殺さないといけない相手
近接格闘術の応酬は一分も満たないうちに優位性が確立していった。それは背丈の差であり、才能の差でもあった。急所は手刀でも貫くことはできる。しかしそれでも、シャオ相手にはかすり傷も同然ではあった。
距離を離しての戦闘はアイカに不利な状況をもたらす。彼女の隠し持っていた拳銃がアイカを射抜こうとしてくるからだ。武器ひとつもないアイカには、関節技を決める以外に勝ち目がなかった。
「──ちぃっ」
「やっとみせたね」
シャオが袖に仕込んだ刺突ナイフをアイカの腹部を突き刺そうとした。しかしアイカはそれを見越し、突き出してきた腕を外側へいなし、合気道の要領で腕をひねり上げた。技が入り、通常なら痛みで悶えるはずの攻撃だったが、シャオは表情一つ変えずにいた。もちろんアイカは立て続けに攻勢に出た。
顎を掌底で打ち上げ、心臓を肘で打ち抜いていく。シャオが反撃に出る間もないまま、アイカは無駄なくシャオの体を壊していった。彼女が隠し持っている仕込み武器を使うような余裕はなかった。それが隙となってシャオに反撃の機会を与えてしまうことになる。シャオがよろめいたときにアイカはとどめをさしにかかった。
背後へ回り込み両腕を使い首を締めにかかった。また腕を使わせないように両足をシャオの腕にからませて拘束した。腕に力を込めると、シャオの苦しそうな声がこぼれてきた。
「──ぅ──」
「こうするしか、ねえんだ……」
ナイフや拳銃で出血させても、シャオにはアイカと同じく肉体修復機能が備わっており人並みに血を流しても生き残る可能性がある。一対一の戦いでは脳を銃弾で貫くか、急所の全てを一斉に破壊する以外では死に至ることはない。だがもう一つの方法で死に至らせる可能性のある方法が存在する。これはリスクの観点から実験しなかった方法だった。
すなわち窒息死。一度、心臓を止めて血の巡りを止める。もともと自動修復は戦場において有効な力で、なにも空中や深海での作戦での想定はなかった。さらに言えば、この修復機能は偶然の産物に過ぎず、成功症例はアイカとシャオだけだった。
ゆえにここで殺す。悪魔の肉体は存在するだけで死を撒き散らすのだから。
「──」
何分首を絞めただろう。泡を吹いて虚脱した彼女を入念に確認する。
死を迎えているのは明らかだった。これで復活できる人間は、もはや人間ではない。
胸にこみ上げるものがある。世界のガンを一つ切除できたことへの安堵か、大切な家族をこの手で葬ったことへの悲しみか。それは言葉一つで簡単に片付けられる感情ではなかった。
「ハァ……ハァ……は、は……」
シャオはザルヴァートの中でも特異な立場にあり、その一人を殺せたことは有意義のあることだ。だがザルヴァートの残党の一人を殺したに過ぎない。
「これで、よかったんだよな……」
勝てたのは運が良かった。〈P〉からもらった衣装と解析がなければ、数手でシャオに殺されていた。または徹底的になぶってアイカの心を折りに来た可能性もある。どちらにせよ、シャオは死んだ。その事実に変わりはない。
アイカは覚束ない足取りでシャオから後ずさっていった。視界には崩れ落ちたステージがあった。ふいにアイカははっとして瓦礫の方へ駆け出した。
「──スミカ」
スミカの安否を確認しようと思った。生体反応はなかった。だが死体を確認していないからには信用はしない。これは殺し……とくに暗殺任務をこなすうえでの鉄則だ。逆に生体反応がなくとも、範囲外に吹き飛ばされている可能性もあるということだ。
ステージを飛び越えて瓦礫を探る。たった一発の弾丸が物を跡形もなく粉砕してしまう現代兵器の恐ろしさを、かつては興奮冷めやらぬ状態になったことすらあった。いまではそれが異常だと分かる。力そのものに罪はないという人もいるが、人を殺傷するだけに特化した兵器を作り出した人間が罪深いと果たして言えるだろうか。アイカは思うことができなかった。
