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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅱ部】第六章 譲葉の狭間
206/289

譲葉


 京都の一件から二週間が経過した。病室のベッドでユズリハは今回の件の報告書を書いていた。京都での一件についてと、これからの処遇についてもこの報告書次第だろう。ただし自分が有利になるような記述はしない。事実を淡々と述べるだけだった。


「あの一件はどうも不可解な件がある。特に警備局長と総理の本当の企み──ヒトミさんの抹殺については」


 そのことを考えようとすると頭が痛む。あの二人が手を組んでいる時点でありえないことだ。司法の根底が揺らぎかねない。無意識の思考がキーボードへ伝わっていたようで、思わずその記述を見て我に返る。


「これは書けませんね」


 むしろ報告書自体必要ない。公安警察の役目は報告書の作成ではなく、いち早く報告することにあるからだ。記録を残さず、疑いを残さない。重要な情報を迅速に届けることが公安の本懐といえる。実のところ、なんのための報告書か疑問なのだが、左文字から提出するように言われたので仕方なくそうしている。一応、彼女たちへの殺害命令に対する反証と危険性は書いておいた。


「彼女たちに害を加えた場合、〈P〉が何をしでかすかわからない」


 ”旅するアイドル”の最大の危険人物はあの仮面だ。一度もその顔を見せることなく、”旅するアイドル”が活動できるように便宜を図ってきた。メンバーが危機に陥ったとしても、この存在を発端に救出ないしは敵の排除を行うだけの手腕も見せてきた。なにより〈P〉自身の戦闘能力も高いことも見逃せない。この集団を完全に終わらせるなら、〈P〉という存在の排除が最重要になってしまった。今回の件を経て一層思うようになった。


 潜入調査自体どうなるかわからないが、組織への義理は果たしたつもりだ。公安警察という役職から外れても、警察官であることは変わらない。懲戒免職を食らう可能性もあるが、そのときはそのときだ。民間企業で働く選択もあるだろう。いろいろな意味で、ユズリハ自身が下した選択に後悔はなかった。


 文章のチェックを終えて送信ボタンを押す。そのとき、部屋からノックが鳴った。またヒトミがお見舞いに来たのだろうか。だが彼女の場合、ノックもせず勝手に入ってくるので着替え中に入ってきたときはさすがに怒った。そう、とうとう怒るようになってしまった。公安としての役目が終わったからか、気が抜けてしまったようだ。だから驚いた。黒服の男が入ってきたときは。


「……どちらさま」

「警備局長から話があると」


 瞬間、黒服の持つ謎の物体が光を放った。部屋全体を包み込み、無機質な白の部屋が文明に侵食されていく。二週間ぶりに見る、警備局長室へ。

 ユズリハはベッドの上にいるままデスクと向きあっていた。その男、左文字京太郎が待ちわびたかのようにこちらを見ていた。


「やあ、お加減のほどはどうだい?」


「なんとか、退院の見込みは」


「よかった。君には引き続き”旅するアイドル”の潜入をお願いしたかった。此度の件、想定外のことばかりが起きて、こちらにも不利益がかかってしまったからね」


「……え」


 予想とは反する通達にユズリハは困惑を隠せなかった。それを見越したのか左文字は


「不服かい? もはや君以上の適役はいない。彼女たちに”信頼”されているいまの君なら、彼女たちの制御は容易だ。先の件みたいな不祥事には、なにかと役に立ちそうな感じもする。だから決定した」


「……そういうことなら、はい、仰せつかります」


 よろしい、と柔和な笑みを浮かべた。どうも腹の底が見えない。”旅するアイドル”の釈放を求めたのは彼によるものだとなんとなく察しがつく。もっとも、別の懸念点も忘れてはならない。


「あの、総理のことなのですが」


「ああ、彼はご立腹の様子だった。言っておくけど、あれは彼の独断だ。警察庁の思惑から外れた行動だった。政治的な思惑もなにもない。ただ”気に入らないから”という理由で、大空ヒトミの抹殺を企てたていたようだ。差し向けた公安もどきは彼が派遣したものだ。我々、警察庁公安課は関知していない」


「どうしてそこまでヒトミさんの排除に躍起になっていたのか、結局わからずじまいでした」

 

「君、知らなかったのかい。珠洲沢総理が大空ヒトミに執着していたのは彼の意志ではない。その奥方の”命”だったからさ。彼は夫人には逆らえない。今の地位にいるのは彼女のお陰であり、大きなパイプとのつながりも確保した。珠洲沢はある意味で操り人形なんだ」


「総理夫人はそこまでのお方なのですか」


 ああ、と左文字は言葉を切って語りだす。


「その出自は平安時代にまで遡り、伝統的な日本文化へ回帰と他国の迎合を一切許さなかった旧時代の異物。しかし異国の血を一切排除した家系が途絶えることはなく、現在の日本文化の礎を築いた徒。”宙海重工”を始めとした宗蓮寺と対を成す一大グループであり、そこらの政治家なんか生易しく思えるほどの超特級階級」


