支配層
珠洲沢祝詞は公務を終えたあと、急いで自宅へ戻った。ここ最近はいつも以上にSPを配置し、いついかなるときでも万全の体制で身の安全を確保した。そのことを追求されたときにはある集団から犯行予告があったことを知った。もちろん、それで心が休まるわけがなく、珠洲沢は最新端末をなれた手付きで利用し、ニュース速報や協力体制を敷いている官僚から逐一情報を得ていた。そのなかで、唯一の安堵する記事タイトルをみつけた。
「……ようやくか」
タイトルには”旅するアイドル全員確保 内偵のお手柄か”と大手新聞社のお墨付きだった。続いて警察庁長官左文字京太郎からの連絡も届いた。”旅するアイドル、全員お縄に付きましたよ”と。珠洲沢はようやく心の平穏が間近に迫っているのだと理解した。
一旦、端末を閉じてリビングへ向かう。自室をでるとSPが二人ほど厳しい面持ちでいたので”下の階に行く”と言って付いてこさせた。前に一人、後ろに一人という陣取りだ。総理大臣の自宅といっても、一般的な家庭住宅よりやや広くなったぐらいだ。十全な警備を施すのにもある程度の広さがいるらしく、仕方なくそうした。移動が面倒なくらいで、住まいとしてはこの上なく快適な空間だった。
リビングには妻がバラエティ番組を見ながらワインを嗜んでいた。彼女はこちらをみやって軟派な調子で言った。
「いつもよりお早いお帰りだこと。こういうとき、お土産の一つでも持ってきてくれると奥さんは喜ぶのよ」
「東京のお土産など食い尽くしたはずだろ。それと、あまり品格を落とすような行動を取らないでくれ。私の価値が下がる」
「あらごめんなさい。久々に内閣支持率上がったのよね。おめでとう。今日はもう仕事ないでしょ? 乾杯しましょうか」
「いや、そんな気分じゃない。食事を済ませたら……いや、やっぱ飲もう。用意しておいてくれ」
”旅するアイドル”という国家的驚異を排除できた特別な日だ。妻が用意した蔵元のワインと適当なツマミを片手にワインを舐めていった。芳醇な果実の香りと程よい酸味が舌先を駆け抜け、つまみのチーズや魚介類の味噌焼きがとても良く合う。妻がワインを注いでいく度に、彼女の素朴な姿に胸がこがれていった。
「なあ、ハナ。こういう時間が幸せなんだろうな」
「どうしたの急に」
「いや、ついさっき我が国の仇敵を捕まえたばかりでね。ものすごく気分がいいんだ」
「それが理由なんじゃない。大きなことをしたあとのご飯は、きっと俗物的料理でも美味しいものよ」
「それで味噌焼きか」
「お酒もそうよ。庶民の一生活を知るのも”純日本人”たる、わたしたちの責務。味の濃い人生を無理やり添加させて味わう獣の気持ちがよく分かりました」
珠洲沢は苦笑いを浮かべワインを一気飲みした。眉目秀麗でどこに出しても自慢の妻であるが、自然に自分自身を天上の者であると語る様子には常に困ってしまう。それが総理夫人から来るものか、彼女の一族からなるものかは尋ねるのも煩わしい。
「獣か。人間は本能的に獣さ。賢人とは獣から脱却した者。故にこの国を未来を形つくることができる」
「そうね。獣の働きがわたしたちの血肉になっているのも大事なこと。なのにそれを乱す賢人もどきが多すぎるわ。許されるなら、処分したいくらい」
「……あまりそういうことを言ってやるな。慈悲も賢人ができる特権さ」
「うふふ、獣やら賢人やら。今日は哲学を語りたい気分ですか?」
「そうだな。あまり好ましくなかったか。考える必要もない摂理を論じても仕方ないか」
今日は考えずに呑んで、妻に抱かれて眠りたい。常日頃から、この平和を享受せんがために命を賭している。この平和が誰のおかげで成り立っているのか、国民は知ったほうがいいと、傲慢な思考が珠洲沢の中に支配していった。
