮足立った口調で、まるでファンの邂逅を望んでいるように言った。
「あ、あ、あのっ、私は、カルマウイルスから世界を救った、茶蔵清武さんの大ファンなのですけど、あの人は副大臣ですよね。今はどのような活動をされているのかって分かりますか⁉」
案内人の彼女は勢いに苦笑いを浮かべつつ答えてくれた。
「もちろん、あの人は歴史に名を刻む人ですから。彼は日本の医療の質を高め、世界に向けて発信させるのが主な活動です。もちろん、様々な問題が起こればそれに対処する権限を持っています。副大臣となれば、そうですね。海外の恵まれない子どもたちへの医療支援を行うことだってできますよっ」
「わあ、すごいなあ!」
我ながら、棒読み具合がひどい。隣を見ると、アイカが鼻で笑っていた。ミソラの演技を笑っていたように思えたが、どうやら違うらしい。
「医療支援ね。どうせ紛争地域じゃねえところだろ。最も困ってる国は完全放置。ま、あんな場所に来りゃ、お陀仏だからな」
「ちょ、ちょっとアイカさーん……」
突然何を言い出すの、とミソラは彼女の方を叩いた。それから耳元に近づき、端的にこう言った。
「奴等が居た。非常階段」
心のなかで了解、と唱えた。ミソラが案内役と話をしているうちに、アイカが厚労省内の間取りやすれ違う人たちを観察する。そういう少方針で進んでいる。アイカに耳元に付いているアクセサリーは、骨伝導式のイヤホンである。省内のセキュリティは想っていたよりずさんで、身体検査で引っかかることもなかった。それほどまでに職場見学という行事が、若者への関心を示させる方向へとシフトさせているのだろう。公務員不足は甚だしいと聞く。むやみに波風を立てたくないのだろう。
アイカは動きに出た。
「……あの。この階にトイレあるか?」
腹の下を軽くさすって同じ女性ならではのアピールをする。ガイドははっとして柔和な笑みでトイレの場所を教えた。
「わりぃ、ちょっと待ててくれ。長引くかもしれねえけど……」
「あ、ううん、私お姉ちゃんだから待ってるね」
ふっ、とアイカが笑ったような気がした。いままで演技をしたことがなかった。いけると自分では想っていたが、ミソラに演技の才能はなかったようだ。ただし、表面上に限る。ユキナと共に連れ去るときは、振り返ってみていい線は出ていたような気がしたのだ。
「私、将来はどこかの公務員に入って、みんなのインフラを支えたいって考えているんです。お姉さんは、どんな感じで厚労省に就職したんですか!!」
自分の方に関心が言ったときの人間というのは、面白いくらいに目の色を変える。普段、承認されずに生きている証拠だ。ミソラとガイドは会話に弾ませるのだった。
廊下とは違い、非常階段には空調が行き届いていないようだ。埃っぽい空気に顔をしかめつつも、微かに音がする方へとアイカは視線を定める。上へと男は上がったようだ。
日本で雇った半グレと呼ばれるものだろう。歳は中年だが、周囲の人間より体つきが変に思えた。特有の雰囲気というのだろうか、とにかく空気感が違った。
音を立てないように階段を登っていく、途中で重々しい音が聞こえた。扉を開けたのだろう。49階と書かれていた。アイカはそこで引き換えした。38階まで一気に駆け下り、みんなが困り顔になっていた。
「あ、遅いじゃないっ。みんな心配してたんだよ」
「すまねえ、トイレ混んでたんだ。しかもいま昼休みみてえだし、ちょっと混んでた。目立ってたし」
「あ、そっか。ごめんなさいね、気を使わせてしまって」
「いえ、別に……。そういえば、ここって何する階だっけ?」
ぶっきらぼうな口調でアイカが尋ねた。何故か調子よくなっているガイドが答えた。
「全国の労基……労働基準法を総括している部署よ。ずっと前からブラック体質は問題視されてたけど、近年はあの手この手でブラック労働ではないと言い逃れする企業が後の立たないのよね。特に芸能界は厄介ね。個人事業にしては、自殺者が多すぎるもの」
いらないことまで語るガイドだったが、興味深いことだと思った。ふとミソラを見てみると、唇を複雑そうに歪めていた。
「ふーん。ま、この上の階も色々ありそうだぜ。なんか、上の階から降りてきた人もいたからな。男女ともに」
