信じて頼れる人たち
取調室から出た瞬間、刑事たちはすぐさまユズリハたちを発見、追いかけてきた。あの中でミソラを葬り去ろうとする者がいるはずで、その凶弾からも守る必要がある。よって取調室から出てすぐに動いた。作戦は決まっていた。
ユズリハはエレベーターへ向かい、下の階へ続くボタンを連打した。牽制のため、威嚇射撃を放った。ただし本物の拳銃ではなく、潜入のために量販店で購入した銃声だけの鳴る銃だ。こんなところで実弾を消費するわけにはいかない。
刑事たちはまんまとハッタリに引っかかったようで、一瞬だけ足を止めた。その時間がエレベーターの到着に間に合った。中に入り、ボタンを連打。中に入ろうとした刑事たちが入ることはなく、エレベーターは下へ降りていく。途中の階で止まることなく、一階へたどり着いた。だが目をみはる光景がそこには広がっていた。
「玄関、シャッターが降りているわね」
「……失念してました。ならば裏口へ」
というわけにはいかなくなった。玄関先に刑事や警官が待ち構え、先程追ってきた刑事も非常階段からやってきたからだ。二人の女性を捕まえるのにこの厳戒態勢は、警察の歴史の中でもよっぽど出来事のはずだ。彼らは警察としての威信を示すためになりふりかまっていられない。
「動くな! 奴らを決して逃がすんじゃないぞ!!」
「相手は銃を持ってるぞ! 機動隊の盾を展開して徐々に包囲しろ」
「ワッパは俺にかけさせろよ。……へへ、これで警部にまで出世だな」
正義感、出世欲等、警察にも混沌とした価値観が絡み合っている。これをうまく利用して瓦解させればいいのだが、不幸なことに彼らは犯罪者を捕まえることに関しては一致団結するのだった。
「ユズリハさん、策は?」
「無茶言ってくれますね。──ブーツで窓ガラスでも割れるなら、隙を作って脱しましょう」
なるほど、とミソラがつぶやいた。意図を理解したらしい。ミソラは左足をコツコツと床に叩き、左足も大丈夫だと合図を送った。意思が合わさったところでユズリハは合図を送った。
「三秒後に一気に行きます。3……」
2……1……。
ユズリハは懐から拳銃を取り出し拳銃を上にかかげ遠慮なく発砲した。一つ、二つ、三つ──目に入るかぎりの火災報知器に銃弾を浴びせた。それからけたたましいベルが鳴った。刑事たちが気を奪われた一瞬、ユズリハたちは窓の方へと駆け出した。盾が展開されていたが、ミソラのブーツの力で跳躍し、刑事たちの頭上を超えていった。
逆にユズリハは気を取られた刑事の包囲陣の隙間を、姿勢を低い状態でくぐり抜けた。そのまま台座や机を飛び越えていき、窓ガラスを割ろうと無茶な態勢で突っ込もうとしていた。瞬間、先行したミソラの足元が稲妻のようにほとばしった。足に爆発的なエネルギーが集まり、力を持たない少女に人離れした機動力をもたらす。普段なら危険だと感じてしまうが、このときに限っては頼もしい。
まるでこのときの状況を想定したかのような無駄のない動きだった。ガラスが砕け散り、飛び蹴りの残影が目に焼き付いた。それが一瞬、宗蓮寺ミソラだとは思わず目を奪われた。
もしかしたらミソラは、警察にとらわれてからこの状況を想定していたのかもしれない。普通なら警察に捕まった時点で己の人生に”恥”のようなものが上塗りされてしまう。人によっては一生モノの傷になる者もいるだろう。だがミソラにはその例に当てはまらない。彼女の旅路を邪魔する人や物、場所ですら彼女は一飛びで超えていく。
ユズリハも彼女の背を追いかけながら思った。
「あれは誰にも止められません──」
一足脱出したミソラの背中が消え、ユズリハも続いて外へ飛び込んだ。窓ガラスは拳銃の衝撃を寄せ付けない強化ガラスのはずだが、彼女の一蹴りだけで綺麗サッパリ吹き飛ばされていた。割れた窓へと飛び込み外へでる。辺りは真っ暗で冬の底冷えする大気が肌を突き刺す。
まだ光が差し込むにはまだ時間がかかりそうだ。
一日ぶりの外に、ミソラは肌を震わせた。
「さむいわ」
深夜を回った冬の大気を想定していなかった。取調室には窓ガラス一つすらなく、外の様子を知る手段がなかった。美住と面談するときはまだ陽が差し込んでいた気がする。脱出の機会が思ったより予想外だったためこの寒さを乗り越える手段がなかった。
だが走っていれば体もあたたまるだろうと思い、とにかく走ろうとしたところミソラは石に躓いたように前のめりに転んだ。
「ミソラさん!」
「ごめんなさい。少し手を貸してもらっていいかしら」
はい、と言ってユズリハが差し出してきた手を取る。立ち上がろうと力を込めた瞬間、ミソラは左へと倒れた。ユズリハが驚いて体を支えてきた。
「……あなた左足に力が……」
ユズリハの指摘通り左足に力が入らなかった。それどころか感覚が遠ざかっているような気がした。先程の蹴りは〈P〉から忠告も受けた最大出力だったせいで、左足にダメージがいった可能性がある。つまりここを離れることはほぼ不可能となった。
「──無茶しすぎたわ。ユズリハさん、私は置いていったほうがいいわ。行って」
「何を言ってるんですか。まだここは警察署の敷地内、なんとか離れないと」
だが検討の余地がないことは明白だった。ミソラが割った窓ガラスから続々と警官や刑事がやってきたからだ。まばゆいかぎりの明かりがスポットライトのようにミソラたちを照らしていった。光の間から一人の男が出てきた。エセ京都弁を操る刑事だった。
