匂い
正午を回った。依然と都市は昨日の盛り上がり以上に浮かれている様子だった。下階層では、東京などの都市部とは変わらないほどの人があつまり、シンポジウムの催しを楽しんでいた。下階層では、実生活に有用なツールを貸し出すというサービスを行っており、また”実験都市白浜”らしい、ユーザーの意見を集めているようだった。そんな活気の中、ミソラたちは下階層で一仕事を終え、公園で休息をとっていた。コンビニで買った昼食をつまみながら、メンバー全員でオンラインでの話し合いをつけた。
「こっちのやることはやった。自殺の恐れがある人は今のところ出てない」
「だがこのままじゃ、今日か明日のうちにめっちゃ死ぬぜ。つーか、大体のやつって首吊りか風呂でリストカットなんだろ。死ぬ奴ら全員、そんな死ぬための道具もってんのか?」
「道具でなくてもいいのよ。この都市に住んでるの半分以上は、三階以上に住んでいる。そこに住んでいるだけでいつでも死ねるわ。この発想をしたときにすぐに住人の居住階を調べてもらった。そしたらビンゴ。候補者が全員三階以上に住んでいたもの」
「……まさか、この方法で四万人を……?」
「むしろなんでいままでこの方法での自殺者がいなかったのかの説明がつく。徐々に殺すのではインパクトが足りない。今までのはほんの予兆。警察や政府が注目し、このシンポジウムが最大限に盛り上がっているときに、この事態の恐ろしさ世間に知らしめるつもりよ」
ハルもミソラの意見に彼女なりの意見を付け加えて同調した。
「それならタイミングは一つしかない。今日のなかで世界中継されるのは、シンポジウムのイベント入ってから。けどそんなタイミングで自殺を図るというの? 別に住人に注目を集めているわけではないのに」
「……ハルもわかってるでしょ。連続自殺を引き起こしている何かは、相手を画面上からの言葉だけで死へと導いている。まるで死神の手招きよ。家に押し入って殺害したのでもない。画面上で、敵はそれをやり遂げているの。なら住人の死を目撃させる手段を持っていると考えるべきよ」
「ちょっとちょっと、話のスケールがおかしくなってなーい? これからワタシたちLakersの出番なんだけど。え、そんなタイミングで人が死ぬってわけ? 冗談じゃないっ」
トーリヤが抗議の声を上げる。その言葉の裏を読むなら、自分たちが出ているときに視聴者数が最大になるといいたげだ。その可能性もありえるし、どのタイミングで引き金が引かれるかは、神のみぞ知るという状況だった。
「一斉自殺なんて起きたら、当然ライブはむちゃくちゃになる。──ただ殺すだけが目的なら、何も自殺させるなんてまどろっこしい手段は取らない。もっとも、この場所の性質上、外から武器を持ち込むなんてできないと思うから」
「例の、”技術的特異点”だっけ? 眉唾の話を信じるなら、都市に武器の一つや二つ持ちこむなんて造作ないはず。でもさ、この事件ってわざわざ死ぬ人に共通点作ってる。なんかやり口が人間のそれっぽいんだよなあ」
トーリヤの言葉にハルとミソラが目を見開いた。そうして互いに目配せを送った。なぜその可能性を思いつかなかったのか。だがここでそれを口にしてはいけない。技術的特異点がなんでもありな存在なら、準備をした痕跡すら残されていない。この破滅は、ただの破滅ではない。人がひょんなときに思いついたように展開される”破滅”にほかならない。
「……犯人が子供じみた気まぐれさを持っていないことを祈るしかないわ」
後手側は常に最適解を取る必要があり、それの苦労は大抵は報われない。ミソラはこれから起こる死者を想定した。一人以上、四万人以上。決して0にはなることはない。今のうちに覚悟を決めるべきかとミソラは感じた。
「人間ていうのは生まれたときから親に迷惑をかけていた。社会動物としての自覚を得てから人間は周りの人や他人を困らせる存在になっていく。どうしてそんなふうになったのか、あなたはわかる?」
