日本の真ん中へ
”旅するアイドル”へ潜入調査をするようになってからというもの、一日たりとも気が休まることはなかった。海洋循環都市サヌールの潜入調査で終わっていれば、学校の防犯カメラの破壊や氷点下での大泥棒をすることはなく、京都府警察署を大暴れしたり実験都市でテロ行為をとめるために奔走することもなかった。なにより、アイドルとなって歌って踊ることだって、一生なかったはずだ。
極めつけは国家そのものに喧嘩を売ってしまった。今回の作戦では、ユズリハを捉えようとしてくる警察に対し爆走を繰り広げた。挙句の果てに、高級リムジンの天井をバイクで踏み潰す羽目になった。
「……どこで私の人生は間違えたのでしょうか」
運転中だが頭を抱えたくなる。国家の秩序を守る公安が、いまでは国家の安寧を脅かす存在へと成り果てた。
ユズリハの独り言を聞いていたのか、バイクの後ろに捕まっているヒトミが言った。
「ユズリハちゃん、乗り気だったじゃない」
「違います」
断固として”旅するアイドル”に迎合したわけではない。あくまで自分の信念に従っただけだ。此度の騒動も、やり方はいまでも止めるべきだという考えが強いが、彼女たちのやることは理解したつもりだ。
「そっちこそ、ミソラさんの提案に大笑いして。なのに、あのリムジンにまんまと乗り込んで、日和見なんて信じられないですよ」
「あら、ユズリハちゃんったらひどーい。決死の覚悟で乗り込みましたー」
「だから私にあんな連絡を? こっちも暇じゃなかったんですよ。かつての同僚やらドンパチ騒ぎして……」
「ユズリハちゃんはそんな同僚より私を選んだわけね。もう、まったく……」
「気色の悪い声を出さないでください」
ヒトミが猫なで声を意識的に放つときは、ろくなことを考えていないときと相場が決まってる。それからヒトミが全身をユズリハの背中に預けてきた。
「やっぱり私の目に狂いはなかった。……貴女をひと目見たときから、絶対面白いことになるって思ったの。奴隷にしては、目が強すぎた。いまなら当然だと思うけどね」
思い出話を咲かせていくヒトミの心情がいまいちつかめない。感触から彼女の無駄のないスタイルがわかるぐらいだ。先程、死にかけたことがよっぽど答えたのだろうか。いいや、そこまで殊勝な人間ではないはずだ。それとも、こちらが彼女の本当の姿なのだろうか。こちらから尋ねでもしたばあい、いつものケロッとした様子のヒトミに戻るだろう。ユズリハは沈黙のままバイクを走らせていった。
「……もうすぐですよ」
「ええ、もう少しね」
ただお互いの数少ないやり取りで覚悟だけは決まった。
この先は混沌の世界だ。国家と国民と、そしてアイドルが織り成す最終局面を迎えようとしているのだから。
文字通り、空を駆けていく彼女をみて、明星ノアは喪失感を強めていった。
──単純に羨ましい。
人の身で自由気ままに空を旅している人はいなかった。今は機会の恩恵で足が浮いた状態での移動は可能となったものの、ミソラのそれは自らの力で飛ばないと成立しないものだった。
全身が宗蓮寺ミソラ──かつて名乗っていた〈エア〉そのものであると、感動すら覚えていた。
「……ミソラ、置いてかないでよ」
ノアはハルにも聞こえるように呟いた。かつて共にアイドル活動をしたあのときは、表に出ることを毛嫌いしていた。しかし徐々にパフォーマンスも向上していって、誰にも見劣りしないアイドルになっていった。いまはアイドルを手段として、己の意を示すために使っている。
「アイドルは、みんなを幸せにできるのに……これじゃあ、ミソラが幸せになれないよ」
そう、みんなが幸せになる対象はミソラ自身も含まれているのだ。誰も損をせず、楽しいを得ることができる。これが〈ハッピーハック〉の、明星ノアが掲げる祈りだった。
「ノア。これが彼女の目指したアイドルだと思う。……人が幸せになるには、その基盤が強くないと幸せにはなれない」
「基盤……?」
ハルはうなずいてから、目の前に広がる人の営みを思い浮かべるように話した。
「それは大切な人や物、心でもいいわ。その人がその人でいられる要素があって、もしそれが奪われたら幸せになりましょうって言われても無理な話でしょ?」
もちろん、悲しみを紛らわす方法はいくらでも存在している。それで悲しみが消えることはない。一時的な逃避することで、危険な状態から逃れることはできる。
”旅するアイドル”の行いは、どこにである犯罪や戦争という現実を突きつけてきた。逃避の手段を、彼女自信が消していったともいえる。そうすると、失ったものに対する代替手段が確立していくのも必然だ。
