真似事
京都府警本部は京都御所より傍に建っており、そこにミソラとアイカが取り調べを受ける手はずとなっていた。いまなら、彼らがこの場所を指定した理由がわかる。
時刻は深夜を回ろうとしていた。この時間帯なら、何が起こってもおかしくない。そう考え、ユズリハたちは付近の路上で駐車する運びとなった。
「〈P〉、中の監視カメラを覗き見ることはできないのですか?」
『すでに対策済みらしい。つい数十分前、警察署内部の防犯カメラの映像が映らなくなった。どうやら、よっぽど中での出来事を見せたくないのだろう』
「そんな……まさかユズリハさんの言葉は本当のこと……?」
「待ってユキナちゃん。そんなことを思わせて私達を一網打尽する算段かも。嘘つきって、平気で嘘を尽くし、嘘を付くことすら忘れるから」
「私はちゃんと自分の付いた嘘を把握しています」
当然ながら、依然と警戒は続いているらしい。別に彼女たちが何を思おうが関係ない。私は彼女たちが殺されることだけは見過ごすわけにはいかないのだから。
「別にあなた達に来てもらうわけではありません。二人の様子を確かめに行きます。すでに殺害されている可能性も否めませんが」
「ちょいちょい待ってよぉ。展開が追いつかない〜! なにがどうなって、ミソラちゃんたちが殺されるなんて話になったのよ」
ヒトミが困り果てた様子でいる。他のものも同様で、彼女たちからすれば突然味方みたいな感じになっているのが解せないのだろう。だがこちらも詳しい説明をするわけにはいかない。事は国家の中枢が中心となっている恐ろしい事態だ。迂闊に巻き込めば、彼女たちも死の淵に立たされてしまう。
「私は犯罪者が全て死んでもいいなんて思想は持ち合わせていません。法的に裁かれると思い、潜入調査をしてきたのですから」
『署内の様子を知ることができるのはユズリハくんくらいのものだ。まずは彼女に託すのが懸命だろう』
「〈P〉ちゃんは意外とユズリハちゃんのことに甘い気がするわ」
『そうでもない。逆に言えば、彼女を戦地に送り込むと捉えることもできる』
〈P〉は腕を組んだまま憮然と佇んでいた。この人物がいかなる存在下を考察しても仕方がないだろう。ただ超常の能力を持つ危険分子と捉えればいい話だ。
「では、話はつきましたね。……それでは。いえ、そのまえに」
出ていく前に振り返り、ヒトミを見た。
「ヒトミさん、命を守るための行動を最優先に。なにがあろうと、絶対に死なせませんから」
ユズリハは扉を開けて外に出た。凍てついた空気が空中に一つに溜まっているような絶対零度のなか、ユズリハの足はまっすぐとその場所へ向かった。
後ろのついていく人間はおらず、前にも横にもユズリハが依るべきところはない。
警察が信頼の足りない組織であることは、その一因であるユズリハが一番良く分かっている。それでも警察庁警備局長の左文字京太郎だけは、ユズリハと同じ正しい義を持っている人間だと信じたかった。そんな彼も、日本の権力者には屈せずにはいられなかった。この国は、いつまで不都合な真実を秘密裏に葬り去らなければならないのだろうか。
「せめて、私の手が届く範囲でも──」
人は死なせない。たとえ判決で”死刑”と出た人物であっても、平等な場所、平等な方法で裁きを受けなければ、意味がないのだから。
『……彼女は行ったな。では、我々も動くとしようか』
宣言した仮面の言葉にユキナは驚いた。ユズリハを行かせたあとのこの言動には、まるでユズリハが邪魔であると言ったようなものだ。無論、ユズリハだけを信用するのは危険だ。彼女も未だに公安の人間だ。信じるには材料が少なすぎる。だというのに、一人だけぼうっと佇んでいる年上の人が目に映った。
「ヒトミさん? 大丈夫ですか」
「へっ、え、ええ。大丈夫、私は大丈夫よ」
「……顔、赤くないですか」
ユキナの指摘にと言わんばかりに目を輝かせた。
「だ、だって、あんなこと言われたの初めてだったし」
「もう、照れてる場合じゃないです! 今回はあまり自由気ままとか抑えてくださいね」
「う、うん。今回はちょっと、抑えてみる……」
珍しい態度だと、ユキナは思った。彼女の行動原理は自由気ままであることだ。人の言うことを聞かず、ただ自分が気に入ったものへと一直線なタイプなのに、自ら行動を抑制すると口にした。そこまでさせたのは、きっとユズリハの飾り気のない言葉だったからだろう。実にお似合いの二人なのに、なぜ立場はあそこまで分かたれてしまったのだろう。
