父と子
悠人がいなくなって半日が経過した。張り込みをしていた刑事にも事情を説明し、周辺の捜索にあたってくれた。だが結果は芳しく無く徒労に終わってしまった。
端末を持ってくれていたら位置情報で特定できたのだが、悠人は端末を所持しないまま飛び出したようだ。
「ちくしょう、悠人のやつ、どこへ行きやがったんだ」
間違いなく母親を探しに出かけたのだろう。それにしては突発的にも程がある。松倉に叱られた勢いで飛び出した可能性もあるのだ。
「あの年で家出……くそ、そういう発想はちゃんとあんだな」
リツカの教育は間違いなく影響を受けていると思った。おおかた、嫌なことは逃げろとか教えたのだろう。あれは自己を確立した人間に適応できることであって、物の考えたが分かっていない子供には適応できない。警察の捜索は続けてくれるらしい。六歳の男児が夜一人で出歩くなら警察が補導してくれることを祈るしかないのか。そのとき、松倉の端末にコールが鳴った。
「悠人か!?」
反射的に通話ボタンを押して「もしもしっ」と電話口に叫ぶ。返ってきたのは戸惑いがちな女性の声だった。
『ごきげんよう松倉さん。私を息子の電話と勘違いするなんて、随分なご挨拶ですね』
偉そうなこの声で頭を抱えそうになった。上司の先導ハルが珍しく電話をかけてきた。要件は何か訪ねようとしたとき、彼女が間髪入れずに要件を口にした。
『明日、緊急の会議があるので出社するように。しなかったばあい、休暇中の補助金を打ち切るのでそのつもりで』
口答えするまもなくハルは通話を切った。思わず舌打ちをしてしまう。
「くそっ、相変わらず勝手なヤツだ……」
腹たたしいが、休暇中の補助金が出たのは先導ハルのはからいにほかならない。このまま放っておいても悠人が見つかるとは考えにくい。松倉は張り込みの刑事に明日のことを告げて、翌日の早朝から出社した。
緊急の会議というと、やはり”フィクサー”の存在がちらつく。茶蔵清武、金城一経は有罪判決を受けて服役中だ。残る最後の一人が”フィクサー”のリーダー的存在であることは、今までのやり取りから察することが出来た。
一層、気を引き締めなければならない。相手するのはハルだと思うが、足元をすくわれないことを祈るばかりだ。
宗蓮寺グループの本社をいつものように出社ゲートを自動認証でくぐり、エレベーターで最上階から一回下のフロアへ向かった。上の階に上がるほど重役が残ることが多く、松倉を不審な目で見ることがよくある。階を間違えたか平社員め、という視線をどこ吹く風で受け流して、最後の一人になったときに愚痴を吐き出す。あの家族旅行以降、気の休まらない日々だったが、こうして出社すると不思議と心が穏やかになっていった。
エレベーターを降りた後、だだっ広いフロアを進んでいく。”特別顧問室”という表札の前に立ちノックをした。
「失礼すんぜ」
中に入って愚痴を披露した。
「ったくよ、呼びつけんならもう一日早く言ってくれよ。こっちだって色々あってだな──」
と、部屋の中に入った瞬間、内側から爆音が外に漏れした。遠慮がないほどに流れているのは、なにかの歌のようだった。それもアップテンポなメロディーに乗って女の子たちが舞っているような感じだ。
「……何見てやがんだ、あの女は」
小言が聞こえないほどに部屋中に音が響き渡っている。元々、会議室だった関係もあってか、オーディオ系の装備は揃っていると聞いたことがある。いま部屋の中は、百インチ以上のプロジェクターが展開し、薄暗い部屋の中で何かしらの映像を再生しているのが見て取れた。お気に入りの椅子に座っていた上司は、こちらを見て手を振った。松倉は中へと入り扉を締めたあと、いそいそと彼女に近づいていった。そこでプロジェクターに投影されている映像が何であるのかを知った。
「──これ、アイドル……ていうか、もしかして……」