 ユズリハは息を呑んだ。噂レベルの話が真実味を帯びたからだった。


「それが”大空家”だ。夫人は現当主の長女で、旧姓を大空聖おおぞらひじり。大空ヒトミの抹殺の命を下したのは、おそらく彼女だろうと私はみている」


 重苦しい沈黙が降りた。大空という名字はありふれている。だがこの日本において”大空”という名は”大空グループ”を指すことが多い。当初、ヒトミの身辺調査では大空家との関連はなかった。それが去年の夏にヒトミが大空家の関係者ではないかという推測が出てからというもの、ヒトミは肯定も否定もしなかった。まるでその事自体に興味が……いいや違う、あれはあえて言及しないことで本家の”大空家”に自らの存在を示していたのかもしれない。


「どういった思惑があちらにあるのかわからない。こちらにとっては”いいきっかけ”になった」


 ユズリハは気を引き締めた。彼は今回の件で”得”をしたとみていいだろう。彼も彼で腹に爆弾を抱えている。不用意に触れないほうが良さそうだ。


「では報告書の提出はお早めに頼むよ」


 通信が切れそうと思い、ユズリハは


「あの、左文字さん」


「なにかね」


「私、全部思い出しました」


「……そうか。調子の方は」


「大丈夫です。今は前へ進めています。左文字さんが、道を示してくれたお陰です」


 ユズリハはベッドの上で正座し、深々と頭を下げた。


「ありがとうございました」


 世の中にはひどい嘘が蔓延している。嘘が本当になってしまうことだってある。けど全部が全部そうではない。優しい嘘で救われた人だっているはずだ。今こうしてユズリハは生きている。過去の悲劇を繰り返さないと、心に誓った。


「……もう行きたまえ」


 左文字は椅子を回転させて背中を見せた。伝えたいことは伝えた。通信は途切れ元の病室に戻った。

 黒服の男はいない。すでに撤退したのだろう。代わりに扉全体を震わせるようなノックが届いてきた。直感的に誰か分かってしまった。


「全く、また慌ただしい日々に戻るなんて」


 扉が開いた。ユズリハへさっそうと駆けつける”旅するアイドル”の一員、大空ヒトミ。他にも宗蓮寺ミソラ、原ユキナ、市村アイカ、麻中ラムが見舞い品を手にやってきた。


「さて、ほぼ全員が揃っているので言っておきますが、私はまた潜入を命じられました。もちろん拒否されたら、どこまでも粘着するつもりなので」 


「自分で言うの、それ」


 ミソラが困ったように言った。”旅するアイドル”に不利益を被り、ここで一発殴られても仕方ないと思いつつも、正直に打ち明けることが彼女たちに対する誠意だと思った。


「警備局長が便宜を取り計らってくれたこともお忘れなく。今回はお二人、ひいては”旅するアイドル”の面々の生命を保護するための特別措置です。今までの悪行が帳消しになったわけではないので勘違いしないように」


 こうして釘を刺さないと何をしでかすか分かったものではない。保護者の気分にもなりながら、これも役目だと言い聞かせる。立ち位置を明確にした分、


「でもユズリハちゃんは一緒に来てくれるんでしょ。なら、別に大したことじゃないわ。だいぶ素直になったユズリハちゃんと旅できるなんて最高の極みよ!」


 喜色満面のヒトミはともかくだ。他の面々はそれぞれ


「まあ、皆が納得してるならいいですけど……。でもユズリハさん、ここまでやっといてタダで済むとは思ってないですか?」


 ユキナの問い詰めるような眼差しは、なぜか罪悪感が出てくるくらいには力強かった。一言謝罪でもすれば納得するだろうか。だが自分の考えが楽観だったことを思い知った。


「わたしたちは、いったい、なんでしたっけ?」


 さきほどの表情から一変、意地悪な笑みをしてみせたユキナだった。


「まさかユキナさんの賭けが当たるとは思いませんでしたね」


 ラムがそう言って他の二人を見る。ミソラは仕方ないといった様子で、アイカは渋々といった感じでそれぞれこぼした。


「ユキナさんがそれでおあいこするなら」


「面倒だが仕方ねえ。襲撃の盾ぐらいの働きはできるしな。ユキナ、なんでユズリハが合流するって分かったんだ?」


「ただなんとなく。そうだったらいいなあって思っただけ」


「何の話を」


「ユズリハちゃんをどうするかって話。ミソラちゃんとアイカちゃんは縁を切ろうとしてたけど、私とユキナちゃんはユズリハちゃんからの提案を飲むことにしたのよ。賭けっていうか、こっちのバチバチをどうにかするための案みたいな? ユズリハちゃんが堂々と居座る宣言したら、もういいっこなし」


 ヒトミの言葉にユズリハは目を瞠った。同時になるほどと納得する。ユキナとヒトミが妙に機嫌がいい理由はここにあったのか。


「ちょっと意外です。お二人共、我を通すタイプだと思ってたので、こんな提案乗るわけ無いと……」


「……曲、作ってくるわ」


「先に逃げやがったなアイツ。アタシも戻るわ。段取りはそっちで任すぜ」


 逃げるように二人は病室を飛び出した。年相応の姿にちょっとばかり微笑ましく思った。







 ”旅するアイドル”【MV】 残光公路ざんこうこうろ


 2040年1月30日 公開

 

 



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