「観念したらどうです。犯罪者をすぐに裁けないことが、法律というものの面倒さですね。だからこうして逃げられてしまう」
「今の発言は警察官として看過できません」
「非合法を許される公安の言えたことですか。正当な手段を踏んでいたら、さらなる被害者を生む。ゆえの公安は非合法の力を振るう、いや振るわなければならない」
「たしかにそういう側面もあります。ですがそれは”原則”あってのものです。合法的な捜査、立件、裁判をしてこそ秩序が保たれる。無闇矢鱈に非合法を振るってしまえば、その先に待つのは破滅です。故に我々は責任を持って公を安全を守るのです」
ユズリハが前に躍り出た。そこにいたのは”旅するアイドル”の水野ユズリハでも、公安警察の水のユズリハでもなかった。
「ミソラさんたちは善くない人たちです。ですが彼女たちを捕えるだけの証拠がないのに不当に捕らえる。……ましてや一介の警察官が殺そうとするなどあってはならないこと。なら、私はその悪を正さねばなりません。それが警察である私の務めです」
警察官、水野ユズリハとして、彼女は目の前の人間を救う。それは強い意志の輝き以外の何者でもなかった
「警察の務めか。ならば従うべき命令には従うという”原則”に背くべきではないやろ」
「どういうことですか」
「あんたはお上に逆らいはった。そんな人を警察として認めはるわけにはいかないってことや」
ユズリハはおそらく彼のことを知らない。ぼそりとユズリハに告げた。
「……彼もおそらく公安。しかも京都管轄じゃない」
「なるほど、最初からそのつもりだったわけですね、あの方たちは」
あの方。その響きはなんだかユズリハに近しくも遠い存在を示唆させる。ただの上司ではない。おそらくもっと上の立場からの命令により、ミソラとアイカの確保もとい抹殺が下ったのだろう。
「この事態、まさかフィクサーじゃないでしょうね」
「……どうでしょうか」
ユズリハが言いよどむ。彼女の反応からフィクサーの気配は感じない。むしろフィクサーにしては力が大きすぎる。今までは半グレもどきを雇うのが精々だった。しかし警察を容易に操り、ましては始末を下せる立場の人間か勢力が裏にいる。ここで何が起こってもおかしくない。もしかしたら美住を呼びつけたことも無駄になる可能性もある。
「そうそう、これもしっかり言いつけとかないとな。宗蓮寺ミソラ、さきほど面会に来た美住って弁護士、連絡がつかなくなったみたいでなあ」
挑発的な態度で刑事が言う。息が詰まりそうだった。男の言葉が真実かどうか探ろうとして冷えた頭に熱が灯った。
「どこに行ったんやろうな。市村アイカも逃げられ、はあ、まったくここの警察は休む間もありはせえへん」
「ミソラさん、抑えて」
「……今更どうしようもないでしょう。むしろこっちが有利な状況よ。だからあんなことをこんなところでいい出した」
冷静な部分がそう結論を下す。彼らが人質をとったとしても、この状況で話したのならある程度の憶測が付く。それほどまでに、この状況が有利に働いていることにほからない。なにもここにいる全員が、”お上”の息がかかった警察官というわけではない。むしろそうでないほうが多数だ。畳み掛けるならこの時以外にないだろう。
「ねえあんた。さっきから他の警察官が下手くそな京都弁にイライラしてるわよ。公安のくせに諜報活動が落第的だから、人を殺して点数稼ぎしようしたのね。警察官として立派な心意気じゃない」
「何?」
「善良な警察官なら気づいているでしょ。このおかしな事態に、何の疑問を抱かないか、それとも理解して怯えているのか。別にどちらでもいいわ。逆らえば社会的な立場や命が危ういもの。見て見ぬ振り、現状維持は立派な選択の一つ」
ミソラは隣を一瞥して本音を明かす。
「だからここで私が信用する警察官は、私の命を助けてくれたこの人だけ」
「……急に何を言い出すんですか」
戸惑いを浮かべながらも、ユズリハはどこか照れた様子だった。今まで見せていた言動や行動は見せかけのものかもしれない。しかし彼女の真意を知ったのなら、たとえわずかでも信頼に値する。たとえいっときの共同戦線だとしても、ユズリハが決めたことなら仕方がないと思える。
さて、そろそろいいだろう。絶体絶命のピンチに駆けつけてくるのは、白馬に乗ってきた王子様でもみんなを守るスーパーヒーローではない。愛らしくも小憎らしい女の子なのだ。息を大きく吸って思い切りよく叫んだ。
「アイカさーん!! いいかげん、助けに来なさーーーい!」
すると、空から飛んでくるアイカは警官たちに向けて消化器を撒き散らす。華麗に着地し、ゆうゆうと立ち上がり、こう言う。
「ったく、お前はここぞってときに他力本願だな」
「ここぞってときにしか助けに来てくれないもの。使わない手はないでしょ」
「アタシは色々探ってたんだ。ま、そこに関しての才能はなかったな。自称弁護士をちょいと助けたぐらいしかなかったが、あれは一体何者なんだ」
自称弁護士。助けた。アイカが放った言葉に張り詰めたものがどっと緩んだ。
ミソラはアイカの両手を握り、泣きそうな表情になって言った。
「ありがとう、アイカさんっ」
「急に変なことすんなよ……」
小っ恥ずかしいようでアイカが頬をかいた。苦肉の策とはいえ、美住を巻き込んでしまったのは自分の責任だ。もう彼女を巻き込むことはないだろう。あとで〈P〉に保護を受けてもらうよう頼んでみよう。
三人は夜の京都の街を駆け抜けていった。
旅はまだ続く。




