話を聞き回って
宗蓮寺ミソラという女の情報はよく知っている。宗蓮寺グループの宗主の娘であるが、その存在は十四歳になるまで明るみにはならなかった。その理由は宗主が不倫をした相手と出来た子供という線が濃厚だが、事実は”不確定”であると知らされた。
あとはエリート階級の英才教育を受けながら、最終的に音楽の道へと至った。ピアノの演奏を高級レストランで演奏し、そこで働いていた先導ハルと出逢う。そこから芸能事務所の社長の黎野明美との出会いで運命が変わった。〈ハッピーハック〉というアイドルで三年活動後、黎野明美が放った硫酸によって宗蓮寺ミソラは頭部や顔に大怪我を追う。結果、顔の皮膚そのものを別の皮膚に差し替え、髪も以前のものとは違うものになったという。それから彼女は姉の宗蓮寺麗奈と兄の宗蓮寺志度と共に、長野県の人里離れた村でひっそりと暮らした。
だが謎の襲撃にあい、ミソラは”技術的特異点”を有する集団に保護。ミソラは姉たちを探し求め、全国津々浦々を駆け回るようになった。
彼女の一連の行動は、復讐のために獲物を探す獣にも思えた。目的のためならどんな恥も受け入れ、自分の身をひけらかして世間に訴えかけてきた。ある意味では、世間の声という力を”旅するアイドル”は利用してきた。そうすることで成り立っていたともいえる。
だがこの認識をリツカは改めることになった。宗蓮寺ミソラは自分やシャオ・レイとも匹敵する”災厄の女”だ。彼女の思考や思想は、世間を揺るがし、迷惑をかけ、困らせてしまう。生活の基盤を揺るがすだけではなく、大衆の当たり前の生活すら奪おうとしていた。
「分からない」
彼女は一般側の人間だと思っていた。でなければ、復讐なんて道は選ばない。社会の動物として、人の営みを大事にしてきたはずだ。数々の悪事を暴いたのは、人並みの正義感と誰かを大切に思う心を持ち合わせているからに他ならない。リツカが悪なら、ミソラは正義であるはずだ。
「……私を引き入れるための方便。いや、でもあの感じは……」
数日前、宗蓮寺ミソラは仲間やリツカに言った。〈P〉奪還だけでは対策されてしまう。だからこそあんなことをしでかすのだと。リツカは初めて人に恐怖を覚えた。彼女のやること事態に対してではない。その方法を最初に思いついたこと自体が飛び越えた発想だったからだ。
おかげで”旅するアイドル”内の関係も大きく変わった。ラムとヒトミはミソラ側に付き、ユキナが保留、アイカとユズリハはバカバカしいと一蹴していた。リツカはどれにしてもアイカたちの気持ちは理解できた。ただ論理的に状況を紐解いたとき、ミソラの提案しか”旅するアイドル”が生き残る道はない。おそらくアイカとユズリハは分かっているだろう。
「宗蓮寺ミソラの作戦……なのかは別として、あれなら〈P〉の奪還は可能。0が1になっただけでも、やる価値はある。そのために私の力が必要だってことも。けど──」
気が進まないのはミソラのやろうとしていることが、いずれ自分が行おうとしていたことと似通っていたからだ。元々、人が持ってしまった悪性を取り払い、世界の人々に反省を促すのが目的の一端だった。弱者のフリをし人を攻撃するという悪性こそ、真剣に今を生きる人たちを脅かす生き物だ。それを排除するのになんの呵責もない。人間が誰しもかけがえのない存在であるなんてありえない。かけがえのない存在であるなら、人を攻撃するわけがない。
「私には、無理よ」
リツカが恐れていたのは自らの性質を理解してしまったからだ。悪と定めた者は遠慮なく切り捨てた反面、真剣に生きている者たちに危害を加えることは絶対にしなかった。だがミソラは違う。彼女の行いは、全ての生きとし生けるものを危機に陥れる可能性がある。なにより彼女には、そうすることに一切のためらいがなかった。
「……私より、常軌を逸しているというの? だったら、なんで今まで最短を進まなかった。”旅するアイドル”なんてことしなくても、あの女ならいくらでも方法を取れたはずだ」
なにより〈P〉という”技術的特異点”がいたからには、出来ないという言い訳はできない。そうしたなら今頃、姉と兄に危害を加えた連中を発見し、復讐の刃を突き立てたかもしれない。または、元の邸宅で三人仲良く暮らしていた可能性もある。
宗蓮寺ミソラは理解の範疇を超えた存在だ。彼女を知ることにこそ、いまリツカが生きていいる意味がわかる気がする。リツカは大部屋で待機されるように言われていたが、自分の意思で初めて部屋を出た。
西村壮太郎と出会ったとき彼は慌てた様子で身を翻した。おそらくリツカの処遇を知っていたのだろう。すぐさま彼を呼び止めて”旅するアイドル”のことに関して聞いてみた。