「無事でいてくれよ」
瓦礫に手を付けようとしたその瞬間、一発の銃声が響いた。
同時にアイカはその場で膝をついた。左広背筋の筋肉が悲鳴を上げた。うめき声とともに、アイカはステージ上に転がった。誰の仕業か一目瞭然だった。
「……マジ、かよ」
「凄いねアイカ。足りない才能-ちから-を文明の力で補助する。実に理にかなった方法だけど、ちょっとばかし甘かったね」
振り向けば退治したときと変わらない姿のシャオがいた。右手にはアイカを撃ち抜いた拳銃を持っていた。
「ちゃんと、殺しただろ」
「そう、ちゃんとアタシを殺した。けど少しは思ってたんじゃない? 呼吸が止まったぐらいではアタシたちみたいな化け物が死ぬわけないって」
「……試したのか」
「パパが死んだ後、この体のことを徹底的に調べ尽くした。アイカは自分のことを知ろうとしないで、忌むべき力だと思って遠ざけた。全くそんな事ないのに。体の傷が自動的に治るのよ。むしろパパがアタシたちに授けた祝福よ」
「んなわけ、ねえだろ──!」
立ち上がろうとして痛みにあえいだ。いくらアイカに肉体の自動修復機能が働いているからといって、痛みがなくなるわけではない。十全に機能させるなら体内に残った弾丸を摘出しなければならない。
「別に殺すつもりはないよアイカ。──だから、ちゃんと見届けて」
シャオ・レイは恍惚な声色で言った。
「核兵器の製造場所に国の軍施設。あとは人道支援という名の国連の犬を滅ぼして……ここも同じように崩壊させるから。”超消費”を終わらせるために、パパの夢をアタシが叶える」
やはりすべてそこへ帰結するというのか。
”超消費文明”の崩壊。それこそザルヴァートが掲げている理念だった。
「……おかしいだろ。じゃあ、なんでステージを壊した。関係ないだろうがっ」
「アイドルだっけ。アイカちゃんも変なものに染まっちゃって。人間の射幸心を煽ってお金を奪っていく。小さな姿を大きく見せて、機械を通した幻想の声を届ける。一生満たされない幻想、それが娯楽というものじゃない」
「だから壊したのかよ!」
「”消費”を促すものは例外なく滅ぼす。その規模がいくら小さくてもね」
『ならその小さいものに関わってしまったことを悔いなさい』
突然、人の声とは思えない声がアイカの背後から聞こえてきた。それからひとつの影がアイカの上空へ飛び越えていき、シャオへと向かっていった。その手に携えるは近未来な意匠を凝らした銃剣で、その者は上空で体制を整え切っ先をシャオに向けて銃弾を放った。
シャオは回避行動を取ったものの、何発か銃弾を体に受けた。通常なら痛みで体が動かなくなるはずが、シャオはある程度食らうことを見越した上で新たに出現した敵を見据えた。銃弾を打ち終わったあとは刺突剣がシャオの肉体を貫こうとした。だが寸前でシャオが避け、転がって距離をとった。銃剣が地面に突き刺さったのを抜き取ったあと、その者の異質な空気が混沌とした状況をもたらしていった。
「……こりゃ予想外の助太刀だ」
全身が灰色に包まれた特殊なスーツに金の意向があしらわれた仮面を付けていた。忘れもしない、先日の劇に登場しアイカたちに襲いかかってきた「彼女」その人だった。先日戦ったなかで、灰色の仮面が女性であるとつかめたが、仮面の中身は分からずじまいだった。アイカにただならぬ憎しみを抱いている様子だったが、そんな彼女がシャオに攻撃を加えたのはなにか理由があるのだろうか。仮面は言った。
『勘違いしないでもらおうか。そもそも私の本来の目的は彼女の方。この都市に潜伏したシャオ・レイの殺害が私の使命だ。君こそ、とんだ油断を付かれてしまったようだな』
