災禍の女たち
富良野のPV撮影を終え、旅立ちの前に五人は都市内でそれぞれ買い物を済ませた。なぜだが、ユズリハも付いてくることになったようだ。いよいよ彼女の不運がここに極まってしまった。だがここまで来て全く思わないわけがない。水野ユズリハの実態をなんとなく気付きつつも、サヌールの頃からそうだったのならとんだ食わせ者であると考えずにはいられない。
「さて、事後処理済ませし、そろそろ行きましょうよ。潜伏のためとはいえ、北海道に長くいすぎたわ」
「私もゆらゆら揺れている方が好み」
「ふらふらの間違いでは。ヒトミさんは向かい風に流されるタイプでしょう」
「違いますぅ、流れていたら楽園にたどり着くタイプだからいいの」
「楽園からもふらっといなくなりそうですけどね」
「あらあら、よーくわかってるじゃない。ユズリハちゃんってばホント素直じゃないんだから」
「はぁ、解釈もふらふらです」
ヒトミとユズリハのやり取りも、かつて垣間見た旅路の景色と変わらない。
「アイカちゃん、本当に怪我ないんだよねっ。急に倒れたりしちゃヤダからね」
「しつけえなっ。見たんならわかるだろ。そこいらの傷ならすぐにふさがっちまう」
「で、でも、頭とか心臓の傷はさすがに治らないよね」
「さてな。試したことはねえが、まあ当たりどころが悪ければお陀仏だろうな」
「……もっと自分を大事にしてよ」
「悪いな、これはそういう性分だ。じゃなきゃ、割に合わねえ」
ユキナは奪還作戦のときにアイカに銃弾を庇われたことがよっぽど答えているようだ。そこで知った真実は、金沢のライブの疑問を晴らした。アイカの肉体は一般人とはかけ離れた機能が付いている。ある意味では、技術的特異点の一つとも言えるかもしれない。だとしたら、すでに特異点は始まっているはず。誰もその事に気づかず、時代の到来をいつの間にか感じることだろう。
ふとユキナからもアイカに対する抗議を促してきた。
「ミソラさんからも言ってくださいよ。アイカちゃんの後ろには絶対隠れてやらないって」
「んだよそれは……」
「貴女が盾にならなくても、私とユキナさんは大丈夫って話よ」
とはいっても、問題は山積みだ。銃を持っていたとしても、大半は戦闘経験のない素人だった。いくら護身用の武具を身に着けていても、人間の限界を超えてはいないのだ。
「この先、戦いになっていくのは間違いないし、いい加減私たちを守ると思ってイロハを叩き込んでみたらいいじゃない」
アイカは唸った。北海道紀行の間も、彼女は頑なに護身を教えようとはしなかった。だがなりふりかまっていられる状態ではない。今後はかのザルヴァートの本隊とも出くわし、交戦する可能性だってある。因縁をつけられたからには対策を取るのは筋だ。
「……もうちょい考えさせてくれ。お前たちまでアタシみたいにならなくてもいいんだぞ」
「なりたくてもなれないわ。ただのアイドルよ、私たち」
ミソラの言葉に合わせて得意げに頷くユキナだった。
「そうです。ただのアイドルですからね、私たちは」
得意げにユキナがうなずいた。少なくとも進む道は間違えていない。そもそも奪われたものを取り戻す旅なのだから、誰に何を言われようと──それがたとえ自分自身の本心だとしても──旅を終えることなんてできないのだ。
駐車場も近くに差し迫ってきたとき、前方で目立った格好の者が歩いてきているのが見えた。
「わあ、ゴスロリじゃない。いいね、友達になれそう」
「ふーん、あれゴスロリっていうのか」
ヒトミとアイカが興味深そうにしていた。黒を貴重としたロリータシックな衣装を纏った女性が歩道の真ん中を堂々と歩いている。目元にアイシャドウが施してあり、道行く人達から視線を集めながら、歩行者が左右へと割れている。
ミソラたちはそれぞれ左右に分かれることにした。ゴスロリの女性が通り過ぎていくその瞬間、彼女の目がミソラのほうを捉えた。
「これで終わったと思わないでね」
すれ違いざまにそんな事を言われた。ミソラは振り向いて女性の行く末を追った。するとヒトミがゴスロリに興味を持ったのか色めきだってこう言った。
「あれかわいい……。ねえねえ、次の衣装ああいうのにしよっ」
「正気ですか。アイカさんやユキナさんならともかく、私たち大人はきついのでは」
「何事もチャレンジよ。きっと似合うから大丈夫だって」
騒がしい大人組をよそに、アイカが横から声をかけてきた。
「どうかしたか」
「いいえ、別に……」
ミソラは気を取り直して、前を向いた。気の所為という感覚は、どこかで巡り合うものだ。頭の隅で引っ掛けておくことも重要だろう。
こうして邂逅は静かに、緩やかに、なにより逃れることのできない『破滅』へ誘っていくことを、このときはまだ誰も知らなかった。
シャオ・レイはかすかな屈辱と高揚を覚えながら、アイカが属しているコミュニティを眺めていた。雑居ビルの屋上から単眼鏡で覗いていると、背後からマーカスがたしなめてきた。
「いいのか、シャオ。今なら、例のものを我々だけで奪えるだろ」
「できると思うけど、そこまでのリソースがアタシたちにはないの。日本のザルヴァート残党は何者かに洗脳されちゃって、おまけに武器まで奪われちゃった。アハハハ」
