災禍の目指した場所
”旅するアイドル”と松倉リツカ一行は自然の奥底に建つ知る人ぞ知る老舗旅館に到着した。一泊だけでも相当な値段がする。なのでミソラとユキナ、そしてリツカを宿泊に、残りは温泉だけ利用して車中泊となった。リツカの足の足枷を外し、手錠は従業員には隠して訪問し、宿泊する和室に荷物を置いた。
ミソラたちは大浴場に向かった。浴室でリツカの服を脱がせていく。彼女は抵抗することなく受け入れていた。洗面台から大浴場に出た。すると温泉に使っているアイカたちと出会った。彼女たちは依然とリツカに厳しい目を向けていたが、構わず風呂の横で頭を洗うことにした。
「ユキナさん、彼女のほうを頼める?」
はい、とユキナはうなずいて洗面台の後ろに立った。泥や汚れで黒んずんでいた肌にシャワーの水を当てていき、シャンプーで頭皮を包むように洗っていった。リツカはさきほどから人形のように佇んでいた。
「……さて、一人で洗えるかしら」
あまり気は進まないが、これも今後のために必要なことだ。ミソラは震えた手でシャワーと取り、蛇口を捻った。足元にお湯がかかり、足元から順番に洗っていく。
頭部以外の部分をボディーソープで包む。体はかつての自分と変わりないものだ。見ていて安心感さえ覚える。リツカは依然とこちらを見ようとしていない。
ミソラは一呼吸を置いた。対話の難しさは、まずその場を作ることにある。殺したものと、殺されたものが、仲良く明日の天気の話なんてできるわけがない。彼女と対話をしようと思ったのは、ミソラたちは彼女たちの手によって何も失っていないからだ。
悪人、犯罪者という枠に松倉リツカは陥った。その事実を消えようがない。いままで出くわした悪人たちは、必ず自己の利益となるものがあった。茶蔵清武は自己の立場を維持しようとし、オービス・クルエルは船内の悪事が露見することを恐れ姉を傷つけた。金城は醜聞が露見した腹いせに襲撃した。富良野での一件は様々な勢力が複雑に絡み合っているらしいが、その一端には松倉リツカが絡んでいることは間違いない。
「お湯、かけますね」
ユキナがシャワーでリツカの頭を洗い流していく。全身の泡がなくなったあと、不思議なほどに光沢を放つ肌色をみせてきた。思わずユキナが声を上げた。
「肌とっても綺麗ですね」
「……だからなに?」
どこか琴線に触れたのか、リツカは拳を握りしめていた。
「入らなくても生きていける。人は何もしなくても異臭を放つもの。しょうがないことでしょ」
彼女にとって清潔であることはさほど価値を見出していないらしい。むしろ、そういう風潮に一石を投じているみたいだ。この言葉だけで、彼女の過去の生活が伺えた。世間一般での不衛生な生活を送ったことがあるのだ、と。ユキナが謝ろうとした矢先、ミソラは割って入った。
「そのとおりだけど、あんまり強く言わないであげて。全身の汚れを落としたのは、この素晴らしい温泉を汚さない配慮だけだから
ミソラも頭と顔以外の部分を洗い終えた。ヘアゴムで髪を一纏めにして湯船に浸かる準備を済ませる。
手錠を隠すためにタオルを両手にかけてユキナがリツカを誘導した。湯船に浸かったのを確認したあと、ミソラも彼女の隣で腰を落ち着けた。ちょうどよい湯が全身を染み渡らせていく。極楽と呼ぶべきこの温泉なのに、リツカは無感動を貫いていた。そのままでいても仕方ないので、ミソラが話を切り出した。
「露天の温泉は見事ね。天気がいい日は、ほら──って、星には興味ないようね?」
「……早く目的を言って。私を引き取ってどうするつもりなのよ」
本題を入るのは彼女を知ってから、と思っていたが、どうやら想像以上に彼女の意志は揺らぐことはないらしい。観念して話すことにした。
「そうね。じゃあ言うわ──私たちの仲間になって、松倉リツカさん」
