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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅱ部】第八章 黄金の静寂
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不穏の春



 三月初旬になると全国の学校で卒業式が幕開き、今いる場所から新しい場所へと踏み越えていく段階に入る。若者たちの巣立ちに心を踊らせ、涙し、別れを告げる光景は、かつて大人たちが過ごしていた輝かしい時間ときを思い起こし胸を焦がしていく。


 しかし今年度の卒業式は異様な緊張感の中で幕を開けた。花園学園でもそれは例外ではなく、生徒たちは別の感慨をいだきながら巣立っていくのは目に見えていた。二週間前にあんなことが起きなければ、彼女たちは心置きなく式に臨めたはずだ。ふと、隣の教頭先生が耳打ちしてきた。


「学園長、今年はなんというか、例年の通りの卒業式にはならなそうですね」


「ええ……残念なことですが、時期が時期なだけに、生徒や保護者も緊張しているのでしょう。それに、我が校だけはその渦中と無関係というわけではありません」


 桜川菜々は昨年の夏に来訪した彼女たちを思い起こした。彼女たちを悪いものから助け出すという名目のもと計画に協力した経緯がこの学園にはあった。結果、彼女たちは学校という箱庭から巣立っていき、教師としては卒業式にも似た感慨を抱いたほどだ。


 そんな彼女たちが、いまは世間では忌むべき存在として扱われ始めた。忘れもしない、先月末の悲劇は、日本人に消えない傷を負わせた。ただの殺人事件なら消化される事柄であったが、都市が占拠され、多数の負傷者を出し、そして海外からのVIPが殺害されるという痛ましい終わり方をした。この学園にやってきた彼女たちは、事件の首謀者として指名手配されるにまで至った。


「式が終わった後が正念場です。教頭先生、先生方と連携を取り生徒たちのケアをお願いします。特に規制退場の件はよろしくおねがいしますね」


 もちろん、と教頭は緊張の面持ちで言った。教師陣の仕事はここからといえた。


 卒業式のあと、それぞれの教室でクラス最後の別れがあって、それからクラスごとに規制退場となった。校庭には四台の大型バスがあり、生徒たちだけではなく保護者も一緒に乗る。最寄り駅のバスターミナルで解散するのが式を台無しにさせない方策だと桜川は考えた。


 生徒と保護者を乗せたバスを見送りながら、桜川は正門まえでたむろしている異様な集団をみて眉をひそめた。横断幕を掲げ、自分たちの正義を高らかに叫んでいた。


「犯罪者を匿った学校を許すな!」


「許すな!」


「学園長は責任をとってやめろ!」


「やめろ!」


 桜川はため息を付いた。あの集団の殆どが学園に滞在する二年以下の保護者が参加していると聞く。学園には連日、講義の電話が届き事務員が疲弊している姿を見るようになった。”実験都市白浜”で起こった悲劇

「白浜テロ」の影響は身近なところにまで影響している。特に”旅するアイドル”に関わったものは、現実やネット問わず紛糾の対象になっていた。

 だが事件の概要を知れば知るほど、桜川は疑問を抱いてしまう。


「あの子達が、そんなことするものですか」


 総死者二十三人。その大半が海外からの招かれた国賓客で、しかも残虐な方法で殺されたとか、毒殺されたとか、真偽不明の情報がネット上で飛び交っていた。それに対して、招待を受けた国々が日本に対して激しい批難を飛ばし、国際社会からも厳しい立場に追いやられてしまった。しかもこの事件で唯一の生き残りである総理夫人が、犯人の名前を口にした。それが彼女たちだった。それを機に淀んだ空気が学園に、いや全国に充満しているのは間違いなかった。


 真偽は定かではない。誰もそれを確かめようとせず、与えられたものただ受け取る者が多すぎる。生徒の中で、実際に彼女たちと接した人は信じていなかった。だがそれ以外は、彼女たちに対する恐怖を浮かべているようだった。いくら彼女たちが全国で騒ぎを起こしている者だとしても、人を殺すような真似は絶対にしない。だがいくら訴えようと届かないのが世間というものだ。


 桜川に彼女たちの誤解を解くことはできない。できるとしたら、先導ハルのような立場のある人間ぐらいだろう。

 一時とはいえ、”旅するアイドル”は我が校で学びをともにした生徒だ。この混沌の時代で、彼女たちの無事を祈らずにはいられなかった。







 都内某所にある高級料亭へ珠洲沢祝詞(すずさわのりと)は足を運んでいた。余念なくSPを配置させ、前方後方ともに万全の状態だ。普段はこんな場所を使うことはないが、いつどこで話を聞かれているのかもわからない状況なので、盗聴盗撮に加え外部からのネット接続も断てる高級料亭を選んだ。すでに先方を待たせている状態だ。


 目的の部屋に到着した。襖を開けると最新鋭のセキュリティを備えた鉄扉が待ち構えていた。珠洲沢はSPが指示した場所に立った。すると四方八方から淡い光が全身を包み、「認証完了」という音声がしてから扉が開いた。この先はSPも立ち入ることができない。文字通り、二人きりだ。料理も予め用意されているらしい。つまり追加注文は命取りともいえる。