思わず笑ってしまった。マーカスの呆れ顔には侮蔑の意味も込められていることも知っている。だが笑わずにはいられない。いつから日本は、こんなに愉快な国に変わっていたのだろう。せっかくならじっくり楽しみたいところだが、叶えなければならない”使命”を優先しなければならない。
2040年──父が言い残した技術的特異点の台頭までもうまもなくだ。その力を集中にしたものが、この世界の実験を握ると言っても過言ではない。
「しばらくは様子見かな。マーカスは中方針のほうをお願い。例の物は、いい感じになったら奪ってみるからさ」
とはいっても、あの〈P〉という仮面の存在と真正面から戦うのは得策ではない。例のブツも目の届くところにおいているに違いない。もしものときは破壊する可能性だってある。それだけは避けねばならない。あれは、ザルヴァートの復権に必要な道具だからだ。機会は別のにするとして、
「再会はまた今度だね、アイカ。パパの元を離れてどんな変化をするのか、姉として楽しみにしてる」
「ただいま」
リツカの呼びかけに、小さな影が振り向いた。一瞬で晴れやかな顔を浮かべ、覚束ない全力走りで向かってきた。
「おかえり! 今日はお母さんがおむかえだって聞いて待ってた!」
「いい子にしてた?」
「うん!」
息子の悠人が膝のあたりを揺らしてくる。リツカは幼稚園の教諭に挨拶を済ませ、自宅までの帰り道を歩んだ。悠人が鼻歌を歌いながら、腕をブンブンと振り回していく。ご機嫌なところ悪いが、少々腕が痛い。
子供は真の自由人だ。どういう未来をたどるかを選択できる立場にある。それを親や社会の都合で選択肢を狭め、本来あるべき尊厳を解かしていくのが、いまの世の中だ。人は自由になる機会を、外から奪われている。だから親も子供に関心を持つことで自由を阻害されていると気付いたほうがいい。責任はただの架空なのだと。
「ママ、りょこう楽しかった?」
「とっても楽しかった。ただちょっと寒くて風邪ひきそうだった」
「風邪、ひいた?」
「ううん。平気」
あれやこれやと尋ねる息子にリツカは聞かれたこと以上のレスポンスを返さなかった。その必要性が全く感じられない。子供は好奇心旺盛だから、どこかで身につけた言葉を当たり前のように披露する。いずれ「バカ」や「アホ」といった言葉も覚えるに違いない。そこから人間としての堕落が始まる。
リツカは一つだけ問い出したいとこを悠人に言った。
「お手伝いさんの言うことはちゃんと守った?」
「おてつだいさん? ああ、あの人ね、パパがもうだいじょうぶだっていって、こなくなったよ」
「……へえ」
意外な答えに笑みが浮かぶ。あの人といえば、家に帰ることのない旦那という印象が客観的な印象だ。都心の一軒家を一括で購入できる経済力をもっているがゆえの多忙なのだが、彼は基本的に家庭に口を出さない主義だと思いこんでいた。どうやら勘違いだったようだ。リツカの提案を不意したからには、何か理由があってのことだろう。
自宅に到着し、玄関の扉を開くと黒い革靴を見つけた。どうやら本気で帰ってきたらしい。リツカは幸喜とともにリビングへ赴くと、ソファで横になってくつろいでいる中年の男がいた。
「あら幸喜さん」
「よう、旅行は楽しかったか」
いかにも中年然としてこの男こそ、リツカの旦那の松倉幸喜だ。いまは背広を脱いで、シャツをはだけさせている。かっこいいと思っているのだろうか。
「美味しいご飯に温泉、ホテルのサービスも愉快だったわ。それに面白い娘たちにも出会えた。最高よ」
「そうかい、そりゃ良かった。子供を置いてまで楽しんだんなら」
リツカはため息を付きそうになった。子供どころか家庭をほったらかしている人間が言うことではない気がした。ただそれをぐっとこらえて、リツカは嘲るようにこう言った。
「そうね、確かにいけないことよ。けどアナタと一緒に遊んでくれたおかげで、悠人は喜んでくれたようよ。感謝するわ」
「ハン、何様だっつーの。ああそれと、しばらくは家にいるからな。年明けからおお仕事が待っていそうでな、それまで上司に休暇をもらったんだ」
「そう」
興味なさげにつぶやいたところで、夫がまあ待てと切り込んできた。
「楽しい旅行のついでに悪いが、二月のシンポジウム参加のチケットをもらったんだ」
歯切れの悪い物言いから一点、背筋を正した松倉が言った。
「お前も、一緒にどうだ」
その言葉に、思考の間が生まれた。いままでそんな提案を受けたのは初めてだ。結婚や悠人を生んだときでさえ、リツカの一存で決めてきた。しかも息子を連れて行こうとしているのは、当てつけとしか思えない。リツカは松倉から背を向けて、底冷えする声で返答した。
「いくわけないでしょ。わたしたち、いつから家族になったのよ」
リツカはすぐさまリビングを後にし、一階の寝室に入った。
シンポジウムという単語が出た瞬間、リツカは一瞬心臓が跳ね上がった。しかもそれだけではない。珍しく、夫からそんな誘いを受けるとは思っても見なかったのだ。
「家族なんかじゃ、ない」
本当のつながりは血で紡がれるものではない。血は自由を束縛するだけだ。
リツカはベッドに飛び込み、首にかけていたものを取り外した。特徴的なデザインがあしらわれたネックレスは、ところどころサビが浮き出ている。これを手にしてから、松倉リツカの運命が決まったともいえる。
「滅んじゃえばいいよ、こんな世界」
そうしてリツカは目をつぶった。
世界が滅んだ後の世界が聞こえてくるような気がした。




