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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅲ部】第九章 IDOL CRISiS
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国防の要


 ミソラたちと別行動を取っていたアイカ、ヒトミ、ユズリハは、富士の麓にある施設を訪ねていた。周囲に有刺鉄線によるバリケードが張り巡らされており、〈関係者以外立ち入り禁止〉という看板が数十メートルごとに設置されている。それぐらいの重要施設で、富士周辺に存在する敷地は主にひとつだ。


「ここが日本の国防を担う陸自の駐屯地か」


「戦車にミサイルに戦闘機。ぜひ一目お目にかかりたいわ」


「ヒトミさん、ここは陸自なので戦闘機は配備されていませんよ」


 ヒトミの言動で緊張感を薄れるが、いまは絶賛有事だ。大半の自衛隊員は各指令所に集まり、シャオ・レイの危機に対して議論を交わしているはずだ。陸上自衛隊はあくまで、国を守るための存在であり、テロに対して積極的な作戦行動は行わない。シャオを止めるために警察や自衛隊の精鋭を集めた”特別災厄対策室”を政府は秘密裏に設立したのだから。アイカたちを出迎えてきた自衛隊員の男にアイカは訊いた。


「なあ、アンタはどこまで話を聞いてんだ。こんな小娘たちを中に入れて、大層腹が立ってると思うが」


「……特に何も。上の要求なら従うのみ」


「そうかい。難儀なあり方だな」


 皮肉交じりのアイカの言葉に自衛隊員は沈黙を決め込んでいた。彼の反応で、アイカたちが歓迎されていないことはわかった。部外者を中に入れるのはもちろん、アイカたちが行ってきたことを考えれば当然の扱いだと思った。だがそんなことを言ってられる状況ではないことを、人が集まったところで示すべきだろう。アイカはそう思った。


 途中でやはり迷彩柄の車に乗せられ、十分程度で指令所が見えてきた。アイカは周囲の様子を眺めながらシャオのことを考えた。潜伏場所の宛はついている。あとは、何をしでかすかだ。いくらか予想はつく。その一候補として、自衛隊駐屯地があがった。現状、シャオがここで暗躍している気配はない。今のところは。


「付いたぞ。せいぜい、先程のような態度をみせないようにな」


「そっちこそ、余計な楽観見せねえようにな」


 今にも掴みかかりそう勢いで、二人は指令所の中へと入っていった。入り口に二人の自衛隊員がアイカに人睨みを効かせている。そんな様子を見て、ヒトミはユズリハに耳打ちで訊ねていた。


「ねえねえ、なんでこの人らこんな険悪なの」


「貴女のような楽観者が状況を理解しないからでしょう」


「そういうこった。命が惜しかったら敵が近くに潜んでいると思えよ、お前ら」


 聞こえてきた会話に割り込んで、アイカは周りに聞こえるように言った。当然、あおりにとられてもおかしくない。より空気が張り詰めた。


 ヒトミのことはさておいて、ユズリハも決していい状態ではない。たとえ公安であっても、シャオが行った虐殺は現実感がないものとして捉えているようだった。そんなことがあってはならないという”事なかれ主義”が、無意識下で支配している。


 いくら優秀な人間であろうと、この意識が根付く限りシャオの思うツボだ。彼女には日本人を徹底的に知り尽くした男の頭脳がインプットされている。だからこそ日本へ来て、ザルヴァートの本懐を叶え、世界へ変革をもたらそうとしているのだ。その世界が一体何か、おそらく父の頭の中でしか分からないとアイカは思った。


 指令所の中は閑散としているように見えたが、人の気配は漂っていた。入り口から左手の廊下に入り、途中の階段を上がっていくと、自衛隊員らしき人たちが行き交ってきた。彼らとすれ違いざまに奇異な目を向けられるおまけつきだ。アイカたちは三階に出てすぐの扉へと案内された。厳しい面を陳列した自衛隊員が、まさに現実を受け入れていないということのなによりの証左だった。アイカは慄然と並んだ席の真ん中に立ち、全員に言い放った。


「なんで敷地内で厳戒態勢を取らねえ。ここにいるおっさん共はただの役人か? シャオはもう白浜以上の惨劇を引き起こす用意ができてんだぞ」


 突然のことに、ユズリハが慌てて止めにかかろうとした。だがアイカは構わず、集まっている自衛隊員を見た。練度はそこそこ、だがあくまで上官の立場でしかないようで、規律を乱す存在に対しては親の仇と出くわしたような燃える目を披露してみせた。