「〈P〉ちゃん。この珠洲沢祝詞って人、元は外務省の人間でしょ」
フィナーレの準備の最中に見つけた資料に、彼の名前を見つけた。〈P〉は椅子に座って佇んでいるだけが、この中の誰よりも働いているのは明らかだった。
『若くして外務省事務次官を務め、後に政界へと進出。品行方正で問題発言もあまりない傑物だな』
「傑物? まさか。多分、いまでもこの国の重責を背負っていると勘違いしている、どこかの一族の傀儡でしょ」
彼がこの国の総理大臣にまで上り詰めているとは、日本という国も落ちぶれたものだ。ラムとユキナがこの場にいないことで、軽快に因縁のある人物を語りたくなった。
「〈P〉ちゃん。16年前の少女誘拐事件について教えてくれる?」
『──件数98件。ほとんどが家出まがいもの。残りは2件が殺人事件として立件され、いまは裁判も終わっている。君と関係のありそうなものは、何もなさそうだが』
「……そう。私このぐらいの時期に大空家から見知らぬ国へ飛ばされちゃったの。だから誘拐事件になってないかなあって思ったわけだけど……。ま、国籍なんて与えられなかったし当然といえば当然か」
『ちなみに、君が飛ばされた国というのは?』
「南米辺りじゃないかしら。色々あってサヌールの奴隷になったとだけ」
『──16年前、南米までの船舶ルートが見つかった』
さすが検索が早い。打ち込むワードを間違えたようだ。誘拐事件ではなく、そのルート自体に裏工作の痕跡が残されていたようだ。
『神戸から米国、米国から南米。このときだけ南米の原油確保との名目で外務省が関わった経緯がある。しかもこのルートは、以後運行されることはなかったようだ』
「ふうん、やっぱりこの時だけ私を国外追放するための船を用意したわけね」
『大空家か。その一族の情報は想像以上に秘匿されているようだ。私でも僅かな情報しか手にできなかった』
ヒトミは憎き一族の周到さに舌を巻いた。いまどき、ネット上に残らない記録など存在しない。しかし物事には何事にも例外が存在するように、人間のあり方にも普通ではない
「〈P〉ちゃんはまだ”本物”の敵に出会ってないから今のうちに学習しておいて──この世界にはね、未だに自分たちが天上の人であると思っている人がいるの。で、そういう奴らは、何を言っても何も変わらない。変わらないことを至上命題にしてるから、変わることが彼らにとっては悪なの」
『つまり、何をするというのかね』
「そんな奴らは完璧主義だから、捨てたゴミが自分のもとに歩いている事実を許さない──きっと、持てる全てを使って消し炭にしようとするわ」
『無駄なエネルギー消費というやつだな』
思わず笑ってしまった。あまりに的確すぎてそれを使おうと思った。
「そうなの。だからこの先の危ないことは、私も関与してるってことになる。それを加味して旅の計画を立ててね」
『心得た。──だがこちらも忠言を返すようで悪いのだが、もし君が旅の障害になるようだったら容赦はしない』
「大丈夫よ。場所にしがみつくようなみっともない真似はしないから」
それで話が終わり、ヒトミと〈P〉は作業を続けた。〈P〉に自分のスタンスを話せる唯一の機会だと思った。いつか、ヒトミの旅が終わるときが来る。それぞれの目的が叶ったときがそのタイミングだろう。ヒトミの目的が誰よりも明確な分、降りる瞬間も誰よりも早いのだ。
だからこそ、ユズリハにはまだ”旅するアイドル”の一員としていてほしい。たとえ立場上嫌悪していたとしても、彼女の踊りや歌は素晴らしいのだから。
「やっと近づき出したもの。あとはじっくり、とっくりと、舐らせてもらうまでよ」




