MV撮影
原ユキナの一味が発した声明から、茶蔵は念のため隠居を決めることにした。ある筋から借り受けた別荘地での生活から一週間が経過したが、外の世界は全くといっていいほど変化がない。だが裏では、筆頭の秘書である狭間だけが厚労省で対策を施しているに違いない。
「私はもう、十分にやった」
人は生きていくうえで、甲斐性を求める。茶蔵はそれを達成しただけのことだ。カルマウイルスでの功績を引っさげて、莫大な利益を得た。その半分以上を、茶蔵は奉仕活動に費やした。
自国の利益や躍進に興味はなかった。もはやこの国は腐るばかりだと認識している。自然が破壊され、人工物があふれかえる日本は、日に日に価値を薄れていくばかりだ。人々が『己』というものを持たないように、日本という国も『己』を見失っている。茶蔵にとっては、この世全ての人間は同じ顔にしか見えない。唯一の例外は、カルマウイルスと一緒に戦った同士と、無念に亡くなってしまった者たちぐらいだろう。
「そろそろ、隠居の身か」
諦念が口から漏れ出す。唯一の懸念は、特効薬の実験台だった『原ユキナ』のことだ。未だに生存できているのは、運かそれとも。彼女は体成熟していないゆえに、薬害の恐れがあった。やむを得ず、特効薬の主な原料を投与したこともあった。彼女を実験台だと認識したおかげで、ためらいは消えてくれたが。
「ありがとう。みなさんの犠牲は、決して無駄にしない。だから、いまだけは大人しくしてほしい──」
大自然が切り開く空に、茶蔵は静かに願った。いつか自分に天罰が下るのだろう。せめて、救いたいと願う人達を代わりに救ってほしい──。
そんなときに、悪夢のような声がやってきた。
「もし、大人しくできなかったら、あなたはまたあのときと同じように、人を殺すんですね」
透き通った声に聞こえた。大自然から聞こえてくる幻想だ。切り捨てたはずの存在が、後も襲ってくるのは、人生とは気難しいものだ。
「……やあ、ここがよく分かったね、原ユキナくん。私のこと、覚えているかな?」
「あのときはお世話になりました。また、お世話になりますね、先生」
原ユキナが歩いてくる。十年が立ち、すっかり大人の顔たちを覗かせている。しかし装いが残念だ。洋服や学生服ではなく、俗物にまみれた衣装を身にまとっていた。
「それはいいが、まずは然るべき装いを用意しておこう。君、彼女にいいものを見繕ってあげて」
付き人の愛人に言うが、「必要ありません」とユキナが切って捨てた。
「私が着るものは、私が決めます。それに、この服は思い出の品なんです。どうかご容赦を願いたいです」
頭を下げてまでのこだわりには、茶蔵も口出しできない。無駄話は置いておいて、茶蔵は本題を切り出した。
「ここへは、一人で来たのかい」
「はい。私一人でないと、意味がありませんから。お話しましょう、茶蔵さん」
彼女が一歩ずつ前へ進む。茶蔵が座るベンチの横に座り、ユキナは言った。
「いま、仲間たちがあるデータを手に入れようとしています。厚労省、研究所に隠している亡くなった九人の詳細データです。多分、私のもありますよね。でも当時七歳だったものだから、いまの茶蔵さんにとっては意味のないものだった。そうですよね」
半ば確信を持って、彼女は語ってきている。この様子だと、大方の事情は察しているのだろう。
「では聞かせてもらおうか。私がその九人に何をし、どう扱ったのか。それと、君の状態を知りたがった理由もだ」
ユキナは茶蔵の言葉に深呼吸をしながら受け止めていた。まっすぐ視線を向け、広大な景色を眺めた。
「私達、十人が特効薬の副作用……いいえ、特効薬を安全なものにするための実験体に選ばれたのは、カルマ基金の寄付金が少なかったからです。私の家族は二十万程度。そして他の方は、それ以上のものを寄付したのでしょう。亡くなった九人の詳細を調べました。寄付金を捧げられない理由がこれでもかと見つかりました。一般家庭で所得が少ない者、借金が多かった者、さらには将来の資産が築けなさそうなものも。私は所得が少ない者、でしょうね」