ふと、ミソラたちから少し離れたところでこちらを伺っているアイカたちと目があった。彼女たちにそう提案したときと同じ言葉をリツカはこぼした。
「……………………なんで?」
ようやくこちらをみて、感情を発露する姿を見ることが出来た。
立て続けにその理由を口にする。
「まず、私たちのことを話させて。ホテルの一件のあと、私たちは警察に包囲されてしまったの。あなたが引き起こした騒ぎと都市内のVIP殺害の容疑者としてね」
「……VIP殺害。それ、私知らないけど」
「もちろんあなたは関与していない。殺害犯は別にいいる。ただその殺戮から生き残った人が、私たちを名指しした。そのついでに、あなたもVIP殺害の犯人として扱われたわけ」
「じゃあ、あなた達はとんだとばっちりを受けたんだ。本当は人々を助けようとしたのになぜか悪者になっちゃったと。ご愁傷さま」
「そこは問題の本質じゃない。私たちがいくら罪をかぶろうと、旅が続くなら別に構わない。いくらかの面倒はあると思うけどね」
大衆監視の只中であっても、姉を見つけるために全身全霊をかけるだろう。面倒を回避する手段はいくらでも持っている。だがある前提があってこそだった。
「私たちには重要なブレーンがいた。だからこの宛のない旅が続けられたけど、私たちは白浜でそれを奪われてしまった。他でもない、左文字京太郎によ」
リツカは横目でミソラを睨んできた。話に興味を持ったようだ。立て続けにミソラは語った。
「それを取り戻すにも、いまの”旅するアイドル”では心もとない。優位を取る能力も、力もね。できることがあるとするなら、機が熟すまで逃げることだけ。そしていま、ようやく動けたわけ。だからそれの代わりになる存在を、私は欲しているの。……松倉リツカ。あなたの近くには”技術的特異点”があるはずよ。一番手っ取り早いのは、その力を利用することだけど──」
「期待には添えられそうにない。あれとはビジネスパートナーっていうか、密接につながっているわけじゃない。私が欲しかったものと、あっちが欲しかったものを交換して、取引が成立していただけ」
「取引……。それって、自殺候補者の割り出しに関係あったり?」
ふと、リツカは愉快な笑みを浮かべた。ミソラの放った単語に思うところがあるようだった。
「あれ、そんな呼ばれたんだ。呼び方なんてどうでもいいけども、いい括り方してる。確かに自殺させようとした人たちだったし」
リツカは空を仰いだ。二月末に引き起こした出来事が遠い過去にあるかのように、すでに済ませた事柄として処理しているようだった。やはり常軌を逸している。彼女にとっては、予兆として始末させた数人も、未遂で終わった四万人も大したことがないのだろう。彼女が滅ぶべきと定めた命は、良いように言えば「等しく命」なのかもしれない。
「あなたの言う”技術的特異点”なる存在とは、一体何なの?」
「手っ取り早く言えば、知性を持った人間じゃないなにか。あなた達も、そのように考えてるでしょ」
リツカがミソラ以外の人にも聞こえるように言った。極度のリラックスに陥っているからか、思考の働きが加速し饒舌になってきた。
「……ま、計画が頓挫すると知ってからか、白浜で縁切れになっちゃったようだけど。今じゃ連絡を取る手段もない」
”技術的特異点”とは一般的に、人間の手を離れた技術や機構のことを言う。例えばAIが人間と変わらない知性を獲得することや、人が仮想の世界で第二の人生を過ごすことが、ここ最近の定説だ。もっとも、一つだけの要素事態は実現しているし、過ぎ去ったものは”特異点”とは呼べない。まだ世間一般に浸透していない異能のようなテクノロジーこそ、”特異点”と呼ぶべきものだとミソラは思っていた。
「付き合いはどれぐらい?」
