一縷の救出
あとちょっとで死ねるという時に、彼女は風邪のように出てきた。頭がおかしくなるのも仕方ない。きっと首を絞められたからとか関係なしに、放った言葉に理解が追いつかなかった。
「……私が、必要……?」
馬鹿馬鹿しいと口にしそうになって咳き込んだ。喉の痛みがようやくやってきた。
「ま、待ってください。い、いきなり出てきて、何なんですか」
正義感の強い若い男が噛み付くも、ミソラはため息がてらに言った。
「あなたを殺人の罪から救ってあげたつもりなんだけど、本当に自覚ない? 一般市民なら警察に突き出すのが筋ではないのかしら」
「だ、だがこの女は犯罪者という粋を超えているテロリストだ! こいつの行いのせいで何人の人間が死んだと思っている。それに、お前だって”旅するアイドル”という輩だろ。こいつと同じ、犯罪者だ!」
「否定はしない。絶賛全国指名手配中で、現在進行系で警察から逃げてきたわけだもの。半分以上でっちあげという部分を抜けば、償いの補填は十分にしたつもりよ、私たちは」
石川県のショッピングモールの壁を破壊したときの修繕費を出し、サヌールの健全化に貢献し、富良野や白浜では未曾有の危機を救っている。ただし白浜のときは、都合よくVIP殺害の濡れ衣を着せられてしまった。
「もしここにいる者たちが”善良な一般市民なら”、今頃警官か駅員がこの中に突入しているでしょ。なのに全くその予兆すらない。さすがにあと数十秒で来ると思うけど」
ミソラは車両の扉へ目を向けた。そこには扉の前で立ちふさがっている少女が扉の間に立ちふさがっていた。黒髪の旅するアイドル、原ユキナは申し訳無さそうに周囲を見やる。
「す、すぐ済むので、もう少しだけ待っててくださいねっ。ミソラさん、はやく連れ出したほうが……」
「わかった。ちょっと失礼」
こちらに近づいてきて、リツカの体を起こす。押さえつけていた二人は展開の目まぐるしさに力を込めることを忘れていた。だがすぐに、首を締め付けた男が声を上げた。
「ま、待てっ。待て、待て待てえええ。みんな、彼女たちを逃がすな! ここで立ち塞がらないと、これから沢山の人が──」
リツカを捕まえて離さない若い男だったが、そこで甲高い音が響いた。放物線を描いてミソラの肩を通り過ぎ、金色の残影が男の方へと落ちていく。男は思わずそれを掴んでいた。手に乗っていたものを見て眉をひそめた。
「これ、五百円玉か?」
「はい、あと五秒で強い電流が流れる……かもしれません」
ユキナがそう言うと、若い男はあわて五百円玉を放り投げた。ちょうど拘束しようとしていた手が緩んだ隙にミソラが彼女を引っ張り出した。一気に力強く引っ張り出し、扉の外へ逃げ出そうとした。
「何をしているんだ。はやくあの女達を捕まえろ!」
どこかの誰かが叫んでいるが、彼女たちは人と人の間をすりぬけていく。
都市に向かう沢山の人が驚き、戸惑っている。リツカのいた車両で塞いでいた二つの扉が閉まった。電車が発進したのと同時に、ミソラたちは駅の構内から改札を出た。ちょうど駅のローターリーに白いキャンピングカーが止まっていた。扉が開き、ヒトミが「はやく!!」と叫んだ。見ると駅員と駐在の警察が追ってきていた。
「アイカさん!」
「ちっ……手荒に使いやがってよ」
共に逃げていたアイカが懐から拳銃を取り出した。もちろん実弾は入っていない。彼女が必要とした要素を弾薬に詰め込んだ。スタンを始め、麻酔、網など幅揃っている。いまではそのストックが切れており、最大戦力のスタンと麻酔は使えない。網を張ったとしてもあまり効果的ではないだろう。
アイカが振り向き狙いを定めたあと引き金を引いた。乾いた音とともに、三発もの弾丸が追いかけてきた男たちの足元に命中した。すると突然、白いものが膨れ上がり、男たちが一斉につんのめった。抜け出そうとしていたものの、足は地面に接着剤が着いたように動きが止まった。その隙に四人は車の中に乗り込んだ。ミソラたちが車内に入った瞬間に出発した。
