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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅱ部】第八章 黄金の静寂
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左文字京太郎



 いつから日本は、世界は脆弱になったのだろうか。左文字が二十代の頃に勃発した”20年禍”。2020年の新型コロナウイルスのまん延を発端に、人は弱さを理由にしていい大義名分を見つけてしまった。いずれはその境地に至ることは、世間の人々の様子から予測はしていた。まさか想像以上の惨状を目の当たりにするとは思っても見なかった。


 ”20年禍”の初期、左文字は大学を卒業し早くから公安に抜擢され、マスクを身に着けての調査が初めての仕事だった。一見、閉塞した状況の世の中ではあったが、待ちゆく人々はそんな日常を受け入れ、変化した日常を過ごしていた。生物としての適応力を垣間見た気がしたが、それは一時に過ぎなかった。


 ウイルス騒動が一端の鳴りを潜め、人々の生活がもとに戻り始めた頃、頭角を現していったのが宗蓮寺グループの実験都市計画だった。当時は、宗蓮寺グループは名だたる企業の中でも下層の方に位置しており、工業やネットワーク事業には明るいものの、大空重工のシェアには及ばない力しかなかった。それがなんの因果か大々的な発表からおよそ八年で、最初の実験都市が完成した。その余波は世界的見ても前時代的だった日本のインフラを一気に推し進めたと言っても過言ではないだろう。


 左文字が当時受けた命令に、宗蓮寺グループの内情を調べるというものがあった。いままでは思想犯や潜在犯が運営している団体を調べ上げ、その情報を報告するという爪楊枝で城を建てるような仕事がほとんどだった。それが民間企業への調査と来たからには、政府はこの施策をよく思っていないことは明らかだった。


 しかし当時の宗蓮寺グループに後ろ暗い様子はまるでなく、上からの圧力などによる焦りで左文字は精神を疲弊させていく。最終的に、「転び」を利用しなくてはならなくなった。


 「転び」とは公安の隠語で、調査の対象者を公務執行妨害で逮捕し取調室へと連れて行く、という一種の違法捜査だ。情報を引き出せそうなターゲットを左文字は選び、その人の前でわざと転んだ。無様な方法だと自覚はあるが、これによって犯罪の芽が摘み取られた例は枚挙に暇がない。そうして逮捕した者を警察署の取調室へ連行し、詳しい話を引きだそうとした。


 ──それが左文字の運命を大きく変えてしまった。


 彼女はまるでこの展開を予期していたように、取り調べをはじめてすぐにこう言い放った。


「実験都市計画は私が立案したの。いずれ日本、いいえ世界の価値観は大きく揺らぐ。その前に対症療法を施してあげたかった」


 当時は年端も行かなかった少女だった。


「政府の力もお借りできれば、日本はまずまずの国になるはずよ。──だから、私は嘘偽りなく、自分が持っている情報と考えを話すわ。それをあなたのバックに居る人間にぜひ伝えてちょうだい。私は……宗蓮寺麗奈は逃げも隠れもしないって」


 高校生だった宗蓮寺麗奈は揺るぎない意思を持っていた。彼女は”実験都市”の有用性とこれから日本の人々がどうなるかを話していった。大半は現実味のない夢物語に思えたが、後に全て実現している。


 二十代後半に差し掛かっていた左文字は、公安の意思をかいくぐって魅了される自分がいることに気付いた。だが取り調べの際、彼女と個人的な話をすることはなかった。宗蓮寺麗奈は圧倒的なカリスマを持ち、話術に長けていたが、自分が有利になるために利用はしなかった。勾留期間は四日で終わり、宗蓮寺麗奈はすっきりしたように取調室を出ていった。風呂に四日間入れなかったことに憤る、ごく普通の少女にそのときは思った。


 結局、宗蓮寺グループへの調査は打ち切られ、政府は実験都市計画への参入を発表した。麗奈は公安すら利用し、都市計画を実現させたのだ。一体彼女の眼には、どんな世界が移っているのだろう。左文字は変革する世の中を俯瞰してみることができたのは、宗蓮寺麗奈が引き起こしたムーブメントを垣間見たからかもしれない。