「では、警護をよろしく頼む」


 SPが会釈を返したあと、珠洲沢は扉の向こうへと進んだ。背後で異様な音が響き、謎の緊張感が走る。この部屋は密室。もし殺人事件が起きたとしても、犯人は珠洲沢かもうひとりの客人のどちらかしかありえない。そこまで考えてから、珠洲沢は自身を呪った。ストレスを超えると恐怖が前提の思考になってしまうようだ。妻がテロリストの襲撃を受けてから、ずっとそんな調子だった。


「失礼するよ」


 襖を開けると豪勢な和食が座卓の上に並んでいる。広々とした和室は外側のセキュリティとは相反して古き良き時代を思い起こさせる造りになっていた。珠洲沢は先に来ていた人をみやった。彼はおちょこを口に運んでいたようで、珠洲沢の姿があっても気にせず飲み干した。


「随分と早かったね左文字君。選挙活動はいいのかい?」


「僕は元々選挙というものに飽いています。我々がいくら訴えても大衆には届かない。そもそも国の行く末などに興味がないのですから」


「で、あんな方策を取ったわけか。だが大衆というものは気持ちや思いに重きを置く。それで選ばれているといっても過言ではない」


「さすが、総裁選に勝っただけありますね」


「勝ったのは党で私はお飾りみたいなものさ」


 左文字京太郎は肩をすくめて刺し身を醤油につけて口にした。一回り下の歳で警察庁警備局長という肩書を引っさげているのは凄いことだった。彼と懇意になって数年が経ち、日本を守る立場として意見を交換したり政策にも関わらせてもらった。珠洲沢が持つカードの中ではエース級の存在だった。ただ、二月末の事件以来、彼に対する不信感が募っており、今日の邂逅はそれを確かめるために来たと行っても過言ではない。


「左文字君、君がここまで野心のある男とは正直思っていなかった。その姿勢で、紛糾だけだった各国が、どう改革するのかの関心へと切り替わった。ただアメリカだけは別だが」


「それもいずれ変わります。何も軍隊を編成しようというわけではありません。犯罪抑止のためにシンポジウムの技術を活用するというだけですから」


「……あれからか、シンポジウム参加国からの技術提供があったのは。まるで国賓の弔い合戦といわんばかりの展開なんだが、まさか予期していたわけではあるまい?」


 冷酒をグラスに注ぎながら左文字が応えた。


「国の思惑までは把握できません。ただ僕は運命をというもの信じている。悲劇の後には必ず希望がある。この原理は昔から変わっていませんから」


「それで、あの蜘蛛足兵器を登場させたわけか」


「蜘蛛足……まさか最初に呼ばれたあれが定着するなんて。”SPYⅦ型”という正式名称があるんですがね」


 三月三日に行われた追悼会見では左文字京太郎が登壇。責任者としての務めを果たすだけでは終わらなかった。その後に登場した蜘蛛の足みたいな兵器の登場はまるで国家の軍のデモンストレーションと呼ぶべき一幕だった。不安な情勢を明るくする要因だったように思う。そのあと、珠洲沢にも影響を及ぼした。


「──そのあと、妻に取り入ったというわけですか」


 左文字は一瞬動きを止め、冷酒を座卓の上に置いた。ここからが本題だ。


「妻はあのあと狂乱した。死を恐れ、自宅周辺の警備を強固にしただけに飽き足らず、海外の射撃場へ赴いていると聞く。それも公的なものではなく私的なものだ。そのあと、私にある通達をした。──解散をだ」


 ここで言う解散とは、国会の解散のことだった。妻の珠洲沢燐音(すずさわりんね)が進言してきた。


「妻がそう言ったのなら、それはお上からのお達しにほかならない。……つまり、大空家が本格介入してきたというわけだ。もっとも、皇族と違い彼らは裏で日本の舵取りをする者たちだ。介入はよくあることだが、どうにもタイミングが気がかりだった。いくら支持率が最低値を更新したとはいえ、その予兆は一月からあったというのにだ」


 左文字は料理に口をつけることなく黙って聞いていた。こちらを伺っているのだろうか。それに思ったより口が回らない。そこで左文字はお酒に手を出すことにした。日本酒の瓶をグラスに注ぎ舌先で舐めていく。一気にグラスを仰ぎ、手近な天ぷらをつまんだ。


「この解散の意味を考えた瞬間、私はすぐに君の顔を思い浮かべたよ、左文字君」


「……僕の顔ですか。随分と示唆に富んでいるようで」


 くぐもった笑いが左文字から溢れた。彼は釜飯の蓋を開けた。湯気が立ち上り、彼の顔がぼやける。そこで珠洲沢は彼がみせる態度を垣間見た気がした。


「素直に従う方もどうかしているよ、珠洲沢さん」


 彼の態度が一変した。珠洲沢に対する徹底的な侮蔑があった。


「大空家という古来の日本からの暗躍者(フィクサー)。あなたはそのご子息を娶り、実質彼らの傀儡となった。表と裏の役割が崩壊し、政権すら彼らの傀儡となった。まあ、それで万事事が進むなら僕もここまでの関心は持たなかった。しかし奴らの暴走はこの大地を焦土に変える。──異国文化と異国人の排除なんていう、愚かな思想を永遠に掲げる限りは」 


