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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅱ部】第六章 譲葉の狭間
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虚ろな口は、やがて願いへ息吹く



 脱出後はキャンピングカーで合流する手はずだが、その前にアイカの案内である公園の公衆トイレへ向かっていた。アイカは扉の前で二、一、三という拍子でノックした。すると鍵の悪音がして中から女性の怯えた顔が姿をみせた。ミソラはすぐさま彼女を抱きしめた。かつての使用人で今は宗蓮寺グループの顧問弁護士を努めている、家族以上の人を。


「お嬢様!? どうしてここに……」


「どうしてもなにもないっ。貴女を、こんな危険なことに巻き込んでしまった。……ごめんなさい、美住」


 こらえきれない感情を美住の胸のなかで発露する。一歩間違えれば、美住は敵の凶弾にかかっていたはずだ。アイカの助けがなければ、胸の内から新たな情動が生まれていたことだろう。

 めいいっぱい美住を抱きしめて存在を確認する。彼女は生きている。


「いいんです。お嬢様のお役に立てるのなら、私はこの命を捧げる覚悟です」


 ミソラは体を離して美住の顔を見た。献身の思いがこちらにも伝わってくる。宗蓮寺グループの力を利用するしか突破口はなかったとはいえ、たとえ美住でなくても別の人間が犠牲になっていたかもしれない。ミソラは己の選択を恥じた。結局は大きな力に頼ることしか出ない”凡人”なのだと思い知らされる。

 もう誰も巻き込んではならない。美住もそうだが、ハルやノアもそうだ。これから苦難の旅路が待ち受けている。二度と会うことはしない。全ての決着の後は、また美住と一緒に生きてみたいと思う。

 再会と決意を新たにしたミソラだったが、ふと意外な声が届いてきた。


「……先輩、ですか?」


 声に驚いて振り向くと、ユズリハが驚いた顔で美住を見ていた。


「あー、やっぱり本物だったんだ。久しぶりユズリハさん。ゼミの送別会以来かな」


 普段とは砕けた口調、いいやこちらが美住の素なのだろう。


「貴女たち、知り合いだったの?」


「はい。ユズリハさんとは同じ大学の後輩で、同じゼミを受講していたんです。法律関係でお互いに教えあったりもしました」


「こっちも驚きです。ミソラさんとはどのような」


「主従関係」


「美住、あんまりなこというものじゃないわ」


 ミソラは間髪を入れずに訂正した。一応、美住は姉専門の使用人でついでに宗蓮寺家の身の回りの世話をしていただけのこと。美住の言い方だと邪な意味合いに捉えかねない気がした。


「先輩がこの事件に巻き込まれていて、それにミソラさんとも知り合い……? こんな偶然が……」


「世間って意外と狭いんだなあ」


 なんて呑気なことを口にする美住だったが、ふとミソラとユズリハを交互に見て、


「お嬢様とユズリハさん。二人が元気そうで、私は嬉しい」


 凛とした笑顔だった。思わずユズリハと視線が合う。なんとなく、この刹那で意見が一致した気がした。

 この笑顔を失わせてはならない。たとえ互いの正義が異なるものであっても、大切なものは何一つ変わらないはずだ。


「さて、あとはキャンピングカーがこちらへ来るだけ。あとは、皆さんに改めてお話を──」


 完全に気を抜き始めていたとき、二人が一斉に何かに気づき動いた。アイカはミソラを、ユズリハは美住に覆いかぶさった。次の瞬間、耳の鼓膜が破れそうな音があたりに響き渡った。

 たった数秒が長く感じた。仰向けに倒れた自分と、他のみんなの様子を知りたい。そのとき、アイカがくぐもった声を発した。


「……ぁ、くそ。からだ、撃たれちまった、か……」


 撃たれた。その言葉に理解が追いつかない。だが実感として、ミソラは自分の身に降り掛かっていたことを知った。べちょり、と左手に温かいものが付着している。わずかに手をあげると、焼けたような色の血があった。誰かのものか言うまでもない。


「アイカ、さん……そんな」


「んな顔すんな。この程度なら、死にはしねえ。だがもう、まともに動けねえかもな……」


 アイカは”自然治癒”の体質を持っている。だがありえないと脳が拒否している。普通の人間なら重症あるいは致命傷レベルの傷だった。もしこの傷すら自然治癒で回復するなら、それはもはや普通の人間から逸脱しているのではないか。

 それより他の二人を、とアイカが隣を見た。瞬間、ミソラは声にならない悲鳴を発した。


「美住……!?」

「だ、大丈夫です、お嬢様。……でもユズリハさんが!」


 ユズリハが美住から凶弾を守ったのだろう。もちろん、自らの身を守るためにも動いていたはず。しかし全部は避けることはできなかった。足に刻まれている傷のあと。痛みに苦悶をあげ、水野ユズリハも重症を負っていた。