三人組の少女がステージの上で踊っており、その中央で存在感を放っている太陽の目は紛れもなく先導ハルその人だった。松倉が近づいていくとエアディスプレイを操作し音量を下げていった。話し声が聞こえる部屋の状況になったが、映像は流れ続けていた。
「ごくろうさま。後少しでライブが終わるから、少し待ってて頂戴」
「いや、俺はあんなのどうでもよくて」
「まあまあ、見たがっている人もいるから」
そう言ってハルは音量をもとに戻した。人生でライブへ行ったのは数えるほどしかないが、直近の記憶でまだ三人だったときの”旅するアイドル”がショッピングモールで披露したパフォーマンスを思い出した。あのときより音響は圧倒的で、映像の中のアイドルたちも動くたびに輝きを増していた。あれが新たな時代を作ったアイドル──先導ハルが作った、〈ハッピーハック〉|《みんなを幸せにするアイドル》か。
今流れていた曲が終わったところで部屋に明るさが戻った。ハルはエアディスプレイでプロジェクターを片付けながら松倉に視線を向けた。
「どうだった、昔の私たちは」
「どうっつってもなあ。俺にはアイドルはよくわからん。嫌な記憶ばかりだ」
計画を阻まれ、くすぐりの拷問をくらい、足としてこき使われているのが、松倉の中のアイドルという存在だった。ここ一年の松倉は、アイドルによって心身を脅かされているといっても過言ではなかった。
「あんな特例を比較対象にしないでほしい。一応、まっとうなアイドルをやってたつもりなんだけど」
「映像も曲、メンバーのプロフィールすらネット上に残ってねえアイドルがまっとうか……? お前さんを含め、面倒な存在に成り下がってんじゃねえかっ」
「否定はしないけど、あんまり下手なことを言わないほうがいいわよ。特に息子の前では良い父親でいたいでしょ?」
ハルの謎めいた言葉を吐いた。息子の前では良い父親でいたい? どうしてこのタイミングで言ったのか分かったのは、視界の端に小さな影を見つけたときだった。
一回り小さい子供が椅子に座って松倉たちを見つめていた。昨日から見つけてやまなかった悠人だった。
「悠人っ、なんでお前がこんなとこに……!?」
「それは私が説明するわ。……先日の夕方ぐらいに受付から連絡がきてね。お父さんの忘れ物を届けに来たと聞いて変だと思ったから、その姿を見たらびっくり。以前、写真で息子さんの姿を見たからとりあえず中に招き入れたわけ。色々事情を聞いて、一晩仮眠室を貸してあげたのけども、やっぱりあなたにも来てもらったほうがいいと私が判断した。悠人くんは、サプライズの登場に驚いているでしょうけど」
「……お父さん、呼ばないって言ったのに」
「望みを叶えるなら、そのプライドへし折っちゃいなさい。本当に大事なら、それぐらい簡単なはずよ、悠人くん」
腹立たしいほどの意見に対し悠人はそんな事分かってると言いたげに視線を反らした。本音と理性の狭間で葛藤するとは、悠人の年齢はそこらの高校生と変わりないのではないかと思った。
「積もる話もあるだろうけど、いまは親子喧嘩をしている場合じゃないと思うわ」
「それって、どういうことですか?」
悠人が尋ねると、ハルがエアディスプレイを差し出した。SNSの書き込みのようで、写真付きで投稿されているものが多かった。それを見てなるほどと唸った。
「おかあ、さん」
「……ボロボロじゃねえか」
顔や服が黒ずんでいるもの、そこから着替えたと思われる妻の姿が映っていた。背中や正面を隠し撮りしたものが多く、投稿者たちは興奮気味に彼女に対してまくし立てていた。中には被害を受けたという書き込みも存在した。
「お母さんの目撃情報がここ数日で相次いできた。捕まるのも時間の問題──いいえ、あれほどの大罪人がそんな形で終わるのかも怪しい。権力者の手によって葬り去られるか、大衆の攻撃に合うか」
ハルは言葉を切ってそれを口にした。その瞬間、悠人は青ざめた顔になって、それから悔しげに唇を噛んでいた。松倉もそれは最悪だと思った。なぜなら、理性的な世の中であっても一定数の愚行は行われる。そうなると、一刻も早く彼女を真っ当な方法で捕まえてほしい。そのほうが一番平和だ。
