災の余波
2040年8月。世界は世界大戦以来の緊張感に包まれていた。
日本で発生した富士山噴火は大量の被害を生み出し、自然発生ではなく人の手によって引き起こされたという事実は瞬く間に世界に広がった。
被害に対する哀悼が捧げられている反面、諸外国は日本の危機管理能力のなさを指摘。さらに死亡したはずのテロリスト、市村創平が姿を表したことで日本の立場はますます厳しい方へと追いやられていった。
以前なら、左文字京太郎が状況を利用し”新たな秩序”と技術を確立したのもあって厳しい追求はそれほどなされなかったが、今回ばかりは日本政府だけではなくその国民にも日常生活での影響は計り知れないものとなった。
噴火から三日経ったいまでも、都心は灰色の空で占めていた。昼は薄暗く、夜は黒すら覆い隠していく。人々の不安と困窮の種はますます増えるばかりだった。
「──この空、もう明けることはないかもしれない」
宗蓮寺グループのオフィスの窓から先導ハルはつぶやいた。電気や冷房は付けていない。不必要なエネルギーを節約したかった。真夏であるにもかかわらず、火山灰で覆われた空がある程度気温を緩和してくれているらしいが、外に出ようとする者は殆どいなかった。火山灰を吸い込まないような対策をする必要があったが、すでに小売店からマスクとゴーグルが買い占められていたからだ。政府がこれらの事態に対応できるようになるまであと四日はかかると見込んでいたが、今朝にID制によるマスクとゴーグルの支給が決定された。各家庭に専用ドローンによる配達が始まるらしい。これにより、火山灰の被害にあっている地域に済む住人は、外に出る機会をようやく得られた。
「今、国内の事案をどうにかしても、国際社会からの孤立は避けられない。ようやくネットを見られるようになったけど……」
ネットは閲覧可能な状態にあるが、正直見たくなかった。誰もが自分のことで精一杯なのが明らかだからだ。いくら力を合わせて助け合ったところで、世界中から届く非難の声はそれらの善性すら容赦なく踏み潰していくだろう。国民がそれに気付くまで、あと何日か。
「──先導ハル。あんたはどう動くつもりだ?」
部屋に入ってきた男の声に注意が向いた。段ボールを抱えて松倉幸喜が着ていた。スーツは灰だらけで外に出ていたのだとわかる。そもそも彼には自宅待機を命じたのだが。
「どうしてここに?」
「家に帰れなくて困ってるだろと思ってな。ささやかながら備品を持ってきたんだよ」
「……それは、助かるけど」
意外な事をするものだと思った。今までさんざん彼にむちゃを敷いてきたので施しなんて考えもしなかった。一応、オフィス内にシャワールームやランドリー室があるので、生活に困ることはない。だが彼が持ってきた段ボールの中身は、缶詰や水などの飲食料をはじめマスクやゴーグル、カッパなどといった外出道具が揃っていた。
「外に出るつもりなんてないわ」
「ニュースを見てねえとでも思ってのか? ……行方がわかんなくなったアンタのアイドル、探さねえのかよ」
彼の言葉で思い出さないように努めていたことが脳裏で広がっていった。もちろん、あの事件があったあとに何度も連絡した。サーバーダウンし、ようやく回線がつながっても連絡の一つも返ってこない。
最初はこんな状況だから通信が届かないのかと思った。だがニューヨークに滞在している妹と弟からの連絡は届いた。あのふたりにノアに連絡をするように頼んだ。未だに返事が来ないのと、決定的なのは米国で報じられたあるニュースがナツとアキから届いたときだった。ハルは端末を開いて、電話をかけた。しばらくして、二人の声が聞こえた。
『もしもし、お姉ちゃん?』
『……そっちは、大丈夫か姉ちゃん』
数年たってすっかり大人びた声の妹と弟が開口一番に心配してくる。そんな感傷を抱くことなく、昨日と同じ用件を放った。
「むこうで、ノアについて何かわかった?」
『……まだ、なんにも。それより大丈夫なの? こっちでは、日本への非難が町中でも聞こえるようになった』
「──やっぱり、そうなのね。あなた達こそ、嫌がらせとか受けてない?」
『受けてねえ、っていったら嘘になる。俺らに対して、色んな言葉投げつけてきやがるんだ。ザルヴァートの復活を促した国だとか、日本が本当は世界征服を企ててるとかな』
「……バカバカしい」
笑う気にもならない。日本でも似たような論調は聞こえてくる。それも今回の件が”被災”ではないからだろう。人為的に引き起こされ、信じられないような技術が洪水のように押し寄せてきた。
