這い寄る蛇
高速道路上でラムが京都府へ入ったことを報せた。助手席に座っていたヒトミが途中で購入した京都の観光案内を片手にはしゃいでいた。
「京都駅で降ろしてね」
「いいんですか。目的地まで案内しますけど」
「それじゃつまんないじゃない。現地の空気感を味わうには、その土地の交通機関だって重要な要素でしょ。船ばかりに乗っていた私が言うんだから間違いない」
確かにヒトミは”海上巡間都市サヌール”で長い時間を過ごしてきた。久々に上陸した大地を恋しいと感じる気持ちもわかる。
「ねえ、ふたりとも、行きたいとこあったら教えてね。二、三日かけて全制覇するつもりだから」
ヒトミが参加者の二人を見た。
「まさに修学旅行ですね」
ユズリハが率直な感想を述べたあと、ユキナがはっとしたように言った。
「そういえば修学旅行行ったことなかったです」
「病のことがあったからですか?」
「はい、迷惑かかっちゃうと思って、小中高すべて欠席したんです。たしか中学と高校が京都大阪旅行だったと思います。特に一番行きたかったの京都で……」
大阪は五月に、今乗っているこの車に乗り換えたときに訪れているときのことを言っているのだろう。彼女の境遇を思えば、遠出すること自体ハードルが高かったに違いない。そしていま、原ユキナは自由気ままに旅ができる。病や差別のない、彼女自身の楽しみを。
「……ヒトミさんに振り回されてしまうと思いますが、ゆっくり楽しみましょう。私も京都は思い入れ深い土地なんです」
「そうなんですかっ。じゃあ、ユズリハさんの思い出の場所も案内してくださいね!」
それからユキナはさり気なく後部座席の方へと一瞥を送った。しかしすぐに元に戻し、観光案内に目を留めた。
ユズリハは車内で厳しい面持ちで作業をしているミソラとアイカを見た。ミソラはいつも通り曲作りか情報収集、アイカは銃やナイフ等の武器の手入れを行っている。ナイフは立派な銃刀法違反だが、銃の方はモデルガンを改造したもので、発射する弾は実弾ではなく麻酔や吐き気をもよおす成分の入った極小の針らしい。その気になれば威力を高めることもできたらしいが、護衛分には十分だと判断していた。
ユキナが彼女たちをみて寂しそうな目を向けていた理由がわかった気がする。修学旅行はなにも、一人で楽しむものではないのだから。
ユキナたちが観光に出ていってから数時間が経過した。最終合流地点を京都駅から十キロほどにあるショッピングモールの駐車場とした。ラムは店内で買い物をしている。ミソラとアイカは車内で待機していた。
外から凍てつく大気が車内の中を凍えさせていく。駐車中のアイドリングを禁じられているため、ミソラは暖房を付ける代わりに毛布を二重に巻いてやり過ごした。アイカは物置きスペースを漁っている。ふと気になったことを彼女に尋ねた。
「観光、行かなくてよかったの?」
「アンタこそ。ユキナ、一緒に行って欲しそうだったぞ」
「それはお互い様でしょ」
「……アタシもだったのか」
どうやら京都へ降り立つ前にユキナが向けていた視線には気づいていたようだが、自分に対しては鈍感だったようだ。
「一緒に行きたくなかったわけじゃないでしょう?」
「まずそっちからだ」
「私は」
言うか迷ったあと、アイカの理由への興味が尽きなかったため話した。
「正直、そんな余裕がなかった。姉さんと兄さんの影を追いかけているだけで、実体はなんにもつかめてない。気分転換なんて無理」
それからミソラは視線だけでそっちはと投げかけた。アイカは手荷物をテーブルの上に置いたあとあっけなく話した。
「車側に誰かいないのは困るだろ。いくら観光だといっても、富良野のときみてえな連中が襲いかかってくるのもわかんねえ」
正論だった。もし全員で観光にでかけたのだとしたら、おそらく追跡しているであろう組織に車内を検められるおそれがある。また盗聴や盗撮も可能だろう。そのため数人は残るべきだったのだ。
「ラムさんの買い物も付き合うべきだったかもしれないわ」