「た、確かに彼らは極端な思想を持っているが、表ではできない工作ができるのは彼らの協力があってこそだ。もし彼らがいなかったら、この国は様々な国が利権を吸い上げる土壌になりかねなかった。それは君も分かっているだろう」


「もちろん。……だがそれを行ってきたのは誰か。我々、公安だ」


 力強い口調で左文字は言った。たとえ総理であっても彼の姿勢は崩れることはなかった。


「今年のはじめに行われた京都での作戦。あれは国際思想犯”旅するアイドル”捕獲作戦の折、京都の連中は殺害という密命を受けていた。()を通すことなく、独断でだ。これでは秩序維持なんて夢のまた夢。しかも話を聞く限り、あれは大空家の私情が絡んでいる」


「……私情」


 彼の言葉に思い当たる節がある。”旅するアイドル”の始末が失敗した一月。あの日も妻からの進言があった。


『京都に”旅するアイドル”が来てるの。あの子たち、富良野の件で不問になっているらしいじゃない。しかも警察があばけなかった闇を続々と暴いていっているそうでね……。このままだと、あなたにまで刃が届くんじゃない?』


 思えばあの言葉が契機になった。このままでは”旅するアイドル”に珠洲沢の裏が暴かれる可能性だってあった。サヌールの一件で金城一経(きんじょういっけい)の裏金の分配には、珠洲沢有する内閣にも届いていた。そのことが明るみになった場合、世論からの追求は免れない。それだけはなんとしても避けたかった。


「だが君も容認したではないかっ。あれはどう説明するつもりだ」


「私は部下からの報告を受け、事の成り行きを見守ったに過ぎません。それに、私がただの一度も、水野ユズリハに”旅するアイドル”を排除するよう命令しましたか?」


 珠洲沢は口ごもった。思い出してみても、彼は一言も”旅するアイドル”の潜入調査員であった水野ユズリハに命を下していなかった。あのときは彼女が察したように激昂し、反旗を翻しただけだった。その後、左文字は京都の公安を罰することになった。まるで自分は無関係だと言わんばかりの責任転嫁だとあのときは思ったものだが、あれは彼にとっては正当な罰則を適用させたにすぎなかったとしたらどうだろうか。


「あなたは大空家からの勅命が私にも行き届いていると勝手に勘違いなさった。対外関係はそれで全て把握しました。大空家と内閣の繋がりを確信できたからこそ、私はビジョンを明確にできた。省の設立には時間はかからないでしょう」


 左文字は表情を変えないように努めていたものの、声の弾みようから彼の野心が伺えた。

 省の設立、すなわちは──警察省。新たな国家の枠組み。政治の一端を担ってしまうこれを設立して良いものかと国内でも論争の種になっている。だがあの蜘蛛足や最新鋭の管理AIで風向きが変わった。左文字京太郎は世間の不安につけ込み、新たな秩序の風通しを良い方向へ向けていたのだ。


 総理といえど、後ろ暗いことがないわけではない。(まつりごと)とは正当な道だけではうまく回らないものだ。よって裏では様々な人間の思惑が蠢き、誰かが得をし誰かは損をしている。入れ代わり立ち代わることは、常に細胞が変わるように当然のことだ。しかし誰も異物を体内に入れることは良しとしていないのだ。

 珠洲沢は責任逃れをした総理として歴史に名を刻むだろう。


「さて、食事に戻りましょうか。辛気臭い話は酒で流して、これからの未来の話しを存分と語りあいましょう」


 そう言ってから彼は次々と食事を味わっていった。まるで一般庶民がファストフードで食事するような気楽さだ。最高級の食材を一流の料理人が作ったものでも、物怖じることなくたいらげていく。珠洲沢は最後に一つだけ尋ねたいことがあった。


「君は国の頭に立ちたいのか?」


 左文字は食べながら言った。


「──立たないといけないんですよ。まずは僕から、それから有望な人間に席を明け渡すつもりです」


 行儀悪い作法での返答だったが、なぜかこのときだけは高潔な人間性が垣間見えた。野心は私腹を肥やすためではなく、本当に国の未来を思ってのことだと分かってしまった。


 だからこそ思わずにはいられない。

 その国家で流れる血の量を。


 日本という国を強固にすることのいびつさを、左文字京太郎は理解しているのだろうか。答えはわからない。そして誰が彼の思想や理想を詳らかにするのかも。


「珠洲沢さん、とにかく食べましょうよ。なに、毒が入っているわけでもありませんから」


「……では、いただくとしようか」


 珠洲沢は鮎の塩焼きに手を付けた。芳醇な香りは香魚とよぶべきにふさわしいものだったが、味覚が麻痺しているせいか味はよく分からなかった。先程の天ぷらも味わいがなくなっていた。毒を食わされたか、自らの(ストレス)で味わいを消してしまったか。このときばかりは、この部屋から一刻も早く出られるように、ひたすら料理を食べた。


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