「大変なのは、誰だと思っているのよ」
『全くもって。けどねお姉ちゃん、あんなことが世界中の動画サイトとテレビを介して目撃された以上、悪い方へ考えちゃうのが人間なんだよ』
アキが言った。すっかりキレイになった妹に元気はない。それは弟のナツも同様だ。
『フランスが極秘に打ち上げた軍事衛星に、シャオ・レイと死んだはずの市村創平の復活。極めつけは、衛星から発射されたビームとそれを受け止めた謎のロボットだ。フィクションだと思ったら、まじでそうなった。不安を煽る材料としてはピッタリだ』
ナツの言う通り、あの一連の映像が世界中に火種を作ったのは間違いない。槍玉に上がっているのは主に二カ国。テロを止められず、最悪のテロリストを排出した日本。そして各国に内緒で軍事衛星を打ち上げ、しかも兵器だと明らかになったフランス。なによりハルの見立てでは──。
「戦争、起きるかもしれない」
『──うん。ありえる話』
『姉ちゃん。ノア姉のことは俺達が探す。だから姉ちゃんは今できることをやってくれ』
自分にできること。もちろん、できることはたくさんある。日本のためになることも重々承知の上だ。だがこの空々しい思いが残り続けることだけは嫌だ。
「……ノアのことがわかったらすぐにおしえて。どんな場所でもすっ飛んでいくから」
『うんっ、任せて!』
『姉ちゃんも体には気を付けてな。絶対に諦めるなよ』
それから通信が途切れた。妹たちの自立性を高めるために、普段はあえて連絡を取っていなかったが、今回ばかりはごく自然に二人に連絡をしてしまった。今となっては唯一の肉親。二人を立派に育てることが先導ハルの使命でもあったが、すでにその役割を終えてから久しい。しかし家族の絆は永遠に残り続けている。
「……まだ、何も分かってない」
ハルは頬をぴしっと叩いて気持ちを切り替えた。それから松倉が持ってきた段ボールを漁った。ガスマスク、ゴーグル、カッパを取り出し装着したあと、部屋を飛び出す寸前に松倉に言った。
「少し出かけてくる。いまは家族の傍にいてあげて」
「おう、最初からそのつもりだ」
松倉が手を振って見送ってくれた。彼も家族という存在から変わり始めている。家族と仕事仲間と、そして友達と大切な人。それらすべてが今の自分を作り出している。一つ欠けたら自分自身の一部を失うのと同じだ。
この災害は沢山の人の一部分を奪っていった。
これ以上の悲劇を繰り返すわけにはいかない。
ハルは火山灰の漂う東京の街へ出てからある人物へ連絡した。
「──もしもし、先導です。急ぎでなければ、今から会えませんか?」
『ちょうどいいところに。君の意見も参考にしたい。急ぎ”特別対策本部”へと赴いてもらおう』
男と女の声が入り混じった合成音声はそう言った。
ハルは地下鉄を乗り継いで国会議事堂前へと到着した。火山灰で軒並み交通網に大打撃を受けていても、地下鉄のなどの路線はダイヤを減らして運行していた。常に満員電車なのが辛いところだが、それでも遠くへ人を運ぶ機能があることはありがたかった。議事堂前では厳しい警備が敷かれているものの、灰が常に降り注いでいて警備員の様子もどことなく落ち込んでいるように見えた。
少し離れたところで待っていると目の前に黒塗りのセダンが止まってきた。運転席の窓が開きスーツ姿の顔見知りに驚きの声を上げた。
「ラムさん!」
すぐさまドアへと駆け寄って彼女の顔をみつめた。感極まって、同時に期待もこみ上げてきて泣いてしまいそうだった。
「……よかった、無事で、本当に」
「私は、なんとか。とにかく今は乗ってください。そのまま中へ案内するので」
気落ちした声に己の失態を理解する。ラムは無事だった。だがその他は違う。あそこにはハルの親友もいたのだから。後部座席を乗り込んでから車は議事堂方面へ進んだ。警備員への入館証の提示、端末情報の確認、指紋や網膜認証をラムとハルに行ったあと、車は議事堂の領地へ入った。最初、ハルの登録もいつの間にか済ませていたらしい。ほっとしたのもつかの間、入口の前で車が止まりドアが開いた。そこに意外な人物が待ち構えていた。
「……左文字総理」
「元総理だ。いまは”特別災害対策本部”の室長だ」
手を差し伸べてくるので遠慮なく手を添える。エスコートのつもりだろう。そのままラムが乗る車は議事堂の奥へと消えていった。気まずい沈黙が降りる。彼と話すのは左文字がフィクサーだと明かしたとき以来だ。”第二次Traveling事変”と呼ばれる、日本中を巻き込んだあの事件以降は特にフィクサーとしての関わりもなかった。