「君こそ分かっているのかね。我々はあくまで政府の意向に動いているのであって、シャオ・レイを捕らえるのは警察の仕事だ」


「……それ、お前らの武器が一つ残らず奪われても同じこと言えるか?」


 語気が荒くなるのを抑えきれない。ヒトミはこの場を愉快に傍観している。だがこの場にいる上官たちはヒトミに目もくれていない。アイカは事の次第を彼らに伝えた。


「シャオは政府御用達の秘密部隊をぶっ殺しただけじゃねえ。その武器も洗いざらい奪った。つまりは、アイツは単独犯じゃねえ。この国には、ザルヴァートのシンパがわんさかいる。もしかしたら──」


 アイカは椅子の人たちを見渡して、嘲笑うように言った。


「この中にもいるんじゃねえか。ザルヴァートに、シャオ・レイに内通してる誰かさんがよ」


 流石の言いがかりだと思ったのか、あちこちから紛糾の声が飛び交ってきた。いますぎに出ていけ、犯罪者の娘、貴様が内通しているのではないか、と支離滅裂な意見も飛んでくる。ただ一部の兵はその可能性を思い至っていたのか警戒を見せていた。ふいに立ち上がったのは、女の中年女性だった。彼女はメガネをかけなおしたあとアイカに向き直った。


「やはり、事態は刻一刻を争うようですね。例の”特災”の武器にはGPSのようなものが付いていません。そもそも部隊の発覚を恐れて搭載しなかったことを、シャオ・レイは知っていた。そういうことですね」


「あ、ああそうだけど……よ…………」


 短く整った黒い髪と厳しく引き締まった顔。アイカはその顔から見逃せなかった。どこかで彼女に会ったことがある。そう思っていると、男の上官が厳しい口調で言った。


「しかしだね高野中尉、だからといって自衛隊の武器を奪いにここへ来るとは到底思えんのだが」


「そのとおりです。自衛隊の武器は一つ残らずGPSが搭載されています。シャオ・レイがわざわざそんなリスクを犯すとは思えません」


 彼女の声も、次第に輪郭を帯びて記憶を呼び覚ましてきた。


 アイカが過去に自衛隊員と関わりと持ったことが一つだけある。ザルヴァートが崩壊し、一時保護を受けた時に女性の自衛隊員の元に預けられたのだ。


 向こうは友好的な態度で接してきたが、アイカは一言も離さないまま別の国に引き取られた。ちょうど、彼女のような姿と声だった気がする。それでぼうっとしていたようで、高野と呼ばれた女性自衛隊員は心配そうに言った。


「君、どうかした?」


「あ、ああ。アタシはただ、いまが最大の警戒時だって伝えたかっただけだ。火力演習をせいぜい利用されないようにな」


 アイカは身を翻した。伝えたいことは伝えた。ただちょっとばかり予想外な人物と出くわしてしまっただけだ。それからヒトミとユズリハを連れて会議室を出ていった。


「ちょっとぉ、会議めちゃくちゃにしてどうしちゃったの。らくしない」


「いいえ、とても有意義な時間でした。陸自は未だに事の重要さを認識していないので」


「そう思うのも無理はねえよ。ここ十数年、日本は危険思想犯を生み出しちまったし、かつ危機管理の甘さを諸外国に突かれちまってる。おかげで自衛隊は軍縮に加え予算も削減。必死になのは向こうも一緒だ」


 皮肉交じりにアイカは語る。その背景には、市村創平の影響が大きい。しかも彼が存命時において、日本がザルヴァートの破壊活動の標的になったことが一度もないこと。それが各国からの手痛い攻撃材料となった。ザルヴァートのテロは欧米諸国を中心に行っていたことから中東系の組織と勘違いされることもあった。しかしザルヴァートの最終目標は昔から今も変わっていないはずだ。


 指揮所を出てから、アイカは端末を操作しエアディスプレイを表示した。シャオの痕跡は今のところ感じない。だが彼女がここを見逃すわけがない。何かしらの形で関与しているはずだ。


「アイカさん、これからどうするつもりで?」


 ユズリハが訊ねてきた。あのままではただ啖呵を切っただと思われてしまいそうなので、二人に説明を加えた。


「できればこのあたりを一通り回りてえ。ユズリハ、車を調達してくれ。できれば自衛隊員の案内がほしいが」


 少しは有効的な態度を示すべきだろうか。いや、あの場はアイカが来たということを示す必要があった。あとは影と形を調べ、周辺の地形も把握しておきたい。そう思っていたところに、ヒトミがなにか気付いたようだった。


