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Traveling! 〜旅するアイドル〜  作者: 有宮 宥
【Ⅱ部】第六章 譲葉の狭間
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公妨


 一先ず、釈放の道は開かれたことで取調室では刑事対していつもの調子を取り戻しつつあった。刑事たちは眉をひそめ、不快げな態度を見せた。机をたたき、椅子を叩いても、ミソラは美住に再開したことで逆に刑事に尋ねる余裕があった。


「いい加減、教えてほしいわ。証拠、つかめていないのでしょう。ここらで諦めたほうが良いとおもうけれど。富良野の件のような、手榴弾を体に巻き付けた集団の特定は? ああ、それは北海道道警の管轄だから知りようもないのかも?」


「……あんさん、この期に及んで言い逃れしようとしてもあきまへん」


「あと数時間もすれば私は釈放されるわ。アイカさんも……大人しくしていれば同じように。そうしたらこの逮捕の顛末を世間に事実を公表できるけれど」


 京都弁の刑事の眉がひくひくと震えた。二十歳間近の少女に生意気なことを言われて激昂する感覚がミソラには理解できないのだが、冷静を欠くことで人の口はうまいぐらいに回る。脳に血が登っているとき、脳もいつも以上の力を振り絞り、いや振り絞りすぎた結果が思わぬことを発言してしまうものだ。


「そうなった場合、一番迷惑を被るのは誰かしら。京都府警本部の本部長さん? それとも全国の警察官? 貴方一人で恥をかいてしまうだけなら、まあ貴方も安心かしら」


「……何がいいたいんや」


「丸一日が経って思ったのよ。貴方が外に出て誰かと話しているときは大体部下らしき人に指示を送っている場面ばかり。つまり貴方は、この警察署内でも立場のある人間。それから取り調べに来る刑事は貴方ともうひとりの刑事がセットになっていたり、貴方一人の場合が多い。ここへ来てから貴方の顔ばかり見るわ」


 彼の顔を伺う。ポーカーフェイスを気取っているようだが、普段から感情を撒き散らすタイプの刑事であるのは間違いなさそうだ。細身で高身長、切れ長の目から狡猾そうなタイプに感じたが、人を見た目で判断するものではなかった。


「これは私の勝手な憶測……いえ、ついさっき思いついた妄想に近しいものなのだけれど──貴方、京都府警の人間ではないわね。何者?」


「さて、何言っているのやら」


「そうね。論理が飛躍しすぎたわ。けどこちらも証拠がないまま話しているだけよ。証拠がないまま取り調べをしていることが許されているなら、ただの雑談でも許してほしいわ」


「なるほど、ただの雑談。それは面白い。我々を前にして雑談などと抜かす人は初めてや」


「ならその下手くそな京都弁をやめたほうが懸命よ。ようやく本場の京都弁と貴方の京都弁の差異をつかめた。普通に標準語を使えば、疑わずに済んだのにとんだ墓穴をほってしまったようね」


 そこでようやく京都弁の刑事……もとい、エセ京都弁の刑事の貼り付けていた仮面が崩れた。彼の落ち着いた空気はさらに研ぎ澄まされたものへと変わっていく。


「さすがは宗蓮寺家のご子息と言ったところか。姉と兄ゆずりの慧眼をお持ちのようだね」


「それはどうも。所属は公安ね。所轄? 警察庁?」


 すでに当てをつけていたようにミソラは尋ねた。刑事は懐から革のケースを取り出し、名刺をミソラに差し出した。所轄の可能性は京都にいる時点でありえないと踏んでいた。となれば、後者の警察庁所属だと考えるのが自然だ。


「世の中には知らない方がいいこともある。故、君のような未来のある若者に俺の所属を教えるわけにはいかない。そしてたったいま、君は国家のための礎となってしまった」


 態度が変わった、というよりかは人間そのものが変わったような気がした。男は胸ポケットから何かを取り出した。たった今納品されたばかりという輝きを放つ黒い拳銃を右手に握っていた。


「……正気?」


「仕事なら狂気にはならんよ」


 もしかしたら彼はこの機会を伺い、いままで取り調べに望んでいたのか。なんという茶番だ。生殺与奪を握られていた感覚は想像以上に恐ろしかった。

 ミソラはとっさに扉へと駆け出した。しかし机の足に引っかかり倒れる。拳銃の照準が狂いなくミソラに向く。本能的に遮蔽物となる机へと体を転がした。瞬間、弾ける音に全身が震えた。思っていたより射撃音は控えめで地面へ着弾する音のほうが大きい。間違いなくサイレンサーを搭載している。


「この部屋で起こることは公にはならん。故に──」


 ミソラは失念した。何も銃撃だけが死を招くものではないことに気づいた。刑事がミソラへ迫り、首元を圧迫してきた。細い首が締め付けられ、圧迫が始まった。


「悪く思うなっ、これも正義のためだ!」


 初めて真に迫った感情が顕になった。喉仏が押しつぶされていく。死を予感したのは、この旅が始まってから何度も味わった。だがこうして間近で死の淵を味わうとなると、少しは絶望感も襲いかかってくるものだった。だが不思議と、その絶望が冷静な思考を生み出した。