 それから一年が経過したころ、ある日左文字は宗蓮寺麗奈と遭遇した。彼女は最初に会ったときのような凛々しさを剥ぎ捨て、切羽詰まった様子である写真を見せた。


「この男の人、どこにいるか調べてください」


 それは麗奈と二人きりで写っている写真で、メガネを掛けた二十代前半の若者はとまどがちに麗奈からの抱擁を逃れようとしていた。だが仲睦まじい光景に違いはなかった。彼女の恋人だろうか。思わず笑みを浮かべそうになったとき、麗奈は涙ぐんだ声で言った。


「なにか分かったらこのメールに連絡してください」


 左文字からの返事を待たず、彼女は立ち去っていった。何がなんだか、と左文字は戸惑ったものの、この依頼には重要な意味があると思った。


 写真の男の経歴を権限が許す限りで調べ上げた。渡航履歴が残っていたので、直近の行き先を写真に添付していたメールへ送った。返信は「ありがとうございます」の一言のみ。後にそのメールアドレスは消されたようで返信ができなくなっていった。


 この一件から二年後、左文字はこの件を思い出さずにはいられない大事件を目撃した。

 世界中を震撼させた同時多発テロとその首謀者が、あの写真に写っていた男──市村創平だったからだ。







 数年後、市村創平が放つ数々の残虐的な行いを世界中で繰り広げられ、日本という国は過去にないくらい立場を悪くしていった。それもそのはず、市村創平が率いるテログループ”ザルヴァート”はどんな立場の人間にも容赦がなかった。末期には化学兵器を用いて、三万人以上の人間を虐殺してみせた。しかし、日本で”ザルヴァート”による被害はなく、これは日本が企てた陰謀だ、とすら世界中で噴出しだした。


 左文字は市村創平が放った悪意への対応に追われていた。彼にはカリスマがあり、世界中で信望者であふれかえるほどだった。主に世の中の理から外れた立場にある人間を惹き付け、各地で暴動が起きるほどで、日本も例外ではなかった。公安の歴史の中で、このときが一番忙しかったと当時の警察庁長官は語っている。


 永遠にも思える悪意の伝播は、突如として終りを迎えた。市村創平は国連の電撃作戦によって死亡したと世界中に報道されたのだ。ようやく終わった負の連鎖。明るい未来へ突き進もうと誰もが立ち上がろうとして──左文字は本当の悲劇を目の当たりにすることになる。


 ある日、左文字の端末に一件のメッセージが届いた。妹からだった。そこには一言「たすけて」のみ。連絡を返しても届かないことを懸念して、左文字は急いで車を飛ばし、彼女とその旦那が暮らす家へ向かった。夜が深い冬の頃だった。


 その家の前に到着し、念のため武装を施す。妹の家は一見荒らされた形跡はなく、深夜なのもあって明かりはない。嫌な静けさに緊張を持ちつつ、長年培った冷静な対応を引き出し家の中へと入っていった。玄関を迂回し、庭へ出た瞬間、鼻腔に広がる異臭に「ああ」と諦めが付いた。庭へ続くドアが開いており、全てが終わった跡の光景がそこにはあった。


 ソファに三人の人間が血を流して倒れていた。左文字の妹とその旦那、そして二人の間に設けた息子まで。ただ左文字が目を見張ったのはそれだけではなかった。明らかな異物がリビング中に転がっていたからだ。


 中へ入った瞬間、どういった状況なのか理解するのに遅れた。家主を殺したと思われる実行犯は、全員こめかみに穴を開いていた。例外なくその手に拳銃を握って。


 訳が分からなかった。理由が分からなかった。理解ができなかった。


 怒りや悲しみより、不可解さが左文字を占めていく。左文字に対する報復による惨劇としては、あまりにも余分だった。妹たちが死ぬのはわかる。だがなぜ実行犯が自殺をする。これは何を意味している。なぜ、どうして──。