淡々と語っていくユキナをみやる。彼女は悲しげな表情を隠さなかった。
「他の人達は、そのどれも満たしている。たとえ寄付金がなかったのだとしても、実家がお金持ちだったり、他の親族が将来性の高い職についています。あなたが遠慮なく実験台に利用したのは、総じて言えば将来性のない人ですね。そもそも認可のない薬での臨床試験は禁止されているはずですが」
「世の中は何事にも例外があるのだよ。だからこそ、仕方なかったのだ。我々が対抗策に近かった。ただそれだけのことで、人間は人を選ぶことが出来るのだ」
「……選ばない選択もできたんですよ。幸い日本のウイルス感染者は抑えられていました。時間だけはあったのではないですか」
「これは世界の問題だ。我々は、一千万の感染者を救わねばならなかった。分かってくれ、これは世界が必要とした犠牲なのだ」
彼女には誠実に向き合おうと考えた。下手な言い訳は刺激するだけだ。なるべくは穏便に済ませたい。
「今も世界で蔓延している病が後をたたない。その全ては放置されたままだ。国の医療が発達せず、日々の生活にも苦心している。我々日本人は豊かなのにも関わらず、他者を思いやることが少ない。せいぜい空気を読んで、その場しのぎの対応をするだけ。事なかれ主義の極みだ」
「事なかれ主義、ですか。あなたも亡くなった九人にたいしてそういう対応をとったのですよね」
「ああしたさ。私が生きている限りでの、最後の傲慢だ。私はすでに目的を果たしている。……いまさら、この生命がどうなろうとどうでもいい」
瞬間、茶蔵は懐から黒い物体を取り出した。角張った形の凶器、拳銃だった。彼は拳銃のセーフティーを外そうとスライドを弾き始めた。だが目の前の少女が突っ込んでくるほうが早かった。
体を思い切りぶつけ、茶蔵はベンチへ倒れ込む。拳銃が手元を離れ、いま少女が茶蔵の上に乗り上げていた。
「卑怯な死に方をしないでください。罪を償う方法なんて、私にはわからないけど、せめて遺族の方に『大義』のために犠牲になってもらったって、言ってからにして。……あなたが勝手に死ぬことは許さない」
涙ぐむユキナがそのまま拳銃を取りに行った。それを手に、彼女がやってきた方向へ拳銃を投げ飛ばした。丘の端できえ、取りに行くことができなくなってしまった。そのまま振り返り、話を続けるつもりなのかと思った。だが周囲の景色に異様な物が映った。風の音の混じって不自然な風の音が聞こえる。なんだか、ヘリコプターの音を限りなく小さくさせたような音だった。
音の正体が目に入ってきた。黒い色をしたドローンだ。拳銃が消えていった丘のほうから、ひとりで出現した。仲間がいることの証左だろう。
「最近のドローンは目まぐるしい活躍を果たした。二十年以上前から、銃撃出来るタイプが個人で開発されていたが、最近はドローンを操るにも免許が必要になった。これは、だれが操作しているんだい」
「『プロデューサー』です。あの人、お金がないって言ったくせに、こういうものにお金使っちゃうんです」
家系の憂いを嘆く主婦のようなことを言った。その『プロデューサー』なる人物は、仮面の付けた〈P〉という人物だろう。その人物のことは、未だに把握しきれていないところがあり、自然と周囲の警戒度を高めてしまう。するとユキナが言った。
「このドローンは、ただの撮影用です」
「では、私と君の対談を撮影していたのと言うのかね」
「いいえ。今から届けるんです」
ユキナは宣言した。
「亡くなった人たちに捧げる、私の歌を──」
ふと、周囲の空気が変わりはじめた。彼女が胸に手を当て、静かに祈るようなポーズをとったあと、歌が靡いてきた。