いや、これ以上は二人の問題だ。ユキナは老婆心を制御しつつ、緊張感のほうを自ら高めた。これから二人を助けるために、国家権力と相対するのだから。
「今度はなにをしでかすつもりなの〜!」
「別ルートでミソラさんとアイカちゃんを助け出すんですよね」
「流石に危険かと。〈P〉、ここは一旦退却したほうが」
『どちらもやるつもりはない。それは最後の仕事だ』
〈P〉がそう断じる。それからこう続けた。
『署内のことはほぼ解決したとみていい。数刻前、宗蓮寺グループの顧問弁護士が来訪し、釈放までの道を築いてくれた。事件についても、ユズリハくんに任せよう』
「任せるって……ユズリハさん、もしかしたらこれからミソラさんたちを危機に合わせるかもしれないんですよ」
『もしミソラくんたちが大変な目にあっているのなら黙っているはずだ。わざわざ伝える真似をするとは思えない』
「確かにユズリハちゃんらしくなかった気がする……本当に」
照れた顔で言われると別の意味に捉えかねないので、いまだけでいいので惚け顔は抑えてほしいと、ユキナは思った。
『あの切羽詰まった様子は君たちだからこそ伝わった。だからここまで異議を挟まなかったのではないかね』
そう言われてしまうと反論のしようもなかった。ユズリハが公安の一人であると仮定しても、ミソラたちが殺されてしまうことをわざわざ伝えるだろうか。
つい数十分前、ユズリハが通信から戻りミソラたちの安否を伝えたあと、すぐさま運転席へと乗り込んだ。車のキーが助手席に放置されていたことが幸いに、ユズリハの運転で目的地の近くまで移動した。街中で引き止めるわけにもいかなかった。
「で、〈P〉ちゃんはこれから何をするわけ?」
『決まっている。水野ユズリハの”真実”を君たちに伝えようと思う』
「それって、さっきユズリハちゃんが動揺してたやつ? 〈P〉ちゃんってば、いきなりどうしたのよ」
『必要なことだと判断した。我々”旅するアイドル”に水野ユズリハは必要だ。此度の事件では、彼女すら命を落とす危険がある。それは避けたいことだ。ゆえに、彼女が生涯をかけて隠していた事実を伝える。つまり、今の彼女を形作っている”きっかけ”となった事件。──十四年前のバスジャック事件のことを』
そうして〈P〉はためらいなく語りだした。ユズリハが動揺したわけが理解できた。大きな視点で見れば、それはよくあることで、悲しいがどうしようもないことだと思う。だがユズリハにとっては、自分のすべてを偽るほどの出来事だった。隠すことで鎧にした。そんな人間はいなかったのだと、新生したようなものだった。
『結論から言おう。彼女はその事件に巻き込まれ、両親を失っている。だがどうしてか、ユズリハくんは両親が存命していると記録にも書かれているし、君たちも聞いているだろう』
沈黙が車内を包んでいく。水野ユズリハ、正義の番人として秩序を守ろうとした者。公安になるだけの素質と過去は兼ね備えていた。ユズリハが仙台へ帰宅した家は、本当の家だったらしい。しかしそこに彼女の両親はいない。むしろあの家を利用することで、再び”旅するアイドル”
「……普通の人だと思ったのに」
ヒトミがため息がてら言った。それから警察署の方を見て心配そうな目をした。
「からかい甲斐がなくなっちゃったわ」
『不満か』
「ええ。普通の人が狂わずに正義を持ってるのが気に入ってたの。まさに子犬──けどその犬が、実は軍用犬だなんて。あの子はいずれ自分の炎に焼かれて死んでしまう。自殺願望のある人間ほど終わったものはない……可愛そうなのは嫌いよ」
今度は憤ってみせた。ある意味で、コロコロと変わっていくさまはヒトミらしい。ようやく調子が出てきたと、ユキナは一安心した。
「〈P〉、貴方の企てって、ユズリハちゃんをどうにかできる?」
『それは状況と君たち次第だ』
「教えて」
〈P〉はある提案を伝えた。それはある意味で博打であり、今後の旅に今まで以上に影響を及ぼす結果となるのは目に見えていた。だがこれしかない、とこの場の誰もが納得の面持ちでいた。
「……待っててねユズリハちゃん。今まで見せてきた姿が全て嘘だったなんて、アナタ自身から否定させてみるわ」
「言葉、変じゃないですか」
「だってミソラちゃんのパクリだもん。これぐらいの可笑しさが私たちっぽいと思わない?」