「ミソラは、その基盤を取り戻そうとしてるのかもしれない。それはあの子自身のもかもしれないし、全く別の誰かかもしれない。ま、多分、大多数の人を困らせるのは間違いないわね」
テロというものは大多数を巻き込もうとした忌むべき行為である。それに屈した国家は威信を失い、誰も従わなくなる。危険に脅かされ、犯罪を助長し、大多数が不幸に陥るだろう。ミソラたちの行いはそういうものだ。国家と大衆を敵に回した人間は、生きる場を失うと言っても過言ではない。それでも──。
「それでもどうなるかはまだわからない。いまはあの子達を見守りましょう。ね?」
それでも悪いことにはならない気がする。”旅するアイドル”が戦ってきたものや、守ってきたものを考えれば当然の成り行きだろう。
ハルの手がノアの右手に寄り添う。結局、自分たちは傍観者なのだと思い知らされることとなった。
スミカはワイヤーによる拘束から解除されたあと、真っ二つに割れた白銀の残骸をみやった。彼女に真っ二つにされてから、仮面の持つ強大な力に全身が震えた。
「……なにこれ、全然可愛くないじゃん」
かっこいいという人はいるかも知れないが、可愛さの欠片ひとつもない仮面だった。どうせならスミカの好みに仮面をカスタマイズするべきだったかもしれない。もっとも、この無骨さがスミカの表面を覆い隠し、内面を発露させた要因でもある。
「本当は、知りたくなかったんだけどな」
仮面を拾い上げてスミカは胸にそれを抱えた。切なくなってくる感情を、この仮面が覆い尽くせばいいのにと思う。しかし仮面は彼女の手で壊されてしまった。
「アイカちゃんに憎しみなんて、向けたくなかったのに──どうして、どうしてなの」
嗚咽を漏らして激情が静まるのを待つ。涙を認めたくなかった。悲しいから泣くなんて、にくいから殺そうとするのと同じくらいにズルいからだ。だからこそ、本音は決して埋まらない間を自覚させた。
「もう嫌、アイカちゃんと、戦いたくない」
アイカはあんなに人を思いやれる。では自分はどうだ。
ただ、許せない気持ちを認めたくなくて、他人の力を持って発散させようとしただけではないか。
誰にも聞き届くことのない涙を流して、州中スミカは後悔の雨に飲み込まれていくのだった。
生まれてこの方、思い付きが失敗しなかった例はなかった。自分はそれだけの力を手に入れていたし、拒絶されるわけがないと思っていたからだ。
許されるはずがない。家の力で消し去ることすらおぞましい不要物を、わざわざ異国に放逐したのに、あ
の女は舞い戻ってきた。
「──ろす、殺す、殺してやる。気持ち悪い、気持ち悪すぎる、生き汚すぎる──」
頭が沸騰しそうだ。これで絶対的だった時間や寿命が減った。あの女──ヒトミの存在が、吐き出した息が、馬鹿にすうるような顔が、気持ち悪くて仕方がない。
「……お父様、なぜ、あのとき、殺さなかったのよ……」
それは生まれて初めて親に対する不満だった。いままでは父が道を作ってくれた。その道は栄花に満ちあふれていて、将来の総理大臣の妻という素晴らしい肩書も手に入れた。そのはずなのに、あの女が関わってきたことで何もかもが台無しだ。
「異国へ飛ばしたのに戻ってきたのよ。生存の道はありえないくらいの最悪な国に飛ばしたんでしょ。なのに、なんで!」
「──あれには構うな燐音よ。できが悪くても女。運良く生き延びたのだろう」
燐音は父の言葉に失望を感じた。問いかけに対する答えではない。これは大空家の絶対性を、彼の言葉が揺らいでいる証明だった。
もう我慢ならなかった。燐音は悔しさをにじませたまま執務室をあとにした。
これで終わると思うな。
「私を苛つかせた人間は、地獄すら生ぬるい末路を辿らせてやるわ」
人まずは妹とその連れである”旅するアイドル”をターゲットに、燐音は端末を取り出し、連絡を放った。
「裏で動かせるものを全員動かして。──旅するアイドルは全員始末なさい」
観測、収束、調整。
かくして、全ての仕込みと勢力図を把握が完了した。一部、見えない動きもあるが、だからといってここで足を止めるわけにもいかない。松倉リツカは車内で身支度を整えながら、状況のおかしさに笑ってしまった。
「……一人じゃ、ここまでやるつもりはなかったんだけど」
国家という相手を敵に回すのは、たとえリツカでも得策ではないことは分かっていた。人の心を動かすのは恐怖にほかならない。自分たちが標的になる可能性を示せば、たとえ変わることはなくても時代の犠牲者は止められるとリツカは考えた。おじいさんのような人が命を奪われなくなるためには、それしかないと思った。