 左文字は立ち尽くして思考を努める。答えを見つけるため、市民の義務や警察官としての立場を忘れるほどだった。


 そうして正常な思考を取り戻すまで日が昇るほどかかった。



「市村創平は──」

 疲れ切った宗蓮寺麗奈の顔は、合わせ鏡のようだと左文字は感じた。彼女は宗蓮寺グループ本社へ左文字を案内し、今回の事件の引き金を話した。


「災禍の種を植えて死んだ。疲弊していった現代人たちに付け入り、すべてを掛けていいと──実行犯の調べは付いていますか?」


 左文字は「ああ」と虚ろに返事して、淡々と顛末を報告した。事件とは全く関係ない宗蓮寺麗奈だったが、彼女の顔を見れば左文字と同じかそれ以上の修羅場をくぐっているのは明らかだった。実行犯は”ザルヴァート”の信望者だった。経歴はそれぞれ違えど、自殺した全員が実生活に不満を抱えていることがわかった。それもリストラされたものから、炎上した配信者という多様さまでおまけつきだ。宗蓮寺麗奈の分析は的を得ていた。


「発端はおそらく、その悪意のひとつと思っていいでしょう。左文字さんはいずれ、日本社会に欠かせない人になる。何かしらの方法で左文字さんの家族をターゲットに実行犯に凶行を及ばせた。問題は──」


「僕の家族を特定した方法と、その黒幕、か」


 左文字は思いつく限りの敵対勢力を思い浮かべたものの、どれも決定打に欠けていた。


「この先も、似たようなことが続くだろうか」


「……ええ。私はその対応に一生を捧げるでしょうね」


 自嘲気味に彼女は言った。まるで自分にも非があるような物言いだった。

 あなたに、お願いがあります──と、宗蓮寺麗奈は切り出した。


「左文字京太郎さん。あなたはこの世界を守るための覚悟がありますか」


 すでに彼女に対する信頼は固まっていた。噂では市村創平のテロを止めようと奔走していたと聞く。麗奈は初めてあったとき変わらない力強い眼差しを向けた。


「見えない敵に対する牽制──私はその手段がほしい」


 これが宗蓮寺グループの”フィクサー”の興りだ。市村創平が死に際に残した”ナニカ”に対する対症療法が、宗蓮寺麗奈が密かに左文字に設定した立場だった。他にも二人、茶蔵清武と金城一経という権力者を据えた。その理由は聞かされていない。定期的に集まり、麗奈との世界の現状についての情報を共有し、場合によっては意見を具申する会に過ぎなかった。おかげで日本で潜んでいた国家転覆レベルの犯罪者を摘み取る精度は高まった。フィクサー同士が互いに正体を明かすことはなかったが、この仕組みが始まってから日本の医療レベルや経済効果が目まぐるしかったことから、ある程度の正体は掴んでいた。


 豊かさに勝る犯罪抑止はなかった。貧富の差は徐々に狭まっていき、二十年後には机上の空論だった平和が実現できるまで想像ができた。しかしながら、どこかでいびつさを捉えきれていなかった。左文字は全てを理解したつもりでいた。


 流れが変わったのは、ある痛ましい事件が起こってからだ。

 芸能に明るくなかった左文字でも、その事件は芸能界の歴史でも痛ましい惨劇だった。ある十六歳のアイドルが頭から希硫酸を浴び、体皮が溶けてしまったという。犯人は飛び降り自殺を図り、いまでも事件の全容は解明されていなかった。この件を他人事にできなかったのは、ひとえに彼女の様子からだった。


「──左文字さん、私は間違えてしまった」


 久々に顔を合わせた彼女は、かつて左文字が味わった絶望をさらに色濃くさせていた。


「人を変えられると思ったの。誰もが手と手を取り合って立ち上がって……」


「それ以上は、口にするな」


 最適解を求める人間の末路は、市村創平のような悪魔の誕生にほかならない。彼女にはそうなってほしくない。慰めではないが、低いところ落としてはならない使命感で左文字はそう言った。彼女は自嘲気味に肩をすくめてから、力強い意思で言った。