息を散らすミソラたちとリツカ。特にリツカは電車内で殺されそうになっていたからか、気絶しそうな雰囲気があった。しかし彼女は、なんとか気力をもたせてミソラたちに敵意を向けた。
「……なにが、目的。”旅するアイドル”」
ミソラが彼女の肩を抱いて手近なソファーに座らせた。ユキナがコップに水を注いだものをテーブルの上においた。話をすすめるには、彼女がその気になるまで待つつもりだった。
「答えないんだ。白浜でのお返しのつもり? たしか、VIP殺害の濡れ衣を着せられたんだっけ。あれはこちらも不本意だったけど」
当然、松倉リツカが都市内の殺戮に加担しているわけがない。彼女には人を選んで殺そうとしていた。すでに十人以上の犠牲者が出ており、決して許されないことをしている。それでもミソラ──”旅するアイドル”は彼女を助け出す理由があった。
「……はあ、ほんとわけわかんない。あのまま殺されるのを待てばよかったのに」
「死を望むのは勝手だけど、相手に煽らせて殺されるなんて品がない。自分の命ぐらい、自分で始末をつけられなかったの──あなたがそうしてきたように」
ミソラの追求に対して、リツカは無感情を貫いていた。松倉リツカには、いままで自殺へと追い込んできた人たちに対してひとかけらほどの罪悪感を抱いていない。たとえ人殺しに悦楽を覚える者だとしても、何かしらの反応があって然るべきだ。
「松倉リツカ、さっき言ったことはいまは忘れて」
「さっきのって、私があなたに必要かどうか、ということ?」
ミソラはうなずいた。わけがわからないというふうに、リツカの疑念が膨れ上がっていっているようにみえた。
「まずはあなたが、あんな大掛かりで遠回しな殺人計画を立てた訳を知りたい。最後の部分──動機の解明をね」
これだけはいくら考えても答えは出なかった。松倉リツカには”技術的特異点”が付いていた。”旅するアイドル”における〈P〉のように、超常的な科学技術の恩恵を受けていたはずだ。でなければ、単独であそこまでの騒ぎは起こせない。一部の人間を洗脳して兵にし、特定の人間を直接手を下すことなく殺害してみせたのだから。
「幸い時間はある。私たちが旅するにはこの国は窮屈だけれど、心と体を癒やすにはいい土地よ。ただ、少しばかり不自由を強いちゃうけど」
ミソラがユズリハに目を向けた。彼女は「はい」と言ってリツカの両腕と両足に手錠を装着した。アイカが銃を向け、ユキナがスタンコインを撃ち放つ用意をした。
「……手足まで拘束して、次の攻撃までの対応をするなんて」
「一応、あなたに対する最大の賛辞のつもりよ。掌底一突きで、三途の川に渡りそうだった もの。そんな相手に自由を許すわけがないでしょう」
当然、一定の自由は与えるつもりはない。最初からそのつもりだった。もっとも、リツカが殺されかける状況になるなんて思いもしなかった。
「あ。これじゃあ、水飲めませんよね。はい、どうぞ」
ユキナが水を注いだ水をリツカの口元へ近づける。リツカは頑なに口を開けようとしなかった。しかしユキナが意外な行動に出た。リツカの両頬を摘んだ。
「むにゅっ!?」
「飲んでください!」
すぼめた口からコップの水を注ぎ入れる。口いっぱいに水がリツカの口から溢れかえり、それを反射的に飲み下そうとしていた。
「げほっ、げほ……なんて、無茶苦茶なの……」
「あ、すみませんっ、でも水分取らないとお話もできないでしょうし」
それと、とユキナは言葉を切って言った。
「あとで山奥の温泉旅館にも入れますね。そのままだと、アナタも大変でしょう?」
「──本気?」
ミソラは真面目な顔になって言った。
「体洗うときも、他のみんなが手厚い施しをするわ。いい温泉と料理、ああそうそう、お酒もあるみたいだから、好きなものを頼みなさい」
リツカの顔が理解を通り越して呆れを見せた。
「……もう、わけわかんない。あんたたち、指名手配犯になってどうかしちゃったようね」
そうかもしれないと、ミソラは肩をすくめる。実際、ミソラとユキナ以外はリツカに敵愾心を抱いている。それを解きほぐすのも、今回の旅路の目的の一つだった。