「まあ、世間で言われてたのは”権力者の不正を暴く奴ら”とか、義賊だとか、だよなあ。名を広めたのは、やっぱサヌールの件だろ。あれには僕も世話になった一人だった。すごかったぞ。ミソラさんの大立ち回りはギャンブラー顔負けものでなあ──」
思い出話を横に流して、宗蓮寺ミソラの事を尋ねてみた。西村は逡巡のあと晴れやかな様子で言った。
「五十を過ぎたおっさんが言うのも何だが、若い人間は昔よりパワフルになってんな。彼女や先導ハルみたいな人間がその筆頭だ。まあ、誤解を恐れずに言うがアンタもその一人だ。一人……個人の力は人間が想像していた限界を飛び越えていく。天才、とひとくくりにしちまえば聞こえはいいがな。でも、どんな人間より確固たる信念を持っているのは、本当にすげえなあって思うぜ」
旅するアイドルのキャンピングカーに向かうと、麻中ラムと鵝毛ユミが車体の外装を取り外していたところだった。ラムはこちらを見やるとすぐさま車内に踏み入った。リツカが扉の前まで到着するうちにラムは慌てて外へ出た。てっきり制圧のための武器を用意していると思ったがそうではなかったようだ。
「あ、あの何か用でしょうか。退屈なら端末を用意しますけど……」
リツカは必要ないと断りを入れた上で、二人が行っている作業に付いて聞いてみた。口にするのを憚っていたラムの代わりにユミが答えた。
「見ての通り車の改造だ。冬装備を変えて、決戦仕様に備える。ようやく机上でしかなかったあれやこれやを搭載できるんだ。胸が踊るね」
「あ、あの、変な装備はつけないでくださいよ。見た目はあくまで普通のキャンピングカーと同様にしていただけるなら」
「もちろんだ。車なんて洗う必要なんてない。大事なのは中身だ。人の本質もそこにある」
ユミが矢継ぎ早な手付きで作業をすすめる。やっていることは分からないが、今後の作戦で大事になってくるのだろう。リツカはラムに”旅するアイドル”と宗蓮寺ミソラについて尋ねてみた。
「もともと、アイドルなんてやる気ではなかったんですが、たしかあれは〈P〉が提案してきたことですよね。そもそもミソラさんが敵をあぶり出すためだけにステージに立つ、というものが彼女が急にパフォーマンスを始めたのがきっかけです。そこから”旅するアイドル”なんて言われ始めて……だから、そういう意味では、ミソラさんがあのときステージ上でアイドルにならなければ、また別の形で私たちは旅していたんでしょうね。もしかしたら、ここまでのことにならずに、最短で目的が達成していたかもしれません。でも──」
ラムは一旦言葉を切って、声を潜めてリツカに言った。
「私、ここが心地良いです。もちろん奇跡的なバランスの上で成り立っているのは分かっていますが。……だから〈P〉も、最後の最後まで味方になってくれた。そう思っているんです」
また別の部屋に入ると雑多な者が置かれた空間に迷い込んだ。そこにはヒトミがギターを適当にかき鳴らしており、ユズリハが近くで目元を尖らせて見守っていた。二人はリツカに気付くと気を張り詰めたが、質問を投げかけるとすぐに対話の状態を作った。
「なぁに、リツカちゃんも興味持ったわけ。ていうか、個人的には旦那さんとの馴れ初めばなしとか、夜の話とか聞いてみたなあって思ってみたりしてえ」
「聞いてどうするんですか。そもそも遊んでいるくらいなら、私の話を聞いてください。あなたたちのやることがどれだけ馬鹿でアホなことか」
「だってえ、そこまで追い詰められたらそうするしかないじゃない。ユズリハちゃんは自分だけに降り掛かった不幸を自分で断ち切れる人かもしれないけど、私は自分が受けた苦痛は何倍にも返したいのよ。だって、それじゃ割に合わないじゃない。いじめられた人は復讐する権利があるわ。その事をとやかく言うなら、先に攻撃した人は永遠に気持ちよくなっちゃうでしょう?」
「だからこその法や秩序なんです。傷を受けても平等に敷かれている法が救い出せるようになってます」
「でも罰を与えるにはお金が必要になってくるのよねえ。一般市民には手の届かない額だし。平等の前提がおかしいっていうか。人々が攻撃する対象って、貧困に向けてのものが圧倒的でしょ。自分はできていることなら相手もできるでしょうなんて、楽観的な期待を押し付けて差別しちゃう。あなたもそうじゃない、松倉リツカさん?」
不思議なことにヒトミの意見はリツカが日頃から思っていたことだった。この世界は、圧倒的に攻撃したほうが優位に立つ。壊されたものは最初の状態には戻らず、体を傷つけられたという事実は消えない。まして人が蘇ることはないのだ。ユズリハはどこまでいっても一般の観点の意見だ。社会的にはそれが正義であっても、この世界では数あるうちの意見でしかなく絶対性は薄い。ただ、絶対のものにしたい勢力が圧倒的多数であるだけだ。ただ、ユズリハの場合は事情が違った。