「位置情報と周囲の状況はいまアタシが確認している。ラムになにかあれば、アタシが指示出しする」
ミソラは感心の声をあげた。過去の状況を把握し、現在へ影響を及ぼす事柄を予測しつつ、ありとあらゆる対策を講じているとは思いもしなかった。そういう対策が取られたことも驚きの一つではあるが、アイカの行動はミソラたちを守るためにあるというのも重要な点だ。ここで笑みを浮かべるとアイカにどやされるだろうと思い、胸のうちに秘めておいた。ミソラは己の作業に戻った。
今は曲作りの真っ最中で、出来上がった楽曲を編曲している最中だ。しかしこういうときにスタジオの力を借りたいとも思ってしまう。細かい音の調整は、PCひとつでは限界がある。
PCを閉じて一息つく。紅茶でも入れようと思い立ったとき、盛大なくしゃみを発する者がいた。アイカは鼻をすすってやり過ごし、武器の手入れに戻った。テーブルの上には、〈P〉が設計製作したアイテムが並んでいた。
「武器の手入れって大事?」
アイカが一瞬視線をあげた。作業へ目を戻し、手を動かしながら言った。
「大事だ。傭兵はそれで飯食ってるからな。不備があっちゃ、命を危機に晒すし、まあ手足を大事にするのと同じことだ」
「そう。私もそうしてみようかしら」
ミソラは左足をソファの上に乗せ、足に取り付けていた靴を外しにかかった。右足とちがい、左足はベルトなどで固定している。外すのに一分はかかる。ようやく外し終えたミソラはブーツを手に取り、唯一の武器を眺めた。その重さは1キロほどあり、複雑な機構が備わっている。
「といっても、どうメンテナンスすればいいのかわからないのだけど」
「──脚力増強ブーツか。しかも片足だけ装着なんて意味わかんねえ」
「別に戦うために選んだわけじゃないわ。唯一、体の中で失ってもいい部分があるとすれば、左足だけだったというだけ」
「あ? どういうことだ」
ミソラは座ったまま左足以外の部分である形をとった。両手の指をテーブルの上に、右足は何かを添えるように前へ伸ばす形だ。それでアイカは納得したようだが、呆れた顔を浮かべた。
「そんなにピアノが好きだったか、お前」
「好きというか……ずっとやってきたものだから、できなくなるのは辛いと思っただけ。本当にピアノが好きならアイドルなんてならなかったわ」
「それなら左足なくなるのやべえだろ。踊れなくなるぞ」
「……私が表に出ないでやればいい話でしょ」
アイカと視線がかち合う。互いに瞳の中の感情を伺っている。その鋭い目つきの中に温かみを覚えるのは、これまでの旅がそうさせているのか、それとも彼女に気を許しているからか。
それからアイカは視線を外し、微かに頬を上げて言った。
「得意なものに敏感で、好きなものには鈍感なんだな」
「え?」
意味がよくわからず、もう一度たずねようとしたそのときだった。アイカが中腰で佇んだ。
「どうしたの?」
「静かに。……囲まれてやがる。それも一人や二人じゃねえ」
彼女の張り詰めた雰囲気からそれは適切であると理解した。アイカは続けてこう言った。
「──ブーツつけろ。そのままじっとしてろよ」
異様な緊張感のなか、ミソラはブーツを履いた。固定されているのを確認してから、アイカの様子を眺めた。アイカは机の上に広げた道具を3つほど手にし、残りをベッド下の物置へと戻した。
「ラムさんに連絡しましょう」
「いまかけた──ラム、〈P〉に連絡だ。車が囲まれた。アンタはどうにかその場から離れてくれ。こっちはなんとかする。まあ、策はあるから安心しろ」
どうやらラムと連絡をとってたらしい。指示を送ったあとは、こちらのことに専念すると伝えていた。こういうときミソラはアイカの指示を待つしか無い。
「蛇と出るか、蛇とでるか」
なんて小言を漏らしてみるも、気が収まるわけではなかった。内蔵のすべてを使ったような特定の誰かに追われている立場になってみてわかることがある。命が常に脅かされている状況は、想像以上に辛いものがあると。