テストの問題用紙にかかれているような無機質な声が降り注いできた。男はすくみあがった様子でこたえた。
「わ、わかりません。お、俺がなにか迷惑をかけたのでしょうか……」
「無自覚とは。自分で放った言葉を平然と忘れるなんて。つい数十分前の行動を思い出したら?」
女の声の言う通りに記憶を思い返す。もはや毎日の日課となった鬱憤の吐き出したことが、いま男の置かれている状況と関係するのだろうかと訝しんだ。まず見知らぬ女がいつの間にか侵入していたことと、その女が繰り出す格闘術で抵抗もできずひれ伏したことが、この部屋の主が置かれている状況だった。
「私ね、嫌いなものをとぼしめる感覚がわからないの。どこからその怒りが湧いてくるのかも、どんな要素があなたの類似した感性の持ち主を刺激したのかも。だってそんなことしなくても、生存はできるし不幸にはならないはずでしょ? それどころか、無関係な人まで巻き込んで、己の主張を高らかに上げるよね。なんで?」
「……なんでっていいたいのはこっちだよ。お前は、俺をどうしたいんだ……」
「どうも。ただ、あなたの死を願うものに引導を渡してあげる。それだけ」
すると女が端末のエアディスプレイを表示した。最近出たばかりの次世代ウェアラブル端末にしてデバイスを所持していたことに嫉妬の念が湧き上がった。ここに住むものは、現行機の端末を支給されているが、こちらから新型に変えてもらうことはできなかった。
今日は外の様子が騒がしく、しかも男の嫌いなアイドルグループであるLakersが来ているのもあって、腹の虫が収まらなかった。憂さ晴らしに掲示板やSNS、彼女らを取り上げているニュースサイトのコメント欄や動画サイトのコメント欄に思いの丈をぶちまけていたところ、書き込んだコメント全てに反感が返ってきていた。相手にする必要はない。意見を自由に述べただけだ。
なのになんだ、この状況は。あまりにも不可解かつ理不尽ではないか。
男は元々Lakersのファンだった。トーリヤを始めとする逸材を始め、全てにおいて完璧な三人組だった。一時期は〈ハッピーハック〉という大嵐によって吹き飛ばされてしまうこともあったが、元々の地力はLakersのほうが上回っていた。
だが裏切られた。彼女たちは日本という舞台を見捨て、世界へと羽ばたいてしまった。男は日本で行われるライブには必ず言ったし、グッズもほぼ買い揃えているほどのオタクだった。彼女たちに費やしたお金や時間は、誰にも比肩できない。そのせいで借金で生活が回らなくなり、破産するはめになった。心身を壊した男は、生活保護と”社会保護プログラム”のどちらかを自らに適応させるため、少ない貯金をはたいて精神病院へ通い詰めた。長期的に”社会保護プログラム”のほうが自由度を感じたため、そちらに応募をかけ無事に適応されることとなった。
それからの日々は、労働から解放された自由人のごとく生活が出来上がっていった。定期的にアンケートや実験に参加する義務があるが、通常の八時間労働ほどの労力はなく、比較的”楽”といえるものだった。難点と言えば都市の外に出るには煩雑な手続きに加え、確固たる動機が必要なことぐらいで、外出に面倒を感じていた男にとってはどうでもいいことだった。
この三年間は日本を捨てたLakersを貶め続け、そして何の因果かこの都市への来日が決まった。決まったときは心底憎んだ。どの口で日本へ戻り、我が物顔で重大なイベントへ出てきたのかと。それからLakersを憎む同士をネット上で集い、シンポジウムのイベント参加を拒否する署名を集めた。残念なことに芳しい結果は得られず見向きもされなかった。その辺りから、男の活動自体を非難する声が多くなった。自尊心を傷つけられ、男の精神は日々摩耗していった。誰も理解を示さないこの世界はおかしいのではないか。自分がおかしくなっていくのを止められなくても、己の正義を示さなければならない。