「あら、向こうから誰か手を振ってきてるじゃない」


 自衛隊用のオフロード車からこちらに向かってくるものがいた。車はアイカたちの前へ止まり、運転手が口に手を当てて感極まった様子を見せていた。


「わ、わあ、ホンモノだ! アイカちゃん、ヒトミちゃん、ユズリハちゃん!! すごい、本当に会えた!」


 思わず面を喰らってしまう一同。その中でヒトミだけは慣れたように応えた。


「あらありがとう。もしかして私たちのファン? 自衛隊員にもいるなんて嬉しいじゃない。ねえ?」


 ヒトミがアイカたちにも訊いてくる。正直、本当にファンなのか疑わしいので答えないことにする。ユズリハも引きつったように頬を上げて会釈を返すだけだった。


 黒髪のショートカットで、日に焼けた肌色が眩しい。だが割と若いのか、ヒトミより年下に思えた。身長は一七〇辺り。服の下からでも相当鍛え抜かれているのが分かった。ただ彼女がわざわざファンだと報告するために来るとは思えなかった。


「アタシたちになんの用だ」


「あ、ごめんなさい。……ごほん」


 咳払いをした後、迷彩柄の女は敬礼を掲げた。


「篠原ミヤビ一等陸士でございます。上官からあなたたちを案内するように言われました。どうか、敷地内および周辺地域ならどこでも案内しますので!」


 篠原ミヤビは笑みを絶やさずにいた。


「なあ、その上官って高野って女か?」


「なっ、なぜそれを……はぅっ」


 図星を付かれて口を覆うもののもう遅い。どうやら此度の件に関して、彼女も思うところがあるらしい。それもそうかもしれない。高野もザルヴァートの関係者ではあるからだ。

 せっかくの申し出なので、アイカはこの一等陸士を使うことにした。


「じゃあ頼む。言っとくが、アンタの権限でも入れなさそうな場所まで入るかもしれねえぞ」


「承知の上です。上官の権限が及ぶところなら案内できるようになっていますから」


 ずいぶんと動きが早いと思ったが、どうやら高野中尉は判断能力が早いと見た。


 三人はオフロード車に乗り込んだ。アイカが助手席、ヒトミとユズリハが後部座席にへ。アイカはとりあえず、武器庫の確認をしたいと申し出た。彼女は嫌な顔ひとつせず、車を発信させた。


 夏の生ぬるい風が当たってくる。アイカは何気なく富士山を見た。真夏の太陽に当てられて雪が溶けた富士山は空の青さを映しているように深い青に染まっていた。日本へ上陸して見た春の富士山は頭頂部辺りが薄白に染まっていて、世界中の人が想起する姿形そのものだった。いまの富士山は春先に見たときより寂しかったが、間違いなく、世界で一番美しい山だとアイカは思った。




──────

────

──

 


 車に揺られて五分程度で武器庫へと到着した。小さなプレハブ小屋みたいなものが一つある。ヒトミは首を傾げて倉庫らしき影を探していたが、ユズリハはからくりに気付いたようだ。ミヤビは小屋の前に設置した指紋と顔認証の画面にそれぞれ操作したあと、「篠原ミヤビ一頭陸士。お客人の要望により倉庫を案内します」、といった瞬間に、下から上へと扉がせり上がっていった。


「急いでください。平時のときは十秒で閉まるようになってますので」


 ミヤビが上がり切る前にしゃがんで中へと入った。アイカたちもそれに続き、扉が開けきらないまえに扉が止まり、数秒もしないうちに閉まっていった。ヒトミは驚きの声を上げた。


「もしかして、たくさん人が入らないようにする対策?」


「その通りです。一斉に武器を持ち去られないために、数年前から実施しているんですよ。まあ、ここはあくまで武器の確認のための場所なので、持ち出し場所は別にあるようなのですが、私にはまだそこまでの権限がなくて」


「先程、上官の権限が届く限りでの案内が可能とおっしゃいましたよね」


 ユズリハが付いた急所をミヤビは軽々といなした。


「武器弾薬の補充はセクションが違うんです。なんていうんでしょうね、運営と制作ぐらいの違いといいますか。日本を守るという目的があっても、それぞれのアプローチは異なるんです。これは海自や空自でも一緒だと思います」


