逃げるための手段
「そんな……ユズリハさんが刑事……」
ユキナは愕然とユズリハをみて言った。富良野での都合のいいタイミングでの再加入やその後の実家の被害を起こしたあと、直接言われたわけではないがミソラやアイカからは疑念めいた視線を向けられていた。ユキナは全く疑問を感じていなかったらしい。
「ユキナさん、もう少し疑り深く物事を見たほうがよろしいかと。身近に裏切り者がいるかもわかりませんから」
「……っ」
彼女は歯噛みしてこちらを睨みつけていた。ユキナには、厚労省の人体実験の被害者という経歴や他の者とは違い普通の感性を持っていることから同情してしまうこともあった。だが”旅するアイドル”のメンバーであり、少なくない犯罪行為に加担したと合っては国家の損害を被る人間の一人に過ぎない。
「ユキナさんも覚悟はしていたでしょう。これが四ヶ月前に行ったことの終着点。今頃、ミソラさんたちも同じ瞬間に立ち会っているはず」
「そんな……」
彼女から自分のせいでこうなってしまった罪悪感が目元に浮かんでいた。一度崩壊しかけた”旅するアイドル”を立て直したのは他でもないユキナだ。彼女は”旅するアイドル”を終わらせるにあたり最も重要な要素であるのは間違いない。つまり、ミソラとアイカという支柱がすでに遠いところにいるという事実を認識させ屈服させる。抵抗する気をなくさせ、穏便な形でお縄について貰う必要がある。同僚から甘いと言われてしまうだろうが、これが確実性の高い方法だと思っている。
ユズリハは手錠を取り出し、刑事の男に拘束されているユキナに近づいた。そのとき、思わぬ大声が飛んできた。
「ユキナちゃん! ただの言葉を信用しないで! ミソラちゃんたちが捕まったって決まったわけじゃないでしょ」
その声にユキナの気が戻った。ヒトミがなおも叫び続ける。
「あの子達が無策に捕まるとは限らないわっ。それに私たち悪いことなんてしてないもの」
ヒトミの発言に彼女を拘束している刑事が怒号を上げた。
「何を世迷い言を言ってやがる。てめえらのやってきたことは紛れもない犯罪行為だ」
「それは国のものさしで決めた決まりごとに則ってそうしただけでしょ。あなた達だって、国家のためだと大義名分をかざして人に言えないようなことしてる。それと何が違うのかしら──痛っ」
急に刑事(おそらく公安)の男がヒトミの腕をひねり上げたようだ。
「お前らと一緒にするな犯罪者」
「別にいいじゃない。国のために仕方のないことだって大声張っていれば」
「貴様──」
「やめなさいっ。被疑者をみだりに暴行することは私が許しません」
ヒトミたちが驚きに目を見上げる。彼女たちの前で叫んだからか。男は渋々といった感じで締め上げをゆるくした。
「連れていきなさい」
その号令でヒトミとユキナが刑事たちに連れられていった。ユズリハはその後についていき、二人が怪しい動きをしないように見張る。だが意外にも彼女たちは抵抗する素振りはないようで、ヒトミがいつものようにユズリハに話しかけてきた。
「ユズリハちゃんってよっぽど優秀なのねえ。まだ二十六なのに彼らを顎で使うなんて」
「たまたまその立場を仰せつかっただけです」
「そうなのでしょうけど、結局はユズリハちゃんの努力の賜物でしょ。公安、それも女性のだなんてそうそうなれないはず。警察としても、アイドルとしてもやれているなんて、普通の人じゃなかなか味わえない経験じゃない」
「……何がいいたいの?」
思わず口をついて出たのは苛立ちだった。ユズリハは個人の経歴をあげてへつらう人間が好きではなかった。そこには妬みや嫉み、突き詰めていけばその人の楽をしたいという本心が透けて見える。この立場につくため、どれほどの時間と鍛錬、そして日常生活を不意にしてきたのかを理解せず、しようとしないのがこの手の言葉を発する人間の特徴だ。だからこそ解せなかった。ヒトミがそんな無意味なことを口にするわけない。この状況において逃げ出す算段をついているのか。