 ──この人は、わたしを殺して、そのあとは──。


 彼にとっては正義が全てなのだろうか。正義が、この人の人生にどれだけの影響を与え、どれほど満たしてくれるものとなったのだろう。彼の目は理性を失っていた。この状態は決していいものではないと、自覚的にも客観的のも分かるのに、この手を話す手段を彼は持ち合わせていない。


 ミソラの中で音が遠ざかっていった。浮つきだした私の残滓がいまからも抜けていくようだった。瞼を開くことすら億劫になって、ミソラは目を閉じた。そうすると不思議と楽になれるような気がした。そうだ、死ぬことはこんなにも楽なことだったことを思い出す。あの液体をかぶったときより痛みもなく、あとから続く傷みもないのなら、もうここで果ててもいいのでは。

 そう思ったときだった。自分の内側からその声は聞こえた。


 ──あとは頼んだわよ。


 忘れることの出来なかった声だった。できていたら、こんな場所に放り込まれていない。敬愛する姉は、死の淵に立っていても最後まで毅然と佇んでいた。その姿はどの世界に存在する高尚な理念は物体より、確かな価値をもたらしている。それを見て諦めることなど、宗蓮寺麗奈の妹として、なによりこの旅路を進む一人としてあってはならない。


「──っ」


 体のどこでもいい。力の入る場所を知覚しようと探る。一回り大きい人間に押し倒されたミソラには脱出の術はない。だが抵抗の意思を示すことはできる。腕や上半身から脱出は不可能だ。しかし運がいいことに、下半身は自由が残っていた。さらに運がいいことに、ミソラの足にはとっておきの機能があった。


 右足のつま先を左足の踵部分をあてがおうとする。この機能を開放するには手を使うのが確実で、不意の事故が起こらないような位置に設定だった。故に右足のみで解放は至難の技といってもいい。左足のブーツの踵部分を上から下へと引き下ろす。絶望からの抵抗をするように、希望への道筋を掴み取るために。


 そして、左足に電撃が走るような刺激が加わった瞬間、ミソラの反撃が始まった。

 元々は緊急脱出用に地上から高い箇所へ退避するために跳躍機能を補助するものだった。ミソラとユキナは戦闘状態を回避するためにそれぞれ”護身用”として持たされた。だがこの装置の有意義を手にしたときから見出していた。これは人に向けることでも意義のある力をもたらすのだと。


 左足の筋肉が悲鳴を上げそうになるも、それこそがミソラが戦うための武器である。その足を振り上げ、地面に叩きつける。出力設定はある程度の設定ができるが、万が一のときは最大の力を発揮する。──こと、命の危機にこのブーツは反応し、半自動的に出力を引き上げる機能をも備わっていた。


 足元で地鳴りが鳴り響いた。たったそれだけでミソラに覆いかぶさっていた存在が宙に浮いた。彼にとっては突然地震でも起きたように感じただろう。たった一瞬、そう感じ取ったらしく、男はすくんだ顔をみせながらミソラから遠ざかった。


 だがそれ以上のことはできないでいた。ミソラはすでに力の限界を迎えていた。腕を動かすことも、足を振り上げることもない。抵抗はそれきりだった。無論、反撃されたと理解した刑事は先程以上に激昂し、直接手を下すことを辞めた。つまり銃撃での確実な死を与えようとしたのだ。


 これ以上のことは出来ない。あとは──アイカがいい感じに助けに来てくれると勝手に思った。銃声が響き、うめき声が聞こえた。己が死ぬ音ではなかった。断末魔にしては雷鳴より長い。


 生きてる。その自覚が状況確認する余裕を生み出した。首だけを向けると、全く予想打にしない第三者がいた。紺のスラックスにスカイブルーのシャツ。一見して警察官の服装だったが、そこから覗く顔は予想打にしないものだった。


「ひどい有様ですね。警官も被疑者も」


「……これは、なんの冗談よ。わざわざ来てくれるなんて」


「物騒なことを言わないでください。公務執行妨害で余罪が増えるですよ」


「……ふふ」


 思わず笑みがこぼれてしまう。ユズリハは怪訝な面持ちで尋ねてきた。


「笑える要素ありましたか?」


「いいえ。貴女、本当に警察なんだなって思って」


「その言い振り、どうやら宛を付けていたようですね」


 ミソラは肩をすくめる余裕を見せた。彼女の境遇について語る時間はない。刑事の手から血が流れており、手を抱えてうずくまっている。彼の拳銃は、ユズリハが放った銃撃で部屋の隅にまで吹き飛ばされていた。客観的に見れば、ユズリハがミソラの命を救ったといえる。


「まずはここを出ましょう。警察官として身の安全を保障できる場所までお守りしますから」


 ユズリハはそう言って手を差し伸ばしてきた。猶予はない。いまはここから脱出し、生命の安全を優先するべきだ。たとえこの手が罠であってもだ。

 しかし何故か不安はなかった。今のユズリハには偽りがなく、ミソラを守る覚悟をその瞳が物語っていたからだ。


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