 もちろん有事の際は例外ですが、とミヤビが付け加えた。プレハブ小屋の中は下へ続く階段しかなかった。ミヤビが先行して階段を降りていくと三人も後に続いた。


 夏場というのに冷たい空気だった。おそらく武器保管の適温を保っているのだろう。常に二五度前後、湿度は三〇%前後を維持しているはずだ。管理も徹底していると、アイカは感心していた。それから二分ほど会話もなく、開けた場所へと出てきた。武器庫に到着したらしいが、肝心の武器は見当たらなかった。一面が壁で覆われており、全長二十メートルほどの部屋になっていた。アイカはミヤビに部屋の構造を問いただした。


「武器は壁の中だな」


「よくおわかりで。まあ、わたしたちが来たところでこれが開かないと意味がないんで」


「では、そちらも武器管理のセクションの役目ということですか?」


「はい。一応、あそこにあるディスプレイで在庫を調べることはできますが……」


「調べさせてくれ」


 実物を見ない限りは確証は持てなかった。ミヤビが奥のディスプレイで操作している間、アイカは壁や床を調べることにした。僅かなホコリも見逃していないのか、綺麗に清掃されていた。


「武器保管庫って掃除でもしてんのか」


「頻繁にはないです。在庫確認のあとに掃除することはあると思いますが」


「最後に武器管理セクションが入ってきたのはいつだ?」


「ええと、少々お待ちを。……二日前にここと他ふたつの保管庫でチェックがあったようです」


「そうか。それじゃ、在庫の中身と最後に何を取り出したのかを調べてくれ」


 アイカはそう言ってから、砂粒を探すように地を這って調べだした。ヒトミはおかしなものを見たように「そこまでする?」とつぶやいていた。ユズリハは何もしていないふうを装って、出入り口の警戒を務めていた。武器保管庫の出入り口は三つあった。内ふたつは武器管理セクション専用の入り口ないし非常口なのだろう。ヒトミは早く出たそうにあくびを上げていた。


 しばらくしてミヤビが報告を口にした。


「二日前はチェックで終わっています。最後に武器を調達したのは、八日前。ちょうど、陸自の火力演習が行われた日ですね」


 アイカはなるほどと納得が行った様子だった。それを見たユズリハがアイカに訊ねた。


「わかったことが?」


「ああ。……最悪だ。これはもう、戦争でもおっぱじめる気でいやがる」


 瞬間、アイカはカーディガンのポケットから取り出したものを壁に向かって投げた。磁石のようにピタリと張り付き、数秒したあと部屋全体に稲妻のようなものが広がった。ヒトミが壁に張り付いた物を凝視して、目を驚かせた。


「ユキナちゃんのコインじゃない。もらってたの?」


「ああ。これにプラスして〈P〉に電子制御の解除っつー機能をつけてもらった。案内がなければこれ使って中に入ってた」


 部屋に変化がきたのはそのときだった。壁が引き出しを開けるように一斉に迫ってきた。ミヤビはすぐさまディスプレイへ向き合い信じられないものを見るような声を上げた。


「そんな、解錠されてるなんて」


「悪いが勝手に開けさせてもらった。ついでに中をあらためてみろ」


 何が起きたのかわかる。ミヤビは武器を収納した中身を覗いて慌てて口元を覆った。ヒトミとユズリハも驚いてアイカを見た。どの収納にも武器らしきものは一つもなかった。


「根こそぎじゃない! でもどうやって?」


「ここは綺麗すぎんだ。アタシにはそれが、人が入った痕跡を消すためだと思った。足跡、匂い、指紋、DNAに関する汗や体皮、髪の毛とかな。掃除するといっても、ここまではやんねえだろ」


 ミヤビに問いかけるように言うと、彼女も確かにとうなずいていた。だが問題は奪われたことだけではない。どうやって、誰が奪ったかが焦点となる。


「まさか、これもシャオ・レイが行ったのですか」


「いいや。流石にアイツひとりじゃこれだけの武器を持ち出せねえだろ。ということはだ」


 一旦言葉を切って、アイカは言った。


「シャオには協力者がいるっつーことになるな。それもこの陸自内に」


 分かりきった結論だった。最初に単独犯だと思わせたのは、武器を奪うためのカモフラージュをしたかったからだ。俄然、周囲は警戒をする。そのときすでに、武器は洗いざらい奪われていることにも気付かないまま。ミヤビは呆然と佇んでいた。


