アイドルは死なない
午前七時五十三分。白浜のリゾートホテルのスイートルームで電子音がこだまする。松倉リツカは複数の端末を同時接続させ、最終段階へ移行させていた。指定した人間だけを殺すことは、こんなにも手間で煩雑で、そしてやりがいがある。
「そう、お前たちは部屋にこもっていればいい。そこで生まれた悪しき心を、その身で味わえ──」
これはカウンターだ。己の罪を自覚し、自ら命を絶たせる。弱いフリをしたものたちが、本当に弱いものを傷つける。そうした害獣の数は、時代が進むごとに増えていく。人同士で争うのはいい。だが一方的に終わらせようとするのは最悪だ。成熟した社会はいつか静寂さを失う。完成するのはディストピアにほかならない。
「本当ならザルヴァートにも協力を取り付けたかったけど──ちょっとばかし野蛮すぎ」
実は水面下でザルヴァートと接触を図ろうと考えたことがあったが、調べれば調べるほど彼らの実態がただの”戦闘狂”の集まりだと分かってしまった。そしていずれ、彼らと競合することも明らかだった。
なので一芝居を打って一網打尽にしようと考えた。彼らにとって日本は最後に滅亡させる国だった。消費の権化であり、主を排斥した日本という国を食後のデザートみたいに終わらせようとしていた。
「別に、何もかも殺さなくてもいい。腫瘍を切るように、そういうものを断てばいいだけ──そうは思わない、あなた」
リツカは背後を振り返ってベッドの上で縛られている男たちをみやった。彼女の夫の松倉幸喜と息子の松倉悠人は両手足を拘束され、憤慨と不安をそれぞれ浮かべていた。松倉がリツカに怒気を飛ばした。
「気まぐれにもほどがあんだろ。なんで俺らをここへ連れ出した、ええ?」
「状況や成り行きでやることなすことが変わるもの。あとはそうね……ちゃんと見てほしかったのかな」
「見てほしかっただ?」
「成り行きで家族になってしまったなりのケジメをつけたかったの。この六年間の清算っていうのかな」
リツカはコンソールに戻り、最終調整を進めながら話を続けた。
「悠人はわたしなりに教育させた。一極化せずにきちんと考える子になる基礎は与えたつもり。あとはあなたに任せるしかなくてね」
「……おかあさん……」
悠人はさきほどから身を縮ませて母親を見ている。手足の拘束が異常な事態であると認識している。リツカは安心させるように優しい声で言った。
「悠人。まだ教えてないことがあったわ。今目の前にいる人や、隣りにいる人。この世の全ての生物は己にとっては敵であることを覚えておきなさい」
「敵って、なに。わかんないよ」
リツカは泣きそうな息子の声を無視した。何の感慨も抱けない。腹の中に身ごもった時点で”そうなってしまったか”という諦めがついた。選択肢はなかった。子供にはこれからの世界を生きやすいように育てたつもりだ。教育が間違っていなければ、親の性質は関係ないのだから。
「四万人だけで終わらせるつもりはない。変わらないことを選んだのはそっち。考える間もないなんて傲慢にもほどがある。だから終わらせるのよ、いまここで」
選別し、猶予与え、そして終わらせる。これでもそこらのテロ組織より優しいつもりだ。犠牲を産み出し続けているこの社会と比べれば、四万人の犠牲は未来にとって良い方向へ向かうのだから。
「四万が死ぬってか? はっ、冗談もバカバカしい。あんな兵隊でそんな人数殺せるもんかよ」
「ああ、そういえばあなたには言ってなかったっけ。兵隊はただの囮。本命はすでに仕込ませている。あとは起動のタイミング次第だった。データ上の都市と、実際の都市の様子とのデータをすり合わせるために、私は都市入りして修正を重ねていった。送ってくれてありがとね。家族連れだと、怪しまれずに散策できるわけだもの」
「……そういやお前、どうやってシンポジウムの招待状手に入れたんだ」
「あなたが雇った探偵で、私が誰と密会していたのか掴んでたじゃない。あれが答え。シンポジウムの委員会副長に取り入って手に入れた」
都市は外のネットワークを切り離されているものの、それを見越して昨夜の二十一時に自殺プログラムを忍ばせていた。発信源はここからではない。すでに四万人の端末に保存されている。
「あとは死亡時のデータを収集すれば──」
『……ながってる……しら。……あーあ……聞こえてるかしら、松倉リツカさん』
『私の部下がお世話になっています。宗蓮寺グループ特別顧問、先導ハルと申します。こんなところでのご挨拶、どうかご容赦いただきたい』
『これから貴女の目論見を止めます。人に絶望し、現代に絶望した現代の病を患った貴女の──』
『貴女に捧げる歌です』
これから戦争でも始まるだろうかと思うほどの緊張感が、部屋に閉じこもっていても感じる。 二十年前に”20年禍”最初の緊急事態宣言が発令されたときのことを思い出した。