「被害の対象は私じゃない。個人的に受けた傷は昔から返してきたつもり」
そういうふうに育ってきた、とリツカが語るとヒトミは挑発めいたように頬を釣り上げた。
「ふうん。あなたは誰より愛に生きているのね」
「……愛、に」
「人が争ったり、憎しみ合うのは愛があるからだって、どこかの誰かが言ってた。そのためなら傷つけることにためらいはない。だから、あなたはお子さんのために行動してたのかなと思ったんだけど──そうじゃなかった。私たちの知らない登場人物がいるんじゃないかなあって」
ヒトミがそう考えるのは無理はなかった。だが彼の存在を知ることは出来ないはずだ。出自どころか名前すら失われた存在だ。もし知っているものがいたなら、また違った道へ進んでいたことは間違いない。
言うことはないと思って黙っていると、ふと鼻を啜る音が聞こえた。二人ははっとして出どころを見た。ユズリハが俯いて唇を引き締めていた。
「……お二人だけで勝手に納得しないでくださいよ。なんで、勝手に不幸のままに終わらせようとするんですか」
そのまま彼女はその場で腰を下ろした。蹲ったまま絞り出すように言葉を続けた。
「私が馬鹿みたいじゃないですか。いつだって見捨てることだって出来たのに、なぜだか放っておけなくなっちゃって。少しは明るい話してくださいよ。出来ないなら、私が精一杯考えますから。だから──」
だから、から続く言葉をユズリハは止めた。あえてそうしたのか、こちらに気を使ったのか。彼女は善性が強い人間なのだろう。だからこそ、他人の思いに同調してしまう。同情は身勝手で簡単な行為だと思う。しかし身近な人はそうは感じない。ヒトミが彼女の横に座って頭をなでた。
「ごめんねユズリハちゃん。らしくなかったかも。でもそういう星の元に生まれちゃったし、性分だから。確かに、昔はひどいことされたけど、いまは今まで一番楽しいの。そう思えたのは、ユズリハちゃんがいたからなの」
「……私が、ですか?」
ええ、とヒトミは穏やかな目を向けてユズリハの頭をなで続けた。
「ディーラーの仕事は楽しかったけど、段々と息苦しくなってきてたところに、ミソラちゃんやユズリハちゃんがやってきたでしょ? 奴隷を買うように言われてユズリハちゃんを目をみたときに、ああこの人は強いなって感じたの。あのときの予感は間違ってない。私が船を降りるのが当たり前に思ったほどだもの。”旅するアイドル”をして、色々なことして……そうして、やっとユズリハちゃんの強さを知った」
慈しみの情愛がユズリハへと注がれる。気まずい、素直にそう思った。
「あなたは絶対に人を不幸にしない。そんな優しい人だから、私たちみたいなろくでなしにも優しくしてくれる。……私ね、ある人達に恨みを持っていたのだけど、あなたがいればどうでもいいと思うかもしれない。だって、復讐なんてしても楽しくないって思い始めている。
ユズリハちゃん。私たちはこれから去年の夏の終わりのように、私たちの大切な何かを取り戻しに行くのよ。……だから、もし私やミソラちゃんたちが人を傷つける一線を超えそうになったら、ユズリハちゃんが止めて。それだけできるのはあなただけだから」
「……遠慮、しなくていいんですか」
「ええ。だから、最初の一歩は進ませて。でないと、私たちは止まって死ぬだけだもの。そんな人生は──」
「つまらない、ですか?」
「わかってきたじゃない」
そう言って二人は笑いあった。リツカを放っておいて二人の世界に入ってしまったようだ。”旅するアイドル”や宗蓮寺ミソラのことを聞き出したかったのだが、彼女たちの場合はこの二つの要素は主な要素ではないのだろう。旅路の中で新しい自分を作り出していった。
大空ヒトミは大本の大空家に海外へと飛ばされてしまった。本家がなぜそんなことをしたのか理由は不明だが、ヒトミが彼らに恨みを持ち復讐を望んでいてもおかしくない。”旅するアイドル”が彼女の毒気を薄め、水野ユズリハという存在が監視することで離反を防いでいたようだ。
”旅するアイドル”とは何か、なんとなく見えてきた気がした。彼女たちは大事な何かを喪失している。それを埋めるために旅をしているのだ。ただ、一つだけ疑念は残る。
「……どうして、アイドルなんてことやってるの?」
彼女たちのパフォーマンスを見て思う。その手法を取る合理的な理由が見当たらないことに。この事を二人に意見を聞こうとしたそのときのことだった。
「おい、色々と聞いて回ってるようじゃねえか。──ちょっと付き合え」
アイカが肩にバズーカみたいなのを掲げて顎でリツカを誘いに出した。