角を曲がり、道路沿いに止めてある二つの車両に向かって進んでいると、激しいクラクションが背後から聞こえてきた。誰が暴走していることに顔をしかめそうになったが、男の一人が戸惑いがちにこう言っていた。
「おい、あれなんだ? ……キャンピングカー」
思わず振り向いて確認した。白を基調とし、赤と緑の線が車体に彩られている車が、何度も車線変更し猛スピードで走っていた。最終的に左車線に戻り、こちらにぶつかりそうな勢いで向かってきた。ヒトミとユキナも流石に驚いたようでお互いに顔を見合わせていた。
「〈P〉ちゃんのおかげかしら。相変わらず察知能力高いわ──ということで」
その言葉が合図であり、格好の隙を与えてしまった。手の後ろに縛られてたヒトミはそのままの体制から衣服の背中に手を差し込んだ。しかし捕まえていた男が見逃すはずもなく、彼女の腕を掴み獲物を獲得するのを阻止した。ヒトミは後ろを振り返り「あら」と発した。それから鋭い笑みを浮かべた。
「ちょっと遅かったんじゃない?」
そういった瞬間、ヒトミの服の背中から一本の縄が降りてきた。先端にまで伸びてきたそれは、急に跳ね上がり弧を描くように男の顔に一閃が加わった。男が痛みで悶ている間に、鞭は別の男へと強襲した。そのままユキナを拘束している男の腕を強打し、ユキナとの距離を作り出した。そのままユキナは男の手を脱し、ヒトミの背後まで距離をとった。
それに呼応するようにキャンピングカーが横付けされ扉が自動的に開く。ヒトミたちは即座に車内へ入り込もうとした。
「待ちなさい!」
ユズリハも続けておい、車内へ飛び込んだ。男たちも続けて乗り込もうとしたが、彼らの侵入を拒むかのように扉が勢いよく閉まった。車は三人の乗客を乗せ、路肩から車道へ移動を開始した。
仕事はまだ終わっていない。ここで二人を捕らえなければ職務が果たせない。二人から距離を取り運転席側まで後退した。二人とにらみ合うかと思ったその時、ユキナが指を指してこう零した。
「……誰も乗ってないですよね」
「あれって、その、自動運転ってやつよね。ちょっと怖いわあ」
「なんてこと。一般道では使用禁止のはずです」
またもや彼女たちを捕らえる理由が出来上がっていった。動機が膨れ上がっていくさまは、後戻りのできなくなった犯罪者を思い起こさせる。罪を重ねるほど前の罪の意識が消えていき、罪悪感が感じなくなった状態に陥り、大罪を犯すことのハードルが下がっていく。彼女たちもその末路を辿るに違いない。
「いまはあなた達を止めなければなりません。覚悟して──」
逸る緊張と興奮が場の状況を、ユズリハは冷静に見ることができなくなっていたことを自覚する。ユキナが後部の物置のようなところを手首を縛られた状態で何かを掴んだ。そして背を見せて一気にそれをなげた。ふと飛び込んできた硬貨のようなものを見た瞬間、ユズリハは己の運命を察した。
「ごめんなさいユズリハさん」
手錠を装着した状態でも、ユズリハまで”スタンバレット”が届く。網に包まれるように小さな塊が広がり、その一つが衣服にあたったとき、全身を一瞬で貫く衝撃がやってきた。
身体機能が一時的にせよ麻痺したのを理解したあと、途端に意識が衰えていくのを感じた。目元と耳が遠くなっていく。車の振動と二人の話し声だけはかろうじて聞こえるくらいに意識は残っていた。
「あら、意識あるみたいよ。ユキナちゃん、気絶させなかったの?」
「手にとったのがたまたまそれだっただけです。……ユズリハさんが警察なんて思いませんでした」
「誰だって表と裏の一つもあるでしょ。問題はここからよ。車がどこへ向かうのか、これから内をしないといけないのか」
ヒトミはユズリハをまっすぐ見下ろした。
「まずはユズリハちゃんからたっぷり聞いてあげないとね」