世界中を震撼させたウイルスに、それから端を発する人々の鬱積した感情は当時二十代だった男の人生観を一変させた。
今まで男は我慢の連続の人生だった。他者に虐げられても愛想笑いでやり過ごした。その反動が、人々がああも感情をむき出しにしたことに安心感が伴った。ああ、みんな我慢してたんだなって。
そこから先は、ありのままに生きると決めた。嫌いなもの、許せないものを攻撃し、出る杭を叩きつけるための言葉をぶつける。攻撃こそが最大の防御だ。
この世界は圧倒的に防御側が損をするようにできている。だから嫌いなもの、許せないもの、道理に反することを叩くことを生きがいにしてきた。──その二十年が、終わろうとしている。
「がっ──いや、やめろ。俺を、おかしく、するな……」
頭の中が煮えたぎっている。耐え難い苦痛が内外から押し寄せてくる。まるで自分の中に別の人格が入り込むような不快感だった。今まで受けてきたどんな誹りや暴力より、
「こうするしかなかったんだっ。おれは、こうでもしない、価値がなかった──」
嘘つきだった。本当はこんな人生は嫌だった。一体どれだけの人間を傷つけてきたのだろう。でも仕方ないじゃないか。そうでもしないと、この世界は生き辛いのだ。常に快楽に身を委ね、目先の娯楽を追い続け、果てしない欲望の渦に流されていないと気が持たなかった。嗜好品を摂りすぎて病気になり、会社もリストラ。生活保護を受けようか悩んでいる時に”実験都市白浜”の”社会保護プログラム”に行き当たった。それからの数年は本当に楽な人生だった。比例するように叩く対象も増えていったが。
実際に吐いているはずなのに、吐瀉物が外に漏れてこない。目から涙が流れているはずなのに、涙が床に落ちることはない。肉体の状況と実際との状況が噛み合っていない。永遠に続くと思われるこの痛みを終わらせるには、ただ一つ。この命が尽きたら、この痛みも消えると思った。
「許して……俺を、過去の、今の俺を、許して──」
台所に包丁がある。これを胸に突き刺すのと首筋を掻き切るのと、どちらが痛みが少ないか本能に任せようと考えた。包丁のみねに手を添え、左の首筋に刃元をあてた。あとは思いっきり引くだけでこの体の痛みは消え去るだろう。
沸き立つ全身を唯一呼吸だけが自らの意思でコントロールできた。だが呼吸ができるからといって、この身を侵略しようとする衝動は耐えられない。ああ、なんと度し難い罪だろう。
「ごめん、なさ──」
腕を振り下ろす。頸動脈から勢いよく赤黒いものが吹き出し、己の断末魔の残響が叫び声が遠ざかろうとした瞬間、それはやってきた。
「──ぁ」
罪悪感の中に異物が入り込んできた。本来、男の中には存在し得ない急激に気持ち悪さが遠ざかっていく。
【LIVE WORLD END FORCE 先導ハル】
「一応、私達もこの曲をバックに作戦開始ってわけ?」
「当たり前です。通信をジャックされてしまえば、自らの命が危ういんですから」
「しゃあねえことだ。BGMあるほうがやりやすいだろ、アタシたちは」
「うん。ミソラさんの分まで、力を合わせて止めよう」
戦装束にドレスアップし終えていたミソラ以外の”旅するアイドル”は、実験都市から舞台を移し、”旧白浜”とよばれる観光地に来ていた。都市から十キロ以上離れているが”実験都市”が小高い丘に経っている関係で景観を損ねたとして国へ提訴する事態にも発展したほどだ。白い砂浜と透き通ったビーチを目当てに長年愛され続けているこの地は、今回のシンポジウムにも一般客が多く詰めかけている。今ではシンポジウムの騒動に巻き込まれる形で警察や消防が出動しており、警戒態勢が敷かれている。
なんとかその網をかいくぐり、ユキナたちは白浜のとあるリゾートホテルの間近まで迫ったのだった。
ホテルの入口には若い男二人が陣取っている。他に客らしき影はどこにもない。どこも満室でシンポジウムの客がほとんど占めていた。ただし一部の客はホテルへ滞在していることが〈P〉の調べで明らかになっている。
つまり今回、人質の救出も視野にいれる必要もある。ドローンを飛ばしてホテル全体をスキャニングしたところ、一部のフロアで人が固まっていることが判明した。今回のやることは二つ。人質を守り、松倉リツカを無力化することだ。人質を刺激しないように、左文字には警察の出動を遅らせてもらっている。よってタイムリミットは一時間。最低限、人質の安全を確保できれば警察の大挙によって事態は解決するはずだ。
「じゃあ、いくか」
アイカの一声でそれぞれが動いた。最初に動いたのはユズリハだ。エアディスプレイで何かを操作し、ホテルを大きく迂回し始めた。ユズリハに気付かないようにユキナ、アイカ、ヒトミは正面玄関へ突入を開始した。ユキナがスタンコインを放つことで警備二人は気絶。そのままホテル内へと侵入するのだった。