「ようやく見つけた。ネズミ如きが、天上の人の歩かせやがって」


 聞き覚えのある声に顔をあげる。トイレの周囲を取り囲むように人が集まっていた。公園の照明では頼りないが、十人以上はいる。先程の声は、取調室で散々ミソラを詰った、エセ京都弁の公安警察だった。エセ京都弁の男は前に出て、自らの姿を明かした。


「しぶとさはゴキブリみてえだな」


「貴方、こんな堂々と」


「なに、後始末すれば何もなかったのと一緒だ。だがお前らは違う。生きているだけで人様に迷惑を被るんだよ!!」


 激昂を隠そうとしない。彼は”お上”とやらの命令で動いている。自我は”お上”に献上してしまったのだろう。故に人を殺すことに躊躇がなく、罪悪感もない。こんな人間は”お上”からすれば、都合のいい駒として使い潰すに違いない。


「これで終いにしようか。お前たちが逆らってはいけないものに逆らったんだ。報いは受けてもらうぜ。その命と引き換えに許してくれるって”お上”はおっしゃっているからな」


 銃口が一斉に向く。

 そうして再び、火花が散った。




 銃口が自分が向いたとき、ユズリハはとっさに近くの人をかばった。美住に覆いかぶさったのと同時に、ユズリハの封じられていた記憶も開いた。


 嘘が本当になればいいと思った。


 両親が生きていれば、こんな痛い思いも苦しい思いをしなくてすんだのに。


 あの日は本当に、なんてことのない休日の帰りだった。

 武装グループに乗っていたバスを乗っ取られ、武装グループは政府への要求と、そして五分事に見せしめのため乗客を一人ずつ殺していった。地獄の叫喚だった。なんで自分がこんな事に巻き込まれたのか。本当に不運な一般市民だった、それだけが理由だ。


 父親は五人目に見せしめとして殺された。母はその二つ後。娘のユズリハにすがるように抱きしめて、頭部に銃弾を受けた。顔に母だったものがかかったとき、ユズリハは生きる意味を失った。


 正真正銘、世界に一人ぼっちだった。肉親や親戚はいないのもあった。それより当たり前の日常を当たり前に奪われたことが、ユズリハにとっては大きなウェイトを占めていた。一人ずつ、殺されていく。大人も子供も、次々に死んでいく。ユズリハは運良く生き残った。


 襲撃者は一般人だった。後から知れば知るほど、どこにでもいる一般市民でしかない。ただ現状に不満を抱き、己が報われないとして反政府的なコミュニティに属していた。いつしか、彼は密輸されたアサルトライフルを手にし、犯行に望んだ。ゆえに虐殺は容易だった。


 最後の一人になった。これで父と母の下へ行ける。この苦しみから開放されるために目を閉じると、何十発も聞いたあの音がやってきた。一秒、二秒と時間が過ぎていく。だが体に変化はなかった。呼吸は何一つ変わりがなかった。


「……生き残りは一人だけか」


 男の声がした。惨劇にはふさわしくない冷徹な声。ユズリハは目を開いた。


「お嬢さん、立てるかい?」


「……して……」


 黒のスーツを身につけ、どこからともなく現れた謎の男は、ユズリハに向けて手を差し伸べた。すがるようにその手を握って、ユズリハは言った。


「私を、殺して……っ」


 もうこの世界に未練はない。彼の持つ銃で終わらせてほしい。だが男はそうしない気がした。彼は膝を追って目線を合わせた。ユズリハは彼の目が、自分と同じものであることに気づいた。


「死にたくなるよな。けど逃げる場所はどこにもないの。世界の理そのものを変えない限り、いつまでも同じことの繰り返し。どうでもいい人の死、大切な人の死、全て等しくだ」


 この男も同じような出来事に遭ったのかもしれない。


「だからいつかこの連鎖を終わらせる。必ずだ。だから君は……」


 ふいに首から強い衝撃がやってきた。意識が遠ざかる。殺されたのか、と最初は思ったが、今このときようやく思い出した。ユズリハの記憶は精神安定剤と催眠療法で封じられた状態にあったのだ。


 回復の後、両親を殺されたことやバスの中の惨劇がフラッシュバックし、少女であってユズリハの精神では耐えられなかった。惨劇の記憶は思い出の引き出しが常に開いている状態にあった。封じられた記憶では精神が持たない。よって、別の記憶を刷り込むことになった。