そのときだった。悠人が戸惑いがちに松倉を見ていた。息子の中で激しい葛藤が渦巻き、いまプライドを捨てようとしていた。だが本当に捨てるべきなのは誰か。息子に寄り添わないといけないのは他でもない自分ではないのか。だがこちらから声をかけたとしても、意見が合うことはないだろう。息子を妻に合わせるわけにはいかない。
互いに目が会うことなく時間が過ぎていく。
先に口を開いたのは息子だった。その目は昨日の涙より大きく見えた。
「お母さん、どうして悪い事したの……?」
それは騒動を知った人が誰もが考える当たり前の疑問だった。いや、実際は犯罪者が裁かれることを祈り、被害者の遺族は死刑を望むに違いない。悠人の母親はそれほど大きな罪を犯した。どんな理由があろうと、決して許されることではない。もちろん、悠人はそれを理解しているはずだ。
「お母さん、教えてくれないから、いっぱい調べて、考えて……けど、お母さんが悪いことをしたことしか分からなくて……」
悠人は端末上でたくさんの怨嗟の声と向き合ったのだろう。この先、悠人が母親の罪に翻弄され、人生の障害になることは明白だった。なおさら母親に対する怒りは募る。それに気づけなかった自分自身にも。
しかし悠人の涙に絶望の色は滲んでいなかった。もっと根源的で、普遍的で、子が母親に望んでいる唯一のことだった。
「なんで、僕たちじゃ、なかったの」
松倉だけではなく、ハルもその言葉に声を漏らした。
その言葉はあまりにも純粋で、その望みが叶えられない者が、この世界では多数いる。
「僕と、お父さん、嫌いだったのかな……」
かもしれない。好きだとしても、彼女はやったかもしれない。
「知りたいよ、お母さんのこと……知らないままいなくなんて、やだよ……」
真実は誰にもわからない。分かっていることは、松倉リツカはどこまでも破滅を望んでいたという事実だ。そこまでの憎悪がいつ生まれ、育まれていったのか。知ったところでどうにもならないかもしれない。
だからといって、目の前で泣いている息子を放置しておくほど落ちぶれたつもりはない。
「……お父さん」
松倉は悠人を抱きしめた。不快だったのは、悠人がなぜそこまで母親を庇うかだった。当たり前だ。悠人が悠人になったのは、母親がきちんと育てたからだ。そこには一切の罪はない。むしろ良くやっていたほうだろう。だからこそ、悠人の気持ちはよく分かった。
「悔しいよな。俺も悔しい。情けねえよ」
ずっと他人にコントロールされる人生だった。悪人の取引場面を偶然みてしまい、自分が消されないためにどんな悪事もこなしてきた。松倉も立派な大罪人だ。裏で犠牲になった人がたくさんいたことだろう。
「……俺もたいがい悪人だけどな、俺たちから産まれたやつがこんなに優しいんだ。ここで腹くくらねえと」
松倉は悠人の手を握ってハルに振り返ってこう言い放った。
「悪いが、もうお前らの指図は受けねえ。上の黒幕にもよろしくな」
ハルは扉の前に立ちふさがった。手を前に突き出して言った。
「待ちなさい! そんな横暴は許されない! ここに端末類全てを置いて、どこへでも消えろ!!」
「は、はあ?」
なんだか芝居がかっていて緊張感が薄れた。邪魔するならこちらも容赦はしないつもりだったが、ハルは続けてこう言った。
「いま出ていったとして、張り込みから逃げられるとでも思っているの!? いいえ、そんなことありはしない! 警察の包囲網をなめるんじゃありません!」
なので、と前置きし、ハルは懐から端末を差し出してきた。
「こちら、新しい端末と、退職金がてら電子マネーがチャージされています。詳しくは中のメモ用紙を参照に。──これでどこへでも好きなところに行ってきなさい」
急に優しい声で豹変するのでこちらの気分もおかしくなる。分かっていることは、この上司に巡り会えたのは不幸中の幸いだったことだった。