「ど、どうしましょう。報告しないと」


「待って。報告は潜伏してる奴に逃げる口実を与えちまう。それに武器を奪っただけでは終わんねえことは明らかだ」


 これはあえて筋道を示しているだけに過ぎない。武器を奪うのは、ザルヴァートが昔よく行ってきたことだ。軍や傭兵を罠にかけたあと殺して奪取する。ゲリラ戦では有効な方法だが、限界を迎えるのも早い。戦略兵器を使われた場合は成すすべがない。しかしここは日本、戦略兵器を使うのに時間を擁する国だ。シャオは防衛に徹するしかない自衛隊の弱点を付き、ここまでの作戦を成功させた。


 だとしたら、いつからだ。彼女はいつからここに人を潜り込ませた。アイカは考え込みながら、階段へ戻っていった。他の三人もそれに続く。話しかけづらい雰囲気があったのか、一抹の不安を感じながら黙って歩いた。再び扉で認証を行い外へ出た後、アイカは車へ乗り込んだ。


「次に向かう場所が決まった」


 アイカは言った。


「あるんだろ。ここにも自衛隊用のドローンがよ」



──────

────

──



 アイスクリームが一気に蒸発しそうな熱帯都市の中、オフィスビルの上階でけたたましくキーボードを叩くのは宗蓮寺グループの特別顧問・先導ハルだった。ここ二週間ほどオフィスのデスクから離れられない生活を送っており、いっそのことリモートも考えたが会社内での連携する業務もあってか、出社しなければならないのが現状にあった。


「……やっぱり来てたんだ」


 メガネを一旦外して、さるルートから入手した情報を閲覧した。つい先日、欧州から特別チャーター便が羽田に降り立ち、彼女たちが帰国したことが届いてきたのだ。もちろん、世間一般には秘匿されている事項だ。そうなると、政府筋からの依頼と考えられるが、彼女たちが一度は敵対した国家との協力を結ぶとは考えられない。あるとするなら、日本にそこまで逼迫した危機が訪れようとしているからか。どちらにせよ、今は静観する以外に道はない。


 ふと、顧問室へノックがやってきた。はい、と促して中に入ってきたのはいつもの男性だった。外に出ていたのか汗をハンカチで拭いながら松倉幸喜は「よお」と手を上げてきた。


「遅くなって悪かったな。お詫びに売店でなんか買ってくるぞ」


「あのねえ、子供じゃないんだから」


 自分の息子にやればいいのに、と思う。四ヶ月前の一件を経て、親子関係は良好とも聞いた。ただ松倉家の事情は他の家庭とだいぶ趣が異なっている。その一端を思い出したハルは、冷静な口調で訊ねた。


「……奥さんのとこ?」


「ああ。長かった髪がさっぱりしてやがった。刑務所で過ごすと、少しは痩せちまうみてえだ」


 彼の目には今まで共に過ごしてきた妻の姿を思い出していたのだろう。哀愁を帯びていて、その様子も四ヶ月前にはなかった反応だった。元々夫婦仲は最悪だったはずが、ここ最近はお互いに歩み寄っている印象すら受けた。


 松倉幸喜の妻、松倉リツカは現在刑務所で服役している。執行猶予はついたようだが、このままでは重い量刑は避けられない。これは彼女が行ってきたことを考えれば当然の結果だった。凶器準備集合罪、暴行罪、電子計算機損壊等業務妨害罪、威力業務妨害罪、そして殺人──。決して少なくない人数が、彼女の魔の手で犠牲になった。しかし彼女自身が手を下した事例や証拠はなく、実質は松倉リツカの自白によって立件されているにすぎなかった。それもそのはずで、人間の視覚と聴覚情報を特殊な映像と音声を使って洗脳させることで自殺へと導いた、というのがリツカの主張を誰も証明できなかった。もちろん、まともな方法とは呼べなかったので他の罪を重ねてようやく判決が下ったというのが、昨年の十二月から今年の四月にかけて引き起こしたリツカの犯罪の顛末だ。