「お、俺がなにか悪いことしたのかよ。は、発言は自由だって認められてんだ。何言ったって俺の勝手だろうが!」
「ええその通り。この国は”表現の自由”と”言論の自由”が認められている。あなたが何を好きと言っても、嫌いと言っても自由よ。けど、こうも考えられないかしら。自由故にどうなってもおかしくない。だって自由だもの。言葉や思想を受けての反応も自由だし、同意も反抗も自由。そしてその自由には必ず代償がある。極端な状況で言うなら、いまこのときのことを指すのかな?」
「……は、はぁ?」
「あなたはLakersというアイドルグループに誹謗中傷を繰り広げた。それをみたファンはあなたをどう思うのか考えたら、この状況の答え合わせができるはず。考えるまでもなくね」
男はようやく状況を理解した。これはLakersのファンが企てたものだと。そう考えると腹の底から怒りが湧き上がってきた。
「ふ、ふざけるな。俺の自由を、否定されてたまるか!!」
「だから言ったじゃない。自由には責任がつきまとう。たとえあなたの行いが犯罪として裁かれたとしても納得できないほどの怒りが、あなたを憎む連中にはあるのよ。建設的ではないし、正直どうでもいいけど、引き金を引いたのはそっちなのは明白」
「俺を、殺すのか。糞が、犯罪者!! 死んじまえよっ、犯罪者!」
「私が殺すわけじゃない。殺すのは、あなた。……そもそも己の行いに罪悪を持たない人間なんていない。あと一つだけ。──その怒り、本当にあなたのもの?」
パチリ、という音が聞こえた。瞬間、急激に全身が沸騰するような熱が襲いかかってきた。視界がぐにゃりと曲がり幻聴が鼓膜の奥から叩いてくる。それから”死”と”憎”のイメージが音と映像が綯い交ぜに襲いかかってきた。誰の声でもない、己の内にあった声に他ならなかった。
”俺はこんなに尽くしたのに、どうしていつも俺から離れるのだろう”
男の根源はそんなごく普通の悩みが一極化したものだった。怒りや憎しみは先を尖らせないと機能しない。攻撃する武器としては意味がないからだ。殺さなければならない。戸惑いを解決するためにこちらが引導を渡す必要があった。こっちの武器で、認められなかった者たちを刺し殺す──。男は手に武器をとった。視界や思考が覚束ないなか、敵の姿を捉えた。
雄叫びをあげ、そいつを何度も刺し殺す。上から下へ切り払い、突き刺し、えぐり取っていく。次第に力はなくなっていくが、力がある限り胸の雄叫びは止まらない。
「全く、こんなことしないと計画が滞るなんて──あの人もやな事を押し付けるなあ」
断末魔の余韻なのか、ただの幻聴かは胸に突き刺すような傷みが消えない限り分からなかった。そして分かることは一生無かった。
午後三時。シンポジウムを盛り上げるライブが幕を上げた。
『 Hallo, everyone! 国際シンポジウムへようこそ! 豊かな未来の先駆けは楽しんでいただけましたか。世界は目まぐるしく移り変わり、変わっていくことに不安を覚える人もいるかと思います。けど、変わらないことが一つだけある! それは──』
『私たちが皆さんを楽しませるということは、未来不変! 絶対に変わることがないのだと!! さあ、世界で最高のSHOWの幕開けだ!! Lakers──!』
会場から、そして配信上の中からでも我々と共に宣言する歓声が轟いた。
『Boot On!!』
トーリヤ・エプセンスをセンターに同じグループのメンバーのアリサとエリカが舞い上がった。かつて日本で”PERFECT Performer”の異名を手にしてた彼女たちが、異国へ旅立ちその肩書が無意味であることを思い知り、そして見事成り上がった”Performer”として開闢するのであった。