「その、お久しぶりです。こんなときの訪問になんですが……」
「僕としても君の招集は歓迎していたところだ。もちろん、気休め程度だということは理解していると思う。それでも、君の意見が道を開くかもしれない」
そう言って左文字は身を翻して議事堂の中へと入っていった。ハルもあとに続く。時折、政治家らしき人たちの視線が来るが、平静に努めて歩き進め、エレベーターへと入った。下へと降り始めてから二分ほどで到着した。中に入ると楕円状のテーブルに人が集まっていた。その中でもひときわ異彩を放つのが、黒と金色をあしらった仮面を身に着け、黒い所属に身を包んだ存在だ。ハルをここまで案内したのはその人だった。
『ようこそ、”特災”本部へ。もっとも、今はその名残でしかないがね』
「そうだな。ここはザルヴァートに対する対策本部となった」
「……それで、この方々が集まっているわけですか」
場違いな場所に来てしまったと、着いてそうそう思った。まず元号が変わってから退任した左文字京太郎元総理。元厚生労働省事務次官の茶蔵清武、他にも様々な官僚のトップが集められ、〈P〉とハルの存在が浮いてしまっていた。それぞれが席に着きはじめ、ハルも入口に近い席へと腰を下ろした。左文字が奥のモニターへ着いたあと、挨拶もなく話始めた。
「意外な面々に対する所感は目をつぶってほしい。これから我が国における最悪の事態を回避するために、諸君には現状を知ってもらいたい」
画面上に世界地図が表示された。様々な国が日本に向けて矢印のアイコンを向けていた。それが何を意味するのか、ハルはなんとなく掴んだ。
「現在、我が国に対して明確な圧力をかけているのが以下の国。アメリカ、中国、フランス──。無論、有効な姿勢を示す国は皆無に等しい。つまりはこの国の問題は、我らで解決しなければ未来はない」
どのような圧力か言われるまでもない。ハルは事態が逼迫しているのだと理解した。特にこの中で必死なのはフランスだろう。自国が秘密裏に打ち上げた軍事衛星が乗っ取られ、それが日本へと発射されたのだから。フランスは様々な主張で日本に対する責めの姿勢をみせてくるだろう。
画面の表示は変わって日本地図全体に変わった。富士周辺とその被害の箇所は黒く塗りつぶされ、その範囲の広さを物語っている。
「民衆の暴動も予想されるだろう。被災地域には自衛隊を派遣したが、これが芳しくない。先の駐屯地での出来事がザルヴァートの手によって公にされてしまってはな。信用がこうも落ちてしまう事態は避けたかった」
「……そんな」
噴火後に聞こえてきた、自衛隊員の裏切りは実際におきた出来事だったようだ。自衛隊は国防の要だ。それは外敵だけではなく、内側の被害からも守り手助けする精神があるからだ。ザルヴァートはどこまでも日本という国を貶めてくる。
「前置きはここまでだ。重要な点を話そう。──つい先程、ザルヴァートの潜伏場所が明らかとなった。奴らはまだ日本で災いを呼び起こそうとしている」
沈黙が一斉にざわめきへと変わった。シャオ・レイたちの暗躍はこれで終わりではない。だがあれだけのことをしておいて、何を引き起こすというのだろう。
「彼女たちの殲滅には国連の特使が派遣される。だがこちらには伝えることなく、秘密裏に作戦を進める腹づもりだ。よって、こちらはこちらで事態における再編成を行う。──正直なところ、主だった面々は先の作戦において殆ど死亡した。厳しいというほかない」
左文字は意識を強めて、はっきりとこう告げた。
「それでも情報を公開したのは、日本を終わらせないために必要だと感じたからだ。これから厳しい時代が待っている。だが決して国民から生きる意思を失わせてはならない。それこそが、ザルヴァートの本懐だ」
誰もが言葉を発しなかった。恐らく官僚たちは絶望したのだろう。目の前の対応に追われている職員と違い、彼らは未来を見据えて指示をしなければならない。
「……もう下がらせたほういい。全員に無念を共有するのはここまでだ」
発言者は茶蔵清武だった。一斉に視線が彼に向いた。
「誰もが最善を尽くそうと動いている。前のような既得権益社会は殆ど崩壊した。私がその最後の代といっていいだろう。だが君たちは違う。過去を省みて、大切なことを知っている。……テロリストの存在を見据えるのは、その役目を負ったものだけだ」
「……そう、ですね。ではこれで解散しましょう。お疲れ様でした」
それから一斉に省庁の官僚たちが消えていった。大半がホログラムの参加だったのようで、この場に残っているのは〈P〉、左文字、茶蔵、そしてハルだけだった。左文字は緊張を解いたように息を吐いた。