「……この崩落に巻き込まれちまったやつがいたんだ。そいつの生死を確かめなきゃいけなかった」
すると仮面の女が応えた。
『州中スミカのことなら安心しろ。崩落の寸前に救助した。いまは避難用のバスに乗っているはずだ』
「それ本当か!?」
生命反応がなかったのは、索敵範囲外に出ていからだと判明した。ほっと息を吐こうとしたのもつかの間、仮面がこんなことをいい出した。
『いいや、やっぱり死んでいたさ。彼女の可愛い顔を君が潰したのさ』
「冗談の才能はねえな」
『……』
仮面は黙ってしまった。場を和ませようとしたのだろうか。それにしては洒落になってないし、状況が状況でなければ一発殴っていた。だがいまは目の前に敵がいる。
「あれあれ、何この仮面の人。アイカちゃんのお友達って感じじゃなさそうだけど……はは、でもいいなあ。変身ヒーローと戦えるなんてさ」
『悪の自覚があるか。ならば身に刻んでやろう。お前が手をかけた数々の所業。死をもって贖うがいい』
「それはさ……この世界が変わったあとにお願いしてほしいよ、仮面のお嬢さん!」
シャオは肉体の損傷を回復させていた。ところどころ破れたシャツには血がしみこんでいる。シャオが意にも介していないところにアイカは総毛立った。アイカとシャオの違いには戦闘経験の差もあることを知らしめていたからだ。
「おい、仮面。勝手なことすんじゃねえ。そいつは、アタシの獲物だ」
アイカの言葉も虚しく、二人は一斉に激突へと走った。シャオの刺突剣と仮面の銃剣が交錯しようとしたが、寸前で二人の動きが止まった。理由は遠くから聞こえてくるサイレンだった。
「あ〜あ、ちょっとやりすぎちゃった。アンタも動きを止めたということは、あまり表沙汰にならないほうがいい立場ってことかな」
『状況次第だ。劇中に紛れて人を殺そうとしたこともある』
「殺そう、ねえ。やっぱ未経験だったんだ。殺意は本物だけど──アタシ、貴方にうらまれるようなことしたっけ?」
『その胸に聞いてわからないようなら問答の意味はない』
仮面は背後へ跳躍してステージ間際まで距離をとった。シャオが後を追うことはなかった。彼女も撤退しようとしているようだった。
「待て、シャオ──」
「アイカ、仮面ちゃん。またどこかの戦場で会おうね」
二人はパトカーのサイレンを振り切るように走り去っていった。シャオが茂みのなかへ消え、仮面はアイカの背後を通り過ぎようとした。そのとき、去り際にこんなことを言った。
『君たちの敵は”暗躍者”がそうなのか?』
「──」
本当にそういったのかはわからない。なにか啓示のような予感が巡ったが、それより先にここを脱出することに思考が回った。背中に手をやり、銃弾を受けた傷に指を突っ込んだ。神経が張り裂けそうな痛みに意識を失いそうになるが、歯を噛み締めて耐えきった。銃弾は奥の方にはなかったのが幸いだった。続いて背中が焼け焦げるように熱くなった。これは修復機能が十全に働いている証で、数分もしないうちに傷がなくなるだろう。
アイカは傷が治るのを待つことなく立ち上がり、ステージの奥の方へ進んでいった。
体の傷に殺せなかった後悔からか鉛のような全身を震わせる力もなくなった。戦えないアイカに、価値なんかない。
ふと父の言葉を思い出した。
「──諦めた人間が先へ進んでいく」
彼は何かを諦めた結果、あんな凶行に走ったというのだろうか。
アイカの肉体を改造し、戦う術を教えたのか。
才能がないなら諦めがついた。なのに、どうして戦う方法を知ってしまったのだろうか。
「直接、人を殺せなかったのに、なんてザマだ。諦めなんて、とっくのとうにしてるっつーのによ」
父が死んでから腐った人生が終わりを告げると思った。なのに一向に前へ進まない。
足しか進まないなんて、虚しすぎるではないか。