 それが両親は健在であったことと、公安警察の手で運良く生き残ったという嘘の救出譚だった。

 嘘の記憶がユズリハに正義をもたらした。

 嘘の記憶がユズリハに公安警察という道へ導いた。

 最終的に、アイドルになってしまった。


 何もかも嘘から始まった物語。この事実を理解すると、何もかも誰かの手のひらの上にあるのだと絶望する。


「だとしても、私はこの道を選んだ」


 ユズリハは誇らしいと思った。誰かに助けられたとき、その恩を返そうと動くことができた。絶望以外に歩く場所ができた。辛くても、苦しくても、選んだ道に後悔はない。道は続く。絶望に陥って足が動けなくなったとしても、道は続いている。

 だからこそ、足が撃たれた程度で止まるわけにはいかないのだ。


「駄目、ユズリハさんっ」


 先輩が悲痛の声を上げる。大学で孤立していたユズリハに親身になってくれた美住。


『だから君は、これから好きになっていく人たちを守るんだ』


 勇気の一言をくれたある公安警察のときの左文字京太郎。この言葉がユズリハの原理であることは疑いようがなかった。誰かを守ることを尊び、好きになっていく人達を守る。彼が何故そんな言葉を残し、なにより記憶まで封じたのかはわからない。でも今なら、この言葉でつき動く己を咎めることはしない。たとえ正義に反してしまったのだとしても、命を守ることは尊いことだ。


「絶対に、誰も死なせない。──この正義だけは絶対です!」


 銃口が一斉にユズリハに向いた。アイカやミソラの叫び声を聞く。二人を罠にはめたというのに、ユズリハの身を案じてくれている。彼女たちは国家に仇なす者たちだろう。それでも何ヶ月も一緒に衣食住を共にしたから分かる。みんな誰かを大切に思える心がある人たちだ。自分の正義だけではなく、一緒に過ごした”情”から彼女たちを守りたい。せめて、いまこのときだけは──。

 火花が火を吹く。この体は銃弾の雨を受けてガラクタと化す。はずだった。それがユズリハたちの間に入り込むまでは。


 鈍い音をいくつも鳴らしていく。銃弾は謎の物体にせき止められた。ユズリハたちは唖然としながらその物体──乗り物を目に止めた。


「……バイク?」


「誰も乗ってねえぞ。つーか、どこから」


 ミソラとアイカが驚いているさなか、ユズリハはバイクの姿形を確かめた。青黒い色合いの大型バイク。白バイ隊がよく使うようなタイプを見たこともない装備で固めている。まず銃弾を受け止めた装甲。たとえ拳銃であっても、バイクは致命的な傷を負うはずだ。だというのに、バイクの車体が生きているように明滅しはじめたのと同時に音声が響いた。


『ユズリハちゃん、大丈夫!? 間に合ったよね、ねえ!?』


 切羽詰まった様子のヒトミからのものだった。


「あ、あの、ヒトミさん?」


「ああよかったあ。そっちの様子はドローンで見ててね、もう本当にギリギリでハラハラして、ユズリハちゃんが前に出たときはもう心臓が止まっちゃった」


「止まってるなら私は幽霊とでも話してるんですか。……それより、これは」


『うん、それはね──』


『渡しそびれた君の武器さ。アイドルには必要なものだろ?』


 横から男とも女ともわからない合成音声が続く。言っている意味がよくわからなかった。武器とはなんだ。アイドルに武器は必要か。混沌とした思考の中、ユズリハは彼女たちと過ごした経験則から、武器らしきものに手を伸ばした。胴体の側面に触れると熱がこもっていた。すると、ふいにバイクから淡い光がユズリハへと降り掛かった。何かを確かめるように上下左右と光が動いたあと、音声が聞こえてきた。


『指紋認証、網膜認証確認。水野ユズリハ本人と確認。緊急事態につき、状況適応モードにて運用いたします』


 大人の女性みたいな合成音声だ。〈P〉とは違い、機械的で無機質な響きだった。ただ身近な端末に搭載されているものより上品な気質があった。ふいにバイクがユズリハのほうへ傾いた。


『捕まってください』


 倒れているユズリハにスロットルグリップが掴めるほど傾いたバイクは、そのまま倒れそうなのに制止した状態で留まっていた。ユズリハは右手を伸ばしグリップを握った。瞬間、体が上に持ち上がっていき、座席へ腰を下ろした。足は地面についていないのに、車体のバランスは保たれたままだった。


『わたくしはこのバイクの専用AIです。アナタさまの足となり盾となり、機能の許す限りお助けすることを誓います』


「じゃあひとつお願いを」


 自らの熱を高めていくように、ユズリハはスロットルを何度も蒸していく。それから敵の姿を定めた。


「この後ろに、何人たりとも通さないように」


『かしこまりました。ユズリハ様』


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