「六年ぐらい。やっていたのはただの会話。私が持っているメッセージアプリにある文面が届いてきたの。ちょうど妊娠中だったかな」
「そういえば、息子さんがいたわね。最後の最後にあなたを助けようした」
「……いまはよして」
リツカは目をそらした。彼女自身も、あのときの出来事は予想外だったに違いない。おそらく家族すら人質にし、ホテルの中に閉じ込めていたのだろう。自らの正体を明かし、犯罪者であることも知っていたに違いない。松倉リツカの息子が出てこなければ、リツカは今も刑務所の中だった。触れたくないようなので話を戻した。
「……妊娠期間に、”技術的特異点”のコンタクトがあってから、一ヶ月前の計画に行き着いたわけ?」
リツカは首を振って目をつぶった。記憶を掘り起こしているようで、とつとつと語りだす。
「いいえ、私が殺したかった人たちは明確だった。……さっきの電車で私を羽交い締めした中年がいたでしょ。六年前が彼がターゲットの一人。殺したくてたまらなかった元凶。彼を含めたら、あと百人以上の人はいたと思う」
「……なるほど。それがどうしてか四万にまで膨れ上がった。いいえ、もっと増えていった」
「ええ。これからどんどん増えていくでしょうね。だから最終目標は国家転覆だったんだけど、そこまで至るつもりは毛頭なかった。正直なところ、私が求めていたのは”本音”の部分だったから」
「本音?」
「人は何かと物事に怒りを発露するものでしょう。しかもそれを、大々的に発表できてしまう世界になった。社会的なことから日常的なこと、趣味レベルのものまで、大なり小なり怒りを発露させる。私たちって、そういう意見や言葉ばかり脳に記憶されてしまう生き物で、それは科学的見地からでも明らかになっている。ここまで人の世は豊かになったにも関わらず、人の怒りや憎しみはなぜだか相対的に増えてきている。まあ、昔から横行していた不正やハラスメントが解消されたからだと思うけど、ちょっとでも該当することがあれば声を上げるでしょう。中には大したことがないのに、楽がしたいからという理由が透けているような悪辣さが見えるほどのね」
感情的な彼女の言葉は、怒りや憎しみというよりは失望を感じていたことが分かった。いつかだか、似たような話を思い出した。ハルから芸能界に感じた歪さを語っていたときと内容は似ていた。リツカのはより俯瞰的で、この時代の人間を詳らかにしていた。
「──”弱者のフリをしている人”。それはもはや現代が生み出してしまった病にして生態よ。世間一般の常識や道徳を武器に、個人の感情を武器にするのかの違いはあれこそ、共通しているのは──それは人を傷つけていることにほかならない。しかも無自覚な人もいるから質が悪い」
「”社会保護プログラム”を受けていた人や、中傷を繰り返している人がそれに該当するわけ?」
「そうよ。そこから精査したら、四万人ぐらいになった。全国に増やせば、総人口の半分以上はそういう人に当たるんじゃないかしら」
「その人達を殺して、あなたは何を得ようとしていたの?」
「……さてね」
彼女は悲しげにつぶやいたあと、心根の部分を明かした。
「もう、わかんなくなった」
そのまま立ち上がり、湯船を出ようとする。ユズリハが動き、彼女の無断の行動を止めようとしていた。リツカは振り返って苦しげに息をついた。
「そろそろのぼせそう。で、次はどうするの。身を清めたあとは、味付けして調理台に並べたりするのかしら」
どこぞの文豪作品みたいなことを言い出す。ミソラはこのあとの予定を話した。
「そんな細い体で美味しい肉なんて食べられないでしょう。これからいいご飯が待ってるから」
いい調子におもてなしができている。口数も増えてきた。松倉リツカという人物をルーツをそろそろ明かしてもらうとしようか。