「べつに諦めるつもりはない。あの男の勝ち逃げなんて絶対させない」


 あの男とは、やはり市村創平を指しているのだろう。彼と彼女の関係は一言で済むような関係ではなく、複雑に入り混じった愛憎が込められている。


「左文字さん、私は志度共々、表舞台から引き下がることにする。それで助長する人も出るでしょうけど、まあ自滅するのも早いから」


「……そうだな。”黒幕”を名乗る会など、世を動かす器には足らない」


「左文字さんは違うわ。私のワガママで、その立場に置いてしまっただけ。きっと貴方にも野望みたいなものがあるのでしょう。……貴方の目指すべき理想が興味深いわ」


「もし間違えるようなことがあったら?」


「そのときは──」


 てっきり私が止めるというのだと思っていた。実際、そう言ってた欲しかった。なのに彼女は見当違いなことを言った。


「貴方自信が、それを止めてくれると信じているわ」


 三年後、彼女の行方は分からなくなり、そして妹と名乗る存在から始まった事件が勃発することとなる。

 左文字はこの三年の間に、宗蓮寺麗奈が「間違えてしまった」要素が何かを探した。思えば、気付くわけがなかった。それはあまりにも小さすぎて、目に入れる対象ではなかったのだ。


 ──気に入らないからといって言葉で人を傷つけるものがいた。


 ──満員電車で気に入らない匂いを放ったから暴力を振るう人がいた。


 ──多様性のない展開をしたから、制作者に嫌がらせを繰り返す。


 ──試合に負けたから暴動を起こす。


 ──無理やり進路に入り込んできたので、あおり運転で事故を起こす。


 ──サービスが悪いから相手に罵詈雑言を浴びせる。


 ──嫌いな人を、気に入らない人を、人生をかけて破滅させていく。


 ──界隈を滅ぼすために犯罪行為を犯すものがいた。


 ──業界を壊すために、無差別に人を殺す。


 いまを生きる者たちは、そんなことのために生きているのだと知ってしまった。


「──このままでは、いけない」


 この矮小で、ちっぽけなきっかけを増やしてはならない。人は死ぬきっかけを自らで増やしている。これを止めなければならない。いずれは肥大して、目的を見失う悪鬼を世にはびこらせてしまうのだから。


 そんな使命感に突き動かされ、左文字は理を求めた。人々が求めているもの──いいや、持ったほうがいいものを考えた。人は矮小だからこそ、誰かを求め、何かを求める。ならば満たしてやれば、少なくともこの矮小な犠牲は消せるのではないか。


「……そうか。こんな簡単なことだったのか」


 左文字はある日、夜の町中で起きた喧嘩を目撃して天啓が下ったような思いで呟いた。


「力が、平均化されれば──いいや、それだけでは足りない。人が見る世界を、望むように望むままにできるなら」


 人は自らのために生きることができる。他者を虐げることもなければ、比較して苦しむようなこともない。関係も望めば手に入る。それを可能とする技術さえあれば──そうして左文字は、”旅するアイドル”から”機会知性”の情報を得て、そこからあらゆる情報と観測を続け、とうとう手にするまでに至った。


 ”機会知性”の能力があれば、大小関わらず諍いは平定される。差を感じることもないほどに、心を蝕むことない日常を過ごすことができる。途中で、心が折れそうになるときも合った。だが利用するものは全て利用し、そのときはすぐそこまで迫っていた。

 あとは、彼女たちだけだ。


 この計画の最大にして最高のデモンストレーションを開始しよう。







「来たか、”旅するアイドル”」


 左文字は歓迎をこめてそう言った。黒衣装をまとった六人の女たちは、議事堂で一番目にする参議院議場を堂々たる足取りでやってきた。対して左文字は演壇の前へ陣取って、マイクをオンにしたまま彼女たちに話しかけていく。


「残念だが、ここには”機会知性”はいない。彼に君たちとの記憶は存在しない。ただのシステムに成り下がっているからな」


 ありのままの事実を彼女たちに伝えるが、すると”旅するアイドル”のリーダーの一言がやってきた。


「べつに、どうでもいいわ」


 彼女たちが今まで活動してきた最大の要因を、たったそれだけで斬り伏せた。ブラフではない。この六人は、ただここまでたどり着くために、正午から動いてきたのだから。

 そうして決定的な瞬間が、宗蓮寺麗奈の面影を浮かばせたその人が言い放った。


「こっちは好き勝手に暴れに来たのよ、総理。──私たちの旅路の邪魔をしたことを、貴方を総理に担ぎ上げた国民全員と共に後悔しなさい」

 


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