「ああ、上はカスタマーセンターとか、あとは厚労省のネットワークを支える施設とか揃っているからね。あ、残念だけど、これより上の階は案内できないからあしからずにね」
わかりました、とミソラが返事をする。一行は再び下の階へと戻っていった。アイカは耳に手を当てて、ぼそりとつぶやいた。
「49階、多分、サーバー室」
アイカからの伝達を受け、キャンピングカーで待機していたラムが別の画面へ視線を向けた。
「〈P〉、どう?」
『ビンゴだ。あちらもひと悶着が会ったようだが、準備万端といったところだろう』
すると〈P〉は腕を組みソファに座っているだけにしかみえない。ラムは〈P〉が一番に働いていることを分かっていた。この無謀な展開は、〈P〉がいてこそなりたつ。
『ユキナくん、聞こえているかね。ドローンにはカメラが付いている。だが気にするな。君は君の思うがままに表現するがいい』
表現の真髄を〈P〉はまだ分かっていないのかもしれない。ただ、ユキナに掛ける言葉としては見事な一言だ。
「ユキナさんを一人にしておいて平気なんでしょうか」
『彼女が選んだことだ。我々は、ここから旅立っていく者を縛り付けたりしない』
一介の感情が込み上がってくる。〈P〉の言葉に感情が灯るとき、ラムはなんだか嬉しくなってしまう。
『だからこそ、旅は自由だ。私はそれがわかる』
そうですね。とラムは同意する。彼女たちの手伝いをしている立場だが、体の内には眩しいほどのエネルギーに満ちている。それに当てられて、ラムも変わりつつあるのかもしれないと、自嘲してしまう。
──社会から背を背けた人間が思っていいことではないかも。
故に傍観者として、最後まで旅に付き合う。その所存で、彼女は〈P〉をサポートするのだった。
ミソラとアイカは社会科見学を終え、玄関前で待ち伏せていた。変装を解き、玄関で待ち伏せるかのような態度は、行き交う人々の注目を集めていた。そんななか、一人の男が玄関から慌てて飛び出してきた。狭間レンは彼女たちをみて、震え怖じていた。
「お、お前たち、なぜここにいる。何が目的だ」
「ただの社会科見学よ。てっきりあんたは茶蔵のほうへいるものだと思っていた。随分と、信用を失ったね」
すると狭間が怒りを押さえつけるように話した。
「どこぞのアイドルのせいで彼はとても精神をやんでいる。……いますぐ、ここから立ち去るがいい。ではければ、警察を呼ぶぞ」
それから彼はスマホを取り出した。警視庁は割と近い。通報が会った場合、そう時間もかからずに駆けつけてくるだろう。
「構わないわよ。宝物はすでに探し当てたし」
瞬間、彼は青ざめた。狭間はスマホを慌てて操作した。警察でないことは確かだ。
「私だッ。省内のサーバーをダウンさせろ⁉ 構わん、一時的だけだ──」
彼が叫びだしたとき、その動きがとまった。電話口に向けて震えた声をあげた。
「……おい、なんか聞こえるぞ。何が起きているんだ……?」
ミソラたちは彼が持った違和感の正体を捉えていた。玄関の向こうから、微かに聞こえてくるのは──歌だ。
「おいっ、スピーカーから流れているものは何だっ⁉ なに、サーバーがダウンできないっ。いったい、どうしてそんなことに……」
狭間はゆっくりとこちらを振り返った。ミソラたちは憮然とした態度で言った。
「あの子の伝えたい思い、ここで働いている全ての人間に伝えたいみたい。だから、そのようにした」
「自分たちが何をしているのか分かっているのか⁉ これは、立派な犯罪だぞ!」
「だな。誘拐、詐称、器物損壊、銃刀法違反、不正アクセス、アタシたちが犯した罪だな」
二人は背を翻った。ちょうど、玄関前にキャンピングカーが止まった。
「じゃあ、私達の役目はおしまい。あとは今回のにおまかせするわ」
ミソラはそう言って、キャンピングカーへと乗った。車内にはユキナの歌がいまもたえず響いていた。
「……素敵な歌声ね」
願わくばすぐ側で聞きたかった。だがそれはかなわない。ユキナはこれから、旅立つのだから。
『しかし疑問だな。MV程度で世間を動かせるとでも?』
「別にどうでもいいわよ。私は、ユキナさんの体を治したいだけだもの。MVはついでよついで」
ミソラは不敵に笑ってみせた。
「お金、稼がなきゃならないでしょ。修繕費、払わないと」