今でも、この思想が揺らぐことはない。弱者のふりをして弱者を寄ってたかって虐げる人間は存在する価値すらない。奴らは這い上がろうとする人間すらも意図的に貶める。
「あの子たち、どこまで進むの?」
これは支配構造の脱却すら超えている。人間の根源的な恐怖を呼び覚まし、混乱の渦でたくさんの人が死ぬ可能性だってある。リツカも考えはあれど、現実的ではないと思った案だったのだ。彼女たち──いいや、宗蓮寺ミソラはいつからこの企てを考えていたのだろうか。彼女の精神性はどこの誰が培い、育んでいったのだろうか。
「一番理知的だと思ったけど、宗蓮寺ミソラがいちばん馬鹿じゃない」
いったい彼女の眼にはどんな世界が映っているのだろうか、リツカは気になってしまっていた。何人も人を殺したリツカであっても、自分たちが直接的な被害を受けていないからという理由で協力を申し出たその精神性も無視することはできない。
リツカは彼女たちの協力者という当事者ではあるが、時代の変革を迎えるひとりの観測者の気分になっていた。故に、これだけは成功させたい。いまだけは己の使命を忘れてもいいほどに。
「たった六人で変わると思う?」
リツカが運転手に尋ねると、「そうですね」と前置きしてこんな言葉が返ってきた。
「誰もそんな意識は念頭にないと思いますよ。これはただの通過点ぐらいしか思っていないんじゃないですか」
「……なにそれ、こんだけ敵を回してそんな態度でいられるなんて、馬鹿を通り越しちゃってるって」
知れば知るほど宗蓮寺ミソラやそこに集った旅人の狂いぶりが明らかになっていく。とてもじゃないが、まともではない。しかしリツカはそこが愉快だとも感じていた。
「でも悪くないかも」
車がスピードを緩めていく。前方の景色に決戦場所の国会議事堂があった。
警備は軒並み地に伏しているようだ。みると、五つの影がこちらに待ち遠しそうにしていた。
「行ってくるわ」
「はい……皆さんを頼みました」
リツカはツーサイドアップに整えた髪を揺らしキャンピングカーの外に出た。同時にネックレスにかけていたドレスアッパーを起動し、リツカの衣服がゆらめき新たな衣装を顕現させた。
勝負服はこれと決まっている。漆黒を貴重としたゴスロリは、自分自身の弱さを隠すための武器であり、心を決めるための装置でもあった。いまは別の意味合いを付加されていた。リツカは議事堂前で待っている彼女たちの元へ駆け足で到着した。すぐさま五人の黒衣装をまとったアイドルたちにリツカは言った。
「随分と遊びが多かったようだけど、ちゃんと悔いを残さずにやれた?」
その問いにそれぞれが反応していく。
「ええ、なんとか」
「わたしは終わったあとでお話をする予定ができました」
「こんなタイミングで来るとは思わなかったがな」
「ユズリハちゃんとデート満喫しましたー!」
「デートなんてしてませんよ」
と、各々で悔いを残さずに集合を迎えることができたらしい。リツカも彼女たちのお陰で本当の思い雨をさらけ出すことができた。その協力を惜しむつもりはない。彼女たちの結末を見届けるのが、この事態を引き起こしてしまった松倉リツカの運命だ。
リツカが到着してすぐに、警察や機動隊の車両が続々と集まっていった。議事堂周辺の警備は想像より手薄だったが、その分中へ警備を集めているとリツカは予測していた。ゆえに仕込みの一部を使用して、外からの対応を済ませておく必要があった。
「リツカさん」
「ええ」
リーダーの号令でリツカは両手を覆う漆喰の手袋を両手で二回ほど叩いた。突入号令を受けて、多数の格好をした制圧部隊がやってくる。幸いなことに、飛び道具を用いることはなかった。おかげで、なんの憂いもなくそれができた。
リツカは両手を地面に叩きつけた。青光りする線が地面の表面を駆け抜けていく。四方八方に広がっていく線は、魔法陣みたいに残っていき形をなしていく。ただこの場にいるものからは、何ができているのか把握は不可能だった。
制圧部隊は状況の変化に足を止めた。”旅するアイドル”の攻撃だと判断したのか、様子をうかがいだしたが、それが彼らにとって捕獲の機会を喪失させた。
突如として、青白い壁が彼らの目の前に広がったからだ。
慌てふためく突入隊の声は壁が阻むことでかき消えた。突入隊と”旅するアイドル”の壁は空まで多い、途中で湾曲し、頂点が国会議事堂の真上へと伸びていた。その様子を見て、ユキナはしみじみとこぼした。
「ほ、本当にできちゃいましたね……議事堂を覆うバリアなんて」
「でも時間はないわ。一時間もしたら解除されてしまう。そうなったら全部が水の泡。行きましょう」
そうして彼女たちは議事堂の中へ、なんの感慨もなく無遠慮に足を踏み入れるのだった。