「──ここからが本当の話し合いだ。ザルヴァートが引き起こした事件と連動して世界中で多発するテロ、そして山中湖での戦闘での報告を君に報せよう」
「……私に、ですか?」
「ああ。それと実はもうひとり、こちらの会議に参加している人物がいるが、諸事情が合ってねここには来ない。官僚たちには現状のすべてを話して動いてもらうが、君たちにはザルヴァート周辺の事情を知って動いてもらいたい」
君たち、と左文字が口にしたということは、ここにはいない観察者にも説明しているようだ。もうひとりの参加者とは一体だれだろうか。
「まずザルヴァートの目的地が判明した。彼女たちはいよいよ、この国を乗っ取るつもりでいる」
ハルはその目的地が表示された場所を見て、なるほどとつぶやいた。確かのこの場所をほうっておくわけないだろう。
『また富士噴火の前後で不自然な動きが散見された。特に噴火後の山中湖でいつくかの怪しい反応──おそらくヘリのようなものがだ。それらの解析結果と動きから、ある組織のものだと判明した』
画面上で衛星から撮った写真が拡大された。ヘリのようなものが飛んでおり、屋根に”UN”という文字ととあるロゴが記されていた。ハルは驚きとともに声を上げた。
「──国連?」
『ああ。おそらく日本支部のものだろう。巧妙に動いたつもりだろうが、私の目はごまかされない。なにより、あの災害の中で何をしていたのかを知れば、不可解になっていくはずだ。追跡の結果、ある病院へ降り立った。そして、見つけた』
再び衛星カメラが捉えた。国連のヘリからタンカーで運ぶ場面が拡大され、そこに横たわる人物を目撃した。金髪のショートカットで、呼吸器を付けた知り合いの顔だった。
「……アイカさんっ」
市村アイカが呼吸器を付けて眠っていた。噴火した山中湖から彼女を見つけ出した。ハルはすぐさまおかしいと気付いた。
「無事なの?」
「ふむ、彼女の体質なら生存していてもおかしくない、か。だがなぜ国連が彼女を救出したのだろうか」
茶蔵の疑問に左文字が同意した。
「問題はそこだ。我々にも報告もなく秘密裏に回収したからには理由がると踏んだ。よって公安の調査隊を派遣したのだが、半日前から連絡が途絶えた」
つまり、スパイを送ってみたが連絡が途絶えた。しかも”国連”という特別な組織の調査中にだ。だがもし途絶えたとして”国連”は何をそんなに秘匿することがある。
そもそも介入のタイミングもおかしい。あの国連ヘリの目的は何だ。わざわざ噴火の最中に入るのはリスクが高く危険だ。だが国連が救出したのは市村アイカただ一人。また事後報告もない。これでは最初から彼女を手にするための介入だったのでは、とそんなことを思った。
「その、話の腰を折って申し訳ないけど、”あの子”たちは無事なの……?」
実のところ、その情報を知りたくてこんなところへ赴いた。これから各国の知人に掛け合って調整することはできると思う。それでも”旅するアイドル”の現状は知らなくてはならない。あの場所で、最後の最後まで戦っていたアイドルだからだ。
「市村アイカ以外のメンバーの行方は依然とわかっていない」
左文字が言った。言われなくても、彼女たちの生存率が絶望的なのは明らかだ。
「それは、あの噴火に巻き込まれたから……ですよね」
『いいや』
〈P〉がそこに入っていった。画面上にバイクに跨る二人組の女性が表示された。
『ヒトミくんとユズリハくんは噴火の前に脱出していた。一度は我々と連絡を取ったはいいが、その数時間後に行方をくらませている』
「場所は掴んでいないの?」
『ああ。ユズリハくんのバイクごと、我々の追跡を逃れている。なぜそうしたのか分からないままだ』
「……じゃあ、ミソラとユキナさんは」
『──彼女たちは噴火の只中にいた。絶望的と見ていいだろう』
〈P〉が放った言葉と同じものを胸の中で抱いた。生きている可能性にかけた。もちろん天文学的な確率であることは承知している。それでも、信じたかった。
『だが希望はある。何も国連だけがあの噴火の中に飛び込んだわけではない。──そしてすでに追跡は完了している』
日本地図上に赤い点が浮かび上がった。今度は何を表した表示だろうかと待っていると、左文字が端末を開いて言った。
「ヘリの準備を。君が見つけた可能性にかけよう、〈P〉」
『それはどうも。ついでに虎の子を乗せたほうが良い。これからの作戦には”彼女”は必要だろう?』
「何をするつもりなの?」
『無論、噴火に乗じて入り込んだ謎の勢力を捕まえにいくのさ』