 だというのに、松倉一家は絶望や諦念はなかった。リツカは死ぬまで罪を償う覚悟がある。松倉幸喜と息子の松倉悠人も同じ思いのようだ。


「あれだけのことしてたんだから、刑務所内でもなかなかの扱いを受けてたり?」


「それなんだが、アイツ刑務所内で何度も殺されかけたらしいぜ。受刑者に暗殺者、果てには刑務所自体がグルになって毒殺とか企てたりな」


「……なにそれ」


 思わず仕事の手が止まった。


「よく生きてるね、貴方の奥様」


「暗殺術とか身につけてるらしいからな。アレこそ一人でも生きていけるやつっていうんだろうよ。餓死でもさせねえと動き止まんねえんじゃねえか」


 思い出し笑いをしたのか松倉は心底おかしそうにそう言った。自分の妻に対して随分な物言いな気がするが、以前は見られなかった兆候ではあるので興味深い観察だった。


 松倉リツカは白浜から二〇〇キロ離れた場所まで徒歩で移動した記録がある。それもひと目のつかない山や村などを優先して経路を進んでおり、警察の追跡も逃れたらしい。松倉の言う通り、リツカは人としての能力は尋常ではなかったに違いない。特異な経歴がそう成長させたのか、それとも彼女が元々持っていたポテンシャルが引き出されていたのか、どちらにせよ強い人間である事実は変わらない。ハルはそう思った。


「ま、アイツのことは良い。それよりよ、お前さんのところのお星さま、いまはハワイだったか」


 松倉が無理やり話を打ち切って、部屋の隅に置かれたコーヒーメーカーへ向かいながらそう口にした。ハルは誇らしげに胸を張った。


「ええ、全米ツアーの真っ最中よ。ハワイが確か三箇所目ね。この夏はほぼほぼツアーに費やすと思う」


「そりゃすげえ。アメリカのアーティスト文化とこっちのアイドル文化は水と油みたいなもんだと思ってたが」


「いつの時代のことを言ってるの。アイドル文化はアジアだけの専売特許じゃないわ。世界中に広まって、受け入れられつつある。……少し前まではだけど」


 いまアイドルの概念が”みんなを楽しませる”ものから変容してしまっている。やはり彼女たちの存在抜きで、アイドルを語ることはできないだろう。目的ではなく、手段としてのアイドルを全世界に対して披露してみせた。もっとも大半の人間が、彼女たちを嫌悪し、憎悪をしていることだろう。中には”ザルヴァートに続く大テロを引き起こす不穏分子”という評を下すものも少なくなかった。


 松倉が入れたコーヒーがデスクの上に届き、ハルは礼を言ってマグカップ手に取った。インスタントコーヒーはビジネスマンの栄養剤だ。元気の前借りをして、常に最大限の加速を社会にもたらす。現在日本は過去最大の加速社会となっており、利便性と比例するように社会人の幸福度は常に下向きになっている。


「ねえ松倉さん」


「なんだ」


「私、夏が終わったらしばらく休暇を取る」


「有給消化の期限でも迫ってんのか」


「そういうこと。あの子のツアー終わったら、しばらく世界を回ろうと思うの。二人きりでね」


 無意識に「二人きり」という言葉を強調していることをハルは気付いていなかった。松倉はそんなことも気付いていなかったが、彼女にとって追随の一言を浴びせた。


「ハネムーンか。ファンが聞いたら泣いちまいそうだな」


 思わず息が詰まった。心臓が太鼓のように一段と跳ねたと思いきや、じわじわと熱がハルに広がっていく。指先がコーヒーカップの縁を無意識のうちになぞり、頭の中で目まぐるしく情動が乱れていく。


「そ、そんなこと……」


 正直、そんなつもりで言ったのではなかった。ただノアに休暇を申請しようと考えていることを彼女に告げたとき、こう言われた。「じゃあ、ハルも休暇とって。一緒に旅したい」と。


 まさに青天の霹靂。それにノアも冗談ではなく真剣な提案だった。松倉に言われたときのような感覚に陥ったことも覚えている。


「なんか目を泳いでんな。はは、ここにスキャンダルかあ?」


「ちょっと、不躾なことを言わないで。別にただの旅行でしょ」


「一ヶ月も一緒にいんだろ。友達の旅行にしちゃ長くいすぎだろ」


「別にいいじゃない。ノアとだったらいつまでだって──」


 と、ここまで口にして墓穴を掘ったと自覚した。松倉が勝ち誇ったように笑みを浮かべた。ハルはひと睨みを効かせて松倉を遠ざけた。そのまま松倉は事務作業を始めたので、ハルは一息ついて窓の外をみやった。


 そもそも彼女とは同じマンションに住んでいるわけであり、唯一無二の存在であることは確かなのだ。ただ、ここしばらくは仕事以外でノアと会うことはなく、会話も淡白になりがちだった。もっと普通の話をしたい。一ヶ月間、ノアといれるというだけで胸が弾む。


「……夏、早く終わらないかな」


 だから何事もなくこの夏が平和に終わればいいと、ハルはこの国にいる”彼女”を指してそう